夏休みに近くに住んでるクラスのギャルがエアコンが壊れたとか言って入り浸って来る話。

斜偲泳(ななしの えい)

第1話

 キンキンにクーラーの効いた部屋でパソコンに向かい、新作ゲームのDLCを遊んでいると、僕は不意に虚しくなった。


「……今年の夏も何事もなく終わるんだろうなぁ」


 夏休みが始まってまだ数日。

 けれど僕には、この先の未来が手に取るように予測できた。

 毎晩遅くまで積んでいたアニメを流しながらゲーム三昧。

 朝日と共に眠りにつき、昼過ぎに起きてあとはひたすらアニメとゲーム、所により漫画とラノベ。

 その間、家から出る事はほとんどない。

 あっても精々母親の買い物に付き合わされるくらいだ。


 夏休みに一緒に遊ぶような友達はいない。

 勿論彼女なんかいるわけない。

 だからプールに行く機会もない。

 花火をやる事もないだろう。

 夏祭りで屋台を回る事もなければ、キャンプに行ってバーベキューをする事もない。


 山にも行かず、海にも行かず、日焼けをする事もなければ水着の女の子を見る事もない。

 夏休みの間中、僕はエアコンの効いた自室に引きこもり、家族以外の誰とも合わず、他の子達がやっているような夏らしいイベントをたった一つも体験せず、修行僧のように粛々と積みゲーや積みアニメを消化するだけの毎日だ。


 どうしてそんな事が分るかと言えば、去年がそうだったからだ。

 一昨年もそうで、その前もそうだった。

 小学生から高校二年生の今に至るまでの夏休みを、殆ど僕はそうやって過ごしてきた。


 来年もそうだろうし、もし大学に行くとすれば、再来年もそうなるはずだ。

 毎年の事だけど、今年は特に憂鬱だ。

 だって今回は高校二年生の夏休みなのだ。

 学生らしい煌びやかな青春を謳歌出来る、恐らく最後のチャンスだったのだ。

 だから僕は、今年こそは頑張ろうと思っていた。

 去年、十回目の不毛な夏休みを終えた時に、来年こそはと思っていた筈なのだ。


 出来る事なら彼女を作り、それも無理なら夏休み中に遊べるような友達を作りたかった。

 そして、多くは望まないから、ちょっとくらい人並みに夏らしい夏休みを経験したかった。

 でも無理だった。

 日々の生活の中で、僕の決意はゆっくりと萎んでいき、なぁなぁになり、気付いたらこのザマだ。

 明日頑張ろう、明日の僕に期待しよう、明日こそはが積み重なり、なんの結果も残せないまま夏休みに入ってしまった。


 こうなってしまっては、今更僕に出来る事はない。

 大勢は決し、夏休みの結果は決まったも同然だ。

 今年もまた不毛な夏休みになる。

 僕はなに一つ夏らしい事を経験できず夏休みを終える。

 彼女のいない夏休みを過ごす。

 一人ぼっちの夏休みを過ごすことになる。

 そして恐らく、この先ずっと繰り返す。

 夏休みの終わりが今から憂鬱だ。


 クラスメイトは皆こんがりと日に焼けて、夏休みの楽しい思い出を語り合う。

 中には恋人と一線を越え、大人の風格を纏ってくる奴もいる事だろう。

 僕は教室の端で寝たふりをしながら、後悔と共にそれを羨むのだ。

 あぁ、どうして僕はもっと頑張らなかったのだろう。

 勇気を出して声をかけ、友達を作らなかったのだろう。

 そうすれば、なにかの縁で彼女だって出来たかもしれない。


 まぁ、流石にそれはないだろうけど。

 でも、絶対にないとは言い切れない。

 少なくとも、可能性はゼロじゃない。

 なんにしろ、全ては後の祭りだった。


 夏休みはまだ始まったばかりなのに。

 折角の夏休みだというのに。

 高校二年の貴重な夏休みだというのに。

 僕の夏休みは始まる前から終わっていた。

 誰にでも分かる、明瞭な事実だった。


 奇跡でも起こらない限り、この現実が変わる事はない。

 勿論僕は奇跡なんか期待しない。

 奇跡とは、起こらないから奇跡なのだ。

 ひとしきり後悔すると、僕はゲームを再開した。

 それ以外、やる事なんか一つもない。


 ピンポーン。


 インターホンが不意に鳴った。

 両親は共働きで不在だった。

 仕方なく、僕はよれよれのTシャツに短パンの寝癖頭で玄関に向かった。

 どうせアマゾンでも届いたのだろう。

 あるいは宗教の勧誘か。

 だったらイヤだなと思いつつ、僕はガチャリとドアを開ける。


「はー……いっ!?」


 僕の声が上擦った。

 今日も天気は憎いくらいに快晴で、殺人的な熱波が茹ったスライムのようにもんわりと僕の身体を包み込む。


「……荒川さん?」


 見知った顔がそこにはあった。

 クラスメイトの荒川夏海あらかわ なつみさんだ。


 荒川さんはクラスの最上位カーストに君臨するギャル軍団の一人だった。

 サラサラの金髪を胸辺りまで伸ばしていて、黒ギャルと言う程ではないけれど、この時期は日に焼けて健康的な小麦色になっている。背が高く、小さな頭にイタズラっぽいネコ目をした、元気印の美少女だ。


 荒川さんは巨乳だった。爆乳と言ってもいいかもしれない。ふくよかと言う程ではないけれど、全体的にムチっとしていて、お尻も大きく、太ももも太かった。わがままボディという奴だ。


 だから、と言ってしまっていいだろう。

 荒川さんはクラスの男子の注目の的だった。

 うちのクラスだけではない。

 同学年、果ては先輩、後輩にも、全ての男子が思わず目を奪われてしまう、かなり魅力的なタイプの子だった。

 かといってそれを鼻にかけるような嫌味っぽい性格の持ち主ではない。

 全然そんなタイプじゃない。


 ラノベなら、上位カーストのギャルと言えば嫌味な奴らの集まりだけれど(偏見かな?)、うちの学校はかなり平和で、イジメなんかまるでない。

 ギャル軍団も単にハイスペ女子の集まりで、仲が良すぎて男子の付け入る隙が無い事を除けば、ただの気のいい陽キャ達だった。


 だとしても、僕からすれば住む世界の違う異次元人、声をかける事は勿論、視線を向ける事すら憚られる天上人である事には変わりない。

 もちろん話した事もなければ交友もない。

 クラスの底辺カーストにいる僕なんか、クラスメイト以下、存在を認識されているかも怪しいくらいの関係だ。

 そんな彼女が、いったい僕に何の用だろう。


 それ以前に、荒川さんはとんでもない格好をしていた。

 僕と同じようで全然違う、ピチピチのTシャツにパツパツの短パンとくたびれたサンダルと言った、コンビニに行くのも憚られるようなラフすぎる格好だ。

 その上荒川さんは頭から水を被ったみたいに全身汗だくでびっちょりだった。


 いつもはサラサラの金髪も、今は汗にまみれてべっとりと顔に張り付いている。

 ピンと伸びた背筋は夏の暑さに溶けたフィギュアみたいにひん曲がり、ひまわりよりも快活な笑みは半死人みたいにゲッソリしていた。

 花の蕾みたいに小さく赤い唇からは、長い舌だらりと下がり、ゼーゼーと犬みたいに息を荒げている。

 ピチピチのTシャツが汗に濡れ、小麦色の肌とピンク色の巨大なブラが透けていた。


「……悪いんだけど、ちょっと涼ませてくんない?」


 ぐったりと、荒川さんが言った。


「えぇ……」


 困惑して、僕は意味のない呻き声を返す。


「クーラー壊れちゃって……。マジ地獄……」


 言いながらも、荒川さんは玄関から漏れ出る涼に引かれるようにしてヨロヨロと歩き出す。


「ちょ、待って!? クーラー壊れたって、荒川さんち、エアコン一つしかないの?」

「そういうわけじゃないんだけどさ……。リビングはママが仕事で使ってるし。ママ達の部屋はダメだって……。ママの仕事終わるまで図書館で涼んで来いって言われたんだけど、この暑さじゃん? 図書館着く前に死んじゃうって……。で、そう言えば小山の家近かったなって思って来たわけ……」

「え!? 荒川さんの家、この近くなの!?」

「そう。そこの角曲がったらすぐ。徒歩二分くらい。知らなかった?」

「全然……」


 僕からしたら、荒川さん家のある辺りは学校とは逆方向だ。荒川さんが僕が帰宅する姿を見る事があったとしても、その逆はない。それに、僕はいつも遅刻ギリギリで登校していて、荒川さんは多分もっと早く家を出ている。放課後もギャル軍団と一緒に駄弁っていて、すぐに帰る僕と一緒になる事はない。だから、これまで気付く機会がなかったのだろう。


「なんでもいいから涼ませて……。このままじゃ頭が沸騰しちゃいそう……」

「だ、ダメだよ!? うち、共働きで両親いないし!?」

「大丈夫……。なんにもしないから……。人助けだと思ってさ……」

「荒川さんがよくても僕が困るの!? せめて親に相談させて!?」

「……無理。もう、限界……」

「ふぁ!?」


 力尽きた荒川さんが倒れるようにして僕に抱きついた。

 初めて触れる女の子の素肌はそのまま吸い込まれてしまうのではと思う程に柔らかく、火傷しそうな程に熱かった。荒川さんは全身汗まみれでベトベトだったけど、嫌な気分にはならなかった。暴力的なまでに濃厚で甘酸っぱい女の子の体臭で僕の頭は沸騰していた。


「あ~……。小山の身体、冷たくてきもちー……」


 僕の顔面を巨大な胸で挟みながら、幸せそうに荒川さんが言った。

 それくらい、僕の身長は小さかった。

 生まれて初めて、僕はその事に感謝した。

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