Act.6:闇にしか咲かない花




 夜陰を照らすネオン街の光が絶え、束の間の静寂にしずむ夜明け前。

 客足のけたヴァルプルギス・ナハトのメインホールは、華やかさを極めた夜会の様相とは打って変わり、古の王宮に迷い込んだような重厚さを醸し出していた。

 復古調の内装で固められたホール内の中心を切り取るように設えられたメインステージも、今は重たい緞帳の向こう側だ。

 そのメインステージを最も映える角度で鑑賞できる位置に設けられたVIP席にて語らうは、当クラブのオーナーであるノウェムと、ロス・サングレの頭目、イービス・クレイであった。


 カレン・ニンフェアの謀略により、今や開戦前夜の様相を呈しているメイザース。その中心にいる二大巨頭の会合は、最後の酒宴というにも物寂しい風情であったが、この夜が明け、再び太陽が西に沈んだ先に待っている闘争を思えば、むしろこれくらいしめやかであって然るべきだろう。


 その時が来れば、おおよそ静けさとは無縁の、血と狂乱の嵐が昼も夜もなく吹き荒れるのだから。


「こんな時間にすまないな。最後にお前と一杯やっておきたくなったものでな」

「構わないわ。別にあなたに恨みがあるわけでもないんだから」


 そう言ってグラスに酒を注ぐノウェムの表情は雅でありながらも、その瞳の奥には複雑な感情が見え隠れしていた。それはこの街の覇権を巡って相争う関係にあるイービスとて同じこと。二人は相容れぬ存在でありながら、時に利害を超えた畏怖と尊敬という名の友誼を交わす好敵手として認識していた。


 いずれ決着をつける宿命にあるのならば、それは掛け値なしの修羅のちまたにて。それがこんな形で水を差されることになろうとは、これほど無情な結末もありはしない。


「聞いたわよ。『イコノクラスィア』を招集したんですってね」

「さすがに耳が早いな」


 イコノクラスィア。

 イービスの懐刀ふところがたなである謎多き男、サイファーが率いるカルテルの最高戦力。特殊部隊上がりという前身を持つ北方ゲリラの血脈を継ぐ武闘派組織にあって、さらなる高みへと至った選りすぐりの構成員によって編成された最強の暴力装置の存在は、おいそれと表で吹聴するような代物では断じてない。その人員、配置については徹底した箝口令かんこうれいの下に秘匿されており、いたずらに口外するような粗忽者そこつものには死にも等しい罰則が待ち受けている。


 それをこのノウェムは、開戦前夜のこの段階からあっさりと看破して見せたのだ。その情報網の緻密さたるや、まさに天網漏てんもうもらさずが如しだ。


「まあ、ばれているのなら仕方がない。俺としても連中を使うのは不本意だ。しかし本国の方針はあくまでも焼尽掃滅一木一草しょうじんそうめついちぼくいっそう。こんな茶番のためにだぞ? まったく不愉快な話だ」


 なかなか身内には明かせない胸の内を、この機に乗じるようにイービスは吐露した。

 彼がこんな顔をするのは、いずれ倒すべき敵の首魁の前だけというのは、何とも皮肉な話だ。


「茶番劇だろうと神秘劇だろうと、幕が上がればあたし達は与えられた役に徹するしかない。所詮人生は歩き回る影法師、哀れな役者に過ぎないなのだから」

「それが連木れんぎで腹を切るような、映えもへったくれもない無様な道化だとしても?」

「今更でしょう。あたし達は道化どころか歩く死体よ。死に損なった亡者がメイザースという舞台の上で食らい合っている。出来の悪い三流スプラッタよ。けれどもそこにしか咲けない華があるとしたら、魂を賭ける理由としては十分。忘れてない? あなたとあたし、シンジケートとカルテル。主義も主張も違えど、どちらも同じ極道なのよ?」


 ノウェムはグラスの中で踊るように揺れる氷の向こう側を透かしながら、役者じみた所作でイービスをすがめ見た。


「ふん、言ってくれるじゃねえか。もちろん一秒たりとも忘れたことなんざねえさ。しかしノウェム、せっかちなのはお前の悪い癖だ。さいは確かに放られはした、それは今まさにボードの上を転がって、運命の行く末を占っている最中だ。

 だがな、賽の目が出るまでは、俺たちの出る幕は上がらねえ。あの閉ざされたメインホールと同じだ。勝手に緞帳どんちょうをめくって先走るような無様を観客は許しはしない。そうだろう?」

「そうね。彼らが最後の盤上にどんな目を出すのか。それが楽しみじゃないといえば嘘になるわ」

「ふん、奇遇だな。俺もだよ」


 この局面において愉悦の笑みを浮かべられる二人のあり様は、誰がどう見ても狂気の沙汰だが、幸か不幸か、それを見咎みとがいさめる部下はこの場にはいない。

 ここでは思う存分、二人は最後の演目の幕間を楽しむことが出来た。


「それにしても、お前のとこの秘書。真面目そうなツラしてなかなかぶっといゲーム運びをするじゃないか」

「それはあたしも意外に思っているわ。最初はケチな横領に手を染めてたコソ泥程度にしか思っていなかったのに。今やこのメイザースすべてを掛け金にベットしたのだから、大したものよ」

「何が彼女をそこまでさせるのかねえ」

「それが分かってたなら、こんなことになってないわよ」

のお前でもか?」


 秘密を暴くのはお前だけではない。そう言わんばかりの口調でイービスがを差し込む。おそらくはこの件において最もセンシティブで生々しい「核」にイービスは手を掛けたのだ。グラスをくゆらすノウェムはあくまでも無感動の姿勢を崩さないが、凪の海を思わせる蒼い瞳の奥がわずかに揺らいだ瞬間を、イービスは見逃さなかった。


「別に、たまたま同じショーに出ていただけよ。あの子は真面目で努力家ではあったけど、ショーガールとして向いてたかどうかは別の話。どこで聞きつけたゴシップなのかはあえて聞かないけれど、そういう邪推は品位を落とすわよ」

「ふっ、流石に無粋が過ぎたか。気にするな、俺も風の噂で小耳に挟んだだけだ。万が一、お前が彼女に思うところでもあったのならと、そう思ったに過ぎない」

「イービス、くだらない戯言よ。相手がどこの誰であろうと、立ち塞がる者があれば踏み潰すだけ。それがこの街の、メイザースの流儀でしょう」


 艶めかしい色香を匂わすノウェムの目の色が、掛け値なしの闘争者のそれに変わる。

 冷たい海の底、分厚い地殻の下で煮え滾るマグマの如き本能が、イービスの胸を沸き立たせる。


「いい目だ。そうだ、その目だよ。『異界の魔女』、エミリー・シャテル・エニアグラム・ド・レヴィ。外様の連中は温室まがいのぬるま湯で政争ごっこに興じていい気になってるんだろうが、この世界に生まれた『魔術』などというもう一つの力の指針がある以上、暴力を旨とする侠客きょうかくがそこに活路を見出すのは必然。結局俺たちにとって重要なのはその一点なのさ」


 溢れ出してくる闘争の誘惑に爛々と目を躍らせるイービスの表情が、より狂気の度を増す。

 そう、このメイザースで──いや、この三千世界の天下において、有無を言わせない力の摂理こそが真理であるならば、竜虎相搏りゅうこあいうつ二大巨頭の頂点に君臨する彼らが、一介の無頼であるはずもない。


「だから見届けようじゃないか。この茶番の顛末を。もろもろ気に食わない舞台設定ではあるが、俺とお前、どちらが『最強』の名に相応しいかを決めるだけなら、むしろ誂え向きの板上ばんじょうだろう?」

「ずいぶんと開き直ったものね。けれど、悪くないわ」


 静謐に包まれたホールの暗闇にむかって、ノウェムは高々とグラスを掲げた。

 それは新時代をもたらした力の法則を讃える乾杯であり、侮蔑であり、挑戦であった。

 最早迷いはない。すべて覚悟の上だ。


「いいわよ、カレン・ニンフェア。あたし達もあなたにベットするわ。賭場は整った。勝負は一度、相手は世界。最高のショーダウンを期待するわ」


 そううそぶくノウェムは、今度こそ掛け値なしの狂気に口角を吊り上げた。


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