Act.5:天網恢恢

◇ DAY.3




 エルドラ共和国、シボラ難民キャンプ。

 三十年前に勃発したエルドラ内戦から逃れた避難民が、アルカディアとの国境沿いに寄り集まったことで成立した、人口十万人を数える共和国最大の難民キャンプ。


 国境山岳地帯のふもとという限られた物理的スペースに、仮設テントとプレハブが混沌とひしめき合う居住区を、溢れんばかりの難民たちが所狭しと往来していた。

 道幅は狭く、車二台が並んで通行することもままならないほどに切り詰められた砂利道を、デュールの駆る4WDがジリジリと走行していた。


 シボラ州の移送ゲートからキャンプまでおよそ五時間。カレン・ニンフェアの解放軍合流まで、もう一日を残すのみ。

 ここで彼女を捕らえられなければ後がない。満足に休息も挟めない中での長距離移動により、すでに万全とは程遠いコンディションではあるが、むしろここからが本番である。


 居住区の先の商業エリアに車を停め、三人の刺客が各々降り立つと、物珍しい風体の一行を目にした難民たちが一斉に好奇の眼差しを差し向けてきた。

 とりわけ白髪赤目のアンの人外じみた容貌は目立っており、旗色悪しと踏んだデュールが羽織のフードをアンの頭に被せた。


「お前はここでは目立ちすぎる。眼鏡も付けとけ」

「分かった」


 いつものシニカルな口調は鳴りを潜め、短く簡潔にデュールは指示を出す。これは彼が仕事人としての役割に集中している時に見られる癖だ。

 道中漂っていた気まずさに対する問題は何一つ解決はしていないのだが、そんな個人的な確執を仕事に持ち込むほど、デュールもダンテも二流ではない。


 すでに二人の意識は完全に狩りにおもむくハンターのそれに変貌しており、その他の全ての感情を意識の慮外りょがいへと放逐ほうちくしていた。


「ダンテ、何かめぼしいものは見つかりそうか?」

「どうだろうね。カレン・ニンフェアは魔術師じゃないから、術式痕から追跡するのは無理だね。とはいえここはカレンにとってもアウェイだ。余所者がうろうろしていたら必ず誰かの目に留まってるはずだよ」

「こればっかりは地道に聞きこむしかねえな」


 分かってはいたことだが、このタイミングでの聞き込み調査というのはどうにも歯がゆいものだった。現状可能性が最も高いというだけで、彼女がここに逃げ込んだという保証は何一つない。

 ここで完全な無駄足を踏むことだけは何としても避けたいところなのだが、まあ、ここを外せばどの道後はないので、三名共に腹を括るしかなかった。


 いざともなればこのまま海外にでも逃げてしまえばいい。シンジケートの情報網から逃げきることが出来れば、だが。


「ここは効率重視だな。二手に分かれて市場を順繰りに回る。アン、お前はダンテの方に付け。いざって時はお前がダンテを守るんだ」

「デュールは?」

「俺は問題ない。今までも一人で仕事してきたからな」


 デュールの険のある言い方に、アンは一瞬表情を曇らせた。

 最後の当て擦りじみた一言はどう考えても余計だと感じたアンは思わず噛みつきかけたが、努めて感情を表に出さないようにしている二人に倣い、アンもまた自分の役割に徹するべく頷いた。

 彼らの間に漂う不安や不満は、仕事のために一時的に押し殺されているが、完全に解消されたわけではない。今はカレン・ニンフェアの粛清という共通の目的が、ほつれかけていた彼らの意識を束ねていた。


「分かった。それじゃ、行こうか、ダンテ」


 二手に分かれた両者がそれぞれ商業エリアの両端に向けて歩き出す。

 居住区から隣接した商業エリアは、軍から配給された食料や生活必需品の供給が為されている。

 日中は物資を求めた難民が列をなしてごった返しており、最も人の出入りの激しい時間帯だが、出入りする顔ぶれ自体は限られているため、余所者が紛れ込むには若干不都合な場所でもある。それが昨日今日突然現れた輩ともなれば、誰かしらの目につくのは当然の話だ。


 が、事はそう簡単にはいかない。資料として持ち出したカレン・ニンフェアの容貌はといえば、イェーナカラーのボブカットに黒みがかった鼈甲縁べっこうぶちの眼鏡。化粧気を抑えたかんばせは意図的に印象に残りづらくしているのかとさえ思わせるほどに、徹底して『普通』なものだった。

 それこそキャンプに出入りするNGOスタッフに紛れていてもおかしくないような、真面目さが先行する顔だちをしていた。


 実際、シンジケートと縁故も深く、呪符の取引に際しては彼女と直接顔を合わせていたデュールでさえ、カレンの容姿に対して確たる印象を持っているわけではなかった。眼鏡を外してスーツを脱いだら、すぐ側ですれ違っても果たして気が付けるかどうか。


 とはいえ、手持ちのカードはこれだけ。これを基に聞き込む以外に、活路は見出せないのだから。


「なああんた、ちょいと人探しをしてるんだが、昨日今日でこんな感じの女を見かけなかったか?」


 目についた露天商に向け、デュールが写真を見せながら話しかける。気の良さそうな露店のオヤジは写真をまんじりと見つめ、うなりながらかぶりを振った。


「ううん……大した美人さんだが、この辺じゃ見てねえな」

「そうか。何かこう、後ろ暗い連中が集まってる場所はないか? 例えば軍の監視が行き届いてないような」

「そうだなあ、この通りをずっと先に行くと、闇市があるけどなあ」

「そうか、感謝する。後それ一つくれ」

「まいど」


 情報料の代わりとしてオヤジが商っていたタコスを受け取ったデュールは、その足で闇市の方へと向かう。

 

 内戦が一応の終結を見せ、アルカディアの軍事干渉が止まってから三十年。現在も政府軍とゲリラの武力衝突が散発的に発生していることで、難民たちはいまだに帰還の目処を立てられずにいる。往来を駆け回る子供たちは、この地に根付いた難民たちとの間に生まれた第二、第三世代の子だろう。


 彼らは生まれながらに故郷を持たない無国籍児であり、正確な統計が取れないため詳細は不明ではあるが、第二世代以降の人口は、キャンプ内の全人口の四割を超えると試算されている。

 

 彼らにとって、世界の全てはこの砂と岩に囲まれた荒野の空と、山麓に吹き付ける極寒の風。そして絶望と諦観に染められたくたびれた大人たちの顔だけ。彼らの多くはそれすら満足に知ることさえなく、幼いうちから病や犯罪に巻き込まれて命を落としていくのである。


「ったく、気が滅入るぜ……。こんな風にジワジワ滅んでいくのは」


 誰もが力を持たず、持つ術すらなく、時代という巨大な荒波に揺られる小舟のような世界が、この地には広がっている。

 そんな中にあって、辛うじて生への渇望に活気づいていたのが、軍の目を盗んで商われている闇市だった。


 間仕切りのつもりなのだろうか、仮設テントの布で作られた暖簾の向こう側では、配給品のほかにも軍から横流しにされたであろう酒や煙草、医療エリアから盗んできたとみられるドラッグまで、まさに絵に描いたようなブラックマーケットが広がっていた。


 デュールからしてみればおざなりもいいところだが、この手の市場を運営する上で必ず必要になってくるのが「情報」だ。

 多国籍軍の巡回スケジュール、配給品の内訳、市場の開催や品物のレートを決定する上で不可欠となる情報。その中にはキャンプ内に潜伏した後ろ暗い事情を持つ者が求める『商品』を扱う情報屋が出入りしている可能性が高い。


「情報屋を探してるんだが」


 入ってすぐ近くの露天商に声をかけるデュールだったが、先ほどのオヤジとは打って変わり、あからさまに店主の顔が怪訝に曇る。


「あんた、この辺の人間じゃねえな。軍の関係者か?」

「人道支援に興味ありそうな顔に見えるか?」

「はっ、確かにカタギにゃ見えねえわな」

「だろ?」

「それにしても、昨日に引き続き今日も同じことを聞かれたよ。あんたと違って堅物そうなねーちゃんでな──」


 露天商から聞き捨てならないワードが飛び出したところで、すかさずデュールが持っていた写真を店主に見せた。


「こんな奴じゃなかったか?」

「ん? ああ、似てるかもな。眼鏡はしちゃいなかったが、この辺の人間にしちゃ髪も肌も綺麗だったから、よく覚えているよ」


 ビンゴだ。この手の余所者相手に適当な情報を流してせこく稼ごうとする人間もいるが、ここまで詳細に供述する以上、アドリブで嘘を言っているとは考えづらい。

 やはりカレン・ニンフェアはこのキャンプに逗留している。ならばあとは人伝でも何でもいい、草の根分けて探し出すまでだ。


「どんな格好だった」

「見た目はNGOスタッフにしか見えんかったな。黒いウインドブレーカーに迷彩柄のズボン履いてたよ。なんかでっかい荷物も持ってたな」


 デュールは懐から札束を取り出し、カウンターに叩きつけながら店主ににじり寄った。


「十万ある。情報屋の居場所を言え。そしたらこいつは全部あんたのもんだ」

「あんた……あの女を追ってるのか?」

「あんたに何か関係が? 言っておくが質問はそこまでにしておいた方がいいぜ。そこから先を聞いたあんたの末路を、いちいち説明してる暇なんかねえんだ。だが俺の親切心であんたの取れる選択肢だけは教えてやる。一つ、金を受け取って知ってることを吐くか。二つ、何も言わずにケツ穴を増やすか。ちなみに言っておくが、ひたいで煙草は吸えねえぜ?」


 まるで獲物を前にした蛇のような眼差しに、店主は失禁を催さんばかりに震え上がった。デュールとてこの展開は不本意ではあるが、ここで確実に情報を得るためには、多少なりとも相手には「怖い思い」をしてもらうのが最も手っ取り早い。それで相手が素直に言うことを聞けば大団円、仮に適当を言っていたことが分かっても、嘘に踊らされて明後日の方向に向かうよりはマシという寸法だ。

 まあ、仮に嘘であった場合、命までは取らないにしろ拳の一発くらいはぶち込むことにはなろうが。


 店主は恐怖に戦慄きながら、懐から一枚の名刺を差し出す。こんな道端の露天商でも渡りを付けられるような手合いなら、どのみち大したことはなさそうだが、カレン・ニンフェアが同じ伝を辿っているのなら、ようやく彼女の足取りにも輪郭が浮かんでくるというものだ。


「聞き分けが良くて助かるぜ。ほれ、おまけだ」


 デュールはそう言って食べかけのタコスを店主の懐に突っ込み、別行動中のダンテ達に連絡をするべく携帯を取り出した。


 しかし、デュールが通りに出てから数歩余り、脈絡のない電子音が周囲に響き渡った。


 見るとそこには、先ほどの店主が恐怖と困惑の入り混じった顔で、滝のような汗を流しながらこちらを凝視しているではないか。

 

「そんな……そんな……チクショウ。あの女、騙しやがった……騙しやがったな!」


 錯乱せんばかりに譫言を並べる店主、周囲に鳴り渡る電子音。そしてデュールが受け取った名刺。一見何の繋がりもない三つの点が唐突に一つの可能性へと繋がり、デュールの頭の中にある最も冷徹で合理的な部分が、警告音と共に真っ赤に点灯した。


「おいおい嘘だろ!?」


 デュールが踵を返し、全力で駆け出したと同時、先ほどまでデュールが聞き込みを行っていた露店が轟音を張り上げながら爆散した。寸前に逃げ出したデュールではあったが、爆発範囲から逃げきるには全く距離が足りていない。結果、背中から爆風をもろに食らうこととなったのである。


 すさまじい加圧と衝撃により、抵抗の余地なく吹き飛ばされたデュールは、往来に雑然と積まれた古着の山に叩きつけられた。

 至近距離の爆音に鼓膜をやられ、強烈な耳鳴りが思考を阻害する。自分が今どこを向いて倒れているのかも判別できないデュールの意識は、まるで明滅する幻だ。

 それでも、彼の無意識は爆風にあおられながらもその光景をしかと認識しており、思考以下の領域で、たった今起きた爆発の特徴を理解していた。


 露店の商品に紛れ込ませられるほどに小さく、それでいて十分な威力で周囲を爆砕する威力。青みがかったオレンジ色の閃光はコンポジションC爆薬に見られる特徴だ。


「クソ……動けねえ……意識が……」


 だが、思考もそこが限界だった。

 古着の山に落ちたことで辛うじて致命傷を免れたものの、激突の拍子に頭を強打したデュールは、深刻な脳震盪のうしんとうに陥っていた。

 切れた額から滴る血が視界を赤く染め、意識と無意識の境界が曖昧になっていく。


「……そうだ……あれを」


 意識が途切れる寸前、デュールは最後の力を振り絞って周囲を見渡す。そして手を伸ばして届くか届かないかのすぐ近くに「それ」が落ちているのを見つけると、力の抜けた体を砂利でこすりながらにじり寄る。


 爆発が起きる寸前、デュールが露天商から手渡された一枚の名刺。現状、彼らがカレン・ニンフェアに辿り着くための唯一の手掛かり。これだけは、何があっても手放すわけにはいかない。


 もはや血の赤すら認識できなくなるほどに色褪せた視界の中、振り絞った最後の力で名刺を握り掴むのを確認したデュールは、そのまま暗黒の闇の中に意識を手放した。







 闇市の方角から爆炎が立ち上るのを確認してから十分。敵が首尾良く罠にかかってくれた安堵に胸を撫でおろしながら、カレン・ニンフェアは荷物をまとめ終えた。


 あの爆発だ。運よく生き残っていたにせよ、相当の重傷を負っているのは間違いない。不確定要素の多い作戦ではあったが、こうも綺麗に事が運ぶのは、それなりに気分の良いものだった。


 FLPEから待機の通達が下されている原因がカルテルの横槍によるものだとしたら、彼女が今足止めを食っている事実は当然追手も把握しているはずだ。

 そして考えられる限りにおいて、解放区から最も近いこのシボラ難民キャンプを、潜伏先と予想することは何も難しい事ではない。組織から通達された三日間以内であれば、遠からず追手がここまで来ることは分かり切っていた。


 ならばどうするか。

 生身故に魔力探知が使えないカレンであるが、逆を言えば敵方も魔力探知を使ってこちらの位置を補足することが出来ないと解釈することもできる。

 その時追手が頼りにするのが、このキャンプ内の事情に詳しい情報屋。カレンにとってもアウェイであるこの地であれば、同じ情報屋にコンタクトを取れば早晩彼女にたどり着く。後は草の根分けての大捜索でことは片付く。


 ──と、彼らは考えるだろう。


 カレン・ニンフェアはその仮定に基づき、闇市の中で目立つ場所にいる露天商に罠を張っていた。

 もし自分を追っている人間が現れたら、抵抗せず素直にこの名刺を渡せ、と。

 そして同時に、カレンは露天商の足首に小型爆弾を嵌め込んで脅迫したのだ。

「もし少しでも指示とは違う行動をすれば即座に起爆させる」

 そんな風なことでも言ったのだろう。まったく意味の分からない状況下で唐突に命を握られた露天商に、もはや選択の余地などあるはずもなかった。


 しかもその条件が、自分のことを探している人間に名刺を渡せという、命を保証する条件にしては軽すぎる制約だ。たったそれだけで助かるのだと分かれば、彼らは喜び勇んで協力したに違いない。背中で冷や汗をかきながらも、彼らはいつも通り商売をしながらデュール達が来るのを待った。


 そして彼女との約束通り、どこの誰のものなのかもわからない名詞を手渡し──それが起爆の合図となる。


 カレンが使用したコンポジションC爆薬の雷管に繋がれていたのは、マナセーフティと呼ばれる安全装置だった。

 一定距離内に対応したマナの反応が感知できる場合にのみセーフティが作動し、逆に範囲から外れた場合、即座に起爆する仕掛けの代物だ。

 そのマナセーフティを作動させるためのカギが、彼女が露天商に手渡した特殊マナ加工の名刺だったというわけだ。

 名刺を受け取った人物が一定距離を離れると、対応した爆弾が起爆し、追跡者にダメージを与えつつ、爆炎が狼煙となって追跡者の位置をしらせる。


 後はそこから反対方向に向かって逃げるだけだ。追手が何人いるにせよ、少なくとも一人には確実に先手を打つことが出来、仕込みに使った証人の口封じも同時に完了するという寸法だ。


 後は混乱に乗じてキャンプを脱出し、解放区に向けて車を走らせるだけ。

 約束の時間まで残り十五時間、少し時間は余るが、追手が体勢を立て直して追跡を再開するまでの時間を考えれば、ほぼほぼジャストタイムといった所だろう。


 状況はかなり切迫していたが、どうにか目的は果たせそうだ。胸の内から湧き上がってくる安堵を噛み締めながら、遠くで濛々と立ち昇る黒煙を背に歩き始めたカレンの目の前に、突如として何かが飛来した。


 まるで巨石でも落ちてきたかのような轟音と砂煙、その奥で蟠るのは隠す気など毛頭ないかのような冷酷な殺意だ。

 風にまかれた砂塵が散り、果たしてカレン・ニンフェアの目の前に佇立していたのは、烈火のごとく燃え盛る赤い瞳に、永久凍土のような白髪を翻した少女であった。


「ダンテ、こいつか?」

『そうだね、反応はそこからだ。今君の目の前にいるのが、僕たちの標的、カレン・ニンフェアだよ』

「そうか」


 思考通信サイコネクト。魔術師であればそう珍しくはないマナ感応を用いた通信方法。

 アンにとっては初めての体験だったが、頭に直接情報が流し込まれてくるような感触は、言葉よりも明瞭にその意図を伝えてきており、シンプルさを好む彼女にとってはなかなか心地よいものだった。


 ようやく追いついた『敵』の正体を、焼くような赤さの目でアンが見据える。


「馬鹿な……」


 便利屋の子供──!? なぜここに?

 まったく予期していなかった事態に、安堵に緩みかけていたカレンの表情が一挙に凍り付いた。

 

「なんでアタシがここにいる? ってツラだな。アタシもそうだが、あんたも大概、ダンテの能力を分かっちゃいねえ」

「馬鹿な事言わないで。非術師の私をマナ探知で追跡することなんて不可能よ」


 狼狽するカレンをあざ笑うかのように、地中から錬成した双剣を構えたアンが脂下やにさがる。


「ダンテが追っていたのはあんたじゃねえ、あんたがアタシたちを罠にはめるために使った名刺。そこに仕込まれたマナの反応の方さ。気絶したデュールが握ってたのを、ダンテが解析したのさ」

「名刺……?」


 あんな微弱な反応を? こんな大混雑の只中からピンポイントで?

 一体どれだけ精細な感応能力を持てば、そのような離れ業が可能になるというのか。

 目の前の少女が言っていたように、あの名刺に仕込まれたマナの反応と同様の反応を発する物体を探し当てることは、理論上は可能だ。

 可能だが、それにあたって要求されるマナ知覚精度は、例えるなら砂漠のど真ん中で拾った水晶片と、まったく同じ振動数の欠片を特定するに等しい。常人を遥かに凌ぐマナ知覚能力がなければ出来ない芸当だ


「ダンテってさ、おしゃべりなんだよ。いつもいつも聞いてもいないことをペラペラ、ペラペラとな。でもあれってあいつの性格じゃなくて、あいつの能力のせいなんだ」

「一体何が言いたいの……」

「アタシも受け売りだから分かんねえけどさ、あいつが普段目で見て耳で聞いてる情報? 普通の人間よりもずっと多いらしい。普通じゃ気にも留めないことを、あいつは物凄く細かく感じてる。入ってくる情報が多すぎて、頭だけじゃ整理できないんだとさ。だからあいつはそれを言葉に変換して、必要な情報と必要じゃない情報を分けて、重要度の低い情報をおしゃべりって形で分割処理してるんだ。そうじゃねえと目の前に絶えず現れる情報に圧倒されて、すぐ疲れちまうらしい」


 唐突に始まったアンの他己紹介の意図を、カレンは驚愕に打ち震えながら察し始める。

 感受性が人並外れて高い人間は、その感度の高さ故に脳の処理が追い付かず、収集能力と処理能力との間にボトルネックが生じる。

 ダンテはそれを口述という形で整頓し、日常生活に支障がない程度にそのボトルネックを解消しているということだ。

 ではもし、そんな常人を遥かに凌ぐ感受性を持つ人間が、たった一つの事象の分析にのみ意識の焦点を当てたらどうなるか。


 それはきっと、どんな高精度の探知機をも凌ぐ、究極のマナ追跡能力として発現するに違いなかった。


 ──『天網てんもう』のダンテ。所持する固有術式は残滓検索サイコメトリー


 アンらしからぬ冗長なダンテの能力解説が意味していたのは、カレンがこの先どれだけの手練手管てれんてくだで姿を眩まそうと、決して逃がすことはないという、掛け値なしの宣戦布告であった。


「さて、おしゃべりは以上だ。アタシはこれからあんたをなますに刻む。言い残すことがあるなら今のうちだぜ」

「舐められたものね。少し私の裏をかいたからって、調子に乗らないでよね」


 首筋に冷たいものを感じながらも、なお不退転の意思をその眼に宿す。

 この程度の難局など、今日が初めてではない。超えてきた屍の数なら彼女とて負けてはいなかった。

 こんなケツの青いガキに挫かれるほど、彼女の潜ってきた修羅場は甘くはない。

 その執念、その決意。死をもって骨身に刻んでくれる。

 握りしめた拳にありったけの殺意を込めながら、カレン・ニンフェアは決然と踏み込んでいく。

 彼女を阻む最後の敵、その両腕が司る、必殺の刃圏じんけんへと。

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