Act.4:篝火の誓い




 メイザースを出てから半日、仲介人から待機の旨を通達されてから迎えた最初の深夜。シンジケートの情報を手土産にFLPE入りを目論んでいたカレン・ニンフェアは、エルドラのアルカディア国境付近に設置された難民キャンプでの足止めを余儀なくされていた。


 通達があって以降の音沙汰は現在に至るまでなしのつぶて。別段密に連絡を取り合うだけの友誼ゆうぎを結んだ間柄でもないが、解放区を目前にしたこの段階で、唐突に態度を硬化させたFLPE側の反応に違和感を覚えないほど、彼女の頭も迂闊ではない。順当に考えてカルテルから何らかの横槍が入ったと考えるべきだ。


 想定内といえば想定内。が、思っていたよりもメイザース側の動きが早いというのが、彼女の率直な感想だった。


 現在彼女が逗留とうりゅうしているシボラ難民キャンプは、現在も散発的に続く国軍とゲリラの衝突で内情不安を抱えるエルドラ政府からの要請で、アルカディアとレムリアを中心とした多国籍軍によって管理運営がなされているが、現状のカレン同様、先行きの分からない情勢に少しずつ希望が蝕まれた人々の表情が、キャンプ全体に暗澹あんたんたる雰囲気をもたらしていた


 そんな混沌に乗じるかのように、レムリアの非政府組織を装った偽装IDでキャンプ入りしたカレンであったが、想像していた以上のキャンプ内外の流入の激しさに難色を示していた。

 

「これじゃあ、どこの誰が刺客なのか分かったものじゃないわね……」


 多国籍軍が目を光らせるキャンプ内であれば、表立ったドンパチが発生することはまずないだろうし、出入りのしやすさに関しても基本的には彼女にとってメリットとなり得る要素ではある。


 しかし逆を言えば、追手に対して彼女が積極的に打って出ることも難しいことを意味し、相手が隠密行動に長けた連中であれば、カレンがとったと同様の手口を使ってキャンプに潜入してくる可能性は十分にある。


 刺客の中にPHNのサイコメトラーであるダンテが含まれていた場合、魔力感知のすべを持たない彼女がその接近を察知するのは事実上不可能だ。


 加えて彼女の心身を苛むのは、険しい山岳地帯に囲まれたエルドラから吹き降ろされてくる冷たく乾いた山風だ。敷地のキャパシティを超えた過密状態のキャンプでは、シェルターなどの設備が慢性的に不足しており、仮設暖炉の周囲で雑魚寝する光景も珍しくはない。


 加えて砂と岩によって構成された地面は、夜間になると急激に冷え込み、骨の芯にまで寒さが浸透してくる。

 比較的平均温度の高い夏季であったのがせめてもの救いだが、越冬期になれば未だに凍死者が続出する過酷な環境は、亜熱帯暮らしに慣れ切ったカレンの心身を削るには十分だった。


 だが、それもあと少しの辛抱だ。シンジケートに入ってからこっち、ひたすら組織に貢献してノウェムのそば付きという地位を得た。地にぬかづき、泥を啜りながらもあの魔女に仕え、彼女に対して抱いてきた憎悪と羨望をひた隠しにしながら、鉄仮面の如き冷徹に表情を凍り付かせ、今日この日のために準備してきたのだ。

 

 それを思えば、この程度の、ただ寒いというだけの苦痛など取るに足らない些事。

 思い出せ、何のためにここまで来たのか。

 富と権力。あのどうしようもない暗黒街において、自らの人生を照らすための唯一の光。鬱屈とした人生に確かな意味を勝ち取るためなら、これしきの寒さ、これしきの苦境、超えられなくて何とする?


「私は手に入れる。あの街の全てを。私の全存在を賭けて……どんな手を使っても」


 たとえ何を踏み台にしようと、たとえ誰を滅ぼそうと。目的のために硫黄の雨を求めるのなら、硫酸の雲を起こすまでだ。


 彼女にとって、全てはそのための踏み台に過ぎず、そこには主義や流儀などといった違いなど存在しない。彼女に取り巻くすべてのしがらみは、等しく彼女を阻むだけの、ただ名前が違うだけの『壁』でしかなかった


 吹き荒れる夜風の中、踊らされるように燃える焚火の火をカレンは睨みつける。

「寒い」などと、決して口にするものかと言わんばかりに、その表情には硬い決意が滲み出ており、不安を前面に貼り付けて震えながら眠る難民たちの、まるで饐えたような雰囲気と比しても異彩を放っていた。


 そうだ。力に踊らされ、ただ救いの手を待つだけのような、こんないじけた連中と私は違う。どんな苦境にあろうと、己の人生は己の手で切り開く。それ以外に救済の道などありはしないのだ。


 これは復讐だ。親に捨てられ、世に捨てられ、全てに捨てられた彼女が、彼女自身の運命に対して行う復讐。力なき過去の自分を粉砕するための、自身の全存在を賭けた復讐だ。


 ──穏やかな夜に身を委ねるな。

 消えゆく光に向かって、怒れ、怒れ。


 どこで覚えた詩だったか、胸の内に抱いたその言葉だけを頼りに、カレン・ニンフェアは焚火の火を睨み続けていた。



  ◇ DAY.2



 魔導の近代化に伴って、その恩恵を最も多く受けている分野の一つとして交通インフラがあげられる。


 指定した二点間の座標を、マナによって構築された亜空間によって転送する時空間魔術の技術自体は古来より存在していたが、複雑な陣の敷設や難度の高い詠唱など、術者自身の技量によって精度が左右される代物であり、その用途はあくまでも個人を単位とした限定的な範囲にとどまっていた。


 しかし、そこにレムリアを始めとした工学技術の流入によって、事態は一変する。

 機械工学の粋を極めた正確無比な刻印技術と座標計算。魔術の機械化は人由来の術式のノイズを取り除き、かつてないほどに大規模な物資と人の輸送を可能にしたのである。


 これにより、従来の陸路と海路に依存していた流通コストの大幅な削減が実現し、時間的、距離的な制約の緩和は、魔道国家の急速な都市化を促すことになった。


 とはいえ、その技術は同時に兵站という概念にも革命をもたらす代物であり、原則として軍事目的の使用は禁止されている。さらにゲートが設置されているセンターにはどの国家にも属さない第三者機関、世界魔術協会による厳重な監視が敷かれ、極めて慎重に運用が為されているのが現状である。


 つまり、どこぞの誰かが運転するような、ありったけの銃と爆薬を積んだ車両などが易々と利用できるような代物ではないということである。

 

 が、それが人の手によって運営されている以上、やりようはいくらでもある。

 いかに厳格な魔術師協会の監視員とて所詮は人の世の生き物である。広範なシンジケートの人脈を使えば、小隊規模の車両をスルーさせることなど造作もない。

 ノウェム直々の『餞別』を受け取ったゲートの監視員は、いともあっさりとデュール達の乗る4WDの通過を許可した。


 それ自体はいい。この期に及んで足止めを食らう事態は何としても避けたいところであったため、監視員が文句ひとつもなく賄賂を受け取ったのは僥倖以外の何物でもない。


 しかし、その僥倖をもってしても拭い切れない沈鬱さが、目下三人の悪党たちが乗る車内に満ちるが如く横たわっていた。


「へへ、結構ちょろかったな」


 誰に似たのだか、なかなか様になった悪い顔をしながらデュールに話しかけるアンだったが、当のデュールは口元を真一文字に結んだ仏頂面で前方を凝視しており、目のやり場に困った挙句に助け舟を求めた後部座席のダンテも、何やら気まずい面持ちで窓の外を通り過ぎていく柱の数を数えていた。


「なあ、デュール。アタシちょっとお腹すいてきたんだけど……」

「我慢しろ」


 アンの要求を、けんもほろろにデュールは一蹴する。まるで取り付く島のないデュールの今の様は、さながら動く石像か何かだ。到底言葉など通じる余地もないと判断したアンは、すかさずダンテに水を向ける。


「ほら、ダンテもお腹すいてないか? デュールは運転中だから、その辺で何か買って来ようぜ?」

「要らない。一人で行ってくれば?」

「…………」


 気まずい……ものすごく気まずい。


 狭い車中、おいそれと降りるわけにもいかない共有空間において、こういう雰囲気が一番キツイ。特にそれがどちらが悪いとも言えないようなトラブルだった場合、蚊帳の外にいた者が抱く心境はまさに針のむしろだ。


基本的にトラブルを起こす役割はいつも決まってアンであり、その仲裁を担うのはもっぱらデュールである。

 だが今回は違う。この局面で初めて仲裁側の立場につくアンのボキャブラリは、良くも悪くも「飯の話」しかない。


 しかし、残された任務の時間も、ゲートの順番待ちの時間も短い中、腰を落ち着けて食事などという、物理的または精神的な余裕もない中で、彼女の持ち出す話題は全くの無力だった。


 そもそも社会経験の浅いアンに喧嘩の仲裁など土台無理な話であり、彼女のなけなしの気遣いは、状況の悪さも相まって虚しく空転するばかりだった。


 この沈黙、一体いつまで続くのやら……。


 事の発端は、ダンテの提案でカレン・ニンフェアの自宅に立ち寄ったところからだ。

 別段シンジケートのガサ入れに見落としがあったことを期待していたわけではなかった、カレン・ニンフェアを追う上で、彼女の生活空間から感じ取れる息遣いをつてに、彼女がどんな価値基準でどんな行動を取るのかを予測するための材料が欲しかったのだ。


 が、しかし。結果としてその目論見は完全な空振りに終わった。


 忍び込んだカレンの自宅は、異様なまでに整頓されており、とてもシンジケートのガサ入れが入ったとは思えない有様だった。

 別にシンジケートがガサ入れの後に元通りに整理したわけではない。彼女の家には、改めて探すような何かなど存在しないと即断できるほど、息遣いの感じられない光景が広がっていたのだ。


「服、服、服、靴、服、靴、靴、眼鏡、眼鏡、服。同じものを何着も何着も……これじゃまるでスペア置き場じゃねえか」


 最低限の家具、クローゼットにはシンジケートで働いていたカレンが普段から着ていたグレーのスーツとヒール、太いべっ甲縁の眼鏡。すべて同じメーカーの同じサイズの衣服が、封も切っていない状態で保管されていた。異様といえば異様な光景ではあったが、その有様は、日頃から無駄を嫌う倹約家として知られていたカレンの性格を返って補強する要素にしかなっていなかった。

 

 そんな中、室内に据えられたデスクの下を検分していたダンテが、隅の方で何かを見つける。


「これ」


 見るとそれは、豆粒大の白い錠剤。何らかの薬であることは間違いないが、だからと言ってそれが何だというのか。今からそれを検査にかけるわけにもいくまい。

 しかし次の瞬間、ダンテが驚くべき行動に出る。


 ダンテは何の躊躇もなくその錠剤を口の中に放り込み、薬剤を溶かすように口内で舐め回し始めたのだ。


「馬鹿お前! 毒でも入ってたらどうするつもりだ!」


 慌てふためいたデュールがハンドタオルを手に口の中のものを吐き出すようダンテを促した。ダンテもさすがに飲み込むつもりまではなかったようで、しばらく口内で錠剤を弄んだ後、あっさりとそれを吐き出した。


「大丈夫、ただの鎮痛剤だったよ」

「お前、味で分かるのか?」

「大方はね、市販のよりはだいぶ強いやつだってことは分かったけど、別段珍しいものでもないかな。処方箋があれば誰にでも買えるね」

 

 万が一のために水道水で念入りに口をすすぎながら、淡々とした様子でダンテは答える。だが、その後に訪れた一瞬の沈黙は誰にとっても心地よいものではなく、短い時間を切り詰めてまで費やした労力の見合わなさを、残酷なまでに浮き彫りにするのだった。


「クソっ! じゃあなんだ? 俺たちははるばる三時間かけて、ただ床に転がった薬を舐めに来ただけってことか?」


 堰を切ったように怒りを爆発させたデュールが、手近な壁に拳を叩きつけた。


「落ち着きなよデュール。これはこれで異常な空間であることには間違いないんだから」

「ああそうだな。カレン・ニンフェアはその目的に対して異常なまでに倹約家だってことが分かったな。大いなる収穫だよ。で? それが奴を追跡する上でなんかの足しになったのか?」

「それは……まだ分からないけど」

「分かってんのか? この任務に失敗すれば、俺たちはシンジケートの敵対者として殺されるんだぞ? ああ確かに、俺だってお前の直感を信じてここまで来てやったさ。だが結果はこのザマだ」


 言葉を重ねるごとに怒りの度合いを増していくデュールに、ダンテは返す言葉もなく押し黙るのみだった。普段は無駄に多弁なくせに、こういう時に限って言い訳の一つも述べないダンテの態度に、デュールはますます怒りを募らせる。


「クソが、お前なんかの言葉を信用するべきじゃなかったぜ。こうなるんだったら最初から──」


 デュールが最後まで言い切る前に、突如としてその脇腹に強烈な蹴りが突き刺さった。デュールはそのまま受け身もままならず部屋の隅まで吹き飛ばされ、倒れ伏した彼を見下ろすようにアンが立ち塞がった。


「なあデュール。物事には筋通せって、あんた自分で言ったよな」


 まったく予期していなかった攻撃に目を白黒させるデュールの胸ぐらを掴み上げながら、鬼気迫る剣幕のアンがその双眸を押し付ける。


「なあ、おめえ今なんて言おうとした? 文脈的によお、どうにも筋の通らねえことのように聞こえたんだが、ありゃアタシの勘違いか?」


 燃え盛る深紅の瞳が、足元から徐々に炙る様な温度の声音と共に突き付けられる。よもやアンにこんな詰め寄られ方するとは思ってもみなかったデュールは、胸の内で蟠る激情が急激に冷えていくのを感じていた。


「アン……」

「アタシにはおめえらが何考えてんのかわかんねえけどな、少なくともおめえはダンテの言葉に納得してここまで来たんだろうが。それで当てが外れたからってガキみてえにビースカ喚きやがって、アタシの雇い主だったら最後まで筋通せよ。なあおい、アタシら今や運命共同体なんだろ? それとも反対側の脇にも蹴り入れっか?」


 あのクソ生意気な小娘が、よもやここまでの剣幕と理性でまくし立ててくるなど、完全に慮外の事態だった。もともと彼女が周囲の影響を受けやすいということは分かっていたが、あくまでもそれは表面上のレイヤーに過ぎない事柄だと思っていた。


 しかし、彼女は今デュールやこの街の人間が、時として命よりも重んじる「筋」を明確に理解し、その身をていしてまでデュールの行動を咎めたのだ。

 出会って一か月と少し、所詮はただ術者に使役されるだけのホムンクルスとして一線を引いていたデュールの認識は、この時決定的に瓦解したのだ。

 今、まっさらだった彼女の中に確かな『意思』が介在している。それはもはや疑いようもない事実だった。


「離せ。もう分かったから」


 反発するでもなく、しかし受け入れる素振りを見せるでもなく、デュールは静かにアンの手を引き離した。


「とにかく、もう一刻の猶予もねえ。さいの目が出る前にカレンを捕らえる。それでいいな?」

「ああ、それで問題ないぜ」

「分かった……」


 デュールの意思確認に、二人はそれぞれ含むものを感じながらも頷く。これ以上の押し問答は時間の無駄でしかないことは分かっていたが、アンの意外過ぎる行動によって、事の次第は何処に着地することもできないまま、結果として三人の間に蟠りを残す結果となった。


 それが、約十時間前の出来事である。


 アルカディアの亜空間移送ゲートまでの道中、デュールもダンテも一言も発さずに過ごしていた。アンは過ぎたことをあまり気にせず、常に前向きに物事を捉える美徳を持っているが、その立ち直りの早さに今は素直についていけない二人には、大人特有の「複雑さ」も相まって、二人の態度を返って頑なものにしていた。


 それを世では「大人げない」というのだが、ここにそれを指摘する人物がいなかったことがせめてもの救いと見るべきだろう。


 ただでさえどこか道具的存在として見ていたホムンクルスに叱責されて立場のないデュールが、この上今の態度をとがめられようものなら、曲がりなりにも彼がこれまで培ってきた雇い主としての、あるいは彼女を導く存在として通してきたメンツは丸潰れとなってしまう。

 ダンテとしても、そこまでしてデュールのプライドを折る意図は毛頭なかった。


 胸の内側を針で刺すような沈黙の中、移送ゲートの開通を報せるアナウンスが、さながら救世の福音の如く鳴り響いた。


『本日は、アルカディア中央移送ステーションのご利用、誠にありがとうございます。間もなく八番ゲート、エルドラ共和国シボラ行の転送が開始されます。ご利用のお客様はチケットをお持ちになって、発着ゲート前までお越しください』


 なんてことのないアナウンスが、ここまでありがたく感じることもそうないだろう。相も変わらない沈黙のさなかではあったが、固く閉ざされた緊張感にほんのわずかの安堵が立ち込め、デュールの運転にもいくばくかの柔らかさが生じていた。


 向かう先はエルドラ共和国、シボラ州アルカディア国境線。

 ロス・サングレの横槍も加味した上で順当に考えれば、アルカディアから解放区入りする最短距離が、国境線沿いのシボラ難民キャンプだ。確たる証拠はないが、カレン・ニンフェアの置かれている状況を鑑みれば、もはや候補はそこしかありえない。


 そう考えたデュールたちの判断は正しかった。

 カレンは彼らの読み通り、現在難民キャンプでの逗留を余儀なくされており、もう半日とかからずに彼らは接触することになる。


 しかし、それが必ずしも事態の解決になるとは限らないことを、デュールたちはまだ知らなかった。

 カレン・ニンフェアの抱える怨嗟の如き執念を、そして彼女が張り巡らせた周到な罠が、彼らの足元のすぐ側にまで迫っていたことも。

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