Act.2:メイザースの流儀




 繁華街からカルテルの本部があるメイザース西区画までの道のりは、それはもう散々の一言だった。


 日没を迎えて活気づく繁華街。その中心を通るゴールデンアークストリートを片側の扉が吹き飛んだ廃車のごとき車で突っ切るものだから、それはもう目立つことこの上ない。車体は至る所に凹みと傷があり、まるで戦場を駆け抜けてきたかのような無残な姿だ。


 信号を止まる度、まるでカーカタログに掲載された断面図のような有様を指差し笑われ、往来から飛び交う揶揄やゆの声は恥辱ちじょくの一言に尽きる。この道のりの間で何度連中を撃ち殺してやろうと考えたことやら知れたものではなかった。


 それでもデュールは自身の責任を果たすべく、繁華街を抜けた先でメイザースを南北に分断する運河にかかる大橋を抜けていき、西区画の雑居ビル街にまで漕ぎつけていた。


 歓楽街が軒を連ねる華やかな東区画とは打って変わり、西区画は正しくアンダーグラウンドな雰囲気の漂うゴロツキたちの巣窟そうくつだ。


 大陸北部のエルドラ共和国を本拠とするゲリラ部隊、エルドラ人民解放戦線フレンテ・リベラシオン・プエブロ・デ・エルドラを母体とし、メイザースの西側を牛耳る巨大麻薬カルテル「ロス・サングレ」のメイザース支部がそこにある。


 装飾を取り払った無機質な外観、灰色のコンクリートが剥き出しになった無骨なビルの、様式よりも機能性に重きを置いた堅牢な作りは、華やかで絢爛けんらんな東区画とは対照的な印象をもたらしているが、それは決して質素というわけではなく、悪人街特有の濃い闇のにおいが骨格を得たような重みがあった。


 冷たい鉄製のフェンスと監視カメラが無数に設置されたエントランスは、一見しただけでここが無法地帯の中でも特に危険な場所であることを物語る。


「便利屋だ。頼まれてた荷の配達に来たぜ」


 正門のインターホンを押して無愛想に用件を伝えると、側面の隠し扉を開けて現れた数名のSPがデュールを迎えた。


「ずいぶん遅かったな」

「ちょいとトラブってな。ジャスレイから話は聞いてんだろ?」


 スタッフのボディチェックを慣れた様子で受けながら、デュールは簡潔に理由を述べる。賄賂わいろ癒着ゆちゃくでカルテルに骨抜きにされた警察とは違い、ここのSPのチェックは実に入念だ。ジャケットに仕込んだ札の在処もあっさりと看破され、ジャケットごと渡すように要求される。


「ほかに何か隠し持ってないだろうな」

「んなめんどくせえことしねえよ。パンツまで脱ぎたかねえからな」

「まあいい、正門を入ったら中庭の中央で車を停めろ」

「はいよ」


 とはいえ、正直なところこの車の有様でカルテルのかまちを跨ぎたくないというのが本音なのだが、そんなわがままが通るわけもなく、デュールは情けなく成り果てた愛車に鞭を撃ってゲートを潜る。


「久しぶりだな、シャムロック」


 中庭の奥でデュールを待っていた総髪そうはつの男が、親しみのある笑みでそう言った。


 通り名のデュールではなく、本名の方で彼を呼ぶこの男の姿は、一見裏社会の人間には見えないほどに柔和な印象だが、右耳から額にかけて刻まれた大きな傷跡が、紛れもなく彼が闇にす住人であることを物語っていた。


「イービスの旦那。あんたも変わりないようで」

「そうでもないさ。鉄火場てっかばを離れてから体が鈍って仕方ない。いたかゆしってところだな」


 イービス・クレイ。国際麻薬カルテルのロス・サングレの大幹部にして、ここメイザース支部の頭目を担う男。超武闘派で知られるカルテルの中でも一際苛烈な暴力性で恐れられる組織の長が尋常の無頼ぶらいであるはずもなく、事実彼は先代の頭目の座を「血戦けっせん」と呼ばれる組織独自の習わしに則って奪い取っている。このメイザースで最も恐ろしい男と称して何ら支障のない人物だった。


 そんなイービスにかしこまることもなく対等な口を利くデュールもまた一介の無頼ではないのだが、普段のイービスの様子を知る側からしたら、彼を「あんた」呼ばわりなど命知らずも甚だしい。いつ信管に火がつくのかも分からないまま、ただ職務として長の脇を固める部下達の心境たるや。さながら噴火寸前の火口で座禅を組むかのような気分だろう。


「で、どうしたんだあの車。街ではそういうのが流行ってんのか?」

「その手の与太よたはもう聞き飽きたよ。俺がどんな思いでここまでたどり着いたと思ってやがる」

「ハハハ、そいつは災難だったな。それで、ケジメはちゃんとつけたのか?」

「そうしたいのは山々だけどな。まずはこっちの仕事が先だろ?」

「いい心がけだ。順番はちゃんと守らないとな」


 イービスが伊達男さながらに指を弾くと、控えていた部下達がデュールの車の後部座席からスーツケースを取り出し、うやうやしく二人の前に置く。イービスが顎で下知げちを送り、ケースの蓋が開けられる。中身を見てはいけないと指示されていたデュールは後ろを向こうとしたが、そこまでしなくていいと言うイービスの計らいでその場に留まる。


 彼としては今この時が、初めて荷物の正体を知る機会になる──はずだった。


「ん?」


 最初に困惑の顔を浮かべたのはイービスだった。違和感というなら、部下達がやけに重そうにケースを持っていたところが初めだが、その時はさして気にする必要のないことだと思っていたのだ。


 しかし、よく考えたらケースのロックが掛けられていなかったというのも変な話だ。この荷物に関しては、ケースの型番からロックの暗証番号まで、先方には確かに伝えていたはずなのだから。


 だが、そんな違和感を些末事さまつごととするには十分な威力の衝撃が、イービスの背中を貫いた。その正体は必然、デュールが運んできた荷物の中身ということなのだが、蓋を開けたその中身に、その場にいた構成員の誰もが目を見開いていた。


「おいシャムロック。こいつは一体どういうことだ」

「はあ?」


 荷物の中身に関して、デュールにも少なからず驚きはあった。こんな街で、こんな生業なりわいだ。それは時には法にも道徳にももとる荷物を運ぶこともあるだろうが、それでもこういう類の荷物が珍しい方であることは確かなのだ。


 しかし、現時点でデュールの抱いた驚きと、イービスを襲った衝撃とでは、実のところ全く噛み合っていないという事に二人はまだ気づいていなかった。


 少女だった。

 曇り一つない白髪と、くすみ一つない肌。この状況で目を覚まさないその表情は、眠りに落ちながらも一切澱むことはなく、まるで雪が人の形を得たかのような儚く美しい少女が、一糸纏わぬ姿でケースに収まっていた。


「へえ、こいつは上物だ」


 さしものデュールもその美しさに見惚れるが、それに対して返ってきたのはイービスの労いの言葉でも少女の容姿に対する感想でもない。どこまでも無機質で冷徹な殺意を乗せた、銃口という名の沈黙だった。


「おいおい旦那、ジョークが言えねえ方の口がこっちを向いてんぜ」


 まるで思いもしなかった反応に、デュールの軽口にも当惑の色が浮かぶ。


「説明しろ。こいつは一体どういうことだ」


 こめかみに押し付けられた銃口のその先にある双眸そうぼうをデュールが鋭く睨みつける。どういうつもりかというのはむしろこちらのセリフだが、どうやら自分が運んできた荷物がイービスの注文したものではないということだけは確かなようだ。


「どういうことも何も、俺は注文通りに配達しただけだ。壊れ物注意のシールも貼ってなかったから途中落としたりもしたがな。中身のトラブルはあんたらの責任だろ?」

「ケースのロックが外れていたことの説明はどう付ける?」

「知らねえ。俺はいじってないし、警察にもそれには触れないように警告した。俺は出来る限りの敬意をこめて仕事をこなしたつもりだぜ」

「そうか、だとしたらこれは困ったことになる」


 交錯する二人の視線が、秒ごとに氷点へと近づいていく。何か誤解があることだけは確かだったが、かと言ってこの世界で「では話し合いましょう」は通用しない。


 重要なのは自らの潔白をどう示すか。それは言葉ではなく、常に行動と結果の中にある。そしてこの話において重要な点は二つ。荷物の中身と、解除されていた錠前という厳然たる事実だ。この二つに関し、デュールは納得のいく説明責任を果たせていない。


 いくらこの場で言葉を重ねたところで、それはデュールの潔白を何ら証明するものではなかった。二人は今日が初めての関係ではない。お互いのことを信用しているし、信頼もしている。しかしこれは、そういった常道にある理の外側に位置する問題だ。


「イービスさん、時間をくれ」

「ほう? 何か心当たりでも?」


 まるで品定めでもするかのような声音で問うイービスの目は、依然として冷酷の温度のままだ。


 彼がそこらのチンピラたちと明確に一線を画しているのは、徹底して実利に重きを置いたプラグマティズムと、それを見極めるための冷静さにあった。故に、デュールが可能性を示す限り、その銃口が撃発の瞬間を迎えることはないが、それは今後のデュールの受け答え次第だ。


「ここに来る前、俺は当たり屋にぶつかられてる。それは俺の車のザマと、メイザース市警のジャスレイが証明してくれる。もちろん野郎どもの車体ナンバーの控えを渡す用意もある」

「それで?」

「連中と俺が接触したとき、衝撃でスーツケースが外に散らばったんだ。中身を見ていない俺には知る由もないが、そこで考えられる状況は二つ。一つは落下の衝撃で錠前が破損した。もう一つはケースの取り違えだ」

「たまたまお前の車にぶつかった連中が、たまたま同じスーツケースを積んでいた。お前はそう言いたいんだな?」

「それ以外に、この怪奇現象を裏付ける合理的理由がない」


 デュールが積み上げる言葉の一つ一つをねぶるように吟味した上で、イービスはその理屈の間隙かんげきをつく。


「もう一つある。お前が欲をかいて俺の荷物に手をつけて、素知らぬ顔で別の荷物とすり替えた可能性だ」

「そうかもしれない。だが。それを決めるのはあんただ。だけどな旦那、考えてみてくれ。あんたがここでそいつをぶっ放して、俺にケジメをつけさせたとしよう。だがそんな事をしたとしても、荷物は戻ってこないし、あんたは便利な手駒をひとつ失う。最終的に一番損をするのは、一体何処のどいつだ?」

「……それで?」

「そいつを防ぐためには、俺がここに注文通りの荷を送り届ける以外の方法はない。血を見ねえで済むなら、それに越したことはないだろう」


 デュールの説明によどみはない。むろん取り違え先の車が盗難車である可能性も捨てきれないし、そうだった場合運転手の素性をそこから割り出すのは困難だろう。


 だが、状況から察するに連中は相当慌てて市内を突っ切っていたはずだ。見通しの悪い裏路地ならまだしも、片側二車線あるゴールデンアークストリートの直線で運転をトチる理由などそう多くはない。と、そこまで考えが及んでいれば、文句なしの合格点だったのだが。


「ふん、一応及第点ってことにしておこう。市内を南に逃走する車両と、それを追跡する車両がそれぞれ一台ずつ。巡回の部隊から逐一報告は上がっているが、温情をかけてやれるのはそこまでだ。ケースを奪還してここに届けろ。追跡する者があればお前の手で始末するんだ。そこまでやって、今回は手打ちにしてやる」

「やっぱり保険かけてたか。人が悪いぜ、本当に。おうとも、期待に応えて見せるさ。どの道連中をぶっ飛ばすことには変わらねえ」


 デュールはそう言って自分の車のところまで歩いていこうとするが、さすがにあんな壊れかけの車体で追いかけさせるわけにもいかない。見咎めたイービスはデュールの背中に声をかける。


「おい、行くならうちの車を使え。ガレージにあるのなら何でもいい。それとガキも連れていけ。ここは託児所じゃねえんだ」

「はあ? ガキもかよ。こんなん荷物になるだけだぜ」

「いらねえなら連中に返しちまえばいい。どのみち俺達には何の関係もないんだからな」


 まあ、いざとなればケースと交換という手もないことにはないが、それはあくまでもカルテルのケジメであってデュールのものではない。彼は彼で、愛車を傷物にされ、セルフ市中引き回しも同然の恥辱を被ったケジメを連中につけさせない事には収まりがつかないのだ。


 甚だ面倒な話ではあるが、あの場で脳天を割られなかった幸運に感謝しつつ、言われた通りデュールはカルテルから拝借した車に少女を乗せ、申し訳程度にブランケットをかぶせる。


 この状況でまだ目を覚まさない神経の太さには、おおよそ呆れ以外の感情も出たものではないが、変に騒がれて運転の邪魔をされるよりはいいと、この時のデュールは考えていた。


 これが少女と運び屋の運命的な出会いだったと彼が自覚するのは、ここからもう少し後の話である。

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