第1章─Prosperity of Vice─

Act.1:悪徳の都




─第1章:Prosperity of Vice─ 




 魔導が根付いた人の世で、とりわけ栄華を極めた大国が、魔導国家アルカディア帝国だ。


 練度の高い魔術師を数多くようし、それらを高度に組織化した魔導軍による軍事力を背景に版図を伸ばしたこの国は、今や世界経済の中心とも言える巨大国家である。


 彼の国の覇権を決定づけたのは、およそ一世紀前に勃発した機巧国レムリアとの戦争。通称「魔械大戦まかいたいせん」と呼ばれる戦いを征した事に起因する。


 この戦争を経て、アルカディアは従来の魔導技術に加え、レムリアをはじめとした機械工学の技術を融合させた魔導の近代化を成し遂げたことによって、世界の覇者の立場を盤石のものとしていた。


 この物語は、そんな華々しい帝国の軌跡を紐解く物語──では実のところない。


 光あるところに闇あり。絢爛けんらんさと肥沃ひよくさをたたえたアルカディア領にあって、「神に見捨てられた地」とまで渾名あだなされる街があった。


 大戦後に大量に流れ着いた難民を労働力とし、荒廃した港町に一定の発展をもたらしたものの、杜撰な移民計画と穴だらけの治安対策、癒着や横領などの腐敗によって、町は徐々に求心力を失っていった。


 結果、瞬く間に財政は崩壊し、今やマフィアやカルテルが跋扈ばっこする魔都と化したのが、アルカディア帝国最南部に位置するメイザース地区である。


 もはや同じ帝国領と称すのも憚られる有様から、他の自治体の者達は「地区」という区切りを外して単純に「メイザース」と呼び習わすのが半ば常識と化しており、今は誰一人としてその街に復興の目を向ける者はいない。


 まさに神に見捨てられた地の名に相応しく、今日も今日とて悪徳の棄民街きみんがいではチンピラ共による撃ち合いが勃発していた。


 いやどうだろう。これを撃ち合いと称していいのやら。


 構図としては確かに悪党が悪党に銃を向けている光景なのだが、その趨勢すうせいは多対一と、数の差に物を言わせた一方的な掃射そうしゃだった。


 哀れチンピラ、穴だらけにされたそのむくろは腐敗したこの地で朽ち果てて、この街とそう大差ない地獄を彷徨さまようのだろう。


 それがこの街のごくありふれた光景なのだが、今回ばかりは事情が少し違うようだった。


 どういうわけかチンピラ達の一斉掃射を無傷でやり過ごした一人の青年は、まるで生ゴミの中にゲロでも見つけたかのような眼差しで彼らを一瞥いちべつした。


「レイトショーでも見たか? 三流ムービーみてえにバカスカ撃ちまくりやがって。てめえらんとこの田舎では銃にしか口がついてねえのかよ」


 そう忌々しげに柳眉りゅうびを逆立てながら、男は挑発とも呆れとも言えぬ言葉を漏らした。


「な、なんだあいつ……た、弾を避けやがったぞ」


 チンピラの一人が明らかに狼狽ろうばいした様子で青年を見遣みやる。


 それなりに人を撃ってきた彼の獲物には、確かに運良く弾道に収まらなかった奴も居たには居た。しかしそれは、彼のその日のコンディションや銃の調子など、あくまでも不足の要因としての幸運に過ぎなかった。


 しかし、目の前の青年はそうではない。彼は明らかに、自身に向けられた火線かせんがどういう軌跡きせきをなぞるのかを分かった上で、複数の方向から放たれた弾丸を一つ残らず凌いで見せたのだ。


「な、何モンだてめえ……」

「はぁ? 名乗ってなんか意味あんのか?」


 青年がそう言い終わったと同時、チンピラの一人は眉間みけんに風穴を空けてむくろとなっていた。


 ついさっきまで、青年の手には何も握られていなかった。それは確かな事だった。しかし、今その手には一挺いっちょうのオートマチックが握られ、その銃口から立ち昇る硝煙しょうえんが、今しがたあの世に召された骸に空いた穴との因果を裏付けている。


「て、てめえ! やりやがったな!?」


 もう一人のチンピラが瞠目どうもくの目で青年を見遣みやる。浅黒い肌にくすんだ銀の髪、猫を思わせる縦長の瞳孔どうこうを宿した三白眼は氷のように青く、そこには喜びも怒りもない、ツンドラの如き荒廃だけが広がっていた。


 仲間を撃たれ、恐怖に戦慄わななく彼らの最も愚かしい点は、この期に及んで尚きびすを返すことのない絶望的なまでの危機感の無さだろう。


 この中の誰一人として、男がいつどのタイミングで銃把じゅうはに手をかけたのかを視認した者はなく、それはすなわち、男には極限の極限に至るまで殺気を読ませない技量の持ち主である事を示している。


 故に、愚かな郎党ろうとう共は先ほどと同じく無作為な一斉掃射に任せるまま銃を向けたが、一人分の火線が減ったことによって先程よりもけやすくなったという単純な摂理にすら思い至らない。


 それに対し、青年は更なる早撃ちでバタバタとチンピラたちを薙ぎ倒す。今度は撃ち返す暇すら与えない。先に構えたのは彼らであったはずなのに、皆誰もが銃爪ひきがねに指をかける前に穴を空けられ、青年に対する恐怖と怒りを宿した形相でデスマスクの型を取る羽目となる。


 まあ、取ったところで誰一人としてそれを買う者などいないのだが。


「ふん、バカが。地獄で豆でも撃ってろ」


 心底つまらなそうに青年が鼻白はなじろんでいると、修羅場の対岸の野次馬を押し退けて、だらしのないメタボ腹を揺らした制服の警官が、憤懣ふんまんやるかたない様子で歩み寄って来た。


「デュール、このスカタンが。テメェんとこの田舎では銃にしか口が付いてねえのか? こんな道端でバカスカ撃ちやがって。片付けんのはこっちなんだぞ」


 どこかの誰かがついさっき言っていたようなセリフを吐きながら、警官が威圧的な態度でにじり寄る。デュールと呼ばれた青年はそれに悪びれる様子ひとつなくポケットから取り出した煙草に火をつけた。


「この街じゃそれがアンタらの仕事だろ、ジャスレイ部長。こいつらにしてみたって、抜くもん抜いたら残りは火葬場に直行じゃねえか。司法のもありゃしねえ」

「絡むんじゃねえよ馬鹿野郎。とりあえず車に乗れ。ブチ込まれたくなきゃオメーの荷物でも布施ふせしてきな」


 臆面もなく公衆の面前で賄賂を取ろうとするジャスレイが、部下に対してデュールの車を調べるように下知すると、それを見咎みとがめたデュールが被せるように威圧する。


「よしなよジャスレイ。伝票に書いてあんのはロス・サングレカルテルの住所だ。この俺と海の底で蟹の巣になりたくねえなら、荷物には指一本触れねえ事だ」


 そのいみなの如き名を聞いた途端、ジャスレイの額から脂汗が滲み出る。いたずらに口に出すことさえはばかられるその組織の名は、この街を支配する力の法則の最上位に君臨する麻薬カルテルのものだった。


「チッ、仕方ねえ。とはいえ一応連行はするぜ。オメーんとこの伝票と同じでこっちにも書類があるからな。ほれキー出せ」

「はいはいご同乗どうじょう致しますよ部長殿。あ、ついでだ。カルテルの事務所まで送ってってくれよ」

「調子乗ってんじゃねえよクソガキが。電話回しといてやるから用が済んだらテメェで行け。アホタレ」


 デュールが差し出した車のキーを引ったくりつつ、ジャスレイは減らず口を叩くその脳天に鉄拳をお見舞いした。


「ってぇ〜、いきなり拳骨ゲンコはねえだろ」

「うっせえ。これで手打ちにしてやんだから文句言うな」


 ジャスレイはしこたま悪態を吐きながらデュールを後部座席へと押し込み、自身もまた重たそうな腹を器用に折りたたんで運転席へと乗り込むと、荒々しくアクセルを踏みつけた。


「おいおい、安全運転で頼むぜ」

「大丈夫だっつうの。何年ここに勤めてると思ってんだ。それこそオメーの金玉タマに毛が生える前から──」

「その頃俺はまだこの街にゃいねえよ。適当言うな」

「んん? そうだったか? ブハハハハ」


 ジャスレイは豪快に笑い飛ばし、片手でステアリングを駆りながら空いた手で器用にタバコに火を付けると、急に神妙なトーンでデュールに語りかける。


「便利屋の仕事は上手く行ってんのか?」

「ううん? まあぼちぼちだよ。近頃じゃ組織のウケもそう悪くはねえ。なんだかんだイービスの旦那にもノウェムの姐さんにも目をかけてもらってる。たまに無茶を頼まれはするがな」

「そうか、まああんま無茶はすんな」


 ついさっきまでキレ散らかしていたのが嘘であったかのような豹変ぶりに、デュールは思わず吹き出した。


「ブハッ……なんだよオッサン、老婆心ろうばしんかたまりみてえな事言いやがって。正義の心でもうずいたか?」

「そんなんじゃねえよ馬鹿野郎」

「もしかしてあれか? ツンデレってやつか?」

「くだらねえ事言ってっと、腹に石詰めて海に棄てるぞ」

「ハハハ、まあ心配しなさんな。曲がりなりにも中立の立場でメシは食えてる」

「中立ねえ……」


 デュールの言葉に何か思う事でもあったのか、ジャスレイは一際大きな息と共に紫煙を吐き出した。


「中立ってのが一番難しいんだ。誰の味方もしねえって事は、誰からも味方されねえって事だ。言ってみれば周りの全員が敵みたいなもんで、この街でその立場を貫くには力がいる。有無を言わさねえ圧倒的な力だ。デュール、俺の言いたい事が分かるか?」

「オッサン……」


 ジャスレイのどこか含みのあるトーンが何を意味しているのか、デュールにはなんとなく察しがついていた。この街に渦巻く力の法則。場末ばすえの広場で決闘を繰り広げるような陳腐ちんぷが通用するのは、先ほどデュールが乱闘していたスラムのギャングストリートまでが関の山だ。


 そこを抜けると、スラムの景色は徐々に繁華街の様相へと変わっていく。


 二人を乗せた車が向かう先にある夜の濃さは、半端なチンピラでは一晩と持たないほどの苛烈かれつな暴力と腐敗が支配する、正真正銘の悪の都だ。


 往来おうらいでは薬で身を持ち崩した娼婦達がたむろし、違法なレートの賭場が軒を連ね、それらを運営する各エリアの無法者達が、敵対組織やはぐれ者の犯罪者共を相手取り、昼も夜もなく抗争に明け暮れている。


 そうしてこの世のあらん限りの悪徳を吸って膨れ上がった摩天楼まてんろうが、ネオンに照らされた街に一層濃い影を落としていた。


 そんな街で一匹狼の便利屋稼業を営むには、ただ愛嬌あいきょうを振り撒くだけでは成り立たない。


 言いなりの犬にならないだけの力と、迂闊うかつに首輪をめさせない器用さが要る。それは巨大な力に身を委ねるより、ずっと難度の高い世渡りだ。ジャスレイが老婆心を覗かせるのは、まさにその部分なのだろう。


「ま、心配はありがてえけどよ。それは自分のために取っときな。俺は俺が後悔しない生き方を選んだに過ぎない」


 もう、何かに振り回されるのはうんざりだからと、デュールは最後にそう言った。


 ジャスレイはそれに対しただ一言「そうか」とだけ返した。そうして話に一区切りつき、車内に再び沈黙が訪れようとしたその時だ。


 片側二車線ある対向車線から一台の車が中央分離帯を突っ切り、デュール達の乗るパトカーの方へと一直線に突っ込んで来たのだ。


「おいおいおいおい! 冗談だろ!?」


 泡を食ったジャスレイは限界までハンドルを切りつつ力一杯ブレーキを踏み込む。


 が、半歩遅かった。突進して来た車は車体の後部をかすめ、それによって制御を失った車体がコマのように回転しながら車道を外れ、道沿いのビルの壁面に激突した。


 その衝撃でシートベルトをしていなかったデュールは後部座席の窓から車外へと投げ出され、あわや背中を叩きつけるところだったが、持ち前の反射神経が考えるよりも早く受け身の体勢を取り、滑るように落下の衝撃をいなした。


「痛ってぇ……何が起きてやがる」


 りむいた頬におっかなびっくり触れながら、デュールが暴走車が向かった先に目線を向けた瞬間、湧き上がる怒りが一瞬にして脳を沸騰ふっとうさせた。


 デュールの目線の先にあったのは、暴走車の体当たりをモロに喰らった衝撃で変わり果てた姿となった彼の愛車だった。


 運転席と後部座席側のドアが外れ、ボディの一部はめくれ上がるように変形し、そこ以外にも無数の傷と凹みが車体に刻まれていた。ジャスレイのパトカーに追従するように走っていた警官は、後続故にジャスレイにも増して緊急回避が遅れたのだ。それ故のこの有様だった。


 暴走車はその先の街路樹に車体をこするように停車しており、中にいた者達は謝罪の一言を口にする訳でもなく、車外に散乱した荷物を強引に車の中に押し込み、まさに今発進し直そうとしているところだった。必然、そんな狼藉ろうぜきをデュールが見逃すはずもない。


「あのクソボケの異種姦野郎……車を傷物にしやがって。そんなにファックに飢えてるなら、俺が溶接用バーナーをケツ穴に突っ込んで天までイかせてやるよ」


 怒り心頭のデュールの銃は連行の際に警官から没収されている。しかし、それはデュールから凶器を取り上げる上ではなんら意味をなさない行為だった。


 警官が真に没収しなければならなかったのは銃そのものではなく、彼のジャケットの内側に仕込まれただった。


 デュールはそこから二枚を引きちぎり、それらを両の手に一枚ずつ構えながら、低く這うような声音で詠唱を紡ぐ。


我が血の元に集えsprung,von,meinem,blut


 すると彼の手に収まっていた札が詠唱に反応して光を放ち、次の瞬間には二丁の拳銃がその手に握り込まれていた。


 そう、デュールはただの運び屋でも、ただの銃使いガンスリンガーでもない。呪符に書き込まれた術式を触媒にあらゆる火器を手元に呼び寄せる符術の使い手。「魔弾」の異名を取る魔術師に他ならない。


 ジャスレイの言っていた「有無を言わせない力」について心配する必要はないとデュールが返したのは、決して強がりでも誇張でもない。


 すでにこの男は、魔術という形でその力のあり方を体現していた。ただそれだけに過ぎなかったのだ。


 自身に手傷を負わせ、愛車を無惨な姿に変えた狼藉者を、デュールは決して許さない。構えられた二つの銃口が撃発と共に火を放ち、撃ち放たれた弾丸が逃走する獲物を食い破らんと爆進する。


 しかし、車体を捉えた弾丸はその装甲を貫く事なく弾き飛ばされ、車はあっという間にデュールの射程の外へと抜け出していた。


「防弾だと……?」


 どうやらただの一般車両ではないらしい。いくらこの街の治安が悪かろうと、住民の大半は裏社会とは縁のない一般人。財政破綻を喫したこの街で暮らすとあっては、車の防弾化よりも明日の腹を満たすために活計たつきの道を歩まなければならないくらいには逼迫ひっぱくしている。


 つまり、彼らは少なくとも食い扶持ぶちに困って昨日今日誘拐に手を染めた輩ではなく、既に日頃から銃弾に気を使うだけの神経の持ち合わせを要する連中という訳だ。それが分かれば、やりようはいくらでもある。


 そう判断し、この場での深追いをやめたデュールは術式を解除して銃を消滅させ、道脇で大破したジャスレイのパトカーの方へと歩み寄る。


「オッサン、生きてっか?」

「来るなら先に助けろ。このアホが」


 エアバッグに顔を埋めながら悪態をつくジャスレイ。怪我をしてはいるようだが元気そうだったので、デュールは変形してしまった運転席のドアを外すところだけ手伝って、後の事はジャスレイのやりたいように任せた。


「ほれ、奴らのナンバーは控えといたぜ。本当は大人しく署までついていくつもりだったが、これ以上面倒が続くと朝になっちまう。悪いが俺は先にカルテルの用を片付けるぜ」

「まあ、仕方ねえ。この件はお前の捜査協力で貸し借りなしだ。中央にも報告はしない」

「そう来なくちゃな。じゃ、俺は行くぜ。ちゃんと病院行けよ」

「わかったから、さっさと行け」


 さっきまでは連行しようとしていたのに、今ではお邪魔虫扱いだ。どうしてこう体制側の人間というのは横柄なのか、デュールは呆れまじりに肩をすくめ、風通しの良くなってしまった愛車へと乗り込む。


 幸いにして駆動部分は生きており、運転そのものに支障はないようだったが、如何せん扉がないというのはどうにも落ち着かない。


「どうしたデュール。斬新なオープンカーだなぁ」

「うるせえぞ馬鹿野郎」


 たまたま近くを通りがかった顔見知りの野次に中指を立てながら応じるデュールの視界に、打ち捨てられたスーツケースが映り込む。


「おっといけねえ、手ぶらで配達先に行くところだった」


 それはデュールがカルテルから注文を受けたスーツケースであり、その中身がなんなのかまでは知らされていないし、開けることも許されていない。デュールの仕事はこのケースを仲介人から受け取って、宛先まで届けるだけの簡単なもの。なんの変哲もないいつものルーチンワークだ。こいつを片付けた後、当たり屋の連中をじっくり料理してやるとしよう。


 しかしこの時、デュールは気付くべきだった。


 積み込み直したスーツケースの重さが、事故に遭う前と後で全く異なっていたという事実に。

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