第6話
陽香にとっては十八回目の、尊志にとっては十七回目の花火大会。今年、雅貴はいない。
「早く雅貴の花火見たいね!」
二十三歳になった陽香は、黒い浴衣を翻した。
「去年より自信あるって言ってたもんな」
花火職人になった雅貴は昨年見事デビューした。その花火が夜空に咲いた瞬間の、陽香の笑顔。雅貴に見せられないのが本当に惜しかった。
二年目の今年は、雅貴独自の改良を加えたらしい。
『まだ誰も見たことない、世界一の花火上げるからな!』
先日会ったとき、雅貴はそう言って二人にブイサインを向けた。
そして、陽香が帰ったあと、残っていた尊志にだけ言ったことがある。
『この花火が成功したらさ、俺、梅に―――』
続く言葉を聞いて、尊志は苦笑いした。
『それ、俺に宣言するか?』
『尊志だからだよ。陽香にこれ言うときは、お前に伝えてからにしようって、ずっと前から決めてたから』
『何だよそれ』
『だって、俺以外に梅幸せにできるとしたら、尊志しかいねーもん』
完全に負けたな、と思った。
『雅貴』
『何?』
『梅本のこと、最高に幸せにできなかったら、そのときは遠慮なく俺がもらうからな』
『おう。頼むわ。……ま、一生やらないけどな!』
尊志は時々、雅貴よりも自分のほうが陽香を好きなのではないかと考えるときがあった。―――とんでもなかった。
雅貴以上なんて、有り得ない。
「濱野どうしたの、早く行こう!」
陽香に呼ばれ、回想から引き戻される。
「走るとこけるぞ」
横に並ぶ。
「あら、ついに略奪しちゃったの?」
「りんごのおばさん!」
すっかり顔馴染みになったりんご飴の屋台のおばさんが、にやにやしていた。
「りゃ、略奪って……」
尊志は通行人からの冷ややかな視線を背中に感じて、慌てて反論した。
「別に、俺たち付き合ってませんから」
「あら?そうなの」
おばさんの顔に、「つまんないの」と書いてある。
「はい。小さい飴ちゃん二つ」
「ありがとうございます」
陽香が受け取っている間に、尊志が財布を出す。
「あ、お金はもうもらってあるから」
「え?」
「彼氏君がねぇ。後で新生カップルが来るだろうから、そいつらの分の代金も置いてくねって」
何、彼氏自ら誤解を生むようなことを。尊志は心中で突っ込む。
りんご飴を舐めながら、歩き出す。
やっぱり酷く甘かった。
「雅貴は私のこと……」
陽香の呟きは雑踏の中に消えた。
「内海の花火、うつみんの花火~~♪」
尊志以外に誰もいないのをいい事に、訳のわからない歌を歌い出した陽香。
「そういやお前らさ、何時まで苗字呼びなんだ」
付き合いだしてから、既に七年が経っている。
夜空から陽香に視線を向けた尊志は、その質問をしてしまったことを後悔した。
泣きそうな、苦しそうな顔。
「内海はさ、恋人関係とかそういうの、嫌みたいだから」
「それは誤解―――」
ヒュゥゥゥウ……ドオンッ。
大きな紅い花火が上がった。
「内海ご自慢の花火は、ラストだって」
たった一瞬で、陽香の顔から悲しみが拭い去られていた。代わりにそこにあったのは、喜びに満ちた顔。
ドン。ドドン。
光の花が咲いては散り、咲いては散る。
刹那的な輝き。
その中で。
バアアアアアアアアァァァァァンンンッッ!!!
一際大きな、―――爆発音がした。
天に伸びる一本の橙色の柱。
人がいないこの場所にさえ届く、人々の悲鳴と嬌声。
熱に照らされた夏の空を、花火の名残と悪魔の尾ひれが、分厚い雲となって覆い尽くす。
ナンダコレハ。
コレハユメカ、マボロシカ?
ゲンジツハ、ドコダ。
「………み、内海!」
「待て!何処行く気だ!」
駆け出そうとした陽香の腕を、とっさに掴む。
「だって、内海がっ。きっとまだ……あの中にいるよ!」
あの中に。
あの燃える夢の中に。
「だからって、梅本が行って何ができる!お前までいなくなるなよ!」
いなくなる。
何処から?何から?
現実から。陽香から。
「嫌ぁ!私も行く!!」
言葉とは裏腹に、押し寄せた現実に潰されて、陽香はその場に崩れ落ちた。
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