1―32.彼女の武器
「……っ、リオン……?」
ティアナさん達が驚愕の表情でこちらを凝視する。
普段の容姿が偽りだと知りさぞ驚いたことだろう。この色彩なら尚更。
皆の顔を見ていられず、布切れと化したフードで必死に頭を隠す。
もう役割を果たせないほどビリビリに破かれていて隠しきれていないけど、身に染み付いた癖で。
「あのとき地下室にいた子よね?どうりで妙に既視感があると思ったわ」
地下室と聞いてびくりと身体が反応した。
皆を視界に入れないようにして侍女を盗み見る。
貴族らしい綺麗な所作は王宮でも学園でも見慣れている。しかし暗殺者のように隙のない身のこなしと顔に張り付けた冷笑が遠い記憶を呼び起こす。
常に一歩下がってあの人に付き従っていた侍女。
ひどく冷たい印象を抱いて近付くのを躊躇った人。
「まさか、ソフィアさん……?リエル姉さんの専属侍女だった……」
思わず口からついて出た呼び方に内心嘲笑う。
とっくに色褪せたはずの、様々な塗料をぶちまけたみたいに塗り潰されたあの頃の、無垢で何も知らない自分を。
全てを壊したあの人への情がこびりついて離れない自分を。
「覚えて頂けて光栄だわ」
侍女改めソフィアさんはわざとらしくおどけたふうに笑う。
「……忘れるわけ、ない。彼女と共に例の組織に加担した人物を忘れられるわけがない」
そう口にしたら、すとんと笑みを消したソフィアさんがこれまでとは比べ物にならない速度でナイフを投げた。それもひとつではない。
刃の雨が降り注ぎ、僕の全身を紅く染め上げる。
刃先に毒でも塗布していたのか、身体から力が抜けて膝をついた。
フードを押さえていた手はだらんと下がり、布切れ同然のフードだったものは自然の風に拐われた。
「リオンっ!!」
誰かが僕の名前を呼ぶ。
なんて悲痛な叫びだろう。僕のこの容姿を見てもそんな風に必死に声を張り上げてくれる人がいるのか……
ああ、駄目だ。視界が霞んできた。
毒が回るのが早い。毒物にかなりの耐性がある僕でも立っていられなくなる毒なんてあったんだ。団長に報告しなきゃ。いや、その前に頭隠さないと。誰かに見られでもしたら……って、もうすでに見られてるか。
冷静に考える頭とは裏腹に、傷口から垂れた血が地面に吸い込まれて思考を奪っていく。
「加担?あんな連中と同列に扱わないでくれるかしら。利害の一致で手を組んだだけなんだから」
表情のない顔で血塗れの僕を見下ろすソフィアさん。不愉快だと言わんばかりに声のトーンが低い。
彼女にとって組織と一緒くたにされるのは屈辱だったようだ。
手持ちのナイフが底をついたのか、はたまた本来の得物がそれなのか。彼女が懐から取り出したのは裁縫用の小さな針だった。
先程のように投げられたら視認するのも難しいだろう。
「5年前だったら生かしておいてあげたけど、代替え品がいる今は利用価値もないわね。全員仲良くあの世に送ってあげる」
指と指の間に裁縫針を挟み、投擲の構えを取るソフィアさんの動きがやけにスローモーションに見えた。
ああ、殺されるなぁ。頭の片隅でそう考えるも身体は言うことをきいてくれない。
せめてギルくん達だけでも助けなきゃ。
たとえ僕の本来の姿を知って離れてしまったとしても、人付き合いが決して上手くない僕に根気よく接してくれた、優しい人達だから。
せめて、ギルくん達だけでも……そう思うのに、身体も心も鉛のように重く感じる。
「ふん!冗談じゃないわ」
殺害宣告を鼻で笑うティアナさん。次いでメルフィさんが挑発的な声で言った内容に耳を疑った。
「明日も4人で討伐に行く約束してるもんねぇ。下らない理由で殺される訳にはいかないよぉ」
「え……?」
思わず顔を上げる。
今、4人でって言った?
僕のこの姿を見ても、普通の態度で、普通の声音で、今日はこの魔物を狩ろうって感じのごく当たり前の日常を語るように。
視界が霞んでティアナさん達の顔は見えない。
でも、ひとつだけ分かる。全員今の僕をしっかり目に焼き付けて、その上で普通に接してくれているんだと。
それが僕にとってどれほど得難い幸福か知りもせずに。
「え、って何よ。まさか討伐の連携誰よりも上手になったなんて勘違いしてないわよね?アンタが一番問題児なの自覚しなさい脳筋
間の抜けた声を上げた理由はそんな些細なことではないと察しながらも半ば怒ったフリをして話題を逸らしてくれる。
「最近ようやくお昼ご飯食べる習慣もできてひょろひょろ体型がマシになってきたのに、死んじゃったら今までの努力が水の泡だよぉ。人付き合いも日進月歩だけどちゃんとできるようになってきたんだからぁ」
毒舌が混ざったお姉さん発言で微妙な気持ちになった。
そんな困った子供の成長を見守る人の目線で僕を語らないでほしい。
ギルくんはどう思ってるんだろう?とチラリと見る。
表情は分からないけど、きっといつも通りの顰めっ面なんだろうな。
「帰るぞ」
皆一緒に。
言外にそう言われて、心の鉛がスッと溶けた。
ギルくん達だけでも助かればいいなんて嘘。本当は僕も、皆と一緒に帰りたいんだ。
「友情ごっこはおしまいかしら?」
冷や水を浴びせられたような声が降ってくるのとほぼ同時に幾つもの裁縫針が牙を剥いた。
局所的にではなく全員へと放たれたそれは鈍色の残像を描きながら僕らに襲い掛かる。
おそらくあの裁縫針にも毒を仕込んでいるんだろう。毒耐性があるならともかく、あんなのを食らったらひとたまりもない。
皆を助けなきゃという気持ちが昂り、気力だけで視界を確保する。
手足が痺れる。身体に力が入らない。靄がかかったみたいに頭も働かない。魔法が使えなくても、せめて身体が動いてくれたら皆を守れるのに。
悔しさを胸に皆を一瞥する。しかし僕の予想に反して悲壮な表情は一切していなかった。
どうして……という疑問は、すぐに消え失せた。
メルフィさんとティアナさんが瞬時に目配せし、頷きあったから。
計算高い彼女達が落ち着いて対処できると判断したのだから、きっと大丈夫。
僕のその信頼に応えるように2人は行動を起こした。
ティアナさんが滑るように地面を蹴って土を巻き上げる。指より細く軽い裁縫針は風圧で吹き飛んだり、土の重量で著しく減速し落下した。
煙幕代わりの砂塵に紛れてメルフィさんが収納魔法から小瓶を取り出す。
収納魔法は術式を構築して発動するタイプではなく自身の魔力を糧にして空間に直接作用するもの。だから魔道具の影響を受けなかったんだろう。
その小瓶を片腕を盾にするソフィアさんへ素早く投擲。砂塵が晴れる頃には彼女の持つ魔封じの道具が自壊し機能を失っていた。
金属部分が膨張しボロボロと腐り落ちていく。
驚きに目を見開く彼女の隙をついて今度はギルくんが動いた。
一瞬で間合いを詰めて彼女を蹴飛ばし、その手にある自壊した魔道具を没収。ついでにルッツくんも肩に担いで救出した。
ギルくんがルッツくんを救出するのとほぼ同じタイミングでメルフィさんが畳み掛けた。
術式が構築され、魔法陣が頭上に浮かび上がる。すぐさま逃げようとする彼女だが、それよりも魔法が発動される方が僅かに早かった。
意識を刈り取られ、膝から崩れ落ちる。
「どう?自分が得意な魔法でやられる気分は?」
据わった目で見下ろして口元だけ笑みを浮かべるメルフィさん。珍しくご立腹な様子。しかしすぐにハッとして僕の元へ駆け寄り、座り込む僕に合わせてしゃがんで治癒魔法を発動させた。
「この毒、コルネリアのものじゃないね。ベルディオンのものでもない。厄介だけど、治すよ。治してみせるよ」
射貫くような眼差しで、いつもの間延びした声ではない真剣な声で全身の傷を癒していく。
流れた血は戻せないけど、傷口は塞がり痛みも取れた。
メルフィさん、また腕を上げたなぁ……と感心しつつ、治療してる間にギルくんが拘束したソフィアさんをチラリと見やる。
僕の視線の意味にいち早く気付いたティアナさんが説明してくれた。
「魔封じの道具に使われる魔法金属は水に弱い性質を持ってるの。錆びるなんて可愛いもんじゃない、今見た通り腐敗が進行して原型を留めなくなる。水に強い素材でカバーしたら魔道具の性能が落ちるし、そこが最大の弱点といっていいわ」
メルフィさんが投げたのは教会で日常的に使用されている聖水。教会で魔法の勉強をする際に作成するものらしい。
「今回使ったのは闇属性の催眠魔法だよぉ。悪徳商人の犬を引っ捕らえるときに使ったのは光属性の催眠魔法で医療現場でよく使われるものだけど、闇属性のは長時間使用すると幻覚作用が出るの。なんなら丸1日放置しちゃう?自供してくれそうだし」
「精神が食われる前に魔物に食われるでしょうが」
冗談に聞こえない声音で冗談を言うメルフィさんの解説に納得した。出会い頭に使ってた魔法とは性質が違うように見えたから。
「こんなにあっさり……」
事態が収束し安堵の空気に包まれる一方で、僕は呆然と呟いた。
魔法が使用不可な状況で冷静に対処し、呆気なく切り抜けたことに驚いていたのだ。
「力業しか頭にないアンタじゃできない芸当よね。いい?リオン。魔法だけが全てじゃない。力だけが全てじゃないのよ」
柔らかな声で諭されて、ようやく理解した。
そうか。ティアナさんの武器は魔道具でも氷の魔法でもなく、知識なんだ。
正直侮っていた。純粋な戦闘力という意味では攻撃系の魔法を使えないメルフィさんを除きティアナさんが一番弱いから。
でも僕が予想し得ない方法で解決した。知識も立派な力だろう。そういう意味では僕やギルくんに並ぶ強者なんだと認識させられた。
侮っていたことを内心謝罪する。ティアナさんは紛れもなく強い人だ。
ティアナさんは知識で解決策を見出だし、メルフィさんは発動時間が短くなり、ギルくんは2人の息に合わせて行動した。僕にはできないことだ。
また、助けられちゃったな……
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