#18 『幼馴染』と『ヒロイン』
先日まで空間を満たしていた雨音ははっとその音を沈ませ、道の所々には水たまりが点在していた。まるで『あの時』のような光景を前に、霧也は学校までの道を歩きながら考えていた。
(ヒロイン……?ラブコメのヒロインって、なんだ……?)
霧也はあれから、『ヒロイン』というものを知るために家にある分のラブコメや恋愛漫画を読み漁った。だが、『ヒロイン』の像は多種多様で、似通った特徴はあれどこれといって嵌る型があるわけではなかった。
探していくうちに混乱していく思考の渦中で、何度も反芻する妃貴の言葉の中で、一つ変わらず突っかかっているところがあった。
(なんで……あんなこと言うなんて、今でも想像つかねぇよ……)
妃貴が見せた、あたかも「嫉妬」のような態度。本来恋する乙女しか成し得ないと思っていたその態度に、霧也は未だ状況を呑み込めずにいた。
仮に妃貴が霧也の『ヒロイン』を目指しているのであれば、霧也はその真意を紐解く必要があると思っている。それはまだ、霧也の中では勘違いで完結しているが。
「はぁ……」
答えの出ない悩みを数日も抱えていたからか、まだ週の真ん中にも関わらず疲れからくる溜息を大きく吐く。と、ここで急に肩に手を回され「ひえっ!?」と素っ頓狂な悲鳴を上げた。
「やぁ、霧也君じゃないか。朝から会えるなんて嬉しいな」
「に、錦戸君……。急にやめてよ、心臓止まるかと思った……」
「それは大変だね。ごめんごめん」
適当に謝罪してけらけらと笑う悠を、霧也はげっそりとした目で見つめて肩を落とす。ひとしきり笑った後、悠は隣を歩く霧也の横顔を見つめて首を傾げる。
「寝不足?くまが凄いことになってるけど……」
「え、あぁ……まぁ……そんなところ、かな?」
「ふぅ~ん……」
貼り付けたように笑う霧也に、悠ははたと顎に顔を当てて考える。そうして一つ、思い当たる節を見つけ、霧也の顔を見て告げた。
「……女性絡み?」
「へぇっ!?あ……」
「図星みたいだね……」
「すごいね……分かるんだ……」
「僕の中でも、君はとても女子との仲が良いと評判でね。それで、何があったんだい?」
「あ、あの」
これ以上のごまかしは効かないと悟った霧也は、悠に少し話を聞いてもらうことにした。その中で言わなければならないことを思い出し、少し頬を紅潮させる。少しばかり考え、決意を固めた霧也は、そのことについて話し始めた。
「笑わないで聞いてほしいんだけど……俺、『ラブコメ主人公』を目指してて……」
「……くくっ」
「ちょっと!!笑わないでって言ったじゃん!!」
「ごめ……耐えられなくて……くくっ」
「ねぇ~うっざ!!」
クスクスと肩を揺らす悠。その姿に屈辱的な思いを覚えた霧也は腹いせで道に落ちていた石を蹴とばす。そうしてまたひとしきり笑った後、悠は話を戻した。
「それで、その主人公がどうしたんだい?」
「そのことは妃……幼馴染にも話してるんだけど、前に『私はヒロインじゃないんでしょ?』って聞かれて。俺、それに答えられなくて……」
「……」
「主人公って、誰がヒロインかって分からないし、それを俺が勝手に決めるのは、なんか違う気がするし……」
「なるほど……めっちゃ、青春だね」
「……俺、これでもめちゃくちゃ悩んでるんだけど」
「ごめんごめん、冗談だって」
悠は少し重くなった空気を和ませてから、悠は口元に笑みを浮かべながら霧也に応える。
「霧也君は、どう思ってるの?」
「どうって、何に?」
「幼馴染のこと。好きとか、嫌いとか」
「……当然、好きだよ。恋愛じゃなくて幼馴染として。いつも俺のことを気にかけてくれるし、毒舌だけどなんだかんだ優しいし。顔も、普通にかわいいし……。恋愛的に好きじゃなくても、こんな子がヒロインならいいなぁとか、考えたり……」
「……今、答え出たじゃん」
「えっ……」
突然な悠の言葉に、霧也君は唖然とする。ポカンと拍子抜けする霧也に、悠はくすりと微笑して霧也の言葉を繰り返す。
「『こんな子がヒロインならいいなぁ』って、それを伝えればいいんじゃない?」
「えっでも、これ俺の理想だし……相手が聞いているのはヒロインかどうかだし……」
「君のヒロインかどうかを聞いてる時点で、君にどう思われてるかを訊いてるのは確かだと思うけど?」
「俺に、どう思われてるか……」
「それに……ヒロインの気持ちに答えるのも、『ラブコメ主人公』の役目だと思う」
「しゅ、主人公……!」
『ラブコメ主人公』という言葉を耳に、俯いている顔を上げる。『主人公として、一人の女の子を見捨てることはできない』と自分で言ったことを思い出して、今やるべきことの決心がついた。
「じゃあ。幼馴染に、話してみる。ありがとう、相談に乗ってくれて」
「礼は要らないさ。話を聞くなら誰でもできるよ」
「そっか、本当に助かったよ」
先刻とは違う、慈愛に満ちた温かい眼差しを受け、霧也は悠という人間がこれほどまで人気な理由を理解した。
学校に着いた後、目線の先で談笑している妃貴にメッセージを送る。そのメッセージは普段送るメッセージとは違って、緊張で少し震えた手で送った。
『今日一緒に帰らないか』
悟られない様に普段と同じような文面で送った後、霧也は大きく息を吐いて机に顔を埋める。数分後、メッセージの通知音で顔を上げて画面を確認する。
『りょーかい』
霧也と同様いつもと何変わらぬその文面を見て、霧也はより一層決心を固めるのだった。
◇
『少し用事あるから先行ってて』と言われて昇降口に向かう道中で、霧也は話すべきことを整理していた。とはいえ、話すことは一つしかないが。
(どのタイミングで言おうか……そもそも自分から話を切り出すか?いや、昨日の様子を見た感じ自分から切り出してはくれないか……。クソッ、なんで幼馴染相手にこんなこと……)
初恋相手に接するように会話デッキを考えている自分に情けなさを覚える。普段の会話ではこんなに考えることはないからか、無駄に難しく考えてしまう。そんな自分が嫌で、悩ましげにガリガリと頭を掻いた。
その後も考えながら妃貴を待っていると、当人が息を切らしながら現れた。急いで走ってきたらしい。
「ご、ごめ……長引いちゃって……」
「そんな急がなくてもよかったのに」
「でも、待たせるわけにもいかないし」
「別にいくらでも待ってやるよ」
「……かっこつけやがって。ほら、行くよ!!」
気を紛らわすために『主人公』っぽい言葉を話す霧也に、妃貴は嵌められたように赤面する。ごまかす様に先導するその姿に、霧也は苦笑してその後を追った。
「で、なんでわざわざ呼び出して誘たわけ?」
「あ、それは……」
何気ない会話の途中で言われた問いに、霧也は図らずもどもる。気まずそうな顔をした霧也に、妃貴は察して目線を反らす。
「やっぱり、一昨日のことだよね」
「……あぁ、それだ」
「ごめんね、あの時は変なこと言って。自分でも変だと思ってる。別になんでもないから忘れて!」
「妃貴……」
繕った笑みを見せる妃貴に、霧也は腸が締め付けられるような感覚に襲われる。だが、もう霧也の決意は決まっている。痛みを無視して、霧也は告げた。
「ヒロインかどうか、だけどさ……俺は、妃貴みたいな子がヒロインだったら嬉しい……って、思う」
「……え?嬉しい、って……」
「あぁもう復唱するな!恥ずかしい!」
「……ふふっ。あははっ!!そこはかっこよくあれよ!!」
告げる時は真剣だったが、その後で押し寄せてくる恥ずかしさに耐えきれず顔を赤くする霧也。その『主人公』然としない姿に、妃貴は大声を上げて笑った。
「あ~あ、最後まで良かったらいい雰囲気だったのに。そっか~あたしがヒロインだと嬉しいか~そっかそっか~」
「畜生、馬鹿にしたように……」
「……でも、それが聞けて嬉しい。素直に、とっても嬉しいよ。これは紛れもない、本心」
「……!」
嗤ったような表情から、温かい笑みへと形を変える妃貴。噓偽りのない純粋な表情だと確信した霧也は、その潤沢な美しさに言葉を失った。そして、瞬間的に思った。
(……あ、こいつ、ヒロインかもしれない……)
そう思ってしまった以上、霧也の目は妃貴を『幼馴染』のみには映してくれない。今の霧也には『幼馴染』とは別にもう一つ、『ヒロイン』としての妃貴が映っていた。
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