#9 未だ尚、恐怖

(おっ、新刊出てる)


隣町のデパートにあった本屋にて、霧也は店内に備え付けられていた新刊コーナーの前で足を止めた。そこで手に取ったのは数年前から読んでいる、現在も少年誌に連載中のロングセラー漫画。たまたま立ち寄った本屋でラッキーな出会いをした矢先、漫画の裏面の値段の表記を見て、霧也は苦渋に顔を歪めた。


(六百円……明らかに高くなってるな。二年前とかは税込みで五百円くらいだったのに)


年々進む物価上昇を恨みつつ財布を眺める。財布には日に日に多くなっていった自動販売機で使えない部類の小銭と、申し訳程度の千円札。自分の財力のなさを痛感しつつ考えた。


(う~ん……この漫画あまり優先順位は高くなかったはずだな……。展開はもう本誌の方で知ってるし、また今度にするか)


そう結論付けてその場を立ち去った。次に向かったのは本屋の一角にひっそりとあるような目立たない場所。本がぎっしり詰まれたその場所で、少し高い本棚から文庫本を一冊取り出した。


(お、あったあった。なんでこれどこにもないんだろう……)


見つけたのはあまり話題に挙がらないラブコメ小説。ネットでもあまり感想を見かけないので人気がない作品だと踏んでいたのだが、なぜかどこにも見当たらなかった代物である。


小説の表紙にでかでかと描かれている胸の大きい女性のイラストを眺め、顎に手を当てて考える。


(考えられる可能性……実は俺が知らないだけでどっかでダークホース的な人気がある?それとも人気がないから発行部数がそもそも少ないのか?……後者の方が有力だよな。面白いのにもったいないな)


勝手な邪推で締め、小説を片手にその場を立ち去ろうとしたとき、手提げに大きな荷物を持った少女と目が合った。その少女は目が合うなりこちらにとことこと手を振りながら近づいてきた。その様子を見て、霧也もゆるめに手を振る。


「おーっす、霧也。偶然だね」


「よう妃貴。野暮用か?」


「いーや?友達と。何、あんたはぼっち?……そっか、悲しいね」


「同情は余計なお節介だ」


独りの自分に本気で憂いを帯びた視線を送る妃貴を、霧也は本気で睨み付けた。


「てか、何でこんなところに?」


「読んでる漫画の新刊が出るってことでな。ここまで来ないと発売日当日に買えないんだよ」


「へぇ~。発売日とか意識してんのまんまオタクだね」


「うっせ」


けらけらといたずらのような笑みを浮かべる妃貴。その後ろにいるおそらく妃貴の友達が談笑している様子を見た霧也は、少し呆れた様子で妃貴に諭した。


「おい、友達待たせてるんじゃないのか?」


「おっと、そうだったそうだった。んじゃ~……あ、ちょっとここで待ってて」


「ん?あぁ分かった……」


霧也の前を一度去ると、妃貴はその友達の元へと駆けていき、話し始める。遠巻きに眺めていた霧也は、その友達がグッドサインを出していることに疑問を抱いたまま妃貴を待っていた。


友達と仲睦まじい様子を見せる幼馴染を待つこと二分ほど、話し終えた妃貴が霧也の元へと駆け寄った。そして、上目遣いで霧也に問う。


「霧也、お昼ご飯ってもう食べた?」


「いや、まだだが。それがどうした?」


「あたしらもまだだからさ、一緒に食べようよ」


「……は?」


こうして霧也は数名の女子と共にフードコートへ連行されるのだった。

フードコートには、昼ということで多くの家族連れや学生で賑わいを見せていた。開いている席を見つけることに困難を極める中、何とか席を捉えた四人は、それぞれが注文した料理を食べながら談笑に花を咲かせていた。ただ一人、子犬のように怯える男を除いては。


「ねぇ、さっきから箸進んでないけど。麵伸びちゃうよ?」


「な、なにを言っている妃貴。全く平気だが」


「そうは言ってもねぇ……」


妃貴はさっきからうどんの麺を二本ずつ口にしている霧也を気にかけていた。よく見れば箸の先も小刻みに震えている。考えてみれば当然のことだった。名前も顔も知らない女子二人を前にして、霧也が平然としていられるわけがなかったのだ。


「俺のことは気にせずお前も食えよ」


「……なんかごめんね」


慈悲をふんだんにこめた謝辞を送り妃貴も再度食事に戻る。瞬間、霧也の正面に座っていた女友達が動き出した。


「ていうかキミ、あんま元気なさそうだけど、大丈夫?」


「へっ!?」


「いや、おどろきすぎっしょ」


「あ……えっと……」


急にストレートを喰らい動揺する霧也。現在脳内で稼働しているCPUはフル稼働であり、同時にキャパオーバーであった。そこに間髪入れずに入る女友達、基陽キャからの追撃。


「本屋で何してたん?なんか買ってたの?」


「あ、えっと、漫画とかを……」


「へぇ~。どんなの?」


「えっ、多分言っても分からないと思うけど……?」


「いいからいいから。わかんなくても大丈夫だし」


「え、えっと……」


「大丈夫?顔色少し悪いけど」


女友達の言う通り、顔は少しずつ青ざめていく。この時既にに霧也の心臓は今までにないほど拍動を早めていた。


(なんか、なんか答えないと……!でもこの表紙を見せたら妃貴にもドン引きされるんじゃないか?なら裏返しにする?……いや、ダメだ!どうせ表にされる!!でも答えないと……でも……)


俯き、思考を巡らせる。だが案はすべて他の可能性に淘汰され、水泡に帰していく。もう黙ることしかできないと腹をくくる覚悟を決めようとしたとき、隣に座っていた妃貴が音を上げた。


「ごめんね~二人とも。こいつ、女子苦手でさ。今急に話しかけられて気が動転しちゃってて。ちょっと落ち着かせてきてもいい?」


「あ~ね。そういうことね。なんかごめんね?」


「大丈夫大丈夫。誘った私も私だし。ね?霧也?」


「あ、うん……気にしないで」


妃貴の救済により、霧也は何とか気を取り戻した。少し落ち着いたのを見計らい、妃貴はトレイを片付け、霧也を連れた。


「んじゃ、ちょっくら行ってくるから待ってて」


「うい~」


そうして女友達二人から見送られて、フードコートを後にした。

俺の手を引きぐんぐんと前へと進み、どこかへ俺を連れていく妃貴。その背中からは少しの焦りを感じて、俺はなんだか胸が罪悪感で満たされていく。


妃貴が歩みを止めたのはフードコートとは打って変わって人気のないベンチだった。妃貴はそこに座ると隣に座るよう促してきたので、俺は言われた通りにそこに腰をかけた。


「で、大丈夫なの?だいぶ顔色悪かったけど」


「まぁ……ヤバかったな」


「だろうと思ってたよ」


腰をかけて意気消沈する俺を心配する妃貴。その声には多少の疲れが混じっていて、なんとも言えない罪悪感に駆られてしまう。俺は妃貴から渡されたカフェラテを口にしながら深く呼吸をする。


「なんか……ごめんな。いつもこんな感じで」


「ん?」


「いつもお前に迷惑かけてさ、今回だって助けられちゃって……渚乃さんのことだって、色々……」


「……はぁ」


弱々しく謝罪を口にして俯く俺の頭上に降りかかってきたのは、慰めではなく溜息だった。呆れているような、でも既に分かっていたような。そんな溜息だった。


「あのさ」


妃貴は俺の肩を軽く叩いた。頭を持ち上げ、視線を合わせると、そこには溜息で感じた雰囲気とは打って変わり、慈愛と安心感に包まれた顔でにこやかに笑う妃貴が写った。呆けている俺を置いて、妃貴は話を続ける。


「迷惑なんて、とうの昔からかけられてるから慣れちゃったよ。それに、別に霧也からかけられる迷惑とか嫌じゃないし。確かに扱いづらいけど、悪いやつじゃないから」


「そうかな」


「そうだよ。だからあたしに迷惑とか、あんま考えなくてもいいの。いちいちそういうこと考えるのめんどくさいし」


「そっか……ありがとう。これからも頼らせてもらう」


「おう、お互い様だぞ」


妃貴は俺の前に拳を突き出してきた。グータッチ、ということなのだろう。そうくみ取った俺もまた、手を握りしめ、


「あぁ、お互い様」


自分の拳を軽く当てた。

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