#5 美女の前だと手も足も声すら出ない
霧也と妃貴がまるで運命的な出会いを果たしてから、今日で二週間の時が経つ。見慣れつつある通学路の役目を終えた桜は、既にその枝から美麗を手放していた。
桜は散り際もまた一興ということをよく理解していた霧也は、吸い付くようにその桜を虚ろな目で眺めながらとぼとぼと歩いていた。
とぼとぼ、とは言えどあまりにものろまに歩くもので、ただ橋を渡るだけなのに使った時間は既に五分。通行人も訝しげに霧也を一瞥している。
(うん……いい、いいね)
周囲の冷たい眼差しなどそっちのけで桜に想いを馳せる霧也。あまりにも美しい景色に瞳を吸い付くどころか奪われていた霧也は、背中ががら空きなことなんて意識下にも置いていなかった。
背後十メートルに潜む影、妃貴は霧也を目にしてからというもの気づかれないように抜き足差し足で進むことに尽力していた。霧也と違って、こちらは周囲から怪しい人認定されていることには重々承知である。
霧也に気付かれないままその距離五メートルまで差し掛かったところで、妃貴は立ち止まりスタンディングスタートの構えになる。周囲に人がいなくり邪魔にならないタイミングを見計らい、妃貴は強く地面を蹴って駆けだした。刹那、霧也の背中には、あたかも水牛が突進してきたかのような衝撃が走った。
「んごっ!?…んぐぐぐぐ……」
「あっはっはっはっは!!」
突然の衝撃に道端でも構わずうずくまり悶える霧也。暗転する視界の中、霧也の耳に入ってきたのは勝ち誇った幼馴染の笑い声。してやられた霧也にはたった一人の笑い声ですら雑踏のように聞こえて大変気分が悪かった。
痛みが引き渋々体を起こした霧也は、まず元凶である妃貴を睨みつけた。
「なんで、こんなことを……。恨みを買うようなことはした覚えなどない……」
「別に霧也は悪くないよ。なんかどつきたい気分だったから」
「どつきたい気分ってなんだどつきたい気分って……。普通に肩叩くとかできないのかお前は」
「ごめん、叩くとかすると力の制御ができなくて……」
「どこ星人なんだお前は。ならばなおさら突進とかアウトだろ」
「まぁまぁ、幼馴染のよしみで許してくれよ」
「それお前だけが使える権限だけど濫用するなよ」
なんとか痛みに耐え立ち上がると、ケラケラ笑う妃貴の背後からペタペタと走ってくる女子が見えた。急にダッシュする妃貴に置いて行かれ追いつくために走ってきたみたいだった。
「はぁっ……はぁっ……急に、走らないでよ……」
そんなに距離はなかったはずだが息も絶え絶えにさせる、多分妃貴の友人の女の子。体力がない様をさらけ出す彼女は、額から汗を流しながら苦言を放った。
「いや~なんかごめんね、こいつがいたもんだから、つい」
「こいつ?……あぁ、彼のことね」
彼女は妃貴の指す「こいつ」に目を向けた。当然、彼女を見ていた霧也は彼女と目が合うわけで。
視線が一直線上で交わった時、霧也は急に身体の危機を覚えた。
(美、少……女!?)
途端、霧也は顔が青ざめていくのを感じる。同時に襲ってくる腹痛に、さらに顔を歪める。
「大丈夫?顔色が……あぁ、『アレ』か」
「そう、それだ。すまんが俺は先に行く」
即座にその彼女から視線を外しなんとか体制を立て直した霧也は、そのまま少し覚束ない足取りで学校へ向かった。背中を見送る妃貴に、その彼女は問いかけた。
「わ、私なんかしちゃった?」
「い~や、全然悪くないから気負いしなくていいよ。悪いの全部あいつだし前からあんな感じだから」
「そ、そうなんだ。なんか特殊だね」
「そこは正直に頭おかしいって言ってくれていいよ。てか、早く行かないと!」
同じ背中を心配そうな目で見つめる彼女を宥め、妃貴は彼女を急かし霧也の後を追った。
◇
(あぁ……死ぬかと思った……)
席に着きそのまま机に突っ伏す霧也。腹痛は学校に近づくにつれ回復していき、なんとかお手洗いに駆け込む羽目にならずに済んだ。気を紛らわすためにスマホを開き、推している配信者のファンアートを巡回する。するとどんな特攻効果か、見ていくうちにどんどん回復していった。
(やっぱり推しの存在は凄いなぁ……癌になっても全身複雑骨折してもこれ見ればすぐ回復しそう)
どんな良薬よりも効くイラストを心ゆくまで堪能し、ふと顔を上げるとほぼ同じタイミングで教室に入ってきた妃貴が目に入った。
「あれ、霧也意外と余裕そうじゃん、大丈夫?」
「あぁ、なんとかな。推し眺めてたら回復した」
「あっは、ちゃんとキモいね」
「ちゃんとキモいってなんだよ」
のほほんとした霧也の様子を見た妃貴はほっと胸を撫でおろした。イラストに夢中な霧也を前に、真剣な声色で問いかける。
「ねぇ、まだ治ってないの?」
「女子が苦手なことか?そうだな、まだ克服には時間がかかりそうだ」
「そっか……」
今回の体調不良は、妃貴の隣にいた「連れ」の存在がトリガーとなって起きた出来事だった。
霧也は『女子』という存在がひどく苦手である。中学生時代、思春期に突入してから急に自分の立ち位置を気にするようになり、相手から悪い印象を持たれないようにと動いている内に、それが酷いストレスになりいつの間にか『女子』そのものを嫌とするようになっていた。
霧也が高校デビューにより変わったのはあくまで外面であり、女子が苦手であることは少しも克服の目途は立っていなかった。遠目に見るくらいならまだ影響はないのだが、近距離になると起こしてしまうという、言わばアレルギーのようななんとも難儀な身体である。
それが、今回立ち会ったのは誰もが振り返るレベルの異性の美人である。緊張、畏怖、根本的な苦手意識、色々な激情が折り重なり、一時的な体調不良を起こしてしまったのだ。遠目に見るくらいならまだ影響はないのだが、近距離になると起こしてしまうという、言わばアレルギーのようななんとも難儀な身体である。
ちなみに妃貴については、思春期前から付き合っていたため対象外である。
「ふ~ん、じゃあお昼あの子と一緒に食べてみよっか?」
「……は?何馬鹿なこといってるんだ?」
「いやいや、一緒に食べようって言ってるの。いっつもぼっち飯なんだから予定はがら空きでしょ?」
「うぐ……まぁがら空きだが、お前あの反応を見ても俺を誘おうって言うのか?」
「女子が苦手でどうやってラブコメ主人公しようって言うんだお前は……。勝ち主人公になるためにも少しでも克服しておくべき、でしょ?」
「……そうだな。わかった」
「よし、じゃ決定ね~」
そう言い、スマホを操作する妃貴。渋々決定した霧也は、後々自分に降りかかる危険を考え身を震わせていた。後々襲ってくる制裁に怯えながら午前中の授業を過ごさなければならないと思うと、恐怖で震えは増すばかりであった。
「てか何震えてんの?そんな怖い?」
「いや怖いもんは怖いが……。だってアレルギー物質投与されると思うと怖いだろ?」
「いやアレルギーて……あたし達をそんな有害物質みたいにさ」
「俺にとってはそういうもんなんだよ」
「ふ~ん……」
猫のようにぶるぶる震える霧也を横目に、妃貴はニヒルな笑みを浮かべた。嘲るような、そんな目で。
「じゃあ、あたしも有害なんだ?」
「は?別にお前は有害じゃないだろ?今ここにいても何ともないのが証拠だ。」
「ならよかった。もしもなんかあったら大変だし今回はあたしも同伴してあげるよ」
「今回は、か……。まぁ、頼りにしてるよ」
「頼りにされたよ」
霧也の安堵した表情を見て、妃貴は嬉しげに携帯に指を滑らせるのだった。
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