#1 全てはこの日のために

外の景色が冬に奪われた桃色を取り戻した四月の朝、テレビでやっている情報番組はどのチャンネルも入学シーズンについて報道していた。新しい制服に身を包んだ少年、齋条霧也さいじょうきりやは表面にバターがまんべんなく塗られたトーストに舌鼓を打ちながら画面に映る新入生をボーっと眺めていた。


「どいつもこいつも新入生のくせに調子に乗って髪を遊ばせやがって……とても同期には見えん」


そう誰に言うでもなく独り言つ。霧也は最近の学生を忌み嫌っていた。特に男女数人で構成されているリア充グループを敵視している。春はいつの間にか出来たグループの親睦を深め、夏はみんなで海へバカンス、秋は遠出してキャンプ、冬はイルミネーションも伴ったいい感じの雰囲気のままゴールイン……リアルとひどく遠のいた脳内リア充は、霧也の青春コンプレックスを増幅させていた。


勝手な偏見の暴れるままに勝手な妄想をして萎えて、このループを一か月前から今日までほぼ毎日続けている。

つまるところ自虐である。


霧也は朝食を平らげるなり、急ぐように洗面台へ向かった。そして鏡に映る自分を見るなり、前髪をちょいちょいと弄り始めた。誰よりも見た目を気にしていたのは霧也だった。 


霧也は「ある目標」のために約一年の間努力を進めていた。

千円カットから脱却し、名の通った美容室に出向いた。

年上の陽キャの友人に頼み込み、季節と自分にあった服を買った。

防弾ガラスのように分厚いレンズだった眼鏡をコンタクトに変え、目元は綺麗というポテンシャルを最大限に生かした。

少しの運動を習慣化させ根暗な印象を与える猫背を正した。

ラブコメを読み漁り、「主人公」像を学んだ。


野暮ったい自分を捨て、新しい自分を努力で手に入れる手段、「垢抜け」。垢の払われた霧也は、もう誰もモブとは言わせまいというほど凛としていた。


自分を捨てることに少し抵抗はあったものの、こうして「モブの霧也」ではなく「主人公の霧也」へとグレードアップした。


(こうなってしまったからにはもう引き返せない。この高校生活、隣の席の美少女とハイスクールラブコメライフを送って最高のゴールテープを切らねばならないっ!!必ずラブコメ主人公の道を貫き通して見せるっ!!!)


そう決意し、腕を天に祈るように掲げた。既に自分がラブコメ主人公と錯覚している霧也には、一方通行の成功するルートしか見えていなかった。


「何してんだお前。新入生はもうそろそろ行かないと遅れるんじゃないのか」


大人びた女性の声がした。声のした方を向くと姉がこっちを冷めた眼差しで見ているではないか。


「なっ……いつの間に……。ていうか、俺が遅れるならお前はどうなんだよ?」


「入学式は午後から。私にはまだ余裕ある。……ほら」


そう呟き、姉は時計を指さした。時計は霧也に出遅れを知らせていた。


「あぁやっばい!!行ってくる!!」


そう言い、親の方を振り向くまでもなく玄関を飛び出した。

なだらかに吹く季節の息吹が頬を優しく撫でる春空は、幸い雲一割ほどの快晴に恵まれた。初めて踏む高校の通学路の橋の上からは、麗しい桃源郷が望めた。

大らかにゆったりと流れる河川、等間隔に満開を披露する桜木、町でも有名な花見スポットは、今年も準備万端の限りを尽くしていた。


桃源郷から前を歩く生徒に目を向ける。ぱっと見分かるのは、この高校の生徒の個性は強い、ということ。明らかにバスケ部向きな人、生徒会に入ってそうな人、アイドルみたいにイケメンな人、マドンナの箔付きみたいな人……この面子の中で主人公に君臨しなければならないと思うと、霧也は気合に反して気圧されてしまう。


(いいや、気後れしてはいけない……この中で勝ち抜いて初めて俺は主人公になれるんだから……)


不安感に苛まれながら歩を進める。少し猫背気味になってしまい見かけに寄らず陰キャ気味に見えてしまう。

仕方なく周囲を見渡すが、見渡せば見渡すほど自分の存在感がどんどん小さくなっていく気がして。


このままでは粒子レベルに達してしまうと危機感を覚え、とりあえず自分が出会うであろうヒロインの姿を妄想する。


脳裏に浮かぶは、テンプレ的によく見る面々。隣の席の美少女、転校生の外国人美少女留学生、現実ではほとんどあり得ない曲がり角でぶつかる転校生、家が向かいで毎朝勝手に家に入っては起こしに来る幼馴染……


(幼馴染……)


そこまで考えたところで、かつて自分のそばにいたはずの幼馴染の姿を思い浮かべる。あの頃はいるのが当たり前のように思っていた。このまま高校、大学、社会人……と、一緒に自分のペースで先を歩んでいくと思っていた。でもそれはあくまで勝手な自分の考えで。考えていたビジョンとは一転、突然隣に大きな空白が空いた。


(今頃元気にしてるかな……)


もう一度会いたい、という本心に背を向け、幼馴染の背を見送るようにそう考えるようにするたびに、妙に感傷的になってしまう。失ってから気づくことがは多いとよく聞くがこんな形で体感するとは、と霧也は大きく溜息を吐いた。


(いやいや、ここで落ち込んではいけない……。幼馴染の枠がいなくたってまだまだヒロインには可能性があるじゃないか)


急降下した気持ちを誤魔化す様に奮い立たせながら歩いていると、気づけば霧也は校門の前まで着いていた。眼前に広がる、凛と佇む校舎に霧也は感嘆の息を吐いた。


私立彩凛高校は、県内全体で名を馳せ、全国でもその名誉を走らせている名門校。名門大学への進学率が極めて高いことで有名なこの高校には、毎年大勢の志願者が現れる。が、入学できる生徒はほんの一握り。


その理由は、絶壁と称される入学試験に他ならなかった。高倍率に、入れさせる気がしない入試。この二つの壁を登り切った者、エリートのみが集う高校となっている。ちなみに面接は大人の事情で撤廃された。


そんな正しき学び舎は、その風貌も実に華やかであった。ラブコメでよく見る、西洋のお屋敷のような見た目ではなく、現代風のコンクリートやガラスの多い造り。遠巻きに見ると公立校と何ら変わりないように見えるが、近くまで来て全貌を眺めると話は変わる。厳格で、高貴。彩凛の名に相応しい校舎であった。


(おぉ……)


そんな気高き高校に入学した霧也であったが、その裏面にはかなり崖っぷちという側面があった。正直この高校に入学する気は、最初はなかった。こんな難易度の高い高校に入るビジョンも、予定もなかったのだ。


だが中学三年の中盤になって、「あれ、ラブコメに出てくる学校って大体レベル高いな……」ということに気付き、親に「将来を考える気になったからここにしたい」と嘘を付き急遽路線変更。急ピッチで勉強し何とかギリギリ合格圏内……といった流れで、現在霧也はここに立っている。


なんと安直でアホらしい理由だろう。ちなみに親からは「お前の好きにしろ」と言われた。


初めて足を踏み入れる名門校は、単なる歩道とは空気が変わり重く感じた。周りの生徒の背中も急に広く見えてきて、その風格に気圧され足が止まってしまう。

自分は本当にここにいていいのか、実は絶対不可侵領域なのでは、と疑心暗鬼になりながら数歩、歩みを進めた時だった。


「えっ……霧也……?」


音源はちょうど背後、自分を呼ぶ少女の声に、霧也は足を止めた。妙に、耳に違和感なく通る声。聞きなじみが大いにあり、安心感を与えてくれるその声は、霧也を反射的に振り返らせていた。


「……は?」


振り返り視界に入った、その声の主。その風貌をはっきり捉えた霧也は、一つ間抜けた声を発し硬直した。


目線、数メートル先。そこには、かつて自分の前から姿を消した幼馴染、山宮妃貴やまみやひだかは、こちらの顔を伺うなり初対面の男を見るかのような目でこちらをまっすぐ見つめていた。

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