第4話下町育ちの江戸っ子ギャル、湯島ナツキ

 ジョウジとアオイがツバサの行く末を密かに心配していると、


「うおおお! 寝すぎたぁ!」


 ロフトのほうから、突如怒鳴り声が聞こえた。


「うわっ。なんッスか?!」


 アオイは反射的に首をすくめる。


 ジョウジがロフトを見上げると、黒のセーラー服を身にまとった女性がぴょんぴょんと飛び跳ねながら、木製の階段を降りてきた。


「あ、やだ。アンタたち、来てたの? 起こしてよお」


 階段から降りてきた女性は、先ほどの怒鳴り声とは打って変わり、少し鼻にかかったような、アニメ声優を思わせる声でジョウジ達三人に話しかけてきた。


「なんだよ、姉貴。いたのかよ」


「そりゃいるでしょ。ここはアタシの家でもあるんだから。ねー? ツバサ?」


 黒セーラーの女は、かがんでツバサのほほにキスをしようとしたが、ツバサはすたこらさっさとダイニングを横切り、リビングのソファに逃げるように身をうずめた。


 黒セーラーの女は、湯島ナツキという。キョウダイの最年長である。


「お姉、なんで女子高生みたいな格好してるんスか?!」


 アオイの声は戸惑っていた。しかし、ナツキは全く意に介さない。


「アオイ、アンタいいところに気が付くじゃなーい。どう? 似合うっしょ? ほら、お姉だって、ほんの数年前までは花の女子高生だったわけだしさあ、全く違和感ないっしょ?」


 ナツキは、背中まで届く明るいベージュの髪をわざとらしく手ですいた後、くるりと一回転し、ダブルピースして首をかしげた。


「お姉、言いづらいんスけど……ちょっと年齢的にしんどいッス……」


 アオイの冷たい声を聞いて、ナツキはガクっと崩れ落ちた。


「アオイ、何言ってんの? お姉はまだ二十五歳なんだからね?! 二十五歳っていったら、全然ピチピチなヤングだから。それにこの間お店に来たお客さんが言ってたよ? 『女は三十路からだよな』って。つまり、三十路前の女はまだ少女ってことで、こういう若い格好をしても全然セーフだし、お姉がセーラー服を着るのは合法なの。わかった?」


「わかったッス。何も問題ないッスね」


 声を震わせながら、笑いと感情をかみ殺した返事をした後、アオイはジョウジに向けて肩をすくめた。ジョウジは思わず顔を伏せた。


 ナツキは元々六本木のキャバクラでキャストとして働いていたが、一年前に辞め、地元である葛飾・柴又に戻っていた。現在は地元のスナックでホステスとして働いている。彼女の言う「お店」とは自分が勤めているスナックのことである。

 

「ナツ姉ちゃん、その制服さ、ぜーんぶ自分で着しぇだの?(着せたの?) わだすも洋服着替えてえけど、難しぐってできね」


 いつの間にかソファからナツキのところに戻ってきたツバサは、ナツキの周囲をぐるぐる周りながら、興味深そうに制服を眺めた。


「ううん、最初は自分でやろうと思ったんだけどさあ、ぜんっぜんわかんなくて。結局ジョウジに全部やってもらった。ガハハハ! まあ、いいの。お姉のパソコンスキルは死んでるから。お姉はね、パソコンはエッチな画像を探すための家電だと思ってるから。その他の難しいことはジョウジみたいな取り巻きの男どもにやらせるからいいの。それにしても、ジョウジってヤンキーのくせにパソコン詳しいよねー」


「もうヤンキーじゃねえよ……まあITスキルを磨いたのは不良時代だけどな。アウトローなやつらは、シノギになるんだったらなんでもやるからよ。オレの場合、それがたまたまIT系だったってだけだ」


 そんなジョウジの自分語りを全く無視して、アオイが「あ!」と大きな声を上げた。


「そうだ、そんなことよりお姉、大変ッスよ。ツバサがまた変なこと言ってるッス」


「どうしたの、ツバサ。――あ、わかった。まーた学校でエッチないたずらしたんでしょ。だめだって言ったじゃん。この間だってさあ、担任の先生の着替え覗いて怒られたでしょ? 『女子生徒が女の先生の着替えを覗くなんて、我が校始まって以来です』って校長先生から言われたって聞いたよ?」


 ツバサは、プイっと顔を背けた。


「変なことなんて言ってねえず。アオ姉ちゃんがあんぽんたんだって話をしただけだず」


 ここで、ナツキはようやくツバサの胸が不自然に膨らんでいることに気がついたようで、かがんでツバサの胸元を凝視した。


「アンタなにこの胸?! どうしたのこれ」

 

「そうなんスよ……マリカで勝ったら胸触らせろっていう意味不明な要求をしてきて、そしたらおっぺえが急にパンパンに膨らんで……最近の小学生は何考えてるのかわかんないッス」


 こんなことをするのはツバサくらいのもんで、一緒くたにまとめられては全国の小学生もたまったものではないだろうとジョウジは思った。


「ナツ姉ちゃん、これ、すんげえべ? このおっぺえ、ぜーんぶ、自分で改変したんだず」


 甲高い声を明るく弾ませて、ツバサはナツキに向かって胸を突き出した。


「ダメよ、ツバサ。前に先生の着替え覗いたとき、お姉と約束したでしょ。エッチなことするのは一ヶ月間禁止」


 一ヶ月間禁止。では、一ヶ月経過したらどんなエロいことをしてもよいのか。ナツキが設けたその罰則もどうなんだ、とジョウジは考えたが、口を挟んだら話がややこしくなりそうなので、ジョウジは静観することにした。


「でも、キョウダイのおっぺえを触るのはセーフだべ?」


 いや、そもそもキョウダイのおっぺえに興味を持つなよ。


 ジョウジは心の中でつぶやいた。キョウダイの会話を聞いていると、どこからツッコんでいいのかわからなくなるので、ジョウジは考えるのをやめた。


「ダメ。どうしても触りたければ、お姉ので我慢しなさい」


「やんだ、やんだ! わだすは現役JKのおっぺえが触りたいんだず! ナツ姉ちゃんの年増おっぺえなんて、興味ねえんだず!」


 ツバサはジタバタと手足を振って、ダダをこねた。


「ちょっとツバサ? 何言ってんの? お姉のおっぱい触りたい男なんて世の中にいっぱいいるんだよ? もうそれこそさ、お姉が前に働いていた六本木でこんなことやったら、もう男どもが群がって大変だったと思うよ? あ、それともおパンツのほうがよかった? しようがないなあ、ほれ、ほれ」


 ナツキはスカートの裾をつまんで、パタパタと上げ下げした。


「ぎゃー! グロ注意ッス!」


「うっわ、ふざけんなよ、見ちまったじゃねえか……食事前だっつーのに」


「みんな、ひどいよ……。お姉がこんなにサービスしてるのにさ、グロいだの、しんどいだの言ってさ。傷ついた。傷ついたよ、お姉は。お姉はこんなにアンタたちを愛してるんだから、それと同等の愛をアンタたちにも要求します。ほら、アオイ、ツバサ、おいで。お姉とチュッチュしよ。あ、待って、なんで、なんで逃げるの? ひどい、ひどいよ。もっとお姉を愛してよおお!!!!」


 キョウダイをこよなく愛しているが、愛が重すぎてキョウダイからぞんざいに扱われる女。


 派手な顔立ちとメリハリのきいたボディを持ちながら、それを一切使わず、自らピエロを演じる芸風とアニメ声で、六本木キャバ嬢の頂点に立った女。


 場末で昭和な雰囲気を全身にまとう、下町育ちの江戸っ子ギャル、それが湯島ナツキだった。


「でもさ、ほんとこの制服かわいくない? よく出来てるよねー」


 キョウダイたちに慰められて元気になったナツキは、両手を広げてみせた。


「うーん、たしかに。その白い蝶タイがかわいいッスね。でもどうッスか? ジブンの制服もかなりレベル高くないッスか?」


 今度はアオイがナツキ、ツバサに対して自分のファッションを自慢し始めた。


「わだすのもかわいいべ? ほれ、見てけろ、このベレー帽」


 三人が三人、自分の着こなしを自慢し、お互いがお互いを褒めあう時間が続いた。

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