私の名前は

 二人で街の門に向かう。

 パティアの荷物は小さなずだ袋一つ。それで全部らしい。

 門への道中で気付いた。パティアが、嬉しそうに辺りを見回していると。

 私にとって見慣れた、見慣れ過ぎたこの街は魅力的でもなんでもない。

 古臭い石畳に、煤けた看板。街の人達は特別お洒落でもなく、石と木と土でできた家々も野暮ったい。まあ、それがいいんだけど。

 でも、パティアには違うものが見えていた。

 いや、同じものが違う姿に見えていた。今ご機嫌な様子で街を歩く彼女も、そんな街の姿を見ているに違いない。


 無数の足に磨かれた石畳に、歴史を感じる看板。優しく純朴な人々(マドル除く)に、伝統的な造りの趣ある家々。

 童話に描かれるような、美しい街。

 なぜこんな風に見えているのか。

 その理由は、彼女の過去にあった。憑依した時に見てしまった、エルフの少女のおぼろげな記憶。

 

 彼女の両親は昔、この街に住んでいた。

 何らかの理由で街を離れ、辺境に移り住んでパティアを産み育てたらしい。

 らしいというのは、パティア自身も伝聞でしか知らないからだ。パティアを愛し育てた両親は彼女が物心付くかつかないかの頃、亡くなってしまった。

 経緯は分からないが、天涯孤独となったパティアはその後例の武術の師匠に育てられた。たぶん両親の知り合いか何かだったんだろう。

 パティアには両親の記憶はほとんどない。しかし、赤ちゃんの頃から聞かされた街の話、両親の望郷の想いは確かに彼女の心に刻まれていた。両親ともに、いつか三人で訪れたかったに違いない。

 つまりこの街は彼女にとって、とても大事な親との絆なのだ。


『……今更だけど、ありがとう』

 前を歩くパティアの背に声をかけた。彼女が立ち止まる。

「何がですか?」

『この街のために戦ってくれて』

 パティアが首を振った。

「レイさんが助けてくれなかったら、死んでいました。お礼を言うのは私の方です」 

『うん、まあ、それは受け取っとく。でも私の気持ちも受け取って。もしかしたら、これで最後かもしれないし』

 彼女はもうこの街を出る。もし私が門を出られなかったら、そこでお別れだ。

「そう……ですね。じゃあ、はい。受け取りました!どういたしまして」

『私も、どういたしまして』

 私はわざとおどけたように言って、緊張を隠した。


 門までもう少し、というところでマドルが現れた。

「おい」

 おい、ってキミさあ。

「こんにちは」

「お前、街を出るのか?」

「はい」

「そうか……」

 なんかマドルの様子がおかしい。らしくもなくもじもじして。……あ、さてはこいつ。私の中で久々に悪戯心がむくむくと顔を出した。

『あ、そういえばマドルって、お母さんの焼いてくれるパンケーキが大好きだったような。……どうだったっけかなあ……気になるなあ……ちょっと聞いてみてくれる?』

 我ながらあからさまにわざとらしい言葉だけど、パティアは怪しむ様子もなく従った。

「えっ?はい。あの、マドルさんてお母さんのパンケーキが好きなんですか?」

「なっ、パ、パン……!?」

 マドルの顔が真っ赤になる。好きなんだろ?正直になりなよ。

「違うんですか?好きじゃないんですか?」

「っす、すす、好きじゃねえし!」

 マドルの顔がさらに赤くなる。ここまでクリティカルヒットするとは思わなかった。いやぁ、青春だねえ……。

「お、俺は忙しいんだ!あ、あばよ!元気でな!」

「……行っちゃいましたね。なんだったんでしょう?あと、パンケーキ好きじゃないんですって」

『ああ、うん、そうだね』

 すまんなマドル。もうちょっと地に足つけてから彼女を探せ。帰ってパンケーキを食え。はちみつたっぷりのやつをね。


 マドルを清涼剤にしても、受験の合否を見に行くような緊張は消えなかった。

「さ、着きましたよ!」

『……』

 門。上に見張り台のついた、それなりに頑丈な石作りの門だ。農作業の人や旅人が時折出入りする、街の玄関口。門番が気だるげに立つここに、私はあまり来ない。街から出られない自分の不自由さを突き付けられる気がするからだ。

 

「どうします?私が出ていってみましょうか?」

『いや……もう少し進んで』

「はい」

『……止まって』

 パティアが立ち止まったそこは、門の真下。地縛霊になって間もない頃、私が何度も越えようとして越えられなかった街と外の境界。

 私の世界の、果て。

 

『自分で試す』

 自力でもパティアからある程度は離れられる。そのパティアは今、境界の真上にいる。私がもう街に縛られていないなら、その向こうへ行けるはずだ。

『ふぅーっ』

 心臓が止まりそうなほどの緊張と不安を、深呼吸にして吐き出す。

 目を閉じる。前に進む。

 

 ……。

 どのくらい進んだ?

 分からない。


 ……。

 もう街の外なのかな?

 分からない。

 

 その時、ぐっと引っ張られるように身体が止まる。

 ……ああ、やっぱりダメか。


「レイさん?」

 パティアの声が、思ったより後ろから聞こえた。

 ……後ろ?

 その時私は、確かに自分を吹き抜ける風を感じて目を開けた。


 息を呑んだ。

 視界いっぱいに、青空と、大地が広がった。


 ああ……

 ああ……っ!!

 出られた……!外に、出られた……!!

 

 振り向くと、キョロキョロするパティアと怪訝な顔をする門番の姿。

 声を掛ける前に、もう一度前を向く。

 パティアには何の変哲もない空と地面と、街道に見えるのだろう。

 けど私には……二百年出られなかった壁の外に出た私には、違うものが見えていた。私とパティアで、街の姿が違って見えるように。

 同じものが、違う姿に見えていた。


 二百年、かぁ……。長かったなあ。


 何かが込み上げてきた。 

 ……あ、ヤバい。

 止めようとした時には、心の決壊はもう止められなかった。

 

 二百年。

 そう、二百年……!

 二百年ずっと!

 ホントは悔しかった!

 寂しかった!

 なんで私がこんな目に、って思ってた!

 ふざけんな、って思ってた!

 誰も私を見てくれない!

 名前も呼んでくれない!

 拷問のような二百年!


『っ……!』

 流れないはずの涙で、視界がぼやけた。


 チート転生も、最強の魔力も、どうでもいい!

 ずっと自分を誤魔化してた!

 もし街とパティア、どちらか選べるなら!

 私は!

 

 ただ名前を呼んで欲しかった!

 声を聞いて欲しかった!

 誰かと一緒に笑いたかった!

 街の外に、出たかった!

 

 私は……!

 自由になりたかった!


 けど見なさい!

 

 今は!

 街の外に出られる!

 声を聞いてくれる人がいる!

 名前を呼んでくれる人がいる!


『うおーーーっ!!!』


 左腕を突き上げ、思い切り叫んだ。

 これは勝どきだ!

 私を苦しめ続けた二百年への勝利宣言だ!


 どうだ!見たか!

 私は勝った!

 お前に勝ったぞ! 

 奪われた名前は、もういらない!

 

 私はレイ!

 私の名前は、レイだ!

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