幽霊なのに、死闘だなんて

 ぶぅん!

 黒い剛腕が空を切った。振り終わりの腕に当たったテーブルが吹き飛ばされ、壁に当たってバラバラに砕ける。

 黒い魔物と、エルフの少女パティアが相対していた。キラーベアなら倒せるような口ぶりだった彼女は、実際強かった。大振りな魔物の攻撃をかわし、視界の悪い中でも的確にヒットアンドアウェイを守っている。でも……

「はっ、はっ……!」

 息が荒い。緊張と焦りが余計な酸素を消費しているんだろう。

「せっ!」

 それでも彼女は果敢に攻める。相手の隙に距離を詰めては、黒い身体に拳を叩き込む。キラーベアなら倒せただろうその拳打は、効いていなくはない。怯んだそいつは激昂したように眼を剥き、唇を歪ませる。

『シャドウベアに打撃は効きづらいんだよ……』

 私は悲痛な気持ちを吐き出す。助言したくてもできない。白く長い脚がステップを刻む様を、私は傍観するしかない。

 

 シャドウベア。それがこの漆黒の魔獣の名前だ。影に溶け込む隠密能力を持つ狡猾な魔物。だから見つからなかった。私は魔物図鑑でたまたま知っていたけど、パティアは知らないらしい。知っていたら、魔法を使っているはずだ。

 

 そう、魔法。シャドウベアはキラーベアより防御力に優れる分魔法に弱い。特に火の魔法はよく効く。シャドウベアが出没する地域では、こいつのためだけに火の魔法使いを雇う冒険者がいるほどだ。パティアが格闘戦にこだわりがあるのか知らないけど、火の魔法を使えば簡単に倒せる。ああ、もどかしい!こういう時、幽霊の自分が本当に恨めしい。

 

「ふっ!ふぅっ!」

 一分にも満たない攻防で、パティアの息がさらに上がる。一方のシャドウベアは、むしろ中途半端なダメージにさらに凶暴化したようにも見える。赤い目をさらに赤く血走らせ、床板をバキバキと踏み砕いて威圧している。

 

 当たった攻撃の数と、見た目の優劣が真逆だ。うまく回避と攻撃をし続けているパティアの方が、明らかに追い詰められている。

 

『なんでそんなに頑張るの!?一旦逃げて通報すれば……っ!』

 私は思わず叫んでしまった。当然聞こえるわけがない。

 そして思い出した。熊系の魔物全般の習性。獲物と定めた相手に執着する。つまり逃げたとしてもしつこく追ってくるし、逃げた先でシャドウベアが他の人に危害を及ぼしかねない。 

 パティアはキラーベアを知っていた。その習性も知っているはず。だから、逃げずに戦っているんだ。

 

『この子は……』

 どこまでいい子なんだ!?こうなったら私が寝てる誰かに取り憑いて通報するしかない。ええと、一番近い民家は……そう思った瞬間、再びシャドウベアの剛腕が唸った!パティアの頭目掛けた張り手!当たれば顔面がメチャメチャになるだろうそれを、パティアは手を添えていなしつつ身体をくるりと翻して避けた!

「せやっ!」

 回転の勢いそのまま、遠心力いっぱいの回し蹴りがシャドウベアの側頭部を捉えた!これは流石に効いたはず。そう思った。パティアもたぶん、そう思ったはずだ。だから回避が遅れた。

「ぁぐっ!」

『ひっ!!』

 思わず悲鳴を上げてしまった。丸太のように太い腕がパティアの身体にめり込み、鈍い音を立てながら吹き飛ばした!会心の一撃をもものともしないシャドウベアが、パティアの胴を薙ぎ払ったのだ!

 ばぎゃあっ、と音を立てて板壁を突き破ったパティアの身体が地面に転がる!

『ちょ、ちょっと!?大丈夫!?』

 慌てて駆け寄る。どう見ても大丈夫じゃない。オレンジの長髪を血溜まりのように地面に広げながらも、パティアが動いた。良かった、生きている。だがそれは、死んではいないと言った方が正しかった。

「うっ……げほっ!ごほっ!」

『!!』

 私の足元に、大量の血が吐き出された。月光の下ではただの黒い液体にしか見えないそれに、非情な現実を突きつけられる。内臓がやられている!今すぐ治癒術をかけなければならない重傷だ!

 思わず手で顔を覆う。

 

 ……ああ、ああ!

 こんな、こんな光景見たくない!

 幽霊になって二百年、こんな悲惨な光景は火事でしか見たことはない!

 避けられた!この事態は避けられたのに!私がすぐに誰かを探して、取り憑いて通報すれば良かった!意識の無い、誰かを!

 

 後悔と混乱に泣きそうな私の足元で、パティアはガクリと地面に倒れ伏してしまった。

 意識を失ったのだ。

 そう、意識を。

 

『っ……!』

 振り向く。小屋からシャドウベアがのそりと出てきた。蹴られた側頭部を気にしてはいるが、急ぐ様子もない。もう獲物は無力化したと考えているんだろう。

 

 動かない私の心臓が、早鐘を打った。待って待って、ホントに?私だけ……幽霊の私ただ一人だけに、今できることがあるなんて。こんな状況……だって、私は……幽霊で……傍観者で……

 

「頼まれないと、人助けってしちゃいけないんですか?」

 

 ついさっき聞いた、パティアの言葉がリフレインした。彼女はそうして、この街のために戦ったのだ。私の好きな、この街のために。

 ――覚悟を決めた。


「うぐぐ、い、いだいぃ……」

 激痛と血の味を感じた瞬間、なんてバカなことをしてるんだろうと後悔した。痛い、苦しい。頭がクラクラするし目も霞む。でももう、後戻りはできない。

 憑依したパティアの身体は、ほとんど言うことを聞かない。当然だ。もう瀕死、体力ゲージならミリ残りなんだから。

 でも大丈夫。私の魔法ならあいつを倒せる。エルフなら射程も精度も十分なはず!

 倒れたまま右手を掲げて、シャドウベアに向ける。ちょっと驚いた様子だけど、明らかに脅威とは思っていない。

 元転生者を舐めないでよね!チート魔力のパワーを見せてやる! 

「ば、ばーか……!」

 焼き尽くされるとも知らずにのこのこ近づいてきたシャドウベアに悪態をつきながら、私は炎の魔力を解き放った!手の平から紅蓮の業火が溢れ出す!それは瞬く間にシャドウベアの身体を包み……込まなかった。

「な、なんで!?」

 炎が飛ばない!張り付いたように手の平から離れない!……いや違う!放たれている!ただ射程が短すぎるだけだ!

「ウソでしょ!?」

 エルフなのに!まさかこの子、魔法の才能が無いの!?そんなの聞いてないよ!

 シャドウベアが迫る!なんとか体を起こし、地面を引きずるように少しでも距離を取る。

 一旦憑依すると、身体から抜け出るのにも集中しなければならない。この状況では難しい。え、もしかして……

「し、死ぬ……?」

 幽霊なのに死ぬなんて冗談じゃない!憑依した状態で死んだらどうなるかって?知るわけない!知りたくもない!

 シャドウベアの真っ赤な眼がこちらを見据えてる。嫌だ。来ないで。死にたくない!誰か、助けて……

 そんな想いに天が応えたのか、声が聞こえた。

「なん、ですか……これ?……幻聴?」

 誰の声?……いや、違う。これは“今の私”、つまりパティアの声だ!憑依中に意識が戻ったの!?二人分の意識が混ざって頭の中がぐるぐると混乱する。

 断片的なパティアの思考が、フラッシュバックめいて脳裏をよぎった。

 

 笑顔。憂いを帯びた優しい声。街の話。喪失感。鍛錬の日々。旅。そして、私の街。そうか、この子にとって、この街は…………

 

 刹那の思考は、激痛に吹き飛ばされた。 

「うぐぐぐ……」

 痛い痛い痛い!!パティアが無理矢理立ち上がろうとしている!体の主導権は元の持ち主だ!痛いって!!吐きそうなほどの痛みの中、震える足が身体を支えた。両手がひとりでに持ち上がり、構えを取る。ていうかこの子まだ戦う気!?

 視界の中、苛立たしげに唸ったシャドウベアが腕を振りかぶった!こ、殺される!


 不意に、体の中に未知の力を感じた。重い服を脱ぎさったように身体が軽くなる。

 もしかして、これが“気”?

 

 そこからの光景は、パティアの目を通してスローモーションに見えた。

 振り下ろされた黒い腕を、舞い散る木の葉のように避ける。爪が額を掠め、火傷のような熱さを感じた。それを無視して、身体は動く。

 呼吸。肺に激痛。

 顔を歪めながら拳を握り、全霊を込めて打ち出す。強く、鋭く、まっすぐに。

 決死の一撃が、赤く輝く眼窩に叩き込まれる!

 

 ――今だ。

 

 咄嗟の閃きか、二百年経っても染み付いたゲーム戦いの記憶か。ほぼ無意識の衝動が、インパクトに合わせ私の中の力を解き放った!絶大な魔力が、拳の先で炎となって爆発する!直接叩き込めば、射程なんて関係ない!

 

 魔法の拳が、漆黒の魔獣を貫いた!

 

「うぐっ!」

 残心もできず倒れ込んだ“私”の目に、炎がシャドウベアの全身を包むのが見えた。断末魔の絶叫が、長く遠く響く。

「やっ、た……」

 どっちの言葉かも分からない。でも、緊張していた顔の筋肉が緩んだのは、両方の意志だ。そのまま、私の意識はパティアに引きずられるように遠のいていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る