破られた平穏
街の中で殺人事件があったのはいつぶりだろう?
夜間外出禁止のお触れが出たのは?
……覚えていない。
被害者は町外れに一人で住んでいた男性。
遺体は死因が判別できないほどめちゃめちゃにされていた。そしておそらくその大部分が、食べられていた。
人食いの魔物の仕業なのは明らかだった。
正体は分からない。どこに潜んでいるのかも分からない。分からないのは、恐ろしい。
事件発覚の翌日には緊急依頼として冒険者たちや傭兵が集められ、山狩が行われた。
結果は空振り。
大ねずみとミニスライムが数匹しか見つからなかったらしい。子供でも倒せる、魔物とも言えないような魔物だ。
街に人食いの魔物が潜んでいる。
事件から二日と経たずそんな噂が流れ、穏やかな日常は消えた。
『だからってさ、どうしてあなたが犯人探ししてるの?』
私は前を歩くエルフの少女に、もう何度目かの疑問を投げかけた。
彼女、パティアは聞こえない質問に答えるはずもなく、人気の無い夜の街を一人で歩き回っている。
よそ者の彼女が夜間外出禁止を無視して出歩いてるのが見つかったら、怒られるだけでは済まない。最悪この街を出禁になってしまう。
それを分かっているのかいないのか、パティアは月明かりだけを頼りにウロウロと街を歩き回る。
『頼まれたわけでもないのに、もの好きだねえ』
それを追いかけてる私も人のこと言えないけど。
パティア。
エルフの少女。
エルフといえば人間の十倍の寿命を持つ長命種。少女といっても、確実に百歳は超えている。おそらく百五十歳前後ってところかな。
街の住民との会話から得た情報によると、どこか遠い所から旅してきたらしい。
一人で。
それだけでも、この子がそれなりの手練れだと分かる。
魔法が得意なエルフのくせに、自称武闘家。ゲームなら、完全に種族とクラスの組み合わせを間違えてる。
でも彼女は戦えてるらしい。何故か?
「“気”って知ってますか?」
街のみんなは首を傾げた。でも私は知ってる。
こちとら元日本人。漫画やアニメで散々見た概念だ。
ただ、ここは異世界。魔法や魔力はあるけど、“気”やオーラの概念があるなんて知らない。本当なのかな?
単純に彼女の身体能力と強さが常人……いや、エルフ離れしているだけかもしれない。
『どうなのさパティアちゃん?』
聞こえない質問を無意識に無視して、彼女は歩き続けた。
「!」
曲がり角の向こうに微かな足音。
灯りを持ってない、ということは見回りの衛兵じゃない。
パティアが身構える。
私が見に行くより先に、そいつは姿を現した。パティアが呆れたように肩の力を抜く。
「……何してるんですか?」
「うぉっ!?」
マドル坊……ホントに何してんのさ……
「……お、お前あの時のエルフ女……!おお俺が何してようが勝手だろ!」
大方、度胸試しの武勇伝にでもするつもりなんだろうね。
「お、お前こそ何してんだよ?外出禁止だぞ!?」
「パティアです!外出禁止は知ってますよ。でも魔物がいるなら、やっつけようと思いまして!」
パティアはびっ!と右の正拳で空を切る。
「お、お前に倒せるのかよ?」
「少なくとも、あなたよりは」
あちゃ〜。そう言われちゃ返す言葉もないよねえ。閉口したマドルはもっと根本的な話に変える。
「……なんでよそ者のお前がそんなことするんだ?危ねえだろ?」
マドルが私の疑問を代弁してくれた。危ないのは君もだけど。
パティアは腕を組んで首を捻る。
「うーん……みんなが困ってて、私ならなんとかできそうだから、ですかね?」
「頼まれてもないのにか?」
「頼まれないと、人助けってしちゃいけないんですか?」
なんだこの子……。
長生きのエルフは大体その過程でリアリストになるのが常だ。私が見たエルフはみんなそうだった。こんな純粋な子は今どき人間でもなかなかいない。
「とにかく、やっつけたいんです!それに犯人はたぶん、キラーベアです」
「キラーベア!?」
『キラーベア!?』
いけない。マドルなんかとハモってしまった。
「街道でも旅人さんが殺されたんです。遺体が同じような感じで荒らされてたって聞きました。はぐれキラーベアが血の味を覚えたんじゃないかなって」
ああ、そういえばそんなニュースもあった。
しかしキラーベアといえばかなり凶暴な魔物。素人冒険者レベルじゃ返り討ちが関の山。
この子は勝てる見込みがあるんだろうか?
「キラーベアなら、たぶん勝てます!」
「マジかよ……」
うーん、どうだろうか?確かにこの子はそれなりに強いだろう。“気”とやらを抜きにしてもだ。でも実際どのくらいの強さなのかは分からない。
「でもキラーベアなら、デカいからすぐ見つかるんじゃないのか?」
「きっと小さいキラーベアなんですよ!どこかに隠れてるんです!」
そ、そうかなあ?
「そろそろお腹が空いてるはずです。遺体のあったこの辺りにいれば向こうから出てくるかもしれないですし」
それを聞いたマドルがあからさまにビビったのが分かった。
「そ、そうか。俺は急用を思い出したから帰るぜ!」
「はい。気を付けてくださいね!」
そそくさと退散するマドルを見送り、パティアは再び魔物探しを始めた。
なるほど。この子は半ば、自分を餌にして魔物を誘き出すつもりなのだ。そうだとしたら、さらに腑に落ちない。ただの善意で、ここまでするだろうか?パティアの行動には何か別の理由があるのかもしれない。考えてみたが、見当もつかなかった。
「やっぱりここかな……」
パティアが訪れたのは、殺害現場である街外れの木造の小屋だった。今は廃屋。当然、怖がって誰も近寄らない。夜は衛兵もいない。パティアが無人の廃屋に近づく。
キラーベア、か。どんな感じだろう?
日本にいた、ヒグマみたいな感じだろうか?
私は魔物を実際に見た経験はほとんどない。図鑑に載っていた魔物を断片的に知っているだけだ。あとは冒険者の話で聞いたくらい。
でも知る限り、この辺りでキラーベアが出たことはない。出るのはもっと山奥の方だ。
はたと気づく。
パティアは山奥の田舎出身なんじゃないだろうか?だとすればあの純粋さとキラーベアに詳しそうな様子とも噛み合う。私はなるほどと小さく頷きながらパティアの後について小屋に入る。
……入る?
『えっ!?』
当然のように小屋に入るな!思わずそう突っ込みかけた私は、小屋の中が妙に明るいことにしばらく気づかなかった。パティアがマントを脱ぎ捨てたことにも。見れば、ピッタリした動きやすそうな装いのパティアが身構えている。
『壁が……!』
入口の反対側の壁が大きく壊されていた。そして小屋の隅に、黒い何かが蠢いている!
幽霊なのに、思わず息を呑んだ。
「見つけましたよ……!」
パティアの声に、そいつがゆっくりと顔を上げる。
丸い耳。漆黒の体毛。赤く光る眼。
荒い息遣いと共にダラダラと涎を撒き散らすその姿は、熊の魔物ではある。
でも……
「ん?」
パティアも気付く。困惑と動揺に構えが緩む。それを感じ取ったのか、魔物が威嚇するように立ち上がる!ミシミシと床板を軋ませ、一気に場の空気を支配した!
『……逃げた方が賢明じゃないかな』
果敢に構え直したパティアに、思わず呟いた。
魔物の体高は二メートル近く。熊にしては細身の身体に、太く長い前脚。一見アンバランスなそのシルエットは、不気味な威圧感とともに一つの事実を示していた。
こいつは、キラーベアじゃない!
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