Ⅳ 幻の聖書ー④

「やっぱり正直に言うよ。初めてなんだ」

 それを聞いた女たちは、きゃあきゃあしながらカワイイだのゆっくりにするわねだの、急にやさしい手つきになる。


「俺はバチカンのルカだ。みんなも名前を教えてくれる?」

 一番元気で金髪なのがカリーナ、長い黒髪がベアトリーチェ、小柄なのがイメルダと名乗った。


「よろしく頼むよ」

「じゃあ何から始める?」

「ワインを飲んでもいいかな。緊張しちゃって」

「うっふふふふ、かわいいっ」


 長椅子にちょこんと腰掛けると、両隣をカリーナとイメルダに挟まれた。


「そんなに薄着で寒くないの?」

「娼婦はいつでも薄着か裸よ、ルカ」

「そうか。つい心配になってしまって」

「でもルカがあっためてくれたら平気!」


 人数分の杯が運ばれてきて乾杯となった。ルカは水のように杯を空けていく。二杯目、三杯目、四杯目。女たちにも飲むようすすめ、カラフェがどんどん追加になる。やがて自らシュミーズを床に落とした女たちは、ルカの手を引いて寝台へと導いた。


「俺はまだいいよ。三人で楽しんでほしいな。美しい体を眺めているだけで充分だ」


 最初にカリーナが寝台に飛び込むと、ベアトリーチェは縁に形の良い尻を置く。イメルダはカリーナの体に抱きついて遊んでいる。三人の顔に酔いが回っているのを見て、さり気なくルカはカマをかけた。


「実はここに来たのは、悪魔祓いエクソシズムのためなんだ。店の評判に関わるから極秘で対処してほしいと依頼されたんだけど、店主の話だけでは特定できなくて。実際に働いているみんなの話を聞かせてくれないかな?」


 三人は顔を見合わせてから、ベアトリーチェが答える。


「一週間前にマリアンナが悪魔に憑りつかれて狂死したことよね。まだ悪魔は消えていないの?」


 まさかの的中に心臓が止まりそうになる。バベルは娼婦変死の情報を得ていたのだろうか。

 ——愚問だ。あいつはそんなの一言も言わなかったが、間違いない。


「悪魔は消えていないよ。次の宿主を探しているんだ。マリアンナはどんな風に亡くなったの?」


「割れた声で絶叫して、お前の子を殺すとか、アソコを切り落としてやるとか、ひどい事ばかり叫んでいたわ。最後には自分で自分の舌を噛み切って……。本当に怖かった」


 アヤから聞いた、二番目に死んだシルヴィアねえさんに似ている。悪魔に殺されると狂乱になり、自ら首を絞めたはずだ。

 それに悪魔は、媒介となる人体を自ら殺して失うような真似はしない。だから悪魔に憑かれたのではない。


「そうなる以前に、マリアンナに変化はなかった? 新しい客がついたとか、金持ちの客から何か贈り物をされたとか」

 ベアトリーチェは首を横に振る。


「さあ、私は知らないわ」

 カリーナが乳房を揺らして体を起こした。


「あたし知ってる。新しい口紅と香油をもらったって自慢されたもん」

「口紅と香油を?」

「すっごいお金持ちのお客がくれたんだって。三回しか相手してないのに、よっぽどあたしの事が好きなんだわって、マリアンヌは浮かれてたの」


 カリーナは半笑いだ。ルカはゆっくり近づくと、寝台に投げ出された美しい足を指先で撫で、少し顔を近づけた。


「悪魔は天使の容姿で近づいてくる。囁く声は甘く、決して悪魔だとは悟らせない。そして誘惑に傾いだ人の心の弱味につけこみ、体を乗っ取るんだ」

「じゃあ、そのお客がマリアンナを誘惑した悪魔なの?」


「俺にはそう思える。次の被害を止めるためにも、その客が誰なのか突き止めないと」

「マリアンヌは、ガブリエル様って呼んでたわよ」


 声を上げそうになるのを寸前で堪える。

 ガブリエルもミカエルも、キリスト教では天使の名だ。同一人物が意図的に使い回しているのか。


「口紅と香油はどこにいったのかしら。マリアンナの鏡台?」

 ベアトリーチェの問いに、カリーナは知らないわと首を振る。だがイメルダは顔面蒼白だった。


「どうしたのイメルダ? まさかあんた……」

「鏡台にあったから、こっそり口紅を使ったわ。すごく綺麗だったから、羨ましくて。わたし、悪魔に憑りつかれるの?」


 言いながら手の甲で乱暴に唇を拭う。紅が剥がれて、みるみるうちに涙がこぼれた。


「いやよ。わたしもあんな風になって死ぬなんて、いやあぁ!」

「イメルダ! お客様の前で泣くものではないわ」

「そうだよ。しっかりしなきゃ」


 寝台の上で背中を丸くしたイメルダを、二人が撫でてやる。ルカが体の上に掛布をかけてやると、ベアトリーチェから礼を言われた。


「口紅を使ったからといって、悪魔に憑りつかれると決まったわけではないよ。けれど用心のために、その口紅と香油を預かってもいいかな。神の家の教会にある方が安心だ」


「そうね。二人とも、ルカの言う通りにしましょう」

 ルカはしゃがみ込んで視線を合わせ、イメルダの手を取る。


「いいかい、もし体に何か異変が起こったら、すぐにバチカンへ知らせるんだ。悪魔祓いをするから。いいね」


 だが実際に行うのは悪魔祓いエクソシズムではなく、何らかの治療になるだろう。


 イメルダが持って来た口紅は虹色に光る二枚貝に納められていて、中の紅は艶があり発色が良い。香油の小瓶は色ガラスの洒落たデザインで、どちらも女心をくすぐりそうだ。


 不安で涙が止まらないイメルダには、強い蒸留酒を飲ませて眠ってもらった。カリーナが付き添っている。ベアトリーチェには服を着てもらい、二人でワインを飲んでいた。


「ルカは全然酔っていないわね」

「そうかな」

 元悪魔の体が酔うことはない。酒のうまさというが分かってきたのは、ごく最近である。


「ここは居心地のいい店だな。何度も通いたくなるのが分かるよ。カミロという司祭の紹介で訪れたのだけど、知ってる?」


 もちろん出まかせだ。だが一瞬、酔って緩んだベアトリーチェの顔色が変わったのを見逃さなかった。


「さあ、知らないわ」

「そうか。大学の先輩で、ずっと良くしてもらってて。最近急に亡くなったから、弔うつもりで来てみたんだ。初めてなら絶対お勧めだって言われてさ」


「そ、そうなの。まだお若いのでしょう? お気の毒ね」

「カミロは由緒ある大聖堂の主任司祭という責任ある立場だったから、きっとここで日頃の重責から解放され、癒されていたんだろうな」


「そ、そうだといいわね。ルカもどう? 今から私と寝てみない?」

「俺はこうしているだけで充分安らいでる。君ほどの美しい人が、話し相手をしてくれるだけで幸せだよ。だから、そんな君たちが悪魔に憑りつかれるなんてあってはならない」


 ねえさんの死の真相を明らかにしたいと涙したアヤの顔を思い出し、ルカも表情を作る。杯をあおり、ベアトリーチェにもすすめた。


「この店には、他にも聖職者が来ているね。名前は言わなくていい。考えたくはないけれど、彼らの罪が悪魔となり、君たちに降りかかっているのかもしれない」


「そんなっ! 私たちは確かにお金をもらっているけれど、でもっ、生きるためだもの。買うのは男の方よ。不犯の規律を破っているのは神父さまたちよ」


「その通りだ。徳の高さと業の深さには相関がある。身分の高い聖職者が犯した罪ほど重いものだ」


「じゃあ、じゃあ……、ガブリエルという男は名前だけじゃなく、本当に天使なの? 神様の罰を私たちに与えに来たの?」

「どうしてそう思うの?」


「だって、身分の高い神父さまを相手にして死んだのは、マリアンナだけじゃないのよ。女将からは話すなって言われてるけど、レティも体が紫色になって死んだわ。カメルなんとかっていう教会のえらい人が支払いを弾んでくれるって、いつも喜んでて!」


 繋がった。

 ルカはゆっくりと杯のワインを飲み干し、喉を潤した。ずっと緊張していた体に、ようやく染みわたった気がする。


「ガブリエルという男のことは調べてみる。君たちに不利益がないようにするから、心配はいらないよ」


 聖母マリアの小さなメダイを、お守りと礼を兼ねて渡す。手を組んで、彼女たちのために祈りを唱えた。

 夜明け前、店を出るとニコラが待っている。


「そのご様子だと、収穫を得られたようですね」

「感謝します。ニコラさんはバベルのところへ戻りますか」


「ええ。一緒に参りますか」

「俺は楽園イル・パラディーゾに寄ります。この時間なら、向こうも営業を終える頃でしょうから」

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