Ⅱ 偽作師の悩みー②

「部屋の中に入ってもいいかな。他にも絵を見せてほしい。俺たちは偽作を咎めに来たわけじゃないんだ」


 ルカという神父は若いし、いかにも善人な顔をしている。しめた、このまま言い逃れられそうだ。だが後ろにいた青色の神父服は真逆だった。鈍色の視線に、逃してもらえないとすぐに思い知らされる。

 仕方なく二人を中に入れると、青服の方は扉に寄り掛かって腕を組んだ。


「すごいな、結構あるんだな。一つ仕上げるのにどのくらいかかるんだ?」

「早ければ一、二か月。半年かかる事もある」

「そんなにかかるのか。絵はどこで学んだんだ?」


「俺はフィレンツェ出身だ。死んだ親が石工だったから、ガキの頃からあちこちの教会に出入りしていた。メディチ・アカデミーの会員になったこともある」

「なのに、どうして偽作を?」

「それは——」


 部屋の隅に積み上げられた習作の紙の束や、失敗作の板まで見られている。相手が神父服のせいか、懺悔をしている気になった。


「十年前にローマに出て、ラファエロ先生の工房にいたんだ。弟子が五十人くらいいて、どいつもこいつも一流だったよ。俺が一生かけても思いつかないような構図や色使いで、あっという間に仕上げていくんだ。ラファエロ先生なんかその更に上だ。俺だってそこそこ自信はあるつもりだったが、話にならなかった」

 

 それでも絵の道を諦めきれず、工房で得た知識と技能でかつての師の偽作を製作しているという皮肉だ。

 最後まで言わずとも察してくれたのか、ルカはちょっと肩をすくめた。


「そうか。話してくれてありがとう。司祭は秘密を守るから、安心していい。俺たちはテオを捕まえたいわけじゃないから」

「……俺が勝手に自信喪失してひねくれたのさ」

 今度はテオが肩をすくめてみせた。


「ラファエロか。確か生前、サン・ピエトロ大聖堂改築の主任設計を任されていたよな。どんな人物だったんだ?」


「ああ、工房にいる時はずっと人をドローイングしてたな。男も女も、工房のど真ん中で半裸にしてさ。色んなポーズをさせて、ものすごい速さで何十枚も作るんだ。いつも下品な下ネタばっかり言ってるくせに、絵に向かう時はまるで別人だった。女のモデルをエロい目で見ていたことは一度もなかったかな。弟子たちにもたくさん食べさせて遊ばせてくれる人で、好かれていたよ」


 弟子たちの実力差を別に、ラファエロは分け隔てなく接する人だった。テオの名前すら覚えてくれていたのだ。


「面白い人だな! 俺は美術には疎いけど、ラファエロの作品を見てみたくなったよ」


 ルカの笑顔に、年齢不詳のラファエロの整った顔が重なる。師を思い出すといたたまれなくなるから、考えないようにしていたのに。やはり罪を告白する時が来たのだろうか。許されるというのだろうか。

 テオは告げる。それは、損得勘定なしに出た言葉だった。


「絵の依頼人のことは知らされてない。聖母子像の絵では、聖母マリアを中央に大きく描いて、背景は黒塗りにするよう指定された。別段珍しいことじゃない。仲介屋はいつも同じ奴らが仕事を持ってくるんだ。多分、ヤバい奴らだ。賭博場で声をかけられた」


「その仲介屋以外からの受注はないのか?」

「ああ。俺がしょっぴかれないようにそいつらが色々と便宜を図る代わりに、他からは受注しない取り決めに——」

「おいお前ら、絵を持って逃げる準備をしろ」


 玄関前から、いきなり硬い声が割り込んできた。玄関扉を睨むバベルの向こうから、ふいにガツッ! ガンッ! と不穏な音がする。


「なっ、なんだ……、誰なんだよ」

「バベル! 外も囲まれてるみたいだぞ⁉」

 窓の外をちらりと見て、ルカが叫ぶ。


「だから逃げる準備をしろと言っている」

「逃げるって一体どこから!?」

 ルカが言い終える前に玄関扉が破られ、目つきの悪い男たちがぞろぞろと入ってきた。テオに依頼を持ってくる仲介人の姿もある。


「お久しぶりだねェ、バベル。ベツレヘムのお頭ともあろう人が、こんなところに何の用だねァ?」


 先頭の次に入ってきた銀髪の男の異様さに、テオの背筋が震える。こいつに近寄りたくない。荒々しく破壊され、虚無の顔をした天使像に思えた。石のような細身の体内に、とてつもない恨みや怒りをたぎらせている気がしたのだ。


「俺がどこへ行こうが勝手だ。お前こそなぜこんなところまで出張っている、ヘロド」

「ここは俺たち『煉獄』の縄張りだぞァ?」

「知らんな」


「なしなしナァシ! やる気満々のお仲間たち引き連れておいて、そりゃないわァ! あ、お仲間のご到着だ」


 ヘロドの後ろから現れた男二人は、それぞれ一人ずつ血まみれの死体を引きずってきた。どちらも引き裂かれた腹から内臓が飛び出ている。バベルの目の前で放られると、部屋の中が一気に鉄臭くなった。

 テオは悲鳴を上げたが、バベルは一分も表情を動かすことなく口を開く。


「偽作師を俺に探られては都合が悪いわけか」

「話が早くて助かるわァ。じゃ、ここは穏便に済ませようねァ」

「聞けんな。こっちは仲間を二人殺されている」


 ベツレヘムに煉獄。どちらもローマの裏社会で名の知れた犯罪組織だ。

 ヤバい奴ら同士、そこは穏便にしてくれよ。隣のルカと目線が合う。どうやら心中でテオと同じ呟きをしたらしい。


「それに縄張りを侵したというなら、先にやったのは貴様ら煉獄の方だ」

「クックククク! 『楽園イル・パラディーゾ』のことか?」

「娼婦を殺したのはお前たちか」


「教えられないなァ。でも別に楽園を狙ったわけじゃない。これも取引でェ、たまたまだ。あんたの縄張りを荒らすつもりなんて、これっぽっちも無かったよァ」

「あの絵の依頼人か」


「取引はまだ終わってなくてねェ。だから俺たちもテオを連れて行かれちゃ困るわけよォ。なぁテオちゃん。ビアンカって知ってるよねァ?」

「なっ……⁉ てめえ、ビアンカをどうした⁉」


 テオの心臓が早鐘を討つ。一年前から付き合っているパン屋の娘で、悪い事になど縁のない女だ。テオのことも一端の画家と信じている。もちろん、仲介屋にビアンカの話などしていない。


「丁重にもてなしてるよ。縛りつけて抱いてやったら、腰振って喜んでたなァ」

「てめぇっ! ビアンカは関係ねえだろう! よくも、よくも……!」


 視界が真っ赤になり狭くなる。そして震えるほどの怒りと共にヘロドへと突進する。だが、周りの奴らに簡単に取り押さえられてしまった。


「離せ! このゲス野郎が! ビアンカに何しやがった! 無事なんだろうな⁉」

「もちろんさ。今夜もオッパイ揺らしてもらわないとなァ。お前も一緒にヤるか、テオちゃん」

「ふざけんなよ! 殺してやる。お前ら全員ぶっ殺してやる!」


「あ~でも、お前が大人しくしないと、ビアンカちゃんのオッパイが一つなくなっちゃうかもなァ。プリンプリンなのにもったいないよなァ」

 ビアンカを人質に取られた以上、テオに選択肢はない。


「くそっ……くっそぉお!」

 ギリギリと歯噛みして叫ぶしかなかった。


「テオッ!」

 ルカの声だ。星のようにきらきらとした瞳に、もしかしたら許されるのかもしれないと一筋の希望を見ていた。己の浅はかさに反吐が出る。


 何の罪もないビアンカ。善良でしかないのに、俺と付き合ったばっかりにひどい目に遭わされて……。俺が画家だなんて嘘をついたから……。


 がっくりと力が抜けたテオは、されるがままに部屋の外へと連行されていく。


「待てよお前ら」

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