第26話 客席のまん中で見てて

 「さ。ステージのとこ、行こ!」

 へれんが言う。

 小学生を連れているのを忘れたのか、早足だ。うきうきしている。

 そのへれんに詩織しおりちゃんが小走りで続き、そのまた後にたねちゃんがちょこんちょこんとついていく。

 わたしは三人からちょっと後れて歩いてついていった。

 後れてもへれんや詩織ちゃんを見失うことはないと思ったから。

 へれんは、迷わず、ステージの咲織さおりちゃんがいるところの下に行った。

 ステージはわたしの背丈よりずっと高かったから、下に行くとかえって咲織ちゃんが見えない。

 ステージの下には黒い幕がめぐらせてあった。そのステージにいちばん近いところを、へれんは、左手で軽やかに、いや、ちょっと乱暴にめくり上げる。

 なかにいたのは大人の女の人だった。うちのお母さんよりは若いけど、さっきの馬淵まぶちさんたちよりは歳が上だ。

 その人が、ふしぎそうな、ちょっと警戒しているような顔でへれんを見て、何か言おうとする。その前にへれんが言う。

 「城崎じょうさき咲織さおりさんの、妹さんなんですけど」

 「あ」

 表情から警戒しているようなところがぱっと消えた。

 「あ、ああ、ああ」

 女の人が言う。

 へれんが詩織ちゃんの背中を押して前に出す。

 詩織ちゃんが、機械仕掛けみたいに、何も言わないで、ぴょこん、と頭を下げて、また背を伸ばした。

 女の人は、その詩織ちゃんに短く頭を下げて答えてから、へれんに言った。

 「楽屋、ってここの裏なんだけど、席、取ってあるんだけど」

 ちょっと首を傾げる。

 「でも、せっかく来たんだから、前から見たいよね? お姉ちゃんの晴れ舞台」

 「見たいよね?」は詩織ちゃんに言った。だから詩織が答える。

 「あ、うん……じゃなくて、はいっ!」

 横でたね子ちゃんもいっしょにうなずいた。たね子ちゃんもほっぺを赤くしている。

 「じゃ、どうせだったら、客席のまん中で見てて。まん中ちょっと後ろあたりが、音はいちばんいいと思うけど。あっ、でも、お姉ちゃんがよく見えるところがいいよね?」

 「あ、わたし、いっしょに行きます」

 へれんが言う。相手の女の人は、一瞬、目を見開いて、それから笑った。

 「悪いね」

 「いいえ」

 へれんがめくっていた黒い幕を下ろそうとする。その手を止めて、女の人が言う。

 「あなたも、あとで寄って。城崎さんの妹さんといっしょに」

 「あ、ああ」

 へれんはあいまいに言って、あいまいにうなずき、そのまま幕を下ろした。女の人の姿は見えなくなる。

 詩織ちゃんとたね子ちゃんは、はじかれたようにぱっと走り出すと、自分で、言われたとおりにちょうど正面に咲織ちゃんが見える椅子に場所をとった。

 いっしょに行きます、も何もない。

 ステージの上ではまたまん中の女の人がそのサックスを熱心に吹いている。咲織ちゃんは、そのサックスにピアノで伴奏をつけていた。

 また拍手が起こる。女の人はサックスから口を離してその客席のほうに顔を上げたけれど、そのまままた吹き続ける。

 椅子は半分以上空いているけれど、座っている人はさっきからまた増えている。見回すと、後ろのほうで立って何か食べながらステージを見ている人も多い。しかもどちらの方角にもいる。

 へれんとわたしは、詩織ちゃんとたね子が座ったところから一つおいた後ろの列の、まん中に近いほうに座った。詩織ちゃんとたね子とはすこしあいだが離れたけれど、まあ、この二人がどこかに行ってしまうことはないだろう。

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