第21話 すごく怖い先生ってきいてますけど

 「あの、もしかして……藤色の着物を着ていらした?」

 「そうそう!」

 「ああ、いえ。馬淵まぶちさんでしたっけ?」

 「そう! よく覚えてるじゃない!」

 へれんは追い詰められているのを脱した。

 ぱっと明るい顔になる。手もスカートから放した。

 よかったよかった。

 「ええ。足、しびれてるときに、助けていただいたので」

 へれんがははっと笑うと、

「ああ、そんなのあったよねぇ」

と相手のひとも笑った。

 ふうん、へれんも足がしびれたりするんだ。

 「あ、ここの店ね、ドイツ語ドイツ文学研究室のみんなでやってるんだ。ああ、田川たがわぁ、それと新井あらいちゃん」

 そう言って、そのヨーロッパ風のお姉さんは、ほかの、同じ制服のお姉さんたちに声をかけた。

 後ろで、家で焼き肉をやるときの鉄板みたいなのでソーセージを焼いていたお姉さんと、ビールを入れるらしい大きい透明のコップを袋から出しているお姉さんが、そのへれんの向かいのお姉さんのほうを向いた。

 「この子さ、野見のみ先生のお孫さんの、へれんちゃん」

 紹介されたへれんがぺこんと頭を下げる。

 「えっ?」

 コップを出していたお姉さんが言う。

 「野見先生って、内丸うちまる先生の先生の、ですか?」

 「あ。そうそう。新井ちゃんは野見先生会ったことなかったかな?」

 「なんかすごく怖い先生ってきいてますけど」

 コップを出していたお姉さんがわりと低い声で言う。

 へれんはびくっとして、頭を下げる。

 「すみません」

 いや、へれんが謝ることじゃない。

 そのおじいさんというのは、たしかにあんまり笑ったりしないひとだけど。木の椅子に座って、足の先だけちょっと組んで、何についても、少しずつ、少しずつ話す人だ。

 だから、へれんの名まえが、トロイア戦争の王妃様でギリシャ人の祖先だという話も、けっこう時間をかけてきいた。

 「いや、へれんちゃんが謝ることじゃないから。っていうか、だれも謝ることじゃないから」

と、へれんの前のひとが言ってから、

「新井ちゃん……」

とたしなめるようにそのコップを出していたひとを見る。

 あいだでソーセージを焼いていた人が、顔を上げてにこっと笑う。目が細くなって、すごいかわいい。

 年上なんだけど。

 「内丸先生には厳しかったみたいですよね」

 そのひとが目をもっと細くする。

 へれんも気弱そうに笑って見せて、目のまえの女の人にけなげにきいた。

 「内丸先生はお元気ですか?」

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