第12話 まあ、自由になった感じかな

 「あ、いや、わたし、その、へれんに、いや、へれん王妃様にびしびしやってもらう資格もないから、その……」

 へれんは目を細めてふふふふふっと笑う。

 うううーっ。「辞退するなんて認めませんわよ」とか言われたら。

 どうしよう?

 へれんは最後に「ははっ」ともっとはっきり笑ってから、前に顔を上げて言った。

 「その美女のヘレンがいたスパルタっていうのは、そのびしびし鍛えるスパルタの人たちが来る前のスパルタで、まだそんな国じゃなかったんだって」

 で、わたしを見る。

 「あーよかったー」

 ほんとに胸をなで下ろすっていう感じだ。

 でもそのなで下ろす胸の大きさは……。

 これはわたしのほうがある。でも、おなかまわりもへれんよりはあるので、べつに喜ぶことじゃない。

 でもよかった。よかったよかった。

 だいたい、昔のスパルタがどうであっても、べつにいまのへれんがスパルタになる必要もないわけだし。

 しばらく肉の味を噛みしめながら、屋台のあいだを歩く。

 あいかわらず、赤や青や黄色や緑の明かりが横を通り過ぎて行く。へれんの頬や白い制服をその明かりが照らす。

 へれんよりすこし後れていたので、ちょっと走って追いつく。

 「あ、でも」

 ふと思いついた。

 「それって、そのヘレン王妃のスパルタって、そのびしびし鍛えるスパルタの人たちに滅ぼされちゃった、ってこと?」

 それはかわいそうだ。ひどい。

 人生そう甘いものではないと思うけど、それでも、どこの国も、びしびし鍛える人たちの国より、絶世の美女がいる国でいてほしい。

 「それもきいてみたんだけど、わからないって」

とへれんはおとなしく言った。

 ああ。やっぱりきいてみたんだ。

 「ギリシャって、そのトロイア戦争のヘレンがいた時代から、その、アテネとかスパルタとかが有名になる時代まで、ほとんど何も記録が残ってないんだって。だから、征服されたのか、もとの住民とかが出て行ったあとにそのあとのスパルタ人がやってきたのか、それとももともと神話の国だから実在しなかったのか、まったくわからないって」

 で、ふんっ、と、顔を軽く上に向けてから、横に並んだわたしを見る。

 「でも、まあ、自由になった感じかな」

 それでまた前を向く。

 「なんだかね。おじいちゃんが言ってる、その、絶世の美女でギリシャ人の祖先、みたいなことに、やっぱり、わたし、ずっとそういうのにならないと、って思ってた。心のどこかで。だから、ギリシャ人の祖先のほうはまちがいだった、もともといたかどうかもわからない、って教えてもらってさ。なんか楽になった感じがしたよ」

 言って、へれんはわたしに手を差し出した。

 なんだろう?

 わたしは首を傾げてへれんを見上げる。

 「だから、新しく生まれ変わった野見のみへれんをよろしくね」

と言って、握手でもするのだろうか?

 「あ、ベーコンの串、捨ててくるよ」

 「あ、ああ」

 そりゃそうだよな。それが現実だ。

 脂がもう固まったベーコンの串と串を包んでいた紙をへれんに渡す。へれんはすこし先にあったゴミ箱にちょっと駆け足で走って行く。

 おかげで両手が自由になった。

 ヘレンがギリシャ人の祖先でなくてへれんが自由になるよりはずっと小さい自由だろうけど、自由は自由だ。

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