第11話 スパルタの王妃なんだって
しばらく
「でも、たしか、おじいさんって、へれんのその名まえをつけるの、何年も待ったんだよね?」
「うん」
へれんは両手を垂らし、歩くのに合わせて前後に振っている。
「自分が昔のギリシャに生まれなかったのがくやしいっていうほどのギリシャ好きでさ、自分がギリシャに生まれなかったかわりに、自分の子が生まれるときに、女の子が生まれたらへれんってつけようって待ってて。でも、けっきょく男二人で。わたしのお父さんと、叔父さんと。それで、次は孫が生まれるのを待って、そうすると女の子のわたしが生まれたから、へれんって名まえをつけたって。おじいさんがそのヘレンの話を知ったのは中学生ぐらいだったっていうから、五十年ぐらい待ったのかな」
そして、へれんもその名を気に入っていた。
「へれん」が「普通の女の子の名まえ」とは違う、と気づいたのは小学校の途中、たぶん三年生ぐらいだった。それでも、へれんは自分の名まえがいやだと言ったことはない。
「それがまちがってるとしたら、ショックだね」
「まちがってるとしたら」と言ったのは、やっぱりまちがっていないのではないかと思ったからだ。
学校の先生でも、ときどきまちがったことを言うから。
へれんは唇を強く結んで、上を見て、それからわたしを見て言った。
「いや、なんかさ、肩の荷が下りたっていうかさ」
ちょっと肩をすくめる。
「絶世の美女で、ギリシャの国の名まえがそこからついた、なんてやっぱり重すぎるじゃない? 絶世の美女っていうだけでも十分すぎるくらい十分だよ」
それで、まだベーコンを噛んでいるわたしをまた見る。
そうか。ギリシャ人の祖先はだめでも、絶世の美女のほうは残ったんだ。
それで、「半分」はまちがっていた、と言ったのか。
たしかに、絶世の美女だけで十分だ。十分すぎる。
絶世の美女なんて、普通はなれない。まあ普通はなれないから絶世の美女なんだろうけど。
「しかもさ」
へれんが言う。
いたずらっぽく。
「スパルタの王妃なんだって、そのヘレンって」
「いっ?」
噛むのを止める。
これはベーコンの肉の味を悠長に味わっている状況ではなくなった。
「スパルタって……あの……! あの容赦なくびしびし鍛えるっていう?」
「そう!」
へれんは笑顔だ。それも、唇をわざとらしく左右に伸ばして、何かたくらんでいるような。
えっ?
えっ? へれんってスパルタのひと?
だから、講習とか厳しくても耐えてるの?
いや。
いや、それよりっ!
ということは、わたしもスパルタ教育で鞭でびしびし……?
ばれてしまった以上は、
背はへれんのほうが高い。
たしか体力測定でもジャンプ力とか肺活量とか、ぜんぶへれんのほうが上だった。
あの「踏み台昇降」とかいう拷問のような測定で、わたしは終わったときに目のまえが暗くなって倒れるかと思ったのに、へれんは終わってもにこにこして立っていた!
もちろん成績はへれんが上、しかも、成績がいい上にいまは講習に通っているのだ。どれぐらい差が開いてしまったことか。
いやいやいや。これはさっさと辞退せねば!
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