第9話 昔のギリシャの若くて美しい王妃様

 「はいっ?」

 へれんの名まえの理由?

 それに「その半分」って?

 たしかに「へれん」という名まえは、変わっている。ハーフでもクォーターでもなく、アメリカ人やヨーロッパ人の血は少しも入っていないというのに。

 それは、たしか……。

 「ギリシャがヘレンの国っていうときのヘレンっていうのと、トロイア戦争の絶世の美女のヘレンっていうのは別人なんだって」

 「はあ……」

 いや、そんな生返事はしてはいけない。

 もしかして、会ったとき、へれんがちょっと元気がない様子だったのは、講習で疲れたからとか、お祭りに来れなかったからとか、わたしに会うのが気まずいとか、そんな理由ではなく、これが理由……?

 だから、力をこめて反論してみる。

 「でも、それって、だって、へれんのおじいさんがさぁ、ギリシャっていうのはヘレンっていう絶世の美女の子孫の国だからって理由でつけた名まえでしょ?」

 そして、そのへれんのおじいさんは、わたしたちが生まれるちょっと前までどこかの大学の教授とかをしていたという偉い学者だ。

 それが、まちがい、って?

 「いや、でも、それがまちがってるんだって」

 へれんはまたふふふんと笑った。何かをたくらんでいるときのような笑顔になる。

 「ギリシャがヘレンの国っていうときのヘレンって、男の人なんだって」

 「ええっ?」

 驚いた拍子にベーコンのかけらがぼたっと落ちた。むろん落ちたところはもう食べられない。

 落ちるときに服に当たらなかったのでよしとしよう。

 「で、今日、講習が歴史だったから、講習の授業のあと、先生のところに質問に行ったんだよ。わたしの名まえ、へれんですけど、それってギリシャ神話に出てくる王妃様の名まえじゃないんですか、そういう名まえだって、おじいちゃんがわたしにつけてくれたんですけど、って言ったらさ、ああ、野見のみさんって野見先生のところのお嬢さんですか、とか言われて」

 へれんは、短く笑うと、串に最後に残っていた赤身のかたまりを、串を横にしてずずずっと引っぱった。

 口の中に入れて、もぐもぐする。

 「はあ」

 はあ、としか、言うことを思いつかなかった。

 その「ヘレン」の話は、へれんが前に話してくれた。そのへれんのおじいちゃんからもきいた。

 ヘレンというのは、ずっと昔のギリシャの若くて美しい王妃様の名まえだという。

 この王妃様がトロイアという国の王子様に誘拐されたことでギリシャ人が怒り、いくつもの国に分かれていたギリシャ人が団結して王妃様を奪い返すために戦争を起こした。これをトロイア戦争という。

 いくつもの国に分かれていた人びとを団結させ、敵から奪い返そうと戦争まで起こさせた絶世の美女……。

 その美女の名まえをとって、その戦争まで「アカイア人」と呼ばれていたギリシャ人たちは「ヘレンの子たち」と名のることになった。

 ちなみに、ギリシャをギリシャと呼ぶのは、日本をジャパンというのと同じで、外の人がつけた呼び名で、いまでもギリシャ人は自分の国を「ヘレンの国」と呼んでいるのだそうだ。

 そして、その絶世の美女で「ギリシャ人の祖先」の名まえを、へれんのおじいさんはこの孫娘につけた。

 いやいや。

 その講習の「先生」というひとが、へれんのおじいさんを知っている、ということにまず感心しないといけないのだろうけど。

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