5-9

「ありがとうございましたー!」

 マイクを握り込むように持って青年が爽やかに挨拶をして去っていく。それを見送るように大きな歓声が沸き上がり、フロアの熱は最高潮に達していた。

 サッカー部の人気者・大内くんをボーカルに据えたフォーピースバンド『ビッグイン』は、下馬評通りの印象だった。

 メンバーそれぞれが運動部のエースで、しかもイケメン揃い。いわゆるスクールカーストの上位者たちだ。おかげでフロアは彼らのお客さんで溢れ返っていて、完全なるホームの中、流行りの曲をコピーしてその期待に純度百パーセントで応えた。

 演奏はお世辞にも上手いとは言えないものだった。しかし、全員が楽しそうに演奏している姿は眩しかった。最後は枯れた声を裏返しながら必死に叫ぶ大内くんを見ながら、数多の女の子を落としてきたのだろうと感心すら覚えた。

「舞台は上々ね」

「〝ガクブル……〟」

 次に控える私たちにとって、決して悪くない状況だった。

 目当てのバンドを見終えて帰る人もいるが、そのまま何となく残って次も聞いていこう人も多い。さらに、入れ替わりでトリのバンドのお客さんもちらほらと入ってきていて、ほぼファンゼロの私たちにしてみればかなりフロアの密度は高い。

 しかもビッグインが十分すぎるほど盛り上げてくれたおかげで、お客さんはライブを聴く体勢が整っている。後は私たちがこの状況を生かせるかどうか次第だろう。

 舞台袖で機材の準備をしていると、片付けを終えてステージを降りてきたビッグインのメンバーたちとすれ違う。つい目を合わせてしまったので軽く会釈をすると、「がんばってー」と笑顔で激励を返してくれた。

「いや、いい奴なんかい」

 いっそめちゃくちゃ嫌な奴だったりしたら、反骨精神で気合いが入ったかもしれないのに、世界はそんなに単純ではない。カーストなんてものだって、きっと下位の人間が勝手に思っているだけだ。京香と出会って、それが痛いほどよくわかった。

「って、あれ? 京香は?」

 もうすぐ出番だというのに、京香の姿が見当たらないことに気付く。

「京香ならさっきトイレに行くって言ってたわよ」

「え、でもここに来る前も行ってなかった?」

 私は何となく嫌な予感がした。

「心配だから見てくる」

 背負っていたギターを葵に預け、私は急いで近くのトイレに向かった。

「京香? 大丈夫?」

 サブアリーナの裏口から出て、体育棟の職員用の通路を抜けた先にあるトイレに入ると、案の定個室のドアが一つ閉まっていた。この通路は文化祭の間出演バンド用の荷物置き場になっているので、他の生徒が入ってくることはない。そのため、そこにいるのは京香でほぼ間違いなかった。

「ねえ、京香? いるんでしょ?」

 反応がないので、私は扉を叩いて再び呼びかける。

「あ、ごめん! 今出るからちょっと待って!」

 すると中から京香の慌てた声がして、トイレを流す音とともに彼女が出てきた。

「もう出番始まるよ」

「ごめんごめん。なんか、大内くんたちの演奏見てたら緊張してきちゃって……」

 京香はわざとらしく照れ笑いを浮かべる。しかし、明るい声色とは裏腹に、彼女の指先は小刻みに震えていた。

「ふふっ」

「え、なんで笑うの」

「いや、京香も緊張とかするんだ、って思って」

「何それ、ひどくない?」

 笑いを堪え切れない私に、京香は不服そうな顔をする。

「そりゃ、緊張するでしょ。私だけ初心者で、へたくそで、みんなの足を引っ張らないかなってずっと心配なんだからさ……。大内くんみたいに自信満々に歌えたらいいのに、そう思ってたら急に怖くなってきて、ここにこもって大好きな曲を聴いてたの」

 やはり私の予感は的中していた。京香はお節介な陽キャの癖に、自分のことになるとすぐにこうやって抱え込もうとする。

「大丈夫。大内くんより、京香のが全然上手いよ。『水彩のよすが』の方が何百倍もいい」

「でも、私がまた上手くできなかったら……」

 私が励ましても、京香は自分で自分を卑下してどんどんと萎んでいく。そんな姿を見て、私と京香は案外似た者同士なのかもなと思って少しおかしかった。

「好きだよ」

「え……?」

「私は、京香の歌が好き」

 恥ずかしさをグッと堪えて、私は自分の気持ちを真っ直ぐ京香にぶつける。

「だから大丈夫。京香の歌の良さは私が保証する」

 京香は驚いたように目を丸めて、私の顔を見つめ返す。

「やば、惚れそう……」

「そういうのはいいから。ほら、早く行くよ」

 大袈裟に感動する素振りを見せる京香に、私は呆れたふりをして背を向ける。本当は恥ずかしくて目を合わせていられなかったのだけれど、そのことはギリギリ気付かれなかった。

「二人とも何してるの? スタッフから早くしろって急かされてるわよ」

「〝げきおこ〟」

 気付けばもう後二分で私たちの出番だった。見かねた葵と結音も様子を見に来てくれたらしく、私たちは慌てて廊下を走ってステージへと向かう。

「行くぞー!」

 すっかり元気になった京香が颯爽と駆けていく。私は運動不足でもつれそうになる足を何とか動かしながら、その後を追いかけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る