5-6

「これで『水彩のよすが』再始動だね!」

 京香が八の字巻きに失敗してぐちゃぐちゃになったシールドを手に持ったまま、拳を突き上げて嬉しそうに言う。それを横目に見た結音がローディーのようにシールドを受け取ると、素早い動きで綺麗に巻き直した。

「うん、そうだね」

 まるでコントのようなやり取りについ笑ってしまいながら、私は京香の言葉に頷いた。

 久しぶりの練習を終えて、改めてこのバンドが始まるのだという実感に高揚していた。ギターを握っていた左手を見ると、まだ力が抜けずに少し震えている。

「あ、そうだ! みんなに言おうと思ってたことがあって……」

 今後のスケジュールを立てようと、ロビーの机に集まったところで、京香が唐突に話し始める。

「実は、文化祭に出ないかって言われてるの」

「文化祭……?」

「うちの文化祭の中で有志が出るバンドステージがあるんだけど、出演する予定だったバンドが急遽メンバーの怪我で出れなくなっちゃったらしくて……。実行委員の友達から、私たちが代わりに出られないかって相談されたんだよね」

 出番は最終日の夕方、トリの一つ前で、出店などが終わった後の一番人が集まる時間帯だった。そんないい時間をもらってしまっていいのかという気もするが、逆に今決まっている他のバンドを動かす方が面倒なことになるという判断らしい。

 場所は体育棟の一階にあるサブアリーナに特設ステージが設置される。機材は音楽室に眠っているちゃんとしたものを使わせてもらえるとのことだった。

 バンドステージは、例年トリの時間には生徒たちが押しかけて超満員になる。同じ時間帯にやっている大きな演目が同じく体育棟の三階で行われる吹奏楽部の演奏くらいなので、大半の生徒がどちらかに集まるのだった。トリ前でもかなりのお客さんが入っていることが予想される。

 正直言って願ってもない条件だった。ちょうどいい時間帯で、客入りは上々、機材や設備も問題なく、何より文化祭なのでチケットノルマもない。

だが……。

「文化祭となると、ライブハウスよりもよっぽどアウェーかもしれないわね」

 私が気がかりに思っていたことを葵が先に口にした。

「まあ、そうだよね……」

 軽音部のない私たちの学校では、文化祭のステージはどうしても内輪ノリ的な側面が大きい。お客さんはみんな友達や先輩が出ているステージが見たいのであって、真剣に音楽を聴きたいというわけではないのだ。

 もちろん何も知らずに見に来る人もいるだろうが、そういう人も盛り上がれるように、大抵は人気曲のカバーをやるバンドが多い。マイナーな曲、ましてやオリジナル曲をやっても、知らない人が知らない曲をやっているという状況になってしまい、盛り上がり方がわからなくなってしまう可能性が高い。

 顔の広い京香がいるとは言え、メンバーの半分が学外の人間だということも痛い。私も校内に友人などいないので、実質戦力として数えられるのは京香だけだ。

 人は「知らない」というだけで一歩身を引いてしまう。それは音楽を聴いてもらうにあたっては、大きなハンディキャップになる。

「しかも、文化祭って今週の土日だよね?」

「うん。だから実行委員も焦ってるみたい」

 となると、練習できる期間は一週間もない。いくらさっきの練習が上手くいったと言っても、およそ一か月ほどブランクがある状況では演奏面にも不安が残る。満足な演奏ができないままステージに立ってしまえば、苦い思い出になる可能性も高い。

 色々なことを鑑みると、今は焦ってステージに立つタイミングではない気がした。それよりも、しっかり土台を作ったうえで、じっくりと活動していくべきだろう。

「確かに、いい話だけど……」

「私は、出てみたい」

 しかし、京香がそう言うのが一瞬早かった。私たち三人は一斉に彼女の方に目を向ける。

「だってさ、文化祭でバンド演奏ってめっちゃかっこよくない?」

 それは何も考えていない吞気な発言だった。実に京香らしくて、私は思わず呆れ混じりの溜め息が漏れる。

「〝わかる〟」

 結音が突然立ち上がると、腕を組みながら神妙な面持ちで首を縦に振る。

「お、結音ちゃんも出たいの?」

「〝結音、参戦!〟」

「おぉー」

 何やら二人で通じ合ったらしく、両手を腰に当ててドヤ顔をする結音に対し、京香が姿勢を低くして拍手を送る。

「葵っちはどう?」

「私はステージの場所にこだわらない主義なの」

 意外なことに、葵も少し乗り気になっているようだった。元々場数を踏むべきという思想が強いタイプだから、演奏への懸念よりもそちらが勝ったのかもしれない。

「じゃあ、灯里は?」

 当然ながら、次は私に順番が回ってくる。

 三人が答えを待つ中、私は押し黙って下を向いた。

 失敗するのが怖い。せっかく前向きになれて、音楽を信じる気持ちになれたのに、実際に自分たちの音楽が目の前の人たちに届かなかったとしたら、今度こそ心が折れてしまうんじゃないかという恐怖があった。

「灯里」

 沈黙を破るように、京香が私を呼んだ。そっと顔を上げると、彼女はニコリとこちらに笑いかける。

「絶対大丈夫。私を信じて。私も、灯里を信じてるから」

 その言葉に、私はハッと目を覚ます。

 ここで逃げたら、それこそ今までと同じじゃないか。

 私は私の音楽を信じると決めたのだ。京香が信じてくれる私の音楽を。

 失敗したって関係ない。大事なのは、失敗を恐れずに立ち向かうことだ。それが自分を信じることだから。

「……わかった。やろう」

 震える声を抑えながら、私はそう答える。

「やったー!」

「〝歓喜!〟」

 まるでもうライブの成功が決まったような顔で、京香と結音が楽しそうにハイタッチを交わす。

「そうと決まれば、今日からは毎日集まりましょう。当日までに最大限クオリティを上げていくわよ」

 そんな二人を少し呆れた顔で眺めながら、葵はあくまで冷静な口調で言う。

「灯里も、ほら!」

 京香は私の前に身を乗り出してきたかと思うと、手を挙げて私にもハイタッチを要求してくる。

「あ、うん……」

 私は恐る恐る京香の手に自分の手を合わせる。わずかに汗で湿った皮膚の表面から、彼女の体温が直に伝わってきた。

「がんばろうね」

 そう言って笑う京香がとても頼もしくて、きっとライブは成功する、と根拠のない自信が湧き上がってきた。

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