5-5
「二人とも、ごめん……!」
葵と結音に会って、私はまず真っ先に頭を下げた。
今までの私なら、うじうじして言葉が出なかったり、つらつらと言い訳を重ねようとしただろう。だからそうならないために、考えるよりも先に今の想いを言葉にして伝えようと思った。
「やっぱり私はみんなと音楽をやりたい。『水彩のよすが』をこのまま終わらせたくない。だからもう一度だけチャンスをください」
不安と恐怖で身体が震えるのをグッと堪えながら、頭を下げたまま二人の返事を待つ。
二人が私に対してどういう感情を抱いているのかわからなかった。
葵は私が音楽を辞めると話したとき、それを止めようとはしなかった。あくまでも冷静にこちらの話を聞いてくれていたが、どこか呆れているような様子もあった。結音に至っては練習をサボって以来、会うのは初めてだった。
スタジオの防音扉を突き抜けて、他のバンドの練習する音が漏れ聞こえてくる。胸が張り裂けそうなほど鼓動が早まる私を嘲笑うかのように、軽快なメロディが廊下に響いていた。
「〝ていッ!〟」
可愛らしい掛け声が聞こえたかと思うと、後頭部にコツリと何かが当たる感覚があった。私はそっと視線を上げると、ふくれっ面を浮かべた結音が潤んだ瞳をこちらに向けていた。
「ごめん……」
その顔を見て思わず謝ると、結音は再び「ていッ!」と私の頭を叩いた。
「謝るなってこと……?」
「〝コクリ〟」
どうやら結音はひどく怒っているようだった。今にも泣きそうな表情で私を見つめている。でもその上で彼女は私を許してくれようとしていた。
「新しい曲、あるんでしょ?」
そして続いて葵が口を開いた。彼女はいつもと変わらない少し不機嫌そうな顔をしていて、考えが上手く読み取れなかった。
「とにかく曲を聴かせなさいよ。話はそれからね」
「曲……?」
「私たちを呼び出したってことは、あるんでしょ?」
「ある、けど……」
確かに葵の言う通り、私は新しい曲を持ってきていた。あの日、京香と一緒に学校をサボり、そのまま朝までかかって作り上げた曲が。
事前にそのことは伝えていなかったが、葵は私が曲を作ってきていると確信している様子だった。
「まさか聴かせないつもり?」
「いや、そんなことない! 聴いてほしい」
私は慌てて音源データを二人のスマホに送る。すると各々がイヤホンを耳にはめて、静かに私の新曲を聴き始めた。
この判決を待つような数分間が懐かしかった。弥那に初めて曲を聴いてもらうときはいつもこんな気分だった。
永遠にも思える時間を過ごすうちに、どんどんと自信が無くなっていく。
今回はいい曲ができたはず。でも、もっと上手くできたかもしれない。気になっていたあそこはちゃんと直せていただろうか? そもそも本当にいい曲なのか? もしかしていいと思っているのは自分だけで、全然ダメなんじゃないか?
そんな不安に押し潰されそうになりながら、でもどこか期待してしまっている自分もいて、期待と恐怖がうごめく中で祈るように二人の真剣な横顔を見つめていた。
そしてようやく曲が終わったのか、二人がイヤホンを取って顔を上げる。
「この曲、譜面は?」
「え……?」
葵が最初に口にした一言があまりに予想外だったので、私は反射的に聞き返してしまう。
「譜面はあるのかって聞いてるのよ」
「一応、持ってきたけど……」
「じゃあこの後すぐに合わせましょう。結音も行けるわよね?」
「〝バッチコイ!〟」
私があたふたしている間に、トントン拍子に話が進んでいく。
「それじゃあ、二人ともバンドを続けてくれるってこと……?」
「こんな曲聴かされて、文句が言えるわけないじゃない」
そっけない風にそう言いながら、葵は顔を逸らした。
「そもそもやる気がなければ、わざわざここへ来てないでしょ」
「〝それな〟」
葵の言葉に、結音が奇妙なポーズと変な顔で同意を示す。それがあまりにおかしくて、私は思わず噴き出してしまう。そのおかげでやっと緊張が解けて肩の荷が下りた気がした。
「大体、どうせ戻ってくると思ってたわ。あなたも、京香も、そう簡単に音楽を辞められる人間には見えないもの」
背中を向けたままそう言う葵も、少しだけ笑っているように見えた。
「そろそろ時間みたいね」
ちょうど奥の部屋から練習を終えたおじさんたちが機材を持って出てきていた。時計を確認すると、話しているうちに入れ替えの時間になっていた。私たちが予約していた部屋からも別のバンドが出てきたので、そろそろスタジオに入って練習を始められそうだった。
「それで、京香はどうしたの?」
機材をまとめて予約していた部屋に入ろうとしたところで、まだ京香が来ていないことに気付く。スタジオの予約時間は伝えてあるので、本来ならもう来ていないとおかしい。
「おかしいな……」
一瞬不安が頭をよぎるのを被りを振ってかき消す。きっともう彼女も大丈夫なはずだ。
すると、ちょうどそのタイミングでスタジオの扉が開いた。
「ごめん、遅れちゃった! ちょっと準備に手間取っちゃって……」
走ってやってきたのか、髪をボサボサにして息を切らした京香が入ってきた。私は少しでも彼女を疑ったことを申し訳なく思いつつ、安堵の息が漏れる。
「京香、もしかしてそれは……?」
「あ、うん! 実はギター買っちゃったんだー!」
京香は背負っていたケースを下ろすと、中に入っていたギターを取り出して誇らしげに抱えた。新品特有の光沢を放つ水色のテレキャスターは、彼女の嬉しそうな表情ととてもマッチしていた。
「実はこのためにずっとバイト代貯めてたんだよねー」
「そっか、それで……」
さほどお金に困っているイメージのなかった京香がわざわざバイトをしていたのを少し不思議に思っていたが、ギターを買うつもりだったと知って納得する。こうしてサプライズで私たちを驚かせるために、あえて何も言っていなかったようだった。
「でもギター弾けるの……?」
何度かスタジオで私のギターを貸したりしたこともあったが、その時は簡単なコードを押さえることも覚束ない完全なる初心者だった。
「生半可な演奏なら許さないわよ」
技術面には厳しい葵がすかさず窘めるように言う。彼女の性格からすると、実際に技量が足りていないと判断すれば、京香がギターを弾くことを許さないだろう。
「わかってる。だからダメだったら遠慮なく言って。でも、結構自信あるかも」
そんな挑発的な葵に対し、京香は得意げな笑みを返す。
「そ、それじゃあ全員揃ったことだし、そろそろ始めよっか」
危うく喧嘩になりかねない空気を感じたので、私はそれとなく二人の間に入って仕切り直す。
「とりあえず新曲から合わせてみる?」
「そうね」
「〝りょ!〟」
「よし、やるぞー!」
全員の準備が整って、葵のフォーカウントから曲が始まった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます