5-3

『あの曲』を作った頃、弥那を取り巻く環境が大きく変わっていた時期だった。

 元々じわじわとファンを増やしていたところに、有名アーティストが彼女に言及したことで話題を呼び、インターネット上で拡散されて一気に知名度が上がった。

 音楽雑誌などでも積極的に取り上げられて、界隈ではカルト的な人気を誇るようになる。すると行列には人が並ぶように、人気ならば聴いてみようという人が現れて、ファンは加速度的に増えていった。

 そんな飛ぶ鳥を落とす勢いを見た一部の人々が半ば言いがかりのような批判を繰り返し、それに対抗して彼女を擁護する言及も増え、彼女自身は何も手を下さぬうちに彼女を取り囲む輪が広がっていく。

 そんな話題性に乗っかりたいテレビ番組が彼女を取り上げて、目を付けた大手レコード会社からメジャーデビューの話も持ち掛けられていたらしい。

 まさにあの頃の彼女は、革命前夜。引き金が引かれるのを待つだけの状態だった。

 当然色んな仕事が舞い込んできて、加えて個人制作にも意欲的に取り組み、彼女は忙しい日々を送っていた。毎日のように彼女の部屋に入り浸っていた私も会える時間が減っていったが、私はそれが素直に嬉しかった。

 しかし一方で、あっという間にスターへの階段を駆け上がろうとしている彼女に対し、私はこのまま置いていかれるのではないかという焦りもあった。

 私は音楽を始めてから、ずっと彼女と一緒に音楽を作りたいと思っていた。そのために音楽をやっていたと言っても過言ではない。

 彼女は私にギターの弾き方から曲の作り方まで、一つ一つ丁寧に教えてくれたが、決して私の作った曲を褒めないし、自分の作る音楽には私を立ち入らせなかった。

 それは単純に、彼女が私の音楽に魅力を感じていなかったからで、私に限らずすべてのものに対して彼女は絶対に嘘を吐かなかった。そういう森羅万象への真摯な態度こそ、きっと彼女が最も大切にしていた信念だったんだと思う。

 どんどん彼女が人気になっていけば、一緒に音楽をやるという夢は叶わなくなってしまうかもしれない。

 そんな焦りから、私は彼女が忙しなく活動している時間を使って、夢中で曲を書いた。

 彼女に歌ってほしい。その気持ちを本気ぶつけた、彼女のための曲。

 適当な理由を付けて学校をサボり、何日も徹夜して、ようやくその曲は完成した。

「何だよ、こんな朝早くに……」

 私は徹夜明けで充血した目を擦りながら、アポなしで彼女の部屋を訪れた。

 昨日も遅くまで仕事だったようで、彼女は眠そうに私を出迎える。

「いきなりごめん。曲を聴いてほしくて」

 それだけ言って音源を渡すと、彼女は何かを察したのか、それ以上何も言わずに黙って曲を聴いてくれた。

 彼女がじっと耳にヘッドホンを当てている間、たった数分間のはずの時間が途轍もなく長く感じられた。判決を待つ被告人のような気分で、息をするのも忘れて彼女が聞き終わるのを待つ。

「いいじゃん」

 曲が終わってヘッドホンを外した彼女は、こちらを見ずにただ一言そう呟いた。

 その瞬間、長かった暗いトンネルを抜けて、視界が開けていくようだった。

 意味があるのかもよくわからないまま、苦しくて何度も辞めようと思いながらも、何とかここまでやってきた。その道のりすべてが肯定されて、自分の積み上げてきたものに初めて意味が生まれた。

 満足感に満たされた私は、ここ数日ろくに寝ていないツケが一気にのしかかってきて、疲労感と睡魔に押し潰されるようにして意識を失った。

「……ったく、やっと起きたか」

 泥のように眠って目を覚ますと、彼女が得意げな笑みを浮かべながら私の顔を覗き込んでいた。

「これ、聴いてみ」

 そう言って渡されたヘッドホンを耳にかけると、私は驚きでぼんやりとしていた意識が一瞬で覚醒する。

 それは私が作ったあの曲で、そこにはなかったはずの弥那の歌が乗せられていた。

「こんなに急ピッチで仕上げたのは久々だったわ。なんか最初の頃を思い出して懐かしくなった」

 彼女は私が眠っている間に、歌入れをして曲を完成させていた。一度も私の曲を褒めたことがなかった彼女が、確かにこの曲を認めてくれた紛れもない証左だった。

「おいおい、何も泣くことはねえだろ」

 彼女に指摘されて、私は自分が涙を流していることに気付いた。

「ねえ、弥那。私この曲好きかも」

「何言ってんだよ。これはアンタの曲だよ」

 私はたった一人、村雲弥那に褒めてもらえればよかった。

 弥那が認めてくれた自分なら、認められた。

 だからこそ私は弥那のことを神格化しすぎていたのかもしれない。

彼女が否定されることは、私が否定されることだった。

 天才である彼女に認められた私。天才である彼女の隣にいた私。その存在価値を失うのが怖かった。

 だから私は彼女の存在が死によって風化するのが許せなかった。彼女を忘れていく世界が許せなかった。

 今になって思えば、それらしい理由を付けていただけで、私は音楽をやるのが怖かったのだ。やっと弥那に認めてもらえたのに、またゼロから目標を見つけて音楽をやっていく勇気がなかった。それなら弥那との思い出に縋って、絶望したふりをしている方が楽だった。

 それでももう一度音楽をやろうと思えたのは、京香が私を信じてくれたからだ。

 たぶん私は私のために曲を作れない。自分のことを信じられないから。

 だから京香を信じたいと思う。京香の信じてくれる私の音楽を信じたい。

 もしそれができたなら、私はやっといなくなった弥那に顔向けできるような気がする。

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