4-2
二度目のライブが明けて数日が経過し、その日はライブ後初めてのスタジオだった。
ロビーで軽く挨拶を交わした後、スタジオに入るとそれぞれが黙々と準備を進める。いつもなら京香を中心に雑談に花が咲く時間だったが、その日は何となく誰も喋らないまま、みんな互いに背を向けて作業をしている。
二重扉で仕切られた防音室は沈黙を妙に際立たせる。私はそれが嫌で、歪んだギターを無意味に鳴らしていた。
「そろそろ始めましょう」
淡々とした葵の言葉を合図にして、私たちはいつもと同じように曲を合わせ始める。
演奏自体は悪くなかったと思う。最初の頃に比べれば、各自のレベルも上がっているし、息も合うようになってきた。それなのにどこかちぐはぐな感じがしてしまうのは、演奏にしっかり集中できていないからだった。
ひとしきり曲を合わせ終えて、葵はスティックをスネアの上に置いて溜め息を吐いた。
「そういえば、新曲の方はどうなってるの?」
「あ、ごめん。まだあんまりできてなくて……」
ライブが終わったら新しい曲を作り始めるために、デモを作ってくるよう何度か催促をされていたのだが、未だに一曲も出来上がっていなかった。うろたえるような私の返答に、葵は再び大きな溜め息を漏らす。
「……もう今日はダメね。これ以上やっても無駄だから、終わりにしましょう」
葵はそう言ってそそくさと片付けを始めてしまう。京香も結音も何か言いたげではあったが、反論することはなく、結局予約時間を半分以上残してスタジオを後にした。
「ちょっと、灯里元気なさすぎじゃない? 景気づけに甘い物でも食べにいこーよ!」
葵たちと別れて二人きりで帰っていると、トボトボと歩く私に抱き着くように京香がくっついてきた。スタジオでは静かだったが、いつの間にか調子を取り戻している。こういう切り替えの早さは彼女らしい。
「ごめん。今日はやめとく」
私はとても遊んだりする気分にはなれなかった。すぐに帰って、今日こそ曲を作らなくてはいけない。葵に指摘されたことで、その焦りがいつにも増して強くなっていた。
今日の練習は散々なありさまだったが、前回のライブはさほど出来が悪かったわけではない。
私たちが呼べたお客さんは合わせて五人。他のバンドのお客さんや端でタバコを吸っている出演者を合わせても、フロアにいるのは十数人だった。確かにライブの盛り上がりだけ見れば大惨敗だったと言える。
しかし、バンドとしてのレベルは確実に上がっていたし、得るものもたくさんあった。やりたい音楽や目指したい音が少しずつ見えてきた気もする。何よりバンドで演奏することに慣れてきて、メンバーとの仲も多少深まったことで、ステージを楽しむ余裕が出てきた。
もちろん課題はたくさんあるけれど、それなりに充実感も得られた。少なくともステージを降りた瞬間はそう感じていた。
私たちはライブのトップバッターで、次に出てきたのは少し落ち着いた風格の男性四人組バンドだった。メンバーは全員三十歳くらいで、歴を重ねている分、演奏力は驚くほど高かった。特にボーカルの素直でまっすぐな歌声はとても綺麗で、軽々と歌い上げるメロディが透き通るような心地よさを与えてくれた。
「……実は、僕たち今日が最後のライブなんです」
三曲目が終わって、薄暗いステージの中心に立つボーカルが前置きもなく語り始めた。
「最初、高校でバンドを始めた時は、いつまでだった音楽をやり続けるんだって、そう思ってました。そしてその気持ちを忘れないまま、今日まで走り続けてきたつもりです。でも、あれから十五年経って、周りの色んなものが変わっていきました。学生時代は一緒に馬鹿やってた友達がいい企業に入って、出世して、結婚して、子ども産んで。対バンして競い合ってたライバルは仕事が忙しくて何年も音楽を聴いてないし、大好きだったバンドはしょうもない不祥事で解散しました。去年親父がガンで死んで、葬式の日はライブがあるからと地元に帰らなかった。三人しかいない客席の前で歌っていたら途中で一人帰っていって、全部を捨てて歌っているのに、目の前の人にすら届かないことが悔しくて仕方なかった。それでも今日までやってきたのは、ただ意固地になってただけだったんだと思います」
その語り口は決して悲壮感を帯びておらず、それがかえって恐ろしかった。彼の顔はひどく疲れていて、重たい荷物を一つずつ下ろしていくように言葉を紡いでいく。
「別に悩み尽くした末に決断したとか、そういうことじゃないんです。ほんとに思い付きで、昼ご飯にラーメンを食べようと考えるくらいの気軽さで、音楽を辞めようと思った。じゃあその日にメンバーに話そうと思ってスタジオに行ったら、先にベースのたかちゃんがバンドを抜けたいって言い出してさ。それを聴いた時は笑っちゃったよ。流石は十五年も一緒に音楽やってきた仲間だなって」
そうして彼らは正真正銘最後の曲を演奏し始めた。
客席にいるのは食い入るように見つめる最前列の三人と、私たちだけだった。
伸びやかな美しいロングトーンが狭いライブハウスいっぱいに響き渡る。
「ありがとうございました」
十五年を締めくくるにはあまりにあっけない挨拶があって、感傷もなく機械的に舞台が暗転する。ラウド系の洋楽が流れ始めて、次のバンドのお客さんたちがざわざわと入ってきた後も、私はしばらくその場から動けなかった。
たぶん音楽というものの難しさを初めて目の当たりにしたのだと思う。
彼らは音楽が大好きで、友達同士でバンドを組んで、十五年も一心不乱にバンドを続けてきた。技量もあって、曲もよくて、CMソングを歌ってテレビに出ていてもおかしくないくらいいいバンドだった。
それなのに、彼らは解散ライブですらノルマ制のブッキングライブで、高校生バンドの後に演奏時間は二十分、お客さんはたったの三人だけ。結局ほとんど誰にも聞かれないまま、彼らの音楽は消えていってしまうのだろう。
別にプロになりたいとか、売れたいとか、そんな大それた気持ちがあったわけではない。そもそも唯一のファンである京香に言われてバンドを始めたのだから。
でもどうしたって、目の前であんな姿を見せられてしまえば、言い知れない虚しさを感じざるを得なかった。
たぶん葵も、結音も、京香も、多かれ少なかれ同じようなことを感じたはずだ。「私たちは何のために音楽をやるのだろう」と。そしてそれを振り払うほどの演奏をできなかった。
家に帰ると急に疲労感が襲ってきて、ギターをケースから出さずにそのまま眠ってしまった。
私はまだ曲が作れないでいる。
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