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 バイトを始めて二週間が経過し、流石の私も少しずつ仕事に慣れつつあった。細かいミスはあれど、他のメイドの邪魔をしないよう、最低限の仕事をこなすことはできるようになっていた。

 ただ、それはどちらかというと、飲食店のホールスタッフとしての仕事の部分で、メイドとしての仕事に関しては一向に成長していなかった。

 相変わらず表情や態度はぎこちないままで、お客さんから話しかけられると緊張で簡単な相槌もできずに黙り込んでしまう。せめて来店時と退店時の決められた挨拶だけはちゃんとしようと思っても、いざ声を出そうとすると喉の奥で言葉が詰まって、吐息混じりの掠れた声が漏れるだけだった。

「あの、厨房でお皿洗いとかやらせてもらえませんか? その方がまだお役に立てると思うので……」

 もう自分には無理だと諦めて、るなっぺにそんな相談を投げかけた。本当はもう辞めてしまいたいくらいだったが、親切にしてもらっている手前、それも申し訳ない。少しでも役に立つことをするか、むしろこれがきっかけでクビ宣告されてもいいと思っていた。

「だーめ。臨時とは言え、あなたもうちの立派なメイドさんなんだから、ちゃんとお客さんの前に立たないと。そもそもお皿は優秀な食洗器くんが洗ってくれてるしね」

「でも、やっぱり私には向いてないというか……」

「そんなことないわ。まだちょっとしか働いてないから、自分のスタイルが見つけられていないだけよ。むしろ、それを見つけるためにも、もっと積極的にお客さんと触れ合っていきましょう」

 るなっぺはそう言って私を励ます。私のことを使えないとか、メイドに向いていないとか、彼女がそんなことを全く思っていないのが逆に苦しかった。

「それじゃあ、私どうしたらいいですか……? どうしたら、るなっぺや京香みたいにちゃんと働けますか……」

「うーん。あかりんはさ、ちょっと真面目すぎるのかもね」

「真面目……?」

「あの時ああ言えばよかった、こうすればよかった、みたいに、できなかったことを考えすぎてるんじゃない? ちゃんとできてることもたくさんあるのに、それは当たり前だって勝手に決めつけて、自分を褒めてあげられてない。私はあかりんが思ってるほど、仕事ができてないとは思わないけどな」

 でも私は実際にできていないことばかりだった。お客さんと上手く話せず、緊張して注文を聞き間違え、焦ってお皿を落とす。改めて思い返してみても、自分の仕事ぶりは明らかに悲惨だった。

「そもそも私もキョーカちゃんもあかりんとは全く違う人間でしょう? だから同じように働こうとしなくていいの。あかりんはあかりんにできることをやってくれれば、それが一番なんだから」

 るなっぺが言わんとしていることは理解できた。

 みんなちがって、みんないい。

 個性を尊ぶ言説は、特に現代では耳にタコができるほど聞こえてくる。でもその個性というのは社会の枠組みの中に収まるもののことで、役割を与えられ得るもののみを指す。私のように社会に馴染めない無価値な個性は、外れ値として無視されるだけだ。

 それ以前に、私に個性なんてものはあるのだろうか。ただ、根暗でコミュ障で後ろ向きだという欠点があるだけではないのか。

「そうだ! 今日のシフトが終わった後、少しお店に残れるかしら? あかりんに見せたいものがあるの」

 私は仕事を終えて私服に着替えると、そのままバックヤードに残っていた。時間になったら呼びに来るというので、るなっぺが来るまで音楽を聴いたりしながら時間を潰す。京香にも声をかけたのだが、用事があるということで先に帰ってしまった。

 見せたいものと言っていたが、それが何なのかは教えてくれなかった。私のために何かしてくれようとしているのはわかったので、嫌な気はしなかったが、ちゃんと彼女の期待に応えられるのかが不安だった。

 気を抜くと今日の失敗がフラッシュバックしそうになって、私は音楽に没頭するふりをしてボリュームを上げる。

 どうして私はこんなに向いていないバイトをしているんだろうと虚しくなる。お金が必要だとしても、他にバイトはたくさんある。もっと単純作業のようなものとか、私にもできる仕事だってあるはずだ。

 それなのに、ノリノリの京香に流されるままここまで来てしまった。私はいつもそうだ。あれこれ悩む癖に、肝心なところは決められなくて、流れに身を任せてしまう。

 バンドだって、京香が強引に誘ってくれたからやっているわけで、本当に自分がやりたいかと問われれば答えに窮する。今は始めたばかりで楽しさが勝っているけれど、いつか大きい壁に当たった時、それを乗り越えられるほどの想いがあるのだろうか。

 そんなことを考えていると、肩をトントンと叩かれて、ハッと身体を起こす。後ろを振り返ると、優しい笑みを浮かべるるなっぺの姿があった。

「ごめんなさい。驚かせちゃったかしら」

「あ、いえ。全然大丈夫です」

「それじゃ、もうすぐ時間だから行きましょうか」

 私はるなっぺに連れられてバックヤードを出る。てっきりどこかへ出かけるものだと思っていたが、彼女が向かった先は店のホールだった。

「お客さん、すごいですね……」

 普段は満員になることがあまりない店内が、別世界に見えるほど多くのお客さんで埋め尽くされていた。場所によってはテーブルが撤去されて椅子が増設されているので、通常営業時よりも席数も多くなっていて、後ろから見るとかなり窮屈に感じるほどだった。

 六時を過ぎて仕事を終えてきた人が多いのか、スーツやそれに準ずる恰好をした男性が目立つ。他にもよくお店で見かける常連客や、若い女性の姿もパラパラと散見された。

「ライブ、ですか?」

 お客さんは全員店の奥側を向いていて、その視線の先には簡易的なステージのようなものが設置されていた。両端にはスピーカーも置かれていて、これからここでライブが行われるらしいことがわかる。この大量のお客さんたちは、そのライブを見に来た人たちなのだろう。

「今日は月に一度のライブデーなの。まだ見せたことがなかったから、見てもらおうと思って」

 るなっぺの言っていた見せたいものというのは、どうやらこのライブのことだったようだ。しかし、昼間の話とライブが上手く繋がらず、彼女の意図がいまいち読み取れない。

「さあ、始まるわよ」

 ホールの電気が消えて、お客さんたちが期待を煽るような歓声を上げた。そして、ステージにスポットライトが当たると、三人のメイドが割れんばかりの拍手の中登場する。

「こんばんわー! お姫様じゃいられないご奉仕メイド、『ぷりんせす・さーびす』です☆」

 ステージの中央に並んだ三人が口上に合わせてポーズを決める。すると店内の盛り上がりは最高潮に達し、歓声や拍手、メンバーの名前を呼ぶ声などが鳴り響く。

「早速一曲目から飛ばしていくよ! めいど・いん~~?」

『ぷりんせす!!』

 完璧に揃ったコールアンドレスポンスに続いて、オケ音源が流れ始める。シンセが目立つ派手な打ち込みサウンドで、明るく華やかな曲に合わせて、ステージ上の三人はカラフルな衣装をはためかせながらキレのあるダンスを踊る。

 少しダンスを見ただけでも、その裏で途方もない練習を経てきていることが窺えた。一瞬一瞬の表情や指先の細かい動きまで意識され尽くした動きは、思わず見とれてしまうほど美しい。

 お客さんは曲に合わせて身体を動かしたり、しっとりと目を瞑って聞き入ったり、食い入るようにその姿を目に焼き付けたりと、各々が好きなようにその場を楽しんでいた。そうして三人の歌とダンスがお客さんを魅了し、空間を支配していく。

「あの子たちね、今はあんなにキラキラしてるけど、最初うちに来た時は結構大変だったの」

 見守るような目でステージを見つめていたるなっぺが、そっと私にだけ聞こえるように思い出話を始めた。

「右のりなりなは歯並びが悪いのがコンプレックスで、上手く笑顔が作れないって悩んでた。頑張って歯を見せないように笑ってみたり、逆に我慢して歯を見せてみたりしたけど、どっちも本人的には苦しかったみたい。だから、いっそ隠してみたらって言ったの。扇子を持って上品に笑顔を隠したら、意外と受けるんじゃないかって」

 確かに、ステージにいる彼女も扇子を手に持っていて、時折口元を隠すようにそれを開いていた。顔が半分隠れることでミステリアスな雰囲気が出て、艶めかしさが増しているように感じる。

「センターのらんピはすごく気が強い子でね。言葉が強くて他の子を泣かせちゃったり、お客さんと喧嘩することもあったわ。でも心根は優しくて、本当は自分でもそうやって周りを傷付けてしまうのが嫌だった。いつも余計なことを言ったって、後悔していた。それならいっそ、すぐにその後悔を口にしてみたら、その高低差のすごいアメと鞭がお客さんに刺さったみたいで、今はうちの人気ナンバーワン」

 目つきの鋭い性格のきつそうな顔の彼女は、ステージ上で溢れんばかりの笑顔を振りまいている。それは取り繕うことなく彼女の本心から出たもので、彼女が心底このステージを楽しんでいることが見て取れた。

「左のみりぽんは、ちょっとあかりんと似てるかもしれないわね。元々すごく人見知りで、お客さんと上手く喋れないって悩んでた。でも、それだったらもう喋るのをやめたらいいんじゃないかって、一言も声を発さずに接客をしてもらうようにしたの。そうやって割り切ったら彼女も楽になったみたいで、今はああやってステージに立つまでになってる」

 少し控えめな笑顔をこちらに向ける彼女は、それでも他の二人と同じくらい輝いていた。人見知りだったという彼女がステージに立てているのは、きっと彼女にとってとても嬉しく幸せなことだろう。私はそんな彼女の輝きが羨ましく思えた。


  お姫様じゃいられない 私があなたに会うため

  お城を飛び出して 迎えに行きます

  お姫様じゃいられない 私が私であるため

  ご奉仕したいんです

  めいど・いん・ぷりんせす


「うちにはそういう器用に生きられない子たちが多いのよ。でもそれでいいと思ってる。ただテキパキ仕事をこなせる子だったら、わざわざうちみたいなところで働く必要はないもの。お客さんも一人一人の個性を面白がってくれるから、それを伸ばしてくれればいい。自分らしく、自然体で働いてくれるのが一番なの」

 それを聴いて、バンドも同じなのかもしれないと思った。

 世の中には圧倒的な天才がいて、すでに素晴らしい音楽がたくさんある。技術的にも未熟で才能もない私たちがそれでも音楽をやるのは、私たちの音楽にしかない小さな個性を求めてくれると信じているからだった。私の曲を京香が求めてくれたように。

「みんな、ありがとー!」

 曲が終わり、三人が客席に向かって手を振ると、一層大きな歓声が上がる。

 私も彼女たちのように、自分が輝ける形を見つけることができるのだろうか。そんなことを思いながら、最後までライブを見届けていた。

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