2-2

 顔合わせから一週間ほどが経過し、その日は初めてスタジオ練習をするために集まっていた。

 京香とは学校で会っていたものの、葵と結音に会うのは顔合わせ以来だったため、私の中では関係値が完全にリセットされて初対面のような緊張感を抱いていた。

「お、お久しぶりです……」

「〝めっ!〟」

 出会って早々敬語で話しかけてしまい、結音におでこをチョップされる。それを見て京香はおかしそうに笑っていたが、こちらとしては笑いごとではなかった。

 気を取り直して、私は背負っていたケースからギターを取り出す。中学二年生のときに誕生日とクリスマスとお年玉をすべて合算して、無理を言って買ってもらったフェンダージャパンのジャズマスターだ。何の知識もないまま楽器屋に行き、一目惚れして即決した。少し焼けたようなクリーム色のボディに、べっ甲のピックガードが映えていてとても気に入っている。

 マーシャルの尖った音とジャズマスターの特性を生かして、高音を強めにジャキジャキとした音を作る。ただキンキンとうるさくなりすぎないように中音域も調整して、そこにブルースドライバーを浅めのクランチでかけてあげれば、分離感のある煌びやかな音色が完成する。

 顔を上げて他のメンバーの様子を確認すると、葵と結音もセッティングを終えているようだった。京香だけまだ準備ができておらず、マイクを持ったままPA卓の前であたふたとしている。ちょうど近くにいた結音がそれに気付き、一緒に繋ぎ方などを確認してあげていた。

 手持無沙汰になった私は、手癖のコードをぽろぽろと鳴らしながら、四人でも手狭な小さいスタジオをぐるりと見回す。

 スタジオ自体には弥那と何度か入ったことがあったが、こうしてバンドとして練習に入るのは、この間のセッションを除けばこれが初めてだった。それぞれがバラバラに出した音が入り乱れて、閉ざされた空間の中に充満している。これからこの四人で同じ音楽を奏でるということが上手く想像できなかった。

「ごめん! お待たせ!」

 ようやく京香もマイクの準備ができたようで、スタンドにマイクを差しながら言う。他の二人も定位置について、いつでも演奏が始められるよう態勢を整えた。

「とりあえず今日はこの間もらった曲を合わせてみるのよね?」

「あ、うん。それでいいと思う」

 葵にそう尋ねられて、気のない返事を返してしまう。私が曲を作ることになっているからか、練習も仕切るのも私に任せる雰囲気が出来上がっていた。

 今日の練習では事前に共有した私の曲を合わせることになっていた。昔作った曲をこのバンド用に少しアレンジし、三人には先にデモ音源を渡してある。

 本来ならすでに一度合わせている『demo』をやるべきなのだが、あの曲は無理を言ってやらないことにさせてもらった。

 再び音楽をやると決めたとはいえ、弥那のことに折り合いが付いたわけではない。そんな中で彼女のために作ったあの曲をやる気にはなれなかった。

 京香はとても不満そうにしていたが、事情を把握している分、渋々納得してくれたようだった。「別の人と作った曲だから、このバンドではあまりやりたくない」と伝えると、意外にも他の二人からも文句は出なかった。

「その分、もっといい曲を作ってきなさいよ。こっちを納得させる曲じゃなきゃ、私はやらないわよ」

 葵にそんな脅しめいたことを言われて少し不安になったが、後で京香が「あれは葵っちなりの激励なんだよ」と教えてくれた。それはそれで期待に応えられるか心配だったが、とにかくまずはやってみるしかない。


  朝焼けが漏れる

  終わる夜に安堵して

  明日が来るまで

  少しだけ眠ろう


 この『青い夜、白い朝』は私が初めて作った曲だった。まだろくにギターも弾けないのに、その拙い技術と限られた知識の中で、夢中になって作った一曲。

 昔から眠るのが苦手で、気が付くとカーテンの隙間から朝焼けが漏れていることが多かった。あと二、三時間で学校に行かなくてはならない。もういっそ眠らずにいようと枕元に置いた文庫本を手に取ると、途端に眠気が襲ってくる、

 そういう夜と朝の狭間、世界が一番静けさに満ちたわずかな時間に、眠たい瞼を擦りながらひっそりとギターを爪弾いて作ったのを覚えている。

 このバンドでやるにあたってアレンジをしつつ細かい部分も作り直した。元々はギター一本のしっとりとした曲調だったのをアップテンポに変えた結果、爽やかなロックテイストがバンドサウンドに合う形に仕上がった。

 駆け抜けるようにかき鳴らす明るいコードに、どこか切なさを帯びたメロディが重なる。そのアンバランスな雰囲気が、朝焼けの曖昧な色を上手く表現できている気がした。

 曲が終わり、最後にタムの音が響いて、一瞬の静寂が訪れる。

「どうかな……」

 演奏が止まると、急に不安が押し寄せてきて、それが言葉になって口から洩れる。

「めっちゃいいよ……! 私が好きな灯里の曲って感じだった!」

 するとすかさず京香がそう答えて、熱いまなざしをこちらに向けた。

「……改善点はたくさんあるけれど、悪くないわね。最初にしては上出来ってところかしら」

「〝グッ!〟」

 葵と結音も後に続いて感想を口にする。とりあえずはおおむね好評のようで、私は肩の荷が下りたように安堵した。

 その後も何度か曲を合わせているうちに、メンバーそれぞれの個性が垣間見えてきた。

 まず葵のドラムはかなりタイトで、機械のように少しかっちりしすぎている節もあったが、まだまとまり切っていないバンドのアンサンブルを底から引っ張ってくれていた。息苦しさを感じるほどのシリアスな音も、私の根暗な歌詞とマッチしている気がする。

 結音のベースは葵と長い付き合いなこともあってか、ドラムとの相性は完璧だった。自由奔放で遊び心のある演奏は葵とは対照的だが、決してリズムを逸脱しすぎることなく、重要なところでぴたりと音が合うのが気持ちよかった。

 私はというと、バンドで合わせる経験が少ないこともあって、他の音を聴きながら演奏するのにかなり苦労していた。微妙な呼吸のずれが曲の印象を大きく変えてしまうため、各々の演奏の意図を汲み取りながら音を合わせなければならず、これは何度も練習を重ねるしかなさそうだった。

 そして、問題は京香のボーカルだった。初心者だから技術的な部分は仕方ないにせよ、彼女の歌の良さが完全に消えてしまっていることが重大だった。

 歌の上手さという意味で言えば、おそらく前のスタジオで『demo』を合わせたときよりも成長していた。明らかに練習量の多さが窺えたし、カラオケで採点したらそれなりに高得点の出る歌い方だと思う。

 しかし、バンドのボーカルとなれば話は別だった。確かに正しい音程をきちんとなぞり、リズムも安定している。ただ、それを意識しすぎているのが、ひどく平坦でつまらない歌い方になってしまっていた。彼女が持っていた抑揚のある朗読のような歌は面影もなくなっている。

 葵と結音も口にこそ出さないが、同じことを思っているようだった。演奏の度にちらちらと京香を一瞥する。当の本人はどうやら緊張しているらしく、そんな視線に気付かずに真っ直ぐマイクを向いて歌い続けていた。

「お疲れー!」

「お疲れ様」

「〝ぐっばい〟」

 そんなこんなで気付けばあっという間に時間が過ぎて、初回の練習を終えてそのまま解散になった。私と京香は葵たちと別れ、退勤ラッシュで混雑する電車に乗って帰路に着く。

「ねえ、どうだった?」

 京香にそう尋ねられて、私は答えに迷う。具体的なことは言わなかったが、彼女の曇った表情を見るに、それは自分の歌がどうだったかという質問だった。

「正直、結構楽しかったかも」

「……そっか。それならよかった」

 何も気づかないふりをして答えるずるい私に、京香は無邪気な笑みを返してくれた。

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