トラック2 青い夜、白い朝

2-1

 全国的に梅雨入りが発表され始めて、どんよりとした曇り空が気になる中、私と京香はアーケードの途中にあるファミレスに来ていた。

 卓上に置かれたタブレットとにらめっこをしながら、ページを行ったり来たりしてメニューを吟味する。夕食にはまだ少し早い時間だったので、せいぜい軽食かデザートだけにするつもりだったのだが、いざ美味しそうな写真を見ると目移りしてしまう。

「適当にポテトとか頼んで、後はドリンクバーでいいんじゃない?」

 そんな京香の提案がなければ、危うくミックスグリルをご飯大盛りで頼んでいるところだった。私は一旦冷静になって、タブレットを彼女に渡して注文を委ねた。

「てかさ、もしかして緊張してる?」

注文を終えてお互いに飲み物を取ってきたところで、ニヤけた顔でこちらを覗き込んでくる。

「まあそれなりに……」

 私は強がってそう返してみるけれど、実際は心臓が口から飛び出そうなほど鼓動が速くなっていた。メニューをまじまじと見ていたのも、そんな緊張を誤魔化すためだ。手持ち無沙汰になって、再び鼓動の音が耳の奥に響く。

「こないだ会ってるんだし、大丈夫だって! 二人ともいい子だしね」

 今日はあの日のスタジオ以降、バンドメンバーとの初めての顔合わせだった。結局あの日は演奏が終わるとすぐにスタジオを出なければいけない時間になっていて、そのままの流れで何となく解散となった。

 そんなわけで今日改めてここに集まって、お互いの自己紹介をする予定になっていた。私と京香は授業が早く終わったので、ひと足先に収納場所のファミレスで残りの二人を待ってるというわけだ。

「あ、来た! おーい」

 京香が入口の方に手を振る横で、私は身体を強張らせながらテーブルの木目をじっと見つめる。

「よし。じゃあこれで揃ったから、まずは自己紹介しよっか!」

 まだお互いに様子を見合っているせいか、ふわっとした何とも言えない空気の中、京香の明るい声が場を一気に掌握する。こういう時、彼女のような人が積極的に仕切ってくれるのはありがたかった。

「私は藤原京香! って、名前はもう知ってるか……。灯里の大ファンです! よろしくね!」

 思いがけぬタイミングでファンだと言われて、ついドキッとする。こういうあけすけなところが京香のいいところであり、ずるいところでもあった。

「私は神保葵。よろしく」

 ぶっきらぼうに名前を言う彼女はスタジオでドラムを叩いていた子だった。高飛車な雰囲気と目じりの吊り上がったぱっちりとした猫目、そして真っ直ぐ伸びた艶のある黒髪が、あの時聴いた神経質そうな音の印象と合致する。

「〝スッ〟」

 続いて隣に座っていたベーシストが自己紹介をする番だったが、彼女は自ら擬音を口で発すると、何かを懐から取り出して自分の顔の横辺りに掲げた。

 それは達筆な文字が書かれた額だった。さながら元号発表のように掲げて私たちに見せている。何故か彼女はとても得意げな顔をしていて、こちらの反応を待ちわびている様子だった。

「北田結音……?」

「〝コクリ〟」

 私が額の中に書かれた文字を読むと、彼女は頷きながらその動きに合わせて再び擬音を発する。その反応を見るに、どうやらこれが彼女の名前らしい。

「結音ちゃんはちょっと無口なんだよねー。だからこうやって擬音とか簡単な単語とジェスチャーで会話するんだよ。それが可愛いんだー」

「〝えへへ~〟」

「元々中学の頃に吹奏楽部でコントラバスをやってたんだって!」

「〝えっへん〟」

 喋らない北田さんに驚きを隠せなかったが、京香はまるでそんなことは意に介していないようで、何の違和感もなく意思の疎通を図っていた。あまりにそのやり取りが自然で、変に気にしている私の方が変なのではとさえ思える。

 北田さんは高校の吹奏楽部に入ったものの、あまりに体育会系っぷりにすぐに退部。その後は一人でベースを録音して、演奏動画をネットにアップしたりしていたらしい。

 二人は幼馴染で、今も同じ高校に通っているらしい。元々は共通の友達から北田さんを紹介され、彼女から神保さんを紹介してもらったという流れだった。二人は一緒にやっていたバンドが解散してしまい、新しいメンバーを探していたため、京香の誘いに興味を持ってくれたのだと言う。

「でも、神保さんと北田さんは、なんで私なんかとバンドを組んでくれることにしたんですか……?」

 一通り自己紹介を終えて、私はずっと気になっていたことを尋ねる。

「はあ?」

「〝はて?〟」

 私の問いかけに対し、二人はまるで質問の意図がわからないというように、疑問符を顔に浮かべる。

「何故って、あなたの曲が気に入ったからでしょ」

「〝YES!〟」

 神保さんは当たり前のことのようにそう言って、北田さんが激しく首を縦に振ってそれを肯定する。

「そゆこと! 私たちはみんな灯里のファンなんだよ!」

「〝同意〟」

「まあファンは言い過ぎだけれど、一緒にやってもいいと思ったのは事実ね」

「そんな、大した曲じゃ……」

 京香はともかくとして、神保さんと北田さんにまで褒められて、むず痒い気持ちになる。素直に受け取ることもできず、かと言って強く否定することもできずに、ただもじもじと下を向いてしまう。

「てかさ、そんなことより、さっきから灯里だけよそよそしくない? 同い年だし、しかもこれからはバンドメンバーなんだから、苗字さん付け敬語はなしでしょ」

「確かに、変に気を遣われるのは気持ちが悪いわね」

「〝わくわく〟」

「いや、でも……」

「でもじゃなくて、とりあえず名前を呼んでみてよ! こういうのは無理矢理決めちゃうのが大事なんだから」

 京香に強引に押し迫られて、私はのけぞりながら顔を逸らす。しかし、こうなった彼女からは逃げられないとわかっていた。

「……アオイ、ユイネ」

 絞り出すように名前を口にすると、恥ずかしさで顔から火が出そうになる。

「なんかぎこちないけど仕方ないか。今日のところはこれで許してあげる」

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