1-3

 それからというもの、京香は頻繁に私の元を訪れるようになった。昼休みや放課後にわざわざこっちの教室までやってきては、「お昼を食べよう」「一緒に帰ろう」と言って、半ば強引に私を連れ出した。

 完全に好意で誘ってくれているわけで、京香は決して私を困らせてやろうというつもりはない。むしろ、私を友達だと思ってくれているからこそ、変に気遣いせず誘ってくれているのだろう。

 私も京香と一緒にいることが嫌なのではない。別に一匹狼を気取っているわけでもなく、単純に周囲に馴染めないから友達がいないだけで、彼女のように積極的に近付いてきてくれるのはありがたい部分もあった。

 しかし、私はそんなにすぐに距離を縮めることはできなかった。悪気がないとわかっていても、ずけずけとこちらのテリトリーに入り込まれると身構えてしまう。それに、彼女がいい人であればあるほど、私なんかと一緒にいることがもったいないんじゃないかと心配になった。

 実際、私と京香という陰と陽の対照的なカップリングは、学校の中でかなり目立ってしまっているようだった。廊下を二人で歩いていたりすると、明らかに奇異な目で見られているのを感じる。中には陰口めいたことを囁き合っているような姿を見かけることもあった。

 京香自身はまるでそんなことを気にする様子もなく、堂々とした態度で私と接していた。きっと私が感じている嫌な視線のことを話しても、彼女は笑って流してしまうのだと思うけれど、私はなかなかそんな風に割り切ることはできなかった。

 そういった私の微妙な気持ちとは裏腹に、京香と会う頻度は日に日に増していき、気付けばほぼ毎日一緒に過ごすような仲になっていた。

 最初のうちは音楽の話が多かったが、今では学校での出来事や面白かった漫画の話など、他愛のない話が増えていた。大抵は京香が淀みなくしゃべり続け、私はそれを聞きながら相槌を打って、たまに質問されたことに答える。自分からしゃべらなくてはいけないというプレッシャーがないのは気が楽で、だからこそ強引に手を引かれても拒絶しなければならないほどのストレスを感じなかったのだと思う。

「ねえ、灯里はバンドとかってやらないの?」

 京香は私との会話の中で、度々同じようなことを尋ねてくることがあった。私の曲を気に入ってくれているらしい彼女は、どうやら私が音楽をやっていないことが不思議でならないらしい。

「音楽は、もういいかな……。一緒にやる人もいないし」

 その度に私は誤魔化すように曖昧な答えを返して、すぐに話題を他に逸らした。本当のことを打ち明ける勇気もなかったし、そんな重たいものを京香にぶつけるのが申し訳ないと思ったからだ。

 腑に落ちないような顔をしつつも、京香はそれ以上追及してくるようなことはなかった。おそらく踏み越えてはいけないラインみたいなものを肌で感じ取っていたのだろう。しかしそれでも何度も同じことを尋ねてくるのは、私の方からそのラインを越えてくるのを待っているということなのかもしれない。

 そんな少し歪な関係がしばらく続いたある日、私は初めて休日に彼女と出かけることになった。

「駅前に新しくできたかき氷屋さんに行きたくて……。一人だと一種類しか食べれないけど、二人で行ったらシェアできるでしょ? だからお願い! 一緒についてきてくれない?」

 もはや京香に対して断るという選択肢を失っていた私は、有無を言わずその予定を快諾した。かき氷なんてただの氷に千円以上払う人間の気が知れなかったが、交際費だと思えば仕方ない。

「ごめん、待った?」

 私は少し早めに着いて駅で待っていると、集合時間ぴったりに京香がやってきた。

 当然休日なのでいつもと違い私服を身にまとっているわけだが、制服姿とはかなり印象が違って見えた。

 肩がざっくりと開いたゆるっとしたトップスが彼女の明るい雰囲気とマッチしていて、そこからすらりと伸びる足に吸い付いたレギンスは、まるで見てはいけないものを見ているような感覚になる。

 生まれ持ったスタイルも相まって、アイドルかモデルだと言われても驚かないほどの雰囲気をまとった彼女に対し、Tシャツにジーパンという何の変哲もない服装をしている私はあまりに貧相だった。隣に並ぶと場違い感が半端じゃない。

「なんかじろじろ見すぎじゃない? えっちー」

「いや、別に、そういうわけじゃ……」

 こちらを見透かしたようなことを言われて思わずあたふたしてしまう。慌てる私を見て京香はけたけたとおかしそうに笑うと、「行こう」と言って私の手を取って軽やかに歩き出した。

「それにしても、かき氷日和でよかったー」

 今日は雲一つない青空が広がっていて、心地よい春の陽気が感じられるいい天気だった。今年は冬の残り香がずいぶんと長いこと居座っていて、五月に入ってからも少し肌寒い日が続いていたが、ようやく先週くらいから仄かに夏の香りが空気に混じるようになった。

 しばらく外で待っていたせいで手が汗ばんでいたので、本当は繋いだ手を放して歩きたかった。しかしこちらから振りほどくわけにもいかず、なるべく汗を出さないよう手のひらに神経を集中させながら京香の後を追いかける。

 ずんずんと私の身体を引っ張っていく彼女の右手は、中に骨がないんじゃないかと思えるほどふわふわと柔らかかくて、ひんやり冷たくて気持ちがいい。こんなにも弾けるような光を放っているのに、身体は私よりも冷たいのが少し意外だった。

 ――って、さっきから変態みたいだな。

 どうやら友達と休日に出かけるというイベントで、いつの間にか浮足立ってしまっている自分がいた。これまでは京香との時間にあれこれ難癖を付けていたが、今は純粋にこの瞬間を楽しいと思えている。

 学校という閉鎖された空間から外に出たことで、京香に対する負い目のようなものが薄れて、ある程度対等な関係でいられる気がしていた。そのおかげで素直に彼女を友達として認識できているようだった。

「うわ、美味しッ! やばいね、これ」

「うん、美味しい……」

 三十分以上並んでようやくありついたかき氷は、これまで食べたどんなものよりも美味しく感じた。

 お皿からはみ出すようにして丸く盛られた氷は、固体を保てるギリギリの薄さで作られ、滑らかな絹糸を思わせるきめ細かい線が折り重なって一つの山を形成している。ひとたびスプーンを差し込むと、力を入れずとも奥へと吸い込まれていく。

 氷は舌の上に置かれた瞬間に溶けてなくなってしまうが、その触覚を刺激する一瞬は優しく全身を撫でられるような快感を覚える。そして液体になった氷が口腔全体に広がっていき、シロップの甘さがゆっくりと立ち上がってくる。最後に果実の香りが鼻に抜けていくと、恍惚とした幸福感に満たされて自然と頬がほころんでいる。

 私はもはや腹立たしささえ覚えていた。これを「かき氷」と呼んでしまうのは、あまりにも横暴である。幼い頃、お祭りの屋台で食べたあの陳腐な味とは全くの別物だった。こんなにも美味しいものを偏見のみで避けていたのが情けない。

 気付けば私は言葉も発せずに無心で食べ続け、違う味をシェアしようという当初の目的もすっかり忘れて、あっという間に一人で完食してしまっていた。

「……ごめん」

「いいよいいよ! それより気に入ってくれたみたいでよかった。超美味しかったし、また来ようね」

 食い意地が張ってみっともない私を京香は笑って許してくれた。私は絶対にまた来ることを固く誓い、空になったお皿に一例をして店を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る