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 その日のお昼休み。普段は教室の隅で一人静かに昼食を摂っている私が、何故か清々しいほど快晴の空の下で、太陽の光と優しい春風に包まれて弁当を広げていた。

「やっぱり外でご飯食べると気持ちいいよねー」

 誰もいないがらんとした屋上で、私は今朝出会ったばかりの藤原京香と二人きりで昼休みを過ごしている。自分でもその不可思議な状況が上手く呑み込めていなかった。しかし、そんな困惑する私のことはお構いなしに、彼女は吞気に屋上からの景色を眺めている。

 彼女と別れたあと、私も自分の教室に戻ると、そのままいつも通り授業が始まった。時間が過ぎるにつれて衝撃的だった彼女との邂逅も薄れていき、四時限目の国語で虎になった男の心情を考えている頃にはすっかり忘れかけていた。

 ところが授業が終わって昼休みに入った途端、勢いよく教室の扉が開かれたかと思うと、彼女が一直線に私の方へと向かってきた。「後でね」という言葉を完全に社交辞令だと捉えていたが、どうやら彼女は本当に「後で」会いに来るつもりだったらしい。

 そうしてろくに説明もないまま、「一緒にお昼を食べよう」とだけ言われて腕を引っ張られて、気付くとこの屋上までやってきていたのだった。

「屋上って勝手に入っちゃいけないんじゃ……」

 色々おかしな状況ではあったが、そもそも学校の屋上は基本的に立ち入り禁止で、先生の許可なく使用することはできないはずだった。当然青空の下でご飯を食べたいなんて理由が許されるわけもないので、私たちは校則違反をしていることになる。

「ま、バレなきゃ大丈夫でしょ」

 彼女はまるで悪びれる様子もなく、あっけらかんとしている。鍵がかかっているはずの屋上にどうやって入れたのかも疑問だったが、これ以上話しても意味がない気がして諦めることにした。どうせ屋上に侵入してしまったことには変わりないのだから、バレないことを祈るしかない。

「灯里って、もしかして優等生な感じ?」

 不安そうな顔の私を見て、彼女は茶化すように笑う。私はさりげなく名前を呼ばれたことに驚いて、思わず固まってしまった。親しい友人もいないので、家族以外に下の名前で呼ばれるのはずいぶん久しぶりだった。

「ん、どうかした?」

「いきなり名前を呼ばれたからびっくりして……」

「あ、ごめんごめん。私、距離の縮め方がおかしいってよく言われるんだよねー……。もしかして嫌だった?」

「嫌じゃないけど……」

 不思議と彼女の馴れ馴れしさは不快ではなかった。まるで十年来の友人のような自然さで、嫌味も全く感じないからだろうか。本物のコミュ強というものを初めて目の当たりにしたような気がした。

「よかった! じゃあ灯里って呼ばせてもらうね。私のことは京香でいいよ」

「キョウカ……」

 当然相手を下の名前で呼ぶ経験もほとんどなかったので、試しに呼んでみようとすると、片言のように奇妙な発音になってしまった。

「いや、ロボットかよ!」

 そんな京香のペースにも少し慣れてきて、私はようやく落ち着いて彼女をじっくりと見ることができた。

 京香は端的に言えば、『ギャル』と呼ばれるような派手な見た目の女の子だった。

髪色は白に近いくらいに色が抜けた金髪ボブで、毛先に向かって色が濃くなるようなグラデーションが入っている。ぱっちりと開いた二重には周りを縁取るようなメイクがされていて、ただでさえ大きな瞳が一層大きく見える。風になびく髪を抑える手を見ると、爪に塗られたラメが太陽に照らされてキラキラと輝いていた。

 乱雑に伸び切った髪で顔を覆っている私とは、住む世界が全く違う人種だった。そんなことを気にしているのは私だけなのだろうが、どうしても眩しい彼女の姿を見ていると、隣にいる自分が居たたまれない気持ちになる。

 正直言って、京香のような陽キャは苦手だった。対等に接してくれるからこそ質が悪い。いっそ陰キャとして見下される方が気が楽だった。

「そうだ! 朝は話が途中になっちゃったから、落ち着いて話したいと思って誘ったんだった!」

 私がそんなことを悶々と考えている間にも、京香の口からは次々と言葉が吐き出される。

「ほんと、あの曲知ってる人がいるなんてびっくりした。マイチューブで見つけてずっと聴いてるんだけど、アーティスト名もわかんないし、曲名も『demo』としか書いてないし、マジで謎すぎるんだよね……」

 京香のスマホに表示された動画は私が飽きるほど目にしたものだった。

「灯里もこの動画で知ったの? もしかしてこの曲について、何か知ってたりする?」

「あ、えー……」

 何と答えればよいかわからず、私は言葉を濁す。

 適当に誤魔化してしまえばよかったのかもしれないが、真っ直ぐ向けられた綺麗なまなざしを見ると、どうしても嘘を吐く気にはなれなかった。かと言って、本当のことを言い出す勇気も出ない。

「あれ……」

 すると京香は突然何かに気付いたように声を上げると、こちらに向けていたスマホの画面を自分の方に戻して、険しい顔でそれをまじまじと見つめる。

「ねえ、灯里って誕生日いつ?」

「七月二十二日だけど……」

「やっぱり!」

 京香はまるで犯人を見つけた探偵のように、人差し指を突き出して私を指差した。

「この曲、灯里が作ったんでしょ!」

 自信満々に言う京香を前にして、私は観念して頷くことしかできなかった。これ以上隠していても仕方がない。彼女と出会った時点で、たぶんいずれはバレる運命だった。

 京香が気付くのも無理はない。曲をアップしているアカウント名は『akari0722』。何でもいいかと適当に付けたことが仇となった。安直でセキュリティ意識の薄かった過去の自分が恨めしい。

「すごい、すごすぎるよ! まさか本人に会えちゃうなんて! どうしよう……。とりあえずサインください!」

「待って待って。別にそんなすごい人間じゃないから。そもそもその曲だって、再生数もたいしたことないし……。ただ記録用に何となく上げただけだから」

 わかりやすくはしゃぐ京香をなだめながら、面倒なことになったとうんざりする。まさか学校に自分の曲を聴いている人間がいるなんて思いもしなかった。

「いや、すごいでしょ! だって私この曲めっちゃ好きなんだよ! 世界で一番好きな曲! マジで私の人生を救ってくれた曲なの!」

「そ、そんな……」

「特に歌詞がいい! 曲を通して聴くと前向きにさせてくれるんだけど、一つ一つの言葉は説教臭くもないし、むしろ優しく寄り添ってくれるような感じで……」

 京香は堰を切ったように、矢継ぎ早に曲の感想を語り始めた。こうも面と向かって好意を向けられると、面倒だというよりも、ただただ恥ずかしくて仕方がなかった。顔から火が出そうなのを必死で堪えながら、京香が曲の好きなところを列挙するのを無言で聞いていた。

「それでね、最後のサビ前の歌詞もすごく良くて……。って、もうお昼休み終わり!? もっと喋りたかったのに……」

 倒れそうになりながら辛うじて褒め殺し攻撃を耐え抜いて、ようやく昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。私はまだほとんど手を付けていない弁当に目を落として、安堵と疲労の入り混じった溜め息を漏らす。

「てか、私がしゃべりすぎだったよね……。今度は灯里の方から曲の話を色々聞かせてね!」

 この「今度は」というのが社交辞令でないことはもう十分わかっていた。しかし、これから京香の存在が想像以上に大きな嵐を引き起こしていくということを、このときの私はまだ知らなかった。

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