第32話シグムントSide ~7~
朝、学園に出勤するとカリプソ先生と門のところで鉢合わせをしたので、軽く挨拶をした。
「あ、おはようございます、理事長先生。お一人ですか?」
「……おはよう、カリプソ先生。私はたいてい一人で行動しているが、なぜそんな質問を?」
「いえ、クラウディア先生と仲がよろしいと生徒から聞いていましたので、朝もご一緒なのかと」
生徒から、か…………ディアが生徒達がよくカリプソ先生のところに行くと言っていたな。
このドロテア魔法学園に保健室はあるが、回復魔法を使える者も多いので実質保健医は必要ない。しかし職員の人数調整で保健医を置く事もあり、今はカリプソ先生が養護教諭として保健室で働いている。
ほとんど保健医が必要ないのに生徒がひっきりなしにカリプソ先生を訪ねるというのは、かなりおかしな光景だ。
ディアが不審に思うのも無理はないな。
「仲が悪くはないが、朝も一緒に行動は相手が誰であろうと公私混同しすぎだろう」
この時私は、ディアと仲がいいと全力で言ってしまいたかったのを必死で我慢した。
朝も一緒だと?それが出来ればどんなにいいか……己の邪念を必死で振り払う。するとカリプソ先生がおかしな事を言い始めた。
「んーー…………でも私は理事長先生となら、朝もご一緒したいですけど」
そう言って頬を赤く染め、にっこりと笑いかけてくるカリプソ先生に驚きを隠せず凝視していると「そんなに見つめないでください」と照れ始めた。
いや、見つめていたのではなく、驚いていただけなのだが――――
私がさらに目を見開いていると、突然カリプソ先生が目を押さえて痛みを訴え始めた。
「いたた…………っ……理事長先生、どうやらまつ毛が入ったようで、申し訳ございませんが、ちょっと目を覗き込んでくださいます?」
「まつ毛?それは構わないが……この位置からでも見えるが入ってないようだ」
私は視力がいいので普通に立っていてもよく見えるのだが、まつ毛は入っていない。それでも眼鏡を外して見せてくるので少し近づいてみたが、やはり入っていない。
どういう事だ?
「やはりまつ毛は見当たらないようだが……」
「本当ですか?涙で流れていってしまったのかしら……でも理事長先生に見てもらって安心しましたわ。ありがとうございます」
そう言って私の手を握ってくる。王族に許可なく触れる事は不敬だとわからないのか、自分は許容されると思っているのか――――
私はこの時のやり取りをまさか生徒に見られているとは思わず、後にカリプソ先生と私がキスをしていたと噂になっているのを生徒から聞く羽目になるのだった。
カリプソ先生に嫌な印象を与えないように気を付けながら握られた手を自然に離すと「そろそろ行かなければ」とカリプソ先生を促し、保健室まで一緒に歩く事にした。
注視しているのを怪しまれない為とは言え、なかなか疲れるものだな……
でもカリプソ先生を見張っておくとディアと約束したからな……彼女との約束を守らなければという使命感だけで苦手なカリプソ先生と話をしている自分に驚く。
恋というものは思いの外自分を変えるものだ。
それにしてもカリプソ先生は保健室に着くまで、色々な噂について話していたが、私が噂話に興味がないのでほとんど頭に入ってこない。
その噂は誰から入手しているものだ?
興味はないが、もしかしたら何か重要な事が隠れているかもしれないと耳を傾けてみるが、どこの令嬢が得意な料理や好みの異性、カップルについてなど、おおよそ恋愛の話ばかりだった。
「理事長先生は好きな女性はいらっしゃいます?」
「私?私は…………いないよ。私は王族だ、いたとしても政略結婚が普通だからね」
カリプソ先生に話しながら自分の言葉に落ち込んでいた。好きな人を公に好きだと言えないもどかしさ……嘘でもディアを好きではないと言っているようでとても抵抗がある。
彼女への気持ちを自覚して父上に啖呵を切ったので政略結婚などする気はさらさらないが、彼女のいない人生を想像するだけで寒気がしてくる。
そんな私の気持ちなどお構いなしにカリプソ先生が驚きの言葉を発してくるのだった。
「まぁ…………政略結婚など悲しいだけですわ。私だったら理事長のお心を精一杯お慰めいたしますのに……」
私の心は全てディアのものだから他の者では慰めにもならないと全力で言いたかったが、何とかその場は我慢をした。
このままここにいれば良くない方向に話が進んでいくなと判断した私は「ありがとう、でも私は王太子なので心配には及ばない。では理事長室に行くよ」とだけ声をかけて、カリプソ先生の元をそそくさと去ったのだった。
その日から申し合わせたようにカリプソ先生と朝に門のところで鉢合わせる事が多くなっていった。
ディアにだけは誤解されたくないので、彼女に目配せやジェスチャーでしっかり観察していると伝える。
若干呆れたような表情にも見えたが……大丈夫だろう。
注視出来るのはいい事だが、さすがに会いすぎだ……生徒達の間ではキスをしていたという事実無根の噂から、私とカリプソ先生の噂がどんどんエスカレートしていっていた。
そんなある日の放課後、ディアとダンティエスが廊下で2人で話している現場を目撃する。
例のごとくカリプソ先生につかまって話をしていた私は、2人の会話が気になって仕方ない。何の話をしているんだ?その内ダンティエスがディアの背中に手を添えながら2人で去って行ってしまった。
2人でどこへ?
私がディアの方を見ていると、カリプソ先生に腕を引かれる。
「理事長先生、何を見ているのです?」
「……………………さぁ、なんだろうな」
好きな女性を見つめていたなどとは言えないので適当に誤魔化すと、カリプソ先生から変な声が聞こえてくる。
『…………あの女……あの女がいるから…………』
私が不審に思い、カリプソ先生を凝視すると一瞬だけ彼女から黒いモヤが見える。
これは………………
「カリプソ先生!」
咄嗟に呼びかけると俯いていたカリプソ先生がこちらをゆっくりと見て、笑顔になる。その笑顔がまるで笑っていない事に寒気がしたのだった。
さっきの黒いモヤは瘴気か?
顔を上げたカリプソ先生からは何も出ていない…………
「理事長先生、ダンティエス校長とクラウディア先生は何をしに行ったのでしょう……気になりません?」
正直に言うと気になる。しかし覗き見などは趣味ではないので後をつけようとは思っていなかった。
「もしかしたらあの2人はそういう仲なのでは……」
「くだらない」
「分からないじゃないですかぁーーあ、校長が告白するのかも?少し様子を見に行ってみません?」
「…………………………」
二人がそういう仲だとは全然思ってはいなかったが、ダンティエスがディアに想いを告げる可能性はある。
胸がザワザワした私はカリプソ先生を置いて二人の後を追った。
そして庭園で真剣にクラウディア先生と向き合っているダンティエスの姿を見て、何を話しているかは聞こえなかったが想いを伝えているのだなという事は伝わってきた。
彼女は何て答えたのだろう――――二人の元へ行こうとしたのだが、物凄い力で腕を掴まれて体が前に進めない。
振り返ると、そこにはカリプソ先生がいて、今度こそ間違いなく瘴気を纏っていたのだった。
「お前は誰だ?」
明らかにカリプソ先生ではない何かが彼女の中にいる――――しかし私が声をかけると、またしても瘴気はスッと消え、幻でも見ていたかのような気持ちになる。
「失礼ですわね、理事長。私は養護教諭のカリプソですわ」
そう言って笑っているが、目の前にいる人物がカリプソ先生であってカリプソ先生ではないという事が確信に変わっていく。
この違和感はなんだ?
魔物は瘴気が集まって実体に変わっていくのだが、この学園には強力な結界が張っているので魔物どころか瘴気ですら入る事は出来ない。
複雑な表情をしながらも私に一礼をしてカリプソ先生は去って行く――――その後ろ姿を見ていると、胸に妙なざわめきが押し寄せ、無性にディアに会いたくなった。
ひとまずその場は二人の間に入る事をせず、理事長室で急いで仕事を終わらせた後、公爵邸へと向かったのだった。
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