二三章 あたしはかわいい!

 幸せになれる魔法を教えてあげる

 いますぐあたしに恋をしなさい!


 この世にはあたしがいる

 かわいい笑顔で世界を照らす

 あたしが笑えばみんなハッピー

 あたしを見ればみんなハッピー

 よそに行ったらあたしには会えない

 どんな雲も どんな闇も みんなまとめて

 吹き消してあげる

 ひとりでウジウジしてないであたしのライブを

 見に来なさい

 すべての人に教えてあげる

 幸せになれる魔法

 いますぐあたしに恋をしなさい!


 武緖たけお先生の教室にあたしの歌声が響く。

 夏がやってきた。

 学校もすでに夏休みに入っている時期。五月の頃から一日も行っていないからよくわからないけどね。八月のデビュー配信が迫るなか、あたしのレッスンもいよいよ追い込みに入っている。

 「ウインクするときはもっとイタズラっぽく笑いながら!」

 「自分のなかのありったけのかわいらしさを出し切りなさい!」

 「アイドルが照れていてどうするの⁉ もっとうぬぼれなさい」

 「ポーズが狂ってる! ステージに立つからには指先一本いっぽんにいたるまで注意を払いなさい!」

 武緖たけお先生の相変わらず意地悪おばさんな指導を受けながら、あたしはデビュー曲『いますぐあたしに恋しなさい!』を唄って、踊る。繰り返し、繰り返し、唄って、踊る。その姿を撮った動画を見て問題点をチェックし、

 「何度、同じまちがいをしでかすの なんのために動画を見ているの⁉」

 って言う、武緖たけお先生の怒鳴り声を聞きながら繰り返し、繰り返し、唄って、踊る。

 はっきり言って、ちょっと前までのあたしならとてもじゃないけど耐えられなかっただろう。レッスンの厳しさにも、武緖たけお先生の罵声にも。

 「そんなことを言われる筋合いはない!」

 って、そう叫んで飛び出していたにちがいない。

 でも、いまではもうすっかり慣れちゃった。レッスンの厳しさにも、武緖たけお先生の罵声にも。

 いやあ、我ながらたくましくなったもんだわ。

 自分でそう思って、あきれるぐらいの余裕まであった。

 唄って、踊って、動画を見てチェックして、唄って、踊って……。

 それをさんざん繰り返し、武緖たけお先生の教室の床に汗の水たまりを作ったところでようやく、今日のレッスンは終了。もちろん、意地悪おばさんな武緖たけお先生は終わったからって『お疲れさま』とも言ってくれないし、めてもくれない。でも、いいの。その役割は別の人がやってくれるから。

 「お疲れさま、内ヶ島うちがしまさん。今日もすごくかわいかったよ」

 宏太こうたがいつも通りの無邪気な顔で、メガネの奥の目をキラキラさせながらそう言ってくる。中二のくせして思春期前の、中身小学生ならではの無自覚の言葉だっていうのはしゃくにさわるけど……でも、やっぱり、こうして素直にめてもらえるのは嬉しい。

 「はい、タオル。それから、スポドリ」

 って、宏太こうたはあたしに大きくて吸水性抜群のタオル――あまりにハードなレッスンに汗をかきすぎて、安物のタオルじゃとても拭ききれない――と、スポーツドリンクの入ったボトルを手渡してくれる。

 「ありがとう」

 あたしはお礼を言ってタオルを受けとる。ざっと顔とそのまわりだけを拭いて、ボトルの中身を一気に飲み干す。そのとたん――。

 グググゥ~。

 って、あたしのお腹が大きく鳴った。

 はしたないほどのその大きさに、あたしは思わず真っ赤になる。宏太こうたがあわてて言った。

 「あ、ごめん。あんなにハードなレッスンしたんだもん。お腹も空くよね。すぐになにか用意するから」

 宏太こうたはそう言って外に飛び出していく。

 あたしは顔を赤くしたままその後ろ姿を見送っていた。そんなあたしに武緖たけお先生が半分感心して、半分あきれたと言った感じで言った。

 「あなたもタフになったわね。ちょっと前まで、レッスン後は息も絶え絶えで水を飲むのが精一杯。なにか食べるなんてとてもできなかったのに。最近ではレッスン後にすぐにお腹が鳴るものね」

 「そりゃあ、若いですから。成長しますよ」

 えっへん! と、ばかりにあたしは胸を張る。

 ジロリ、って、武緖たけお先生はあたしをにらんだ。

 「あなた……わかって言っているでしょう?」

 「もちろんです!」

 って、あたしは満面の笑顔でますます胸を張る。

 どうです、武緖たけお先生? 先生の叩き込んだ笑顔ですよ。効果的でしょう?

 はああ、って、武緖たけお先生は溜め息をついた。

 「……まあいいわ。若い人間は生意気なぐらいでないとね」

 「それより、武緖たけお先生……」

 あたしはちょっと表情をかえていった。

 「『いますぐあたしに恋しなさい!』ですけど、あの歌詞はさすがに唄っていて恥ずかしいんですけど」

 「なに言ってるの。アイドルが恥ずかしがっちゃ駄目だっていつも言っているでしょう。自分はこの歌詞を唄うにふさわしい! そううぬぼれなさい」

 「でも、さすがに『自分に恋すれば幸せになれる』なんて言い張るのは……」

 「それを言えるのがアイドルなのよ」

 武緖たけお先生はきっぱりとそう言った。

 「アイドルの魅力はなんだと思う?」

 「アイドルの魅力……。それはやっぱり、かわいさだと思いますけど」

 「正解。では、どんな種類のかわいさ?」

 「どんな種類のって……」

 「かわいさにもいろいろあるのよ。そして、ズバリ、アイドルのかわいさとは『子どものかわいさ』!」

 「子どものかわいさ……」

 「そう。子どものかわいさ。そして、子どもの魅力とは万能感。自分はかわいい。自分はなんにだってなれる。その根拠のない自信。根拠がないからこそ決して揺らぐことのない自信。肚の底からその自信をもつことでアイドル特有のオーラが放たれ、見る人を魅了するのよ」

 「そういうものですか?」

 「そういうものよ。何十人というアイドルを育ててきたあたしが言うんだからまちがいないわ」

 「でも、白葉しろはは、そんなふうには見えませんけど……」

 「だから、あの子は人気がないのよ」

 そ、そこまではっきり言わなくても……。

 「白葉しろはは自分に自信がもてなくて、いつもオドオドしてて、アイドルのオーラなんて欠片もなかったわ。それとは対照的だったのが赤葉あかば。ふぁいからりーふのセンターで一番人気の赤葉あかばだけど、あの子はまあ、生意気だわ、うぬぼれてるわ、生まれついてのアイドルというほかなかったわ」

 あ、あのぉ、武緖たけお先生? それってめてます? メチャクチャ怒ってるように見えるんですけど?

 「あたしも長い間アイドルのレッスンを受けもってきたけど、そのなかで赤葉あかばだけよ。レッスン中にいきなりヘソを曲げて『あんた、そんな偉そうなこと言ってるけどどれだけの人に恋されてるの? あたしはあんたの言うとおりのことができなくたって、大勢の人に恋されてるわ』なんて食ってかかってきたのは」

 「そ、そんなこと言ったんですか……⁉」

 ひええ。赤葉あかばって見た目からも気が強くてワガママって感じだったけど、本気でそんなこと言っちゃうぐらいなんだ?

 あれ? でも、武緖たけお先生のレッスンを受けていたって言うことは、まだデビュー前のはずだけど……。

 「赤葉あかばはアイドルになる前は将来を有望視されていたバレエダンサーでね。あいにく、バレエの世界には強力すぎるふたりのライバルがいて『あのふたりには勝てない。一番になれないとわかっていてつづけるなんて、あたしの生き方じゃない!』って、アイドルの世界に飛び込んだのよ」

 うわっ、なんかすごい。カッコいい。

 「だから、デビュー前からそれなりの有名人でね。ネット上にはすでにファンもいたりしたのよ」

 ああ、なるほど。そういうこと。そういえば、例のドルヲタさんのブログには『バレエ仕込みの切れ味!』なんて書かれていたっけ。

 すると、武緖たけお先生は急に一言、言いたげな顔になって、あたしをジロリとにらんだ。

 「まあ、あなたの『アイドルを目指している方が偉い』発言も、めったに聞いたことのないレベルだったけどね」

 言われてあたしは、たちまち真っ赤になった。

 「あ、あれは……! アイドルを目指すのはすごいことだって言っただけで決して、断じて、あたしが偉いって言ったわけでは……」

 あたしはあわてて言い訳したけど、武緖たけお先生はべつに気を悪くしたふうでもなく答えた。

 「いいのよ。あのときにも言ったけど、それぐらいの根性がなくちゃアイドルなんて務まらないもの。『この子ならアイドルになれる』って思ったのも、あの台詞を聞いた瞬間だもの」

 「そ、そうだったんですか?」

 「そうよ。あなたは素質的にはまちがいなく白葉しろはよりも上。赤葉あかば並の気の強さと根性もある。アイドルになるのはうってつけよ。もっと、もっと、うぬぼれなさい。『自分に恋すれば幸せになれる』。本気でそう思い込むぐらいにね」

 「でも、そこまではさすがに……」

 「まあ、さすがに最初からってわけにはいかないでしょうね。いいわ。それじゃあ、アイドルになるための奥義を教えてあげる」

 「お、奥義……?」

 その言葉に響きに――。

 あたしはゴクリと唾を飲み込んでいた。

 「まずは、姿見の前に立って」

 「はい」

 「鏡のなかの自分をまっすぐ見つめて」

 「はい」

 「そして、叫びなさい。『あたしはかわいい、世界一かわいい! かわいいかぎり、できないことはこの世にない!』って」

 「なんですか、その恥ずかしい儀式は⁉」

 「だから、アイドルになるための奥義よ」

 「どこが、奥義なんです⁉」

 「こうやって、自分自身に自分はかわいいと言い聞かせる。そうすることによって深層意識レベルでその思いが植えつけられる。それによって、自分でも知らないうちに本気ででそう信じられるようになる。その結果、アイドル特有のオーラがあふれ出すのよ」

 「……ほんとですか、それ?」

 うわっ。我ながら、疑わしいそうな口調。

 「本当よ」

 って、武緖たけお先生は腕を組み、仁王立ちの姿勢でそう言いきった。その姿。押しよせる波にいくら打たれても揺らぎもしない岸壁のよう。

 「いままで、何十人というアイドルを育ててきたあたしが言うんだからまちがいないわ」

 それを言われると一言もないんだけど……そんなことを本気で信じ込むようになったらアイドルとしては立派でも、人間として終わるような……。

 「アイドルになりたかったら、人間なんて捨てなさい! とにかく、やりなさい!」

 「は、はい……! あ、あたしはかわいい、世界一かわいい……」

 「なに、その弱々しい声は! もっと、肚の底から声を絞り出しなさい!」

 「あたしはかわいい! 世界一かわいい!」

 「まだ照れがある! 恥も外聞もかなぐり捨てて本気でそう信じなさい! そう、素っ裸で戦う正義のヒロインのように!」

 どこの変態よ、それ⁉

 「あたしはかわいい! 世界一かわいい!」

 かわいい、

 かわいい、

 かわいい!

 あたしはヤケになったように、鏡のなかの自分に向かって叫びつづける。

 叫びつづけているうちに、なんだか本当にそんな気になってきた。

 ――あたしって本当に世界一かわいいのかも……。

 そう思えた。思えたものだからついついニンマリ笑ってしまった。そのとき――。

 気がついた。軽食を載せたトレイをもった宏太こうたが、あたしのニンマリ顔をじっと見つめていることに。メガネの奥の目が、メガネそのものみたいに大きくなっている。

 あたしは思わず宏太こうたを見つめた。宏太こうたもじっとあたしを見つめる。時間のとまったようなその瞬間。たちまち頬が真っ赤になるのが自分でもわかった。

 「わ、忘れろおっー! いま見たこと全部、忘れろおっー!」

 「わあっ! 頭、ぶたないで!」

 「見られるのを恥ずかしがってどうするの。アイドルの仕事は見られることなのよ」

 「それとこれとは話がちが~う!」

 武緖たけお先生の教室に――。

 宏太こうたの頭をボコスカ殴る音とともに、あたしの絶叫が響いたのだった。

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