二三章 あたしはかわいい!
幸せになれる魔法を教えてあげる
いますぐあたしに恋をしなさい!
この世にはあたしがいる
かわいい笑顔で世界を照らす
あたしが笑えばみんなハッピー
あたしを見ればみんなハッピー
よそに行ったらあたしには会えない
どんな雲も どんな闇も みんなまとめて
吹き消してあげる
ひとりでウジウジしてないであたしのライブを
見に来なさい
すべての人に教えてあげる
幸せになれる魔法
いますぐあたしに恋をしなさい!
夏がやってきた。
学校もすでに夏休みに入っている時期。五月の頃から一日も行っていないからよくわからないけどね。八月のデビュー配信が迫るなか、あたしのレッスンもいよいよ追い込みに入っている。
「ウインクするときはもっとイタズラっぽく笑いながら!」
「自分のなかのありったけのかわいらしさを出し切りなさい!」
「アイドルが照れていてどうするの⁉ もっとうぬぼれなさい」
「ポーズが狂ってる! ステージに立つからには指先一本いっぽんにいたるまで注意を払いなさい!」
「何度、同じまちがいをしでかすの なんのために動画を見ているの⁉」
って言う、
はっきり言って、ちょっと前までのあたしならとてもじゃないけど耐えられなかっただろう。レッスンの厳しさにも、
「そんなことを言われる筋合いはない!」
って、そう叫んで飛び出していたにちがいない。
でも、いまではもうすっかり慣れちゃった。レッスンの厳しさにも、
いやあ、我ながらたくましくなったもんだわ。
自分でそう思って、あきれるぐらいの余裕まであった。
唄って、踊って、動画を見てチェックして、唄って、踊って……。
それをさんざん繰り返し、
「お疲れさま、
「はい、タオル。それから、スポドリ」
って、
「ありがとう」
あたしはお礼を言ってタオルを受けとる。ざっと顔とそのまわりだけを拭いて、ボトルの中身を一気に飲み干す。そのとたん――。
グググゥ~。
って、あたしのお腹が大きく鳴った。
はしたないほどのその大きさに、あたしは思わず真っ赤になる。
「あ、ごめん。あんなにハードなレッスンしたんだもん。お腹も空くよね。すぐになにか用意するから」
あたしは顔を赤くしたままその後ろ姿を見送っていた。そんなあたしに
「あなたもタフになったわね。ちょっと前まで、レッスン後は息も絶え絶えで水を飲むのが精一杯。なにか食べるなんてとてもできなかったのに。最近ではレッスン後にすぐにお腹が鳴るものね」
「そりゃあ、若いですから。成長しますよ」
えっへん! と、ばかりにあたしは胸を張る。
ジロリ、って、
「あなた……わかって言っているでしょう?」
「もちろんです!」
って、あたしは満面の笑顔でますます胸を張る。
どうです、
はああ、って、
「……まあいいわ。若い人間は生意気なぐらいでないとね」
「それより、
あたしはちょっと表情をかえていった。
「『いますぐあたしに恋しなさい!』ですけど、あの歌詞はさすがに唄っていて恥ずかしいんですけど」
「なに言ってるの。アイドルが恥ずかしがっちゃ駄目だっていつも言っているでしょう。自分はこの歌詞を唄うにふさわしい! そううぬぼれなさい」
「でも、さすがに『自分に恋すれば幸せになれる』なんて言い張るのは……」
「それを言えるのがアイドルなのよ」
「アイドルの魅力はなんだと思う?」
「アイドルの魅力……。それはやっぱり、かわいさだと思いますけど」
「正解。では、どんな種類のかわいさ?」
「どんな種類のって……」
「かわいさにもいろいろあるのよ。そして、ズバリ、アイドルのかわいさとは『子どものかわいさ』!」
「子どものかわいさ……」
「そう。子どものかわいさ。そして、子どもの魅力とは万能感。自分はかわいい。自分はなんにだってなれる。その根拠のない自信。根拠がないからこそ決して揺らぐことのない自信。肚の底からその自信をもつことでアイドル特有のオーラが放たれ、見る人を魅了するのよ」
「そういうものですか?」
「そういうものよ。何十人というアイドルを育ててきたあたしが言うんだからまちがいないわ」
「でも、
「だから、あの子は人気がないのよ」
そ、そこまではっきり言わなくても……。
「
あ、あのぉ、
「あたしも長い間アイドルのレッスンを受けもってきたけど、そのなかで
「そ、そんなこと言ったんですか……⁉」
ひええ。
あれ? でも、
「
うわっ、なんかすごい。カッコいい。
「だから、デビュー前からそれなりの有名人でね。ネット上にはすでにファンもいたりしたのよ」
ああ、なるほど。そういうこと。そういえば、例のドルヲタさんのブログには『バレエ仕込みの切れ味!』なんて書かれていたっけ。
すると、
「まあ、あなたの『アイドルを目指している方が偉い』発言も、めったに聞いたことのないレベルだったけどね」
言われてあたしは、たちまち真っ赤になった。
「あ、あれは……! アイドルを目指すのはすごいことだって言っただけで決して、断じて、あたしが偉いって言ったわけでは……」
あたしはあわてて言い訳したけど、
「いいのよ。あのときにも言ったけど、それぐらいの根性がなくちゃアイドルなんて務まらないもの。『この子ならアイドルになれる』って思ったのも、あの台詞を聞いた瞬間だもの」
「そ、そうだったんですか?」
「そうよ。あなたは素質的にはまちがいなく
「でも、そこまではさすがに……」
「まあ、さすがに最初からってわけにはいかないでしょうね。いいわ。それじゃあ、アイドルになるための奥義を教えてあげる」
「お、奥義……?」
その言葉に響きに――。
あたしはゴクリと唾を飲み込んでいた。
「まずは、姿見の前に立って」
「はい」
「鏡のなかの自分をまっすぐ見つめて」
「はい」
「そして、叫びなさい。『あたしはかわいい、世界一かわいい! かわいいかぎり、できないことはこの世にない!』って」
「なんですか、その恥ずかしい儀式は⁉」
「だから、アイドルになるための奥義よ」
「どこが、奥義なんです⁉」
「こうやって、自分自身に自分はかわいいと言い聞かせる。そうすることによって深層意識レベルでその思いが植えつけられる。それによって、自分でも知らないうちに本気ででそう信じられるようになる。その結果、アイドル特有のオーラがあふれ出すのよ」
「……ほんとですか、それ?」
うわっ。我ながら、疑わしいそうな口調。
「本当よ」
って、
「いままで、何十人というアイドルを育ててきたあたしが言うんだからまちがいないわ」
それを言われると一言もないんだけど……そんなことを本気で信じ込むようになったらアイドルとしては立派でも、人間として終わるような……。
「アイドルになりたかったら、人間なんて捨てなさい! とにかく、やりなさい!」
「は、はい……! あ、あたしはかわいい、世界一かわいい……」
「なに、その弱々しい声は! もっと、肚の底から声を絞り出しなさい!」
「あたしはかわいい! 世界一かわいい!」
「まだ照れがある! 恥も外聞もかなぐり捨てて本気でそう信じなさい! そう、素っ裸で戦う正義のヒロインのように!」
どこの変態よ、それ⁉
「あたしはかわいい! 世界一かわいい!」
かわいい、
かわいい、
かわいい!
あたしはヤケになったように、鏡のなかの自分に向かって叫びつづける。
叫びつづけているうちに、なんだか本当にそんな気になってきた。
――あたしって本当に世界一かわいいのかも……。
そう思えた。思えたものだからついついニンマリ笑ってしまった。そのとき――。
気がついた。軽食を載せたトレイをもった
あたしは思わず
「わ、忘れろおっー! いま見たこと全部、忘れろおっー!」
「わあっ! 頭、ぶたないで!」
「見られるのを恥ずかしがってどうするの。アイドルの仕事は見られることなのよ」
「それとこれとは話がちが~う!」
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