二二章 意識させてやる!

 「静香しずか宏太こうた。お茶でも飲んでいきなさい」

 レッスンが終わったあと、武緖たけお先生がめずらしくそう言った。口調も穏やかなら表情もなんだか――信じられないことに――優しげ。

 このあと、とんでもない雷でも落ちるんじゃないか。

 あたしはそう疑いながら、宏太こうたと一緒にテーブルに着いた。武緖たけお先生は手ずからお茶をいれてくれた。いままでに飲んだことのない、強い香りと清々しい味わいのお茶だった。

 「ローズマリーティーよ」

 武緖たけお先生は、自分も同じお茶を飲みながらそう言った。

 「心身に活力を与え、若さをたもつと言われるハーブよ」

 「じゃあ、武緖たけお先生にピッタリですね」

 思わず言ってしまったその言葉に――。

 ジロリ、と、武緖たけお先生はにらみつけてきた。

 「内ヶ島うちがしまさん、いまのはマズいって!」

 宏太こうたにさえあわてた口調でそう注意された。あたしもあわてて口を押さえたけどもちろん、もう遅い。武緖たけお先生は首を振りながら溜め息をついた。

 「……まったく。あなたを見ていると赤葉あかばを思い出すわ」

 「赤葉あかば?」

 「ふぁいからりーふの赤葉あかばよ。あの子もあなたと同じで、とにかく生意気で一言、多かったものよ」

 「武緖たけお先生、ふぁいからりーふを知ってるんですか⁉」

 「知ってるもなにも、武緖たけお先生がデビュー前のふぁいからりーふにレッスンしていたんだよ」って、宏太こうた

 なによ、それえっ!

 そんなこと知ってるなら、最初から言っておいてよね!

 「じゃあ、武緖たけお先生が白葉しろはを泣かせた鬼トレーナー⁉」

 宏太こうたがあわてて、あたしの口を押さえる。あたしは目を白黒させて言葉を呑み込む。って、もう遅いわけなんだけど。

 武緖たけお先生はもう一度、首を左右に振りながら溜め息をついた。

 おとなってなんでこう、変なところで器用なんだろう?

 「……本当。一言、多いわね」

 「ご、ごめんなさい……」

 「あやまらなくていいわよ。それぐらいの神経の太さがなかったらアイドルなんてやっていけないもの」

 まるで『お前の神経は登山用のロープ並だ』って言われた気がして、年頃の女の子としては少々、モヤってしまうんですけど……。

 「それに、あたしが白葉しろはを散々、泣かせたのは事実だしね」

 「やっぱり」

 って、あたし。

 あああっ。いまのは自分でも『一言、多い』って気がするわ。

 ジロリ、って、武緖たけお先生はあたしをにらんだけど、口に出してはなにも言わなかった。そのかわり、懐かしそうに語り出した。

 「ふぁいからりーふのデビューを機にトレーナーを引退して、ここに来たのよ。さすがにもう歳で、体力的にもつらくなっていたから」

 「とても、そうは思えませんけど」

 あたし相手に怒鳴り散らすあの体力。あたしなんかよりずっとタフだとしか思えない。

 「あなたひとりを相手にしているからよ。プロのトレーナーともなれば、一日に何十人という生徒を相手にしなくてはならないんだもの」

 ああ、なるほど。

 「白葉しろははとにかく、どんくさい子でね。素質という点では、あたしがうけもった生徒のなかでも最低だったわ」

 そ、そこまで言わなくても……。

 「だから、まわりに全然ついていけなくて。その差を埋めるためにとくに厳しくしなきゃならなかったから。毎日まいにち大泣きしてたわ」

 やっぱり、そうだったんだ。

 「べつに信じなくてもいいけど、あたしだってその姿を見て、心を痛めていたのよ。かわいそうだと思っていた。ここまでやる必要があるのかって、自分でも何度もそう思ったわ。でもね」

 先生は一度、言葉を切った。ほう、って、息を吐きながらつづけた。

 「白葉しろはは根性だけは確かにあったわ。どんなに厳しいレッスンでも、どんなに泣きながらでも必死に食らいついてきた。そして、とうとう、赤葉あかばたち、一流の素質をもった子たちと同じステージに立った。いまでも、そこで活動している。そんな白葉しろはのことは本当に尊敬しているわ」

 「……先生」

 「それに、あなたのこともね。静香しずか

 「あたしも⁉」

 「ええ」

 そう言って静かにうなずく先生の顔は――。

 やけに、優しかった。

 「あれだけ厳しいレッスンで、あたしに毎日まいにち怒鳴られて、これが原因で学校でイジメにあって。それでも、自分の目的のためにつづけている。その姿には本当に驚かされる。尊敬するわ」

 ちょ、ちょっと、やめてくださいよ、先生……。

 いつもは意地悪鬼婆なのに急にそんな顔で、そんなことを言われたら……泣きそうになっちゃうじゃないですか。


 「はあ~あ。調子、狂ったあ」

 なんとか涙をこらえての帰り道、あたしは宏太こうたと並んで歩きながら溜め息をついた。

 「いつも厳しいばっかりなのに、いきなりあんなに優しくされたらどうしていいかわからないわよね」

 「あはは、そうだね」

 って、宏太こうたも笑いながら言った。

 「でも、僕も同じ気持ちだよ」

 「えっ?」

 「イジメにあっても、親友に裏切られても、決して負けずに自分の道を行く内ヶ島うちがしまさん。本当にすごいと思うよ」

 だから、そういうことをキラキラお目々でまっすぐ見つめながら言うんじゃない! 赤くなっちゃうでしょうがっ!

 あ、でも、これは絶好の機会かも。そう。あたしのはじめてをぶつける好機!

 あたしはありったけの勇気を振りしぼって叫んだ。

 「こ、宏太こうた……!」

 「なに、内ヶ島うちがしまさん?」

 宏太こうたはいつもとかわらない無邪気で幼い笑顔であたしをみた。その瞬間――。

 もちろん、あたしは宏太こうたの頭を思いきりぶん殴った。

 「痛い! なにするの、いきなり⁉」

 「うるさい、鈍感!」

 女の子が勇気を振り絞って名前呼びしたっていうのに全然、気付かずスルーとか、鈍感にもほどがあるでしょうがあっ!

 男の子を名前呼びしたのなんて生まれてはじめてだったのに……。

 まったく、この中身小学生は!

 「決めた!」

 「えっ、なにを?」

 「宏太こうたは知らなくていい!」

 「はあ……」

 そう。あたしは心に誓った。

 この中身小学生をかえてやる!

 絶対の、絶対の、絶対に、あたしのことを意識させてやるんだから!

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