五章 デートのお誘い⁉

 「おはよう」

 「おはよう」

 その日もあたしはいつも通り、通学路の途中で紗菜さなと合流して学校に向かった。

 このあたりになると同じ学校に通う生徒たちの数も増えてくる。右を見ても、左を見ても、同じ学校の制服を着た生徒ばっかり。『おはよう』っていう朝の挨拶を交わす声もあちこち聞こえてくる。

 もっとも、その中心になっているのは、あたしと紗菜さななんだけどね。

 あたしも紗菜さなも知り合いが多いからよく挨拶されるし、挨拶もする。いちいち面倒くさいという気持ちもないことはないんだけど……知り合いに出会ったら笑顔で挨拶。それが、鉄則。でないと『いやなやつ!』って思われて、たちまち敵視されちゃうものね。

 と言うわけであたしは学校に通う道すがら、怒濤の笑顔一〇〇連発。笑いすぎて顔の筋肉が引きつっちゃうじゃないかって思うぐらい。

 その日は朝からなんとも気持ちのいい日和だった。春らしいポカポカ陽気で、それでいて暑さやムシムシした感じはちっともしない。空気はさわやかに乾いている。だからって『カサカサする』って言うほどもなくて、ほどよい水分も含んでくれている。

 空は青く澄み渡り、ところどころ綿飴みたいな真っ白い雲。そのなかを鳥たちが飛んでいる。鼻をくすぐるかすかな風のなかには、咲き誇りはじめた花の香りも混じっているよう。

 多分、道を囲むおうちの庭に植えられた花の香りだろう。一年中、なにかしらの花の香りがするうえに、季節によって香りもかなりちがうので、それを感じられるだけでも、学校に通う道がけっこう楽しい。

 他の生徒たちも同じ思いなのか、それとも、春の陽気に誘われてか、みんな表情が明るい。華やいでいる。歩く姿もどこかスキップ気味で軽やかで躍動的。要するに、右を見ても、左を見ても、お日さまを眺めても『これぞ春!』っていう感じで気持ちのいい日和というわけ。それなのに――。

 あたしの心はどうにもスッキリしなかった。むしろ、どんより曇っている感じ。『いつも明るい陽キャ』のイメージを守るために必死に表面を取り繕って笑顔を浮かべていたけれどやっぱり、心の重さは顔に出ていてしまったらしい。紗菜さなが心配そうな視線であたしの顔をのぞき込んできた。

 「どうかした、静香しずか? なんか、表情くらいよ?」

 メガネの奥の大きな目が気遣わしげにのぞき込んでくる。

 ――適当にごまかそうか。

 一瞬、そう思ったけど、やっぱりダメ。親友の紗菜さな相手に適当な態度なんてとれない。だから、あたしは正直に口にした。

 「実は……今日は今朝から気分がよくなくて」

 「よくないって……なにかあったの?」

 メガネの奥の紗菜さなの目がますます心配そうになる。紗菜さなはいつだってこんな風に親身になって心配してくれる。ああ。親友ってありがたい……。

 「なにがあったってわけでもないんだけど……」

 あたしが説明しようとしたそのときだ。

 「内ヶ島うちがしまさ~ん!」

 声変わり前の幼い男子の声がした。見ると、そこには予想通り、色気完全無視の短く刈っただけの髪型に丸メガネ、あたしより背の低い男子がいた。あたしめがけて手を振りながら駆けよってくる。

 「げっ、『のび太』……」

 ……いや、紗菜さな。そこまでいやがるのはさすがにイジメだと思うんだけど……。

 って言っても、あたしも思わず頭を抱えそうになるのをなんとか思いとどまったんだけどね。

 実際、今日は朝からいやな予感がしてたのよ。夕べはいつも通りしっかり寝たはずなのに、なんだかお肌の調子が悪いし、湿度が高いわけでもないのに髪の毛は爆発していてセットするのにいつもの倍の時間がかかったし、お気に入りの靴下にはなぜか穴が開いていて、新しい靴下を引っ張り出さなくちゃならなかったし……。

 おかげで朝ご飯を食べてる時間もなかったぐらい。

 ……でもね、ママ? だからって、あわてて家を出て行くあたしに向かって焼きたてのトーストを放り投げて、

 「それをかじりながら走って、どこかの角でカッコいい男の子とぶつかってきなさい!」

 は、ないんじゃない?

 いつの時代の少女マンガよ、それ。

 おまけに、それを聞きつけたパパが『男子と関わるなんてとんでもない!』って怒り出して、ケンカになっちゃうし。

 あたしが家を出るまで、ずっと言いあっていたけど……頼むからママ、こんなことで会社に遅刻したりしないでよ?

 いつものママの姿を見ていると『どうして、これで課長になれたの?』って、いつも不思議に思う。会社ではそれだけちがうのか、それとも、社会というものが案外チョロいのか。

 とにかく、今日は起きたときからうまく行かないことだらけでどうにもいやな予感がしてたわけ。そして、その予感は的中した。よりによって、他の生徒がいっぱいいる通学路のど真ん中で『のび太』に話しかけられるなんて……。

 「おはよう、内ヶ島うちがしまさん!」

 『のび太』は駆けよってくると、息をはずませながら挨拶してきた。運動は苦手で体育の成績はいつも最低。って、別に他の科目に成績のいいものがあるわけでもないけど。ともかく、そんな運動音痴の『のび太』にとっては、ちょっとの間でも全力ダッシュしてくるのはつらいはず。実際、息は切れてるし、汗もいっぱいに吹き出ている。それなのに――。

 ――なんなのよ、そのキラキラしたやけに明るい笑顔は。

 思わず、そう心に呟いて、引いてしまうぐらい『いい表情』をしていた。

 とにかく、こうも正面から挨拶されてしまっては無視するわけにはいかない。それでは、まるっきりのイジメ。印象も悪くなるし、先生たちからも――悪い意味で――注目されちゃう。仕方ないので、あたしからも挨拶した。

 「おはよう。野々村ののむら……さん」

 『のび太』相手に『野々村ののむらさん』なんて変な気分。でも、仕方がない。『性別によって呼び方がちがうのは男女差別につながる』って言うことで、男女を問わず名字+さん付けで呼ぶよう決められているのがうちの学校。慣習とかではなくて、校則にはっきりそう記されている。である以上、表面だけでも従わないわけにはいかない。

 「うん、おはよう、内ヶ島うちがしまさん」

 『のび太』こと野々村ののむら宏太こうたは表情をキラキラさせたまま改めて挨拶してきた。こっちは朝からどんより気分だっていうのに、こんなにも脳天気な笑顔を見せられると腹が立ってくる。

 だけど、『のび太』はあたしのそんな気持ちにはかまいもせずに言ってきた。

 「どう、内ヶ島うちがしまさん? 僕と一緒に太陽ソラドルになってくれる気になった?」

 そんなことを他の生徒のいっぱい通学路で堂々と言うな! 『僕と一緒に』なんて……誤解されちゃうでしょ!

 「あ、あのね、野々村ののむらさん」

 あたしは『のび太』をたしなめてやろうと真面目な口調を作った。そんなあたしの袖を紗菜さなが引っ張る。耳打ちしてくる。

 「ダ、ダメだよ、静香しずか! カースト最下位の陰キャと関わったりしたら。静香しずかまで転落しちゃうよ」

 その言葉に――。

 あたしはキレた。

 あたしだって別に『のび太』と関わり合いになんてなりたくないし、平等だのなんだの言う気もない。だからって、こんなにもいちいちスクールカーストを持ち出されてはさすがに腹も立つ。

 「いいから! 紗菜さなは先に学校、行ってて」

 「えっ、でも……」

 「いいから」

 って、あたしは紗菜さなの背中に両手をつけて、思いきり押し出した。紗菜さなは心配そうにこっちを見ながら、それでも学校に向かって歩きだす。

 ――ちょっと、やり過ぎたかな?

 そうは思ったけど、このときは他にどうしようもなかったのだ。

 そんなあたしたちの様子を見て、『のび太』が言った。

 「いいの? 鮎川あゆかわさん、親友なんでしょ?」

 時代遅れの丸メガネをかけた顔にキョトンとした表情を浮かべて、そう聞いてくる。

 「あ、あのね、野々村ののむらさん……」

 ――誰のせいだと思ってんのよ⁉

 そう怒鳴りつけたい気持ちを必死に押さえ――同じ学校の生徒でいっぱいの通学路でなかったら、本当に怒鳴っていたかも知れない――あたしは、『のび太』に言った。

 「いきなり、なんの用なの?」

 「だから。僕と一緒に太陽ソラドルになってくれる気になってくれたかなって」

 『のび太』は屈託なくそう言った。

 この無邪気さ、やっぱり腹が立つ。

 「あのね……」

 って、あたしは腹立ちを押さえるために一呼吸入れた。深呼吸して気を落ち着かせ、改めて口にする。

 「太陽ソラドル、太陽ソラドルって、なんで、あたしがそんなことしなくちゃならないのよ」

 別にあたしでなくてもかまわないでしょ。

 そう言うあたしをまっすぐに見返しながら、『のび太』ははっきりきっぱり言ってきた。

 「だって、内ヶ島うちがしまさん、かわいいから」

 「か、かわいいって……あんた」

 思わず頬を赤く染めて引いてしまったあたしに向かい、『のび太』は追い打ちとばかりにつめよってきた。

 「内ヶ島うちがしまさんはかわいいから。僕はうちの学校で一番かわいいのは内ヶ島うちがしまさんだと思ってるよ。それに、真面目で性格も良いし、いつも明るくて華があるし、笑顔も素敵だし……」

 ちょ、ちょっとちょっと、なによ、なによ、なんなのよ、そのほめ言葉の洪水は⁉ 『のび太』のくせに、あたしを口説くつもりなわけ⁉

 って、そう言えばこいつは、あたしを太陽ソラドルにするために口説いているんだった。

 それにしても、いくら『のび太』からとは言え、こうもほめ言葉を連発されるとさすがに照れる。あたしは顔を真っ赤にして、引いてしまった。だけど――。

 あたしはジトッとした目で『のび太』を見た。

 こいつ……女子に向かってこんなことを平気で言うなんて、意外と女慣れしてるわけ? いままで陰キャのボッチだと思ってたけど……案外、やり手なのかも。

 そう疑うあたしに向かい、『のび太』はますます疑いを深めるような勢いで言ってきた。

 「それに、ダンス部のエースだから、唄って踊るアイドルにはピッタリだし。なにより、いつも明るい姿が世界を照らす太陽そのものだし。内ヶ島うちがしまさんならきっと立派な太陽ソラドルになれると思うんだよ。だから、お願い! 僕と一緒に太陽ソラドルになって!」

 『のび太』はやたらと張りのある声で言う。

 ――だから、『僕と一緒に』はやめろ!

 思わず心に叫んだそのとき、あたしは気付いた。道行く生徒たちがジロジロとあたしたちを見ていることに。

 ――マズい、注目されてる!

 あたしは耳まで真っ赤になった。

 紗菜さなじゃないけど、カースト最下層キャラと仲良さそうに――完全な勘違いだけど――しているところを見られるのはやっぱり、マズい。あたしは『のび太』の腕をとって、人気のない場所まで引っ張り込んだ。

 ……あとになって考えてみるとよけい、誤解を招く行為だった気がするけど、このときはそこまで気をまわしている余裕がなかった。とにかく、人目のないところに行きたい。それだけだったのだ。

 とにかく、あたしは『のび太』を人気のない場所まで引っ張り込んだ。『のび太』はキョトンとした顔で尋ねてくる。

 「いきなり、どうしたの、内ヶ島うちがしまさん?」

 「どうしたのじゃないでしょ! 女子に向かっていきなり、あんなことペラペラ言って……」

 「あんなことって?」

 『のび太』は丸メガネの奥の目をますますキョトンとさせる。本気でわかっていないらしい。

 ――こいつ、まさか、女の子に向かってしょっちゅう、あんなこと言ってるんじゃないでしょうね?

 あたしは本気で『のび太』を疑った。

 「とにかく」

 あたしは息をひとつついてから言った。

 「プロジェクト・太陽ソラドルに関してはあたしも少し調べたけど……あなたは、ソーラーシステムの経営者になりたいんでしょう?」

 「うん、そう」

 「だったら。別に、あたしをさそう必要なんてないじゃない。勝手に経営者になって、どこかのアイドル印の太陽電池を買い込めばいいじゃない」

 「まあ、それはそうなんだけどね。でも、やっぱり、ご当地アイドルがほしいじゃない。ほら。プロジェクト・太陽ソラドルって、戦国時代を真似た競争してるから。やっぱり、僕も岐阜県人として、岐阜県太陽ソラドルと一緒に全国に挑戦したいんだよ」

 「岐阜県太陽ソラドルって……それで、なんで『内ヶ島うちがしまソーラーシステム』なのよ。勝手に人の名前、つけないでよね」

 「えっ?」

 「えっ?」

 『のび太』があんまり意外そうな表情をしたもので、あたしも思わず『のび太』の顔を見つめてしまった。すると、『のび太』はやっと気付いた様子で、あわてて手などをパタパタ振って見せた。

 「あ、ちがう、ちがう。『内ヶ島うちがしまソーラーシステム』の『内ヶ島うちがしま』は、内ヶ島うちがしまさんのことじゃなくて戦国大名の内ヶ島うちがしま家のことだから」

 「はっ?」

 思わぬ言葉にあたしは、カースト最上位女子にあるまじき間の抜けた声と表情をさらしてしまった。

 「ほら、白川郷ってあるじゃない。世界遺産としても有名な。あそこを本拠地にしていた戦国大名なんだよ」

 「へ、へえ、そんな戦国大名がいたんだ。はじめて知った」

 あたしはちょっと感心した。戦国大名っていったら織田信長とか、徳川家康ぐらいしか知らない。そんな大名もいたんだ。でも――。

 ――っていうことはなに? 『内ヶ島うちがしまソーラーシステム』をあたしの名前だと思ったのは完全な勘違い? 自意識過剰?

 恥ずぅ~。

 あたしはいままでとはちがう理由で顔を真っ赤にして、身をちぢこませた。

 そんなあたしに向かい、『のび太』はつづけた。

 「もちろん、織田信長とか、豊臣秀吉とか、そんな有名どころの大名じゃないけどね。でも、鉱山経営で財を成して、あの上杉謙信の侵攻も撃退したって言うぐらい、実力のある大名だったんだよ」

 「へ、へえ~、そうなんだ」

 「そうだ! 内ヶ島うちがしまさん、いい機会だから内ヶ島うちがしま家のお城跡を見に行こうよ。白川郷だからここから遠くないし、日帰りで行けるからさ」

 えっ? えっ? なにそれ、なにそれ。もしかして、もしかして……。

 デートのお誘い~⁉

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