四章 もしも、アイドルになったら……
「今日はずいぶん熱心に見てるな。どうかしたのかい、
トレーナーにエプロンって言う、ちょっとばかり(かなり?)不釣り合いな格好でテーブルを拭きながら、パパがあたしに言った。妙に嬉しそうな声なのはきっと、いつもなら夕ご飯が終わるとすぐに部屋に入ってしまうあたしが、今日に限っては居間に残ってテレビを見ていたからだろう。
なにしろ、うちのパパは、あたしが言うのも恥ずかしい正真正銘の娘バカだから。あたしが少しでも側にいると、とにかく喜ぶ。こっちが恥ずかしくなるぐらい嬉しがる。
夕食後のひととき。あたしはめずらしく居間に残ってテレビのトーク番組を見つめ、ママはテーブルについたままスマホをいじってニュースを見ている。最近、課長に昇進したとかで張り切っているので、最近はたいていの場合、こうして情報をチェックしている。
そして、パパはトレーナーにエプロンという格好で夕食の後片付け。うちでは食事の用意はパパの仕事。リモート勤務で通勤の必要がない分、ママよりも時間があるから……って言うのが、その理由。実は家事が好きな方らしくて毎日毎食、トレーナーにエプロン――わざわざ自分で買ってきた――っていういささかかわった格好で、せっせと食事作りに精を出している。
「愛する娘のためならば! 一日三食どころか一〇食だって、二〇食だって喜んで作るぞ」
とか、言いながら。
いや、そんなに食べられないし。って言うか、あたしをぽっちゃりさんにしたいわけ、この娘バカ親父は?
まあ、そういう恥ずかしい発言はともかく、毎食せっせと料理して、後片付けまでしてくれるのはたしかにありがたい。けっこう、おいしい料理、作るし。
ちなみに、朝の洗濯はあたしの仕事。毎日、学校に行く前に洗濯している。
……さすがに、パパにあたしの下着を洗濯されたくはない。そして、ママは、休みの日にまとめて部屋の掃除をする。それが、我が家の家事の分担。
「お~い、
って、パパがをわざとらしい声を出す。
あたしがテレビを見たまま返事をしなかったので、さびしくなったらしい。こう言うところもうっとうしいんだけど……まあ、今回は、テレビを見ていて返事をしなかったあたしも悪いわけだけど。もちろん、パパの声が聞こえていなかったわけじゃない。ただ、食い入るようにテレビを見ていたせいで返事をする機を逃してしまっただけ。
テレビのトーク番組のなかでは、デビュー間もないとかいう新人アイドルユニットが並んで、司会者相手におしゃべりしたり、笑ったりしている。
――たしかに、かわいいけど……あたしと比べてそんなに圧倒的にかわいいかな? かなわないほどすごい相手?
とても、そこまでの差があるとは思えなかった。
すると、パパの嘆き悲しむ声が聞こえてきた。
「返事もしてくれないなんて……! これが反抗期というものか! お~いおいおい……」
エプロンで顔を覆って泣きくずれる。
「昔は『パパ、パパ』って言って、いつも後ろをついてきてたのに。『おっきくなったらパパのお嫁さんになる』って、口癖のように言っていたのに……」
いや、あたしはそんなことしてないし、言ってないから。いくら、ひとり娘がかわいいからって思い出まででっちあげたりしないで。これだから、この娘バカ親父は。
それにしても、あたしの態度ひとつで喜んだり、さびしがったり、嘆き悲しんだり、いそがしい父親だ。本当にこの娘バカだけは。
あたしがパパと一緒にお風呂に入らなくなったときも『この世の終わり!』みたいに泣きじゃくって悲しんでいたし。あのときはほんと、恥ずかしくてたまらなかったわ。
――さすがに、あんなに嘆き悲しむことはもう二度とないだろうけど。
そう思っていたけど最近、あたしがパパのあとのお風呂には入らなくなったことに気付いたときには……いや、よそう。思い出すだけで頭痛が痛む。
それにしても、こうして泣かれているとうっとうしいことこの上ない。仕方がない。親守りは子どもの仕事。あたしはそう割りきって、パパに向き直った。
「あ、ごめん、パパ。つい、テレビに夢中になって……」
途端に――。
パパの顔がパアッ! と、明るくなった。
……いや、ほんと、どうにかしてよ。このマンガに出てきそうな娘バカ振りは。
「
「なにかってわけでもないけど……」
あたしはそう言ったけど、いい機会かも知れない。ちょっと『おとなの意見』を聞いてみよう。
「ねえ、パパ」
「なんだい⁉」
って、パパの顔が喜びに輝く。
……さすがに、もう慣れたわ。
「あたしと、ここに出ているアイドルの女の子たち、どっちがかわいい?」
「もちろん、
パパはふんぞり返って大真面目に断言した。
「
いや、あのね、パパ?
お願いだから、とち狂ってあたしの写真をネットにさらすような真似はしないでよ?
するとパパは、なにやら『名案が閃いた!』っていう顔になった。
「いや、まて。そうだ! そのときはパパがマネージャーになればいいんだ! そうだ。そうすればいつでも一緒にいられるし、世界中の人に
なんにも決まってないでしょうが!
まったく、どこまで妄想を広げるつもりだ、この娘バカは。
――ダメだ。この娘バカ親父の言うことじゃ、なんの参考にもならない。
あたしはそう思った。パパの背中を押して台所に押し込み、食器洗いに専念させた。溜め息をつきながら居間に戻ったあたしを見て、ママがスマホから顔をあげた。
「どうしたの、急に? アイドルにでもなりたくなった?」
自分の世界に没頭しているみたいに見えてちゃんと、まわりのことも見ているのよね、うちのママは。ちょっと冷たい感じは受けるけどメガネにショートヘアで、娘のあたしから見てもなかなかのクール系美人。まあ、美人なのはあたしの母親なんだから当たり前だけど。
メガネと髪型のせいか見るからに真面目でお堅い印象。それこそ、弁護士とか法律関係の仕事でもしていそうに見えるけど実は、小さな女の子向けのファンシーグッズの開発をしていたりする。とにかく、かわいい物好きで、なにかと言うと試作品を持ち帰ってくるものだから、夫婦の寝室なんてもうかわいいぬいぐるみだらけ。それはもう、
「いいおとなが、こんな寝室でなにをしているわけ?」
って、言いたくなるレベル。
マンガもアニメも大好きで、『あの』しずちゃんにちなんであたしに『
「ママひとりじゃ恥ずかしいじゃない!」
とか言って、アニメ映画やイベント会場やらに付き合わされた。あれには、さすがに参った。だって、ママったら、ところかまわずすぐに感動の大泣きをするんだから!
中学生になってからは、さすがにもう盾にできる年頃じゃないってことで付き合わされることはなくなったけど……いまでも、隙あらば連れ出したがっていることをあたしはよおく知っている。
でもまあ、いい機会だ。ママにも聞いてみよう。
「ねえ、ママ。テレビに出てるアイドルの女の子たちとあたしと、どっちがかわいい?」
「そうねえ」
って、ママはチラリとテレビを見た。
「たしかに、あんたはかわいい方だと思うけど、さすがにアイドル相手じゃ分が悪いわね。この子たちの方がかわいいわ」
オクタのくせに、というか、オタクだから、と言うべきか。ママはお世辞というものには縁がない。遠慮も――ついでに言うと容赦も――ないので、思ったことをズバズバ言う。そのあたりも『法律関係のお仕事で?』なんて、初対面の人からよく聞かれる理由なんだろうけど。それだけに、ママの言うことは信用できる。
「そっか。やっぱり、アイドルの子たちの方がかわいいか」
あたしは溜め息交じりにそう言った。わかってはいたことだけど、そうはっきり言われるとあたしだって女の子だし、やっぱり……ねえ?
「でも」って、ママは付け加えた。
「この子たちはプロなんだから、プロのメイクもついているし、照明やらなにやらでかわいく見えるよう工夫もされているわけだから。その分を考えればいい勝負なんじゃない?」
ああ、そっか。そうだよね。テレビに出るような子はみんな、プロのメイクさんに化粧してもらってるわけだもんね。あたしもメイクの仕方は勉強してるけどしょせん、素人だし、中学生がそんなに化粧品をそろえられるわけないし。その点ではたしかに、大きな差があるわけよね。
「……っていうことは、あたしだってテレビに出る立場になれば」
思わず呟くあたしを、ママはメガネの奥の目でマジマジと見た。
「なに? まさか、本気でアイドルになりたいの?」
「えっ?」
「なりたいんならやってみなさい! 失敗とは望みが叶わないことではなく、挑戦しないこと! 挑戦すればしただけ、まちがいなく成長する! 成長そのものを目的とすれば、人生に失敗なんてあり得ない! 幸い、お金はあるし、アイドルになりたいんならアイドル学校に通わせてあげるぐらいのことはできるわ」
ママはそう言って、『ふんぬ!』とばかりに胸を張る。
いや、だから、ママ。その真面目でお堅い外見で、いきなり少年マンガ的熱血漢になっちゃうのはやめて。
ママの勢いに、あたしはすっかりあわててしまった。
「や、やだな、ママ……! なに言ってるの。あたしがアイドルなんて、そんなこと、あるわけないじゃない」
おやすみ~
って、さすがにまだ早すぎる挨拶を残してあたしは自分の部屋に駆け込んだ。そのまま、ベッドの上に飛び込んだ。
「はああ~」
って、溜め息をひとつ。
「でも……外見だけならアイドルの子たちに負けてないのは確かだよね」
ベッドに突っ伏したまま、あたしそう呟いた。
「……アイドル。もし、アイドルになって別の世界に入ったら、スクールカーストなんかからも解放されるのかな?」
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