9
ローランド軍がようやくアガレス軍に達する頃、城壁から敵軍の様子を見守るガーネットが戦場の異変に気付いた。
「……将軍が、1人で前方に……?」
その姿には見覚えがあった。
「ま、まさか……」
その姿を忘れることなど出来ようもない。
エルシードでの戦いで、誰一人として倒しきる事が出来なかった、強大な将。
圧倒的な力で、エルシードを恐怖に陥れた男。
「……ゼルド将軍……なのか?」
その姿を確認したガーネットは、反射的に弓を構え、矢を放っていた。
相手が、ガーネットの予想通りの人物なら、こんな矢1本など容易く撃ち落とされるだろう。
それでも、手傷になれば、足止めになれば……。
そう、藁をもつかむ思いで放った矢だったのだ。
「……ちっ。」
しかし、次の瞬間、ガーネットは悔しそうに舌打ちをした。
矢は……
……ゼルドによって握りつぶされていたのだ。
一方、前線でもはシエラ、ヨハネ、グスタフがその様子を見ていた。
「さすがはガーネットじゃ。危機を感じ、真っ先に攻撃を仕掛けたのぅ……」
「……しかし、相手がまさか……。」
シエラとヨハネが揃って苦笑いを浮かべる。
その様子を、グスタフが見つめる。
「ただものでは無いようだな……。まさか、超長距離のガーネットの矢を目視で捉え、しかも握りつぶすとは……。」
そして、それでも1歩前に進む。
「ここは、どうやら私の出番の様だ。」
グスタフは、少しずつ近づいてくるゼルドの方へ歩みを進めていく。
「お主は阿呆か!!妾たちの話を聞いてから出ぬか!!」
「無茶です!独りで太刀打ちできる相手では……!」
ゼルドの力を知るふたりが、グスタフを制止しようとする。が……。
「大丈夫だ、無理なら退く!!私が奴と戦っている間、隙を見て敵将を討ちに行くのだ!」
グスタフは冷静だった。
ふたりの将を同時に相手にするよりも、目の当たりにしているひとり、ゼルドをグスタフが引き受け、その隙にふたり掛かりででもセラを倒した方がこの戦においては有効かつ効率的、グスタフはそう考えたのだ。
「はぁ……。どうして我が軍の将は皆、曲者揃いなのでしょう……。」
自分の制止も聞かず単身、敵軍に向かうゼルドの背を見送りながら、セラが大きなため息を吐く。
「……仕方ありません。ゼルドの突撃は援護しなくて結構です。おそらく敵軍は私を集中攻撃する布陣を敷いてくるはず。そこを一気に叩きます。無理な進軍は避け、敵の動きに合わせて進軍するように!」
セラが、自軍の兵たちに指示を出す。
「御意。」
「仰せのままに……。」
アガレス軍は、全員が知能を持たないアンデットではない。
魔族が中心の混成軍ではあるが、高い知識を兼ね備えた者もいるし、アガレスの思想を盲信し、志願してきた人間もいる。
その『知能を持つもの』達に、戦術を詳しく伝えるセラ。
そしてその戦術が兵たちに伝わり、素早く陣形を変えていく。
(悔しいけれど……人間だけではこの戦術理解は不可能ね……。)
人の身ながら、魔族の軍を率いることに、物悲しさを感じながらも、セラは的確に軍を動かしていく。
「……流石だな。その戦術眼、私にも教えて欲しいものだ。」
「……!!な、何故あなたがここに……!」
セラの背後に、いつの間にか一人の男が立っていた。
ぜルドは、間もなく敵軍の最前線と接触しようとしている。
その背後には、圧倒的ともいえる存在感。
「……リヒト、何故あなたが?まさかあなたまでも戦線に?」
漆黒の槍を携えた、漆黒の騎士。
リヒトと呼ばれた端正な顔立ちの青年は、セラの問いに静かに首を振る。
「いや……私はアガレス様からの伝令をお前に。」
その端正な顔立ちからは、感情を感じ取ることが出来ない。
セラが感じ取ることが出来るのは、その底知れない魔力と闘気。
「……伝令?」
「あぁ。この戦い、必ずしもローランド城を落とす必要はない。夜明けになったら全軍撤収せよとの仰せだ。」
「な……何ですって!?」
リヒトが淡々と語る伝令に、セラが驚きの声をあげる。
「アガレス様は、この戦いは敵の戦意を喪失させるための戦いと仰った。つまり……力同士のぶつかり合いでこちらも被害を被るなら、もっと効率の良い策を取れ……と。」
「では、ゼルドはアガレス様の御意向での出撃では?」
「あぁ。彼はただ戦いを楽しみたかっただけだろう。今回の作戦に彼の名は無い。」
理解しがたい状況を、必死にセラは理解していく。
「では、私はここを守ればよい……という事ですね?」
セラの不満そうな顔に、リヒトは淡々と言う。
「効率的な方法……どうだろうか、守った国土の民が全員……死に絶えていたら。」
それは目の前の騎士の策なのか、それとも我が主君の策なのか……。
「民を滅ぼせ、という事ですか……?」
その非人道的な、騎士道精神から遠く外れたその策に、セラの顔は青ざめた。
「……分かりました。」
セラが長い時間悩んだ結果の結論。
『主君の策に従う』。
目を閉じ、大勢の微弱な魔力を感じるセラ。
「民はおそらく……城から遠く離れた場所に移動しています。方角的には、エリシャの方でしょうか?墜ちた都を隠れ蓑にするとは……なかなか策士がいるようですね?」
セラが、エリシャの方角を見据えて呟く。
「エリシャ、か……。」
セラの言葉に、リヒトは少しだけ寂しそうな表情をいせた。
(……『彼』はしっかりと生きているだろうか……)
北方の要所であったエリシャを、リヒトが自ら落としに行った『あの日』。
最後まで戦った誇り高き女将軍を弔おうと引き返したとき、将軍の肉親であろう青年がそこにいた。
戦争とはいえ、リヒトの心は痛んだ。
願わくば、その青年には逞しく生きて欲しい、そう思った。
そんな記憶が、リヒトの脳裏によみがえる。
「……死霊使いを、ここに。」
そんなリヒトの想いを知らないセラは、非情にもエリシャに死霊使いを差し向けるという決断を下す。
「……私をわざわざ呼ぶとは、四将殿も切羽詰まった状況、という事かな?」
セラの声に現れたのは、若い青年。
整った顔立ちではあるが、どことなく飾った感のあるその青年は、漆黒のマントを翻し、セラの前に立った。
「……私たちは、別に追い詰められてなどいません。今回の作戦に
死霊使いであるあなたが最も活躍できそうだと判断したまでです。」
「ほぅ……この私の力を買ってくれているんですねぇ。美しき四将に認められるなど、光栄の極みにございます。」
死霊使いの青年は優雅に首を垂れると、不敵な笑みを浮かべた。
「そして?貴女が蘇らせたいのはどなたかな?心に決めた男性ですかな?……だとしたら、私にも嫉妬心はございます。『面白おかしく』蘇らせて差し上げますが……?」
死霊使いの青年は、わざと口元をゆがめ、セラを挑発するように言う。
そんな青年にセラは不快感を隠すことなく命を下す。
「無礼な発言は、そのまま自身の命の長さと直結することを知りなさい。……貴方はエリシャへ赴き、避難しているローランド国民を皆殺しにするのです。もちろん……『手段は問いません』。」
セラは努めて冷静に、そして非情な命を青年に下した。
青年は、そのセラの言葉に邪悪な笑みを浮かべると……。
「貴女のような清廉な女性から『皆殺し』などという言葉を聞くと、些か興奮いたしますな……。御意に。貴女様の望む絶望を、彼の民たちに見せて差し上げましょう。死霊使い・クロムの名にかけて……。」
そして、クロムと名乗った死霊使いは消えた。
「さぁ、これからがこの戦いの正念場です。まだ日は暮れたばかり。夜明けまでにはまだまだ時間はあります。死霊使いの手など借りずとも、この戦いに勝つことは出来るはず。油断なく行きましょう!!」
アガレス軍の中央で兵を鼓舞するセラ。
歴史に名を残すことになる、『ローランド戦役』は、まだ始まったばかり……。
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