4-2

「……承知いたしました。不穏な軍勢について、私も最大限の警戒を払います。アズマ軍とは別行動をとり、有事の際には協力を惜しまないことをお約束いたします。」



一方、アズマ城内。

謁見の間では、シエラとジェイコフがアズマ国王の話を聞いていた。


海域封鎖の理由。

封魔石の存在。

王妃の現状。



アズマ国王は、ヨハネとの会話を思い出し、去り際の彼女の言葉を信じた。



『3つの光。次の謁見希望者にはすべてを話せ。妾も、その光の力となろう。』


その言葉の直後、やってきたのがシエラとジェイコフだった。


2人。

ヨハネの『3つの光』と食い違う現状に少々悩んだアズマだったが、


「もうひとりは別行動をとっております。謁見出来ないことをお許しください。」


そう言うシエラの言葉に、アズマは確信した。



戦友であったジークハルトの娘。

そしてジークハルトに仕えた剣士。

そんなふたりと共に旅する者。


この三人以外に、ヨハネが『光』と言いうる存在がいるだろうか?と。



「……済まぬな。これは国内の問題。本来なら我がアズマ国民で解決せねばならん。だが、国の、妻の命運がかかっている以上、体裁にこだわっている場合ではないのだ。……頼む。我が国を……救ってくれ。」



国王・アズマが来訪者に頭を下げる。

シエラはそんなアズマの前に跪く。ジェイコフもそれに倣った。


「お顔を上げてください。陛下はわが父ジークハルトの戦友。そんな陛下の力にならないなど、考えられませんわ。……そうでしょう、『おじ様』?」



にこりとアズマに微笑むシエラ。

アズマはふぅっと息を吐くと、


「全く……ジークハルトは良い跡継ぎを儲けたようた。あの幼子が、ここまで美しく、そして頼もしく育つとはな。」



ヨハネが言っていた『光』という言葉。

アズマ自身も英雄と呼ばれた身。

自身を超える存在は、顔を見ればわかる。


まとっている『気』でわかるのだ。


少なくとも、目も前にいるシエラからは、その『気』を感じる。


目の前に、世界の平和を担う存在がいるのだ。

だからこそ、アズマは悩む。


(こんな若者に……国の命運など背負わせて良いのか?)


それでも、アズマはシエラを、『光』を纏う存在を信じることを心に決めた。




『信じよ。彼らは光じゃ。そう易々と染まりはせぬよ。そうならぬ様に力を貸すのが、妾達の役目じゃ。』



自信にあふれた戦友が、そう言ったのだから。



―――――――――――――――――――



「あら……戻ってきていたのですね。」




謁見を終え、城門まで出てきたシエラとジェイコフを、ゼロとヨハネが待っていた。


「おう……んで?これから何をすればいいんだ?」



柱に寄りかかりながら、ふたりに声をかけるゼロ。

シエラはそんなゼロが、数刻前と明らかに『変わった』のを察した。



「魔法……使えるようになりました?微弱ながら魔力を感じます。」



そんなシエラの言葉に、ヨハネがほう……と声を漏らす。




「さすがは聖王ジークハルトの子よの。気付いたか。」



ゼロの横で不敵に笑う女、ヨハネ。



「あ、失礼いたしました。私、シエラと申します。こちらがジェイコフ。旅人です。」



シエラはヨハネに恭しく頭を下げる、が……。



「……あら、どうして私がジークハルトの娘だと……?」



ヨハネの言葉の違和感に気づき、問う。




「まぁ良い。妾はヨハネ。大魔導士じゃ。」


別にそんな問いは些細なことだろうと、ヨハネは自分の名だけふたりに告げる。


「……『大』は外さねぇのな。ぶれねぇな、アンタも。」


そんなヨハネに悪態をつくゼロ。



「この人、お前の親父と俺の親父、共通の戦友らしいぜ?こう見えてもうババ……」



ゼロの言葉が終わるより早く、その身体が消え去る。



「……言うたはずじゃ。歳のことは伏せよ、と。」



ゼロは城門の柱の上、国旗が掲げられているその先端にまで飛ばされていた。

まるで吊るされたような格好になったゼロを見て、にやりと笑うヨハネ。



「下ろせ!!……わかった!もう言わねぇよ!!」


ゼロも、現状ヨハネには敵わないことを理解しているので、最後には結局折れる。



(この方……凄い魔力。詠唱もせずに転移魔法を……。)


シエラは、ゼロとヨハネのやり取りはもちろん、転移魔法という高度な魔法を詠唱なしで発動したヨハネの技量に驚いた。




通常、魔法は精霊の力を借りて発動するため、『詠唱』という形で精霊に力を借りることを承諾させる。

その詠唱の長さは、術者の技量・魔力量により変わる。

シエラは比較的、上級魔導士より短い詠唱で魔法を発動させることが出来る才能の持ち主。


それでも、下級魔法を含め、『無詠唱』で使える魔法は多くない。



「ヨハネ様、貴女が『大魔導士』であること、納得いたしましたわ。」


そんなシエラの言葉に、


「そなたとは、『会話』が出来そうじゃの。」


と笑うヨハネだった。



――――――――――――――



「とりあえず、『黒の軍勢』の要求を断ります。」



これからの動き。

ざっくりと概要を口にしたシエラの言葉に、ゼロとヨハネは目を丸くした。



「そなたたちが、黒の軍勢の要求を蹴る、と言うことかの?」


ヨハネの問い。シエラは静かに首を振り、言葉を続ける。




「国王陛下に御協力を求めました。次の交渉は2日後とのこと。それまでに私達で王妃様の幽閉場所と交渉材料の『石』の場所を割り出します。そして、王妃様を救出してから、対等な交渉に移ります。」



今のままでは交渉と言うより『勧告』であるアズマの現状。

まずはそこから梃子を入れようとシエラは考えたのだ。



「まずは同じ土俵に立て、と言うことかの……。しかし、相手は王妃を誘拐するほどのほどの者ぞ。交渉のみで穏便に事は進むかの?」



海域封鎖を、かつての英雄であるアズマが解けないのは、ただ王妃が誘拐されているからではないのだろう。

仮に王妃をアズマ自身が救い出したとして、相手は次の手、また次の手と策を弄して『アズマ国自体を』危機にさらすであろう。


『黒の軍勢』とは、そこまでも『戦争に慣れている』集団なのだ。




しかし、シエラは変わらない口調で言葉を続ける。



「その時のための、私達だと思っています。アズマ国に属さない、いわば『旅行者』扱いの私たちが、『勝手に首を突っ込む』。これなら陛下にも迷惑はかかりませんわ。」



そう言って微笑むシエラ。



(なるほど……ただ肝が据わっているだけではなさそうじゃの……。)



そんなシエラの様子に、ヨハネの不安は自信へと変わっていく。



「うむ。ただの旅人に今回の騒動は荷が勝ちすぎるの……」



ヨハネはわざと、神妙な面持ちで告げる。



「そんなことねぇよ。俺達、こう見えても強いんだぜ?」



対抗するように胸を張るゼロ。

そんなゼロの肩に手を置くと、


「剣士ふたりに魔法剣士がひとり。敵が魔導師中心だとしたら、些か戦力不足じゃ。……策を授けよう。」



不適な笑みを浮かべながら、ヨハネはゼロの前に立ち、自身の胸を指さす。




「最強の魔導師を仲間に引き入れれば良いのじゃ。……此処におろう?『大魔導師』がの。」



ヨハネはたった3人の『光』に力を貸すことを決めた。



それは、これまで『見届ける者』として生きてきたヨハネが、ここでようやく立ち上がった瞬間だった。


――――――――――――――――


場所は再び、アズマ王城・謁見の間。



「まさかヨハネ、お主も協力してくれようとは……。どういった風の吹き回しだ?」


アズマ国王が、心底驚いた様子でヨハネを見る。



「なぁに、妾の『子供たち』がいたずらに命を散らさぬように助力するだけじゃ。適当なところで任せて帰るわ。」



ヨハネはそう言うと、不敵に笑った。



「で、王様は王妃様の幽閉されている場所に心当たりはねーのかよ?俺達は旅行者。国の重要な場所までは押さえてねーぜ?」



ゼロが率直に意見を言う。


「国王陛下の御前であるぞ!!」


……と、ジェイコフが咎めるも、ゼロは意に介せず。



「良い。……そうだな。協力者に情報を惜しんでいても仕方あるまい。」



アズマは、ゼロのその真っ直ぐな視線に何かを思ったのか、部下に地図を持ってこさせる。



「アズマは島国。四方を海に囲まれておる。そんな我が国に黒の軍勢が出した、王妃を『誘拐しておく条件』が、海域の封鎖。つまり実質的な『鎖国』だ。」



現在、アズマは内政・外交共に封鎖状態。

他国と全く関りを持たずにいた。


それが逆にゼロ達をアズマ国内に侵入させる良い材料となった。


先の戦いで助力を得ることになったローランド王国。

各国に書を飛ばしたものの、いつになってもアズマからのみ返事がなかったのを不審に思い、シエラに侵入を持ちかけていたのだ。


大陸の港町には、アズマの国旗を掲げ偽装した船を用意させ、入国証も『帰国』で発行させたのだ。


故に、ゼロたちは『鎖国前に帰国』出来たのである。




「何故、海域を封鎖したのか。それは、その海域に彼奴等が欲するものがあるからだ。」



アズマは地図の一点、アズマ国の北の海を指し示す。



「この部分、地図には載っておらぬが、人口の島がある。ここで本来はある石を採掘しておる。それが、彼奴等の狙いだ。」


そう言うと、アズマは懐から宝玉を取り出す。



「封魔石。邪なる魔力を封じ、純粋なる魔力に還元するという、この国でしか採れないものだ。これを何らかの形で利用したいのであろう。要求にこの石も含まれていた。」



ヨハネが、封魔石を見つめて露骨に嫌な顔をする。



「……魔導士の天敵じゃ。」



「その……『この石も』とおっしゃいましたが?」


ふと、シエラがアズマの言葉を聞き、疑問を呈する。

アズマは、険しい表情で言った。


「あと一つの要求、それは妻の能力だ。」




――――――――――――――――――




アズマの港から少し離れた岬。


アズマ国王の用意した小舟に乗り、地図にない小島を目指す一行。




「妻の能力、それは古より伝わる、『霊媒』の力。異界……すなわち死後の世界の霊、そして残留思念をその身に留め、言葉とする者。黒の軍勢は、おそらく妻の力と封魔石を用いて何か大きな存在を蘇らせようとしているのかも知れぬ。」




アズマの言葉が本当であれば、王妃の身が安全とは言い切れない。



「……やられる前に、王妃を奪い返さないとってことだな。」


「そうです。霊媒の力が呼び寄せる力を下回ったら、身体を乗っ取られる可能性もあります。何より……。」


「王妃様の精神が、自我が持たないかもしれません。廃人同様の王妃様を連れ帰ることは『救出』とは言いますまい。」



ゼロたちの目標は、王妃が霊媒の力を使われる前に救出すること。



「封魔石はどうするのじゃ?」


「まずは、王妃様の身の安全が第一。封魔石はその後ですわ。」


「そーだな。大体、もし何かを復活させるとして、なんで『封魔石』なのかが分からねぇ。封魔石は、何かを封じるための石、だろう?」




ゼロ達はただ、感情論で動いているわけではない。

優先順位を組み立て、それを行動に移しているだけ。


それを確認できたヨハネは、ふぅ……と息を吐く。



「考え無しの人命救助というわけではなさそうじゃの。よし、乗ろう。いざとなったら妾の魔法でサポートしてやる。」



そのヨハネの一言が、一行の不安を取り払ったことは、言うまでもない。



「大魔導士様のサポートなんて……私達、思いっきり戦えますわね!」



ひとり、珍しく興奮するシエラ。


「これこれ、思い切り戦うのはいいが、後先考えずに戦うことだけはしてくれるな。どの戦いに、どんな状況を想定して余力を残すか。それも戦巧者の戦いじゃ。」



ヨハネはそんなシエラを落ち着かせながらも、まんざらでない表情。



そうこうしているうちに、小島へとたどり着く。




「……小舟を止めよ。」



岸に着く前に、舵を取るジェイコフにヨハネは告げる。


「……どうされました?」


問うジェイコフ。ヨハネは答えない。



「……ビビったか?」


冷やかすゼロに平手を見舞い、ヨハネは小島の中央の採掘現場を指さす。



「……手遅れかも知れんの。強大な魔力を感じる。」



シエラの頬を、一筋の汗がつたう。

シエラもまた、その異変に気付いていた。


地図にない小島の、封魔石採掘現場。



「……岸に罠は無いようじゃの。気を付けて舟を停めよ。」


ヨハネの指示で、ジェイコフは慎重に小舟を岸につける。



「お疲れ様、ジェイコフ。」


舟を降りると、シエラがジェイコフを労う。



4人は採掘現場の入り口で、一度足を止める。

勢いに任せて突撃など、危険の極み。

そんな事をするのは、練度の足りない一兵卒のすること。

言葉にせずとも、4人は共通の認識を持っていた。


『この中は、危険だ』と。



「あらかじめ、装備はしっかりと確認しておきましょう。魔力を感じます。私が先行し、ヨハネ様には私の後続をお願いいたします。」


「分かった。……なかなか分かっておるようじゃの。」



シエラとヨハネで、着々と準備が進められていくその一方で……。


「俺を前衛に出せよ!女の後に続くとか、恥だろ恥!!」


「シエラ様を先頭にするなど……。」



話の分からない男がふたり。



「やれやれ……男はどちらも猿、かの。」


大きく溜息を吐くヨハネ。


「良いか馬鹿ども。そなた達はふたりとも『剣士』じゃ。魔力などたかが知れておる。一方でシエラは魔法剣士。しかも聖剣持ちじゃ。魔力を相殺し、反撃もできる。相殺し漏れた魔法は、大魔導士である妾が全て打ち消す。……どうじゃ、何も問題はあるまい。」



胸を張り作戦を説明するヨハネに、ゼロとジェイコフは返す言葉もない。



「とりあえず、侵入の際の布陣です。内部では目まぐるしく戦況が変わるでしょう。その時は、しっかり活躍してもらいますわ。」



納得いかない様子の男ふたり人に、シエラは優しく微笑みかける。


「……そん時は、俺に任せとけ!!」


「シエラ様の御身は、私が必ずお守りいたします!」



シエラの言葉に、ふたりの気合も入る。



(ほう……この娘、ただ頭がきれるだけではないようじゃの。……あとは戦闘力か。まぁ、ジークハルトの娘じゃ。心配はあるまい。)



ヨハネは、シエラの潜在能力に注目していた。


ヨハネを除く3人の中で、現在最も戦力となるのはシエラ。

彼女はそう確信したのだ。



(問題は……あの老騎士、じゃが……。)


ジェイコフに視線を移す。


(何か……隠しているものがありそうじゃの)



一見、シエラの陰で様子を伺っている様子のジェイコフ。

ヨハネは『念のため』彼に注意を払うことにした。



「だから言ったであろう?『魔力を感じる』と。」




服を少々焦がされたゼロに、呆れ顔でヨハネが言う。



事は数十分前に遡る。


「やっぱり俺は前線向きだろ!!多少の魔法なんて俺にとっちゃそよ風みたいなもんだぜ!!」



そう言って飛び出していったゼロ。



……そんなゼロは、『そよ風』に焼かれた。



相手は漆黒の軍勢だった。

そして、ゼロが想像していたより多くの魔導士が待ち構えていた。


そして、勢いに任せて突撃するゼロの想定より、魔導士たちは洗練されていたのだ。



「……死ぬかと思った」


「死んでいてもおかしくない状況だったわ!!」



ポカリ、とゼロを小突くヨハネ。


結局、ゼロの危機を脱したのは、ヨハネの魔法だった。

大きな稲妻で、敵の魔導士達を一網打尽にしたのだ。



「本当、もしヨハネ様がいなかったら、私はゼロ様とお別れするところでしたわ……。」


回復魔法をゼロにかけながら、シエラが大きなため息を吐く。


「お主は、もう少し『戦術』というものを学ぶがいい。迂闊な行動は、自分だけではなく仲間をも危機にさらすこともある。」



そして、ジェイコフの説教。

四面楚歌のゼロは、仕方なく頭を垂れる。


「わ、分かったよ……。悪かったな。」



正直、ゼロは魔剣の力も使い、先刻の状況を打破できると思っていた。

それほどの力を得たのだとも。

しかし、戦いには相性というものもある。


ゼロのような純粋な『剣士』には、魔導士はいささか相性が悪い。



「相性、な。勉強になったわ。」




自分の浅はかさを恥じつつ、欠点を理解するゼロ。



「分かればよい。お主ひとりで戦うわけではない、ということを理解しただけでも進歩という者じゃ。」


そんなゼロの頭を優しく撫でながら、ヨハネは満足げな表情を浮かべた。


「おいっ……子供じゃねぇっ!!」


「子供のようなものじゃ、妾にとってはの。……何じゃ?撫でるだけで物足りぬなら、抱き締めてやろうか?ん?」



顔を真っ赤にして手を振り払うゼロを、面白がって揶揄うヨハネ。

転生の秘術を使い、若返っているヨハネ。


生きている年数はゼロの父親以上でも、見た目自体はゼロとさほど変わらない。

傍から見れば、ヨハネは人の目を引くほどの美女なのだ。



「……アンタさ、もう少し周りの目を考えた方がいいぜ。」



それはゼロも思っていることだった。



薄暗い採掘場の中。



一行はおそらく、『深部』に辿り着いた頃。



「……畏れながら……。」


ジェイコフが、3人を止める。



「……どうしたのですか?何か見つけましたか?」


心配したシエラが、ジェイコフに問う。



「シエラ……離れよ。」


異変に気付いたヨハネが、シエラに警告する。

それより早く、ジェイコフの刀がシエラの首を薙ぐ。



ーーーギィン!!---



剣戟の始まりを告げる、乾いた金属音。


シエラの首を落とすはずだったジェイコフの刀は、漆黒の剣に受け止められていた。




「テメェ……どういうつもりだ!!」


シエラが身をかわすより。

ヨハネが魔法を放つより。

ゼロは素早く反応していた。



(いつじゃ?いつ、彼奴の裏切りに気づいた……?)


そんなゼロの反応に一番驚いたのは、誰よりも戦場の経験が豊富なはずのヨハネだった。



「言い訳も弁解もせぬ。退いてくれ。」



ジェイコフは刀を持つ手の力を緩めることなく、ゼロを鋭い視線で射抜いた。


「はいそーですか、って人を殺させるわけにはいかねーな!!」


ゼロがジェイコフの腹を力いっぱい蹴る。

結果、ジェイコフはゼロたちの進行方向の先に立ちふさがる形となった。



数刻の静寂。

深い洞窟内。

滴る水の音が反響する音しか聞こえない。



「ジェイ……コフ?」


シエラが動揺するのが見て取れた。

帝都陥落の日、必死に自分を守り、逃がしてくれたジェイコフ。


ローランドの戦いでも、シエラと共に戦ってくれた。

ローランド宰相を倒すには、ジェイコフに背を守ってもらわなければ負けていた。


そんなジェイコフが今、自分の首を狙っている。



「……どうして?」


至極当然な問いだった。



シエラに、兵法を教えてくれたのはジェイコフだった。

失敗しても、くじけぬ心を養うよう諭してくれたのも、ジェイコフだった。


皇帝として君臨し、帝国のために生きた父。


親子としての時間が限られている中、ジェイコフはまるで自分の父親のような存在だった。



弱虫で良く泣いた。そのたびに困らせた。


帝国騎士団を稽古で負かした。それでもジェイコフは困った。



だが、そんな困った顔に秘められた優しさが、シエラは好きだった。



「やめましょう……今なら、まだ冗談で済みますから……」



すがるように言葉を振り絞るシエラ。


ジェイコフは、そんなシエラに刀の切っ先を向けることで、答えた。



「シエラ様。貴女は聡明な方だ。もう……お判りでしょう?」



老剣士の鋭い視線が、無防備な皇女に向けられる。



「ジェイコフ、貴方は……」


ここまでくれば、シエラも分かっていた。

ジェイコフが、何故自分たちの目の前に立っているのか。

何故、自分に剣を向けているのか……。



「もとより帝国の剣士では、無かったのですね……?」


言葉を紡ぐたびに、シエラの胸がずきん、と痛む。

そんなこと、全く気付かなかった。



「私を逃がしたのは、何故?」


「シエラ様、帝国の生き残りの貴女を世界に分かるよう処刑することで、我が軍の力を思い知る者も増えましょう。」



まるで感情を持たない人形のように、ジェイコフは訊かれた事のみを答えていく。


「私を……守ってくれた、のに……」


「どうして強大な騎士団を持つ帝国が奇襲にあったのか……。それは私がいたからです。」



どさり、とシエラが膝をつく。



「帝国騎士団長だった貴方は……」


ぽろぽろと涙をこぼす、シエラ。


そんなシエラに、ジェイコフは感情を持たないようなその表情で、言い放った。




「私は、漆黒の4将が一柱、『死神』のジェイコフ。」




ジェイコフは、自分の『本当の名』をシエラに告げると、一歩ずつシエラに歩み寄る。

シエラは、この出来事が嘘であって欲しい、そう願いながらもジェイコフの近づく足音で少しずつ現実に引き戻されていく。



そして、跪くシエラの眼前に、ジェイコフが立つ。



「一度はシエラ様をお守りした身。苦しまぬよう、一息で仕留めて差し上げましょう。それが、私の唯一の罪滅ぼしでございます……。」


少しだけ、寂しそうな表情を見せたジェイコフは、絶望し生気を失ったシエラの喉元に、その刀の切っ先を当てがった。




「ふっざけんじゃねぇよ!!!」


そんなジェイコフの剣を、全力で弾くゼロの魔剣。

ジェイコフは姿を消すように身を翻し、再び距離を取る。



「ゼロ……そなたでは力不足。『一兵卒』は込み入った話に口を出すべきではない。」



呆れたようにため息を吐き、ゼロに忠告するジェイコフ。

しかし、ゼロはシエラの前に立ち、



「なーにが一兵卒だ!あんたの戦い、俺だって近くで見てるんだ!!」



ローランドで共に戦ったジェイコフ。

その剣技は目の当たりにしていた。


(無傷は無理だが……いい勝負くらいは出来るぜ!)



「テメェ……今まで力、隠してやがったな……。」



ゼロとジェイコフの剣戟。

力も、素早さも、そして経験さえもゼロよりもジェイコフが上回っていた。


ゼロの全力の攻撃はことごとく受け流され、完全だと思っていた防御の型は、その隙間をジェイコフに穿たれた。



「私が全力でそなたたちと同行するわけがなかろう。第一、『味方』に刃を向けるような愚行、私が行うわけがない。」



確かに、先のローランドの戦いにおいても、ジェイコフが剣を直接向けたのはアンデット兵だけだった。

宰相との闘いは、おそらくシエラとガーネットを主体で戦わせ、サポートを騙ることで闇の軍勢に素性を知られないようにしたのだろう。


宰相は、結局最後までジェイコフの正体に気づくことなく息絶えた。



「漆黒の4魔将……それがそなたたちの位か。お主のような存在が、あと3人は居るということじゃの?」


これまで静観を決め込んでいたヨハネが、ようやく口を開く。



「そうです。私を含め、4人の将……漆黒の魔将により支えられるのが、我が漆黒の軍。……近いうちに、世界中に我々の正体が、そして力が知れ渡るでしょう。」



これまでの紳士的だったジェイコフとは似ても似つかない、邪悪な笑みを浮かべる。



「寝言は、寝てから言いやがれ!」


そんなジェイコフに向かっていくゼロ。



「ゼロ、今回は教訓としておいてやろう。」


そんなゼロの動きを確りと見つめ、刀を鞘に収めて機を待つジェイコフ。

ゼロがジェイコフの肩口を薙ごうとする、その刹那。




「……え?」


ゼロの身体を、ジェイコフはすり抜けた。

収めたはずの刀が、抜かれている。



「……身の程を知らぬものは、戦場では早死にするのだ。覚えておくといい……。」



ーーーキィンーーー



ジェイコフが刀を鞘に収める音がすると同時に、ゼロの背中に袈裟に斬られたような傷が走った。

噴き出す血しぶき。



「が……っ!!」



そのまま前のめりに倒れるゼロ。


(なんだよ……全く見えなかった……。)


薄れゆく意識の中、ゼロは死の恐怖を感じた。

目の前には、『死神』。


しかし、そんな『死神』はくるりとゼロに背を向けると、坑道の奥へと歩き出す。




「……私にはなすべきことがある。もう充分相手はしました。このまま、引き返してください、シエラ様……。」



それだけ言うと、ジェイコフはさらに奥深くへと、消えた。


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