3-2

「……夜が明けますな。突撃します。殿下は、私の後方を……」


地平線に日が見え始めた、その時。

ジェイコフはシエラにそう告げた。


ローランド国王軍、その数は1,000。

決して多くはないその兵力で、『反乱分子』である宰相派を制圧に向かう。


はじめは、500で良いと国王に告げた。

しかし……


「シエラ、そなたは亡国とは言え、帝国の皇女殿下。何かあってからでは遅い。せめて1,000はつけさせてくれ。」


シエラを案じるローランド国王は、決して首を縦には振らなかった。


「どのみち、我々が突撃するのです。何かあったときのために、バックアップは多い方が良い。ここは、陛下のお言葉に甘えましょう。」


ジェイコフのそんな言葉に、渋々納得するシエラ。


そして……


「行きますぞ!」


砦から少し離れた平原で、ジェイコフは合図を出す。


それを確認し、国王軍が一斉に進軍する。


その軍の遥か前方を、まるで風のように走るふたり。


ジェイコフとシエラ。

その素早さは、もはや軍のものなど足元にも及ばないものであった。


「ジェイコフ、出来るだけ軍を引き離しましょう!被害はないに越したことはないですわ!」


「……御意!」


まるで弾丸のように、砦に一直線に走るジェイコフとシエラだったが……


「……!!」

「……くっ!?」


ジェイコフの眼前に、漆黒の剣士。

そして、シエラの足元には、1本の矢。


(相手の読みが……私たちより早かった……)


「ここを、通すわけにはいかねぇ。お前たちには、宰相は殺させねぇ。」


漆黒の剣士は、漆黒の剣を手に、ジェイコフの前に立ち塞がる。


「そこのねーちゃん。……アンタもだ。少しだけ、待ってくれねぇか?」


シエラに剣の切っ先を向け、鋭い視線でジェイコフを射抜く。


「……恨みはねぇんだ。むしろ、アンタ等にはこの内乱をさっさと収めて欲しい。でもな、宰相を殺るのは、アンタ等の仕事じゃねぇ……」


ジェイコフが、間合いを詰めようと爪先を剣士に向ける。

……が、距離は1メートルも縮まらない。


(隙が……ない!?)


剣豪として名を馳せた、ジェイコフ。

そんな彼が、剣士の殺気に一歩も動けなかったのだ。


「……やめとけ。俺は一介の剣士だが、血筋は良いんだぜ?」


すっ……と、ゼロが剣を構える。



(あれは……!)


その構えに、シエラが目を見開く。

それは、良く見知った型であった。



漆黒の剣士の構え。


シエラは遠い記憶を辿る。


確か、帝国の宮殿内だった気がする。


「……ジェイコフ……剣を収めて。」


シエラがジェイコフに命じるが、ジェイコフは、


「……素性が分かるまでは、油断はいたしませぬ……」


長年培ってきた剣士としての経験に頼り、剣先を漆黒の剣士の眉間に合わせる。


「……さすが、帝国の懐刀だ。姉貴も言ってたな。皇女殿下と騎士団長殿が居れば、帝国は安泰だ、と……。」


射抜くような視線で、剣士が語る。


「我々を……知っているのか?」


訝しげな表情のジェイコフ。そんな彼を皮肉の混じった笑みを浮かべながら、


「剣豪・ジェイコフ。その名は知れ渡ってるじゃねぇか。……もっとも、姉貴には勝てなかったみたいだけどな?」


その、剣士の言葉で、シエラの思考のピースが埋まっていく。



━私には、弟がいるんです。騎士団には何故か入りたがらなくて……。でも、私よりずっと才能がある。いつか殿下に会わせたいと思っております。名は……━



「…………ゼ…………ロ?」


シエラが、記憶の底に眠っていた言葉を絞り出す。


ゼロ、と呼ばれた漆黒の剣士は、シエラに向けていた剣を背中の鞘に納めると、


「初めまして、皇女殿下♪」


恭しく頭を下げる……ふりをして笑った。


帝国を訪れたことのある、エリシャの『華将軍』アイン。

領主オスカーと謁見に来た際、数日だけシエラは剣の稽古をつけて貰ったことがあった。


圧倒的な剣技、そして見とれるほどの美しさ。

『剣豪』ジェイコフと手合わせをしても、その卓越した剣は、ジェイコフを凌駕していた。


その時初めて、シエラはジェイコフが膝をつくところを見たのであった。


そんなアインが、ことある毎に話していた、弟の存在。


「口は悪いんですが……とても、優しい子なんです。」


「殿下に会わせたら……失礼なことを申してしまうかも知れません……」


「ゼロと同じ歳……殿下のような美しい妹、昔は少しだけ憧れました。」


浮かんでは消えていく、アインの笑顔。



「…………っ!!」


シエラは、ジェイコフの横をすり抜け……

ゼロの手を握り、涙を流した。


「お……おいっ!俺は敵だぞ?」


「良かった……生きていてくれて、本当に良かった……!」




「貴方の事は、聞いていました。貴方のお姉様から……」


強さと美しさを、文字通り兼ね備えた『華将軍』。


まだ当時未熟であったシエラは、アインに憧れを抱かずにはいられなかった。


そんなアインが戦死したと聞かされたとき。

心が裂かれる感覚を覚えた。


その、裂かれた心が。

彼女の弟の存在により癒されていく。

そんな不思議な感覚を、今のシエラは感じていた。


アインが「会わせたい」共に言っていた弟は……

背が高くて、

整った顔立ちで、

剣の構えが姉と瓜二つで……


……姉と同じ、瞳に心の強さを宿していた。


「なぁ……そろそろ離してくれねぇか?」


気まずそうに言うゼロ。しかしシエラはそんな顔を見ながら、


「もう少し……もう少しだけ。」


憧れた人の縁を、まるで噛み締めるかのようにその手を握り続けた。


「思い出させてしまうかも知れないけれど……」


シエラが、思い言葉を、紡ごうと口を開き……


「……騎士らしい、気高く美しい……最期だったぜ。」


それより早く、シエラの気持ちを悟ったかの様に、答えであろう言葉を、告げた。

その瞬間。


「うぅ……っ!」


シエラはゼロの胸で、泣いた。


本当は、生きていて欲しかった。

戦死したと言うのは、ただの噂で、弟が「弟の俺が言うんだ、間違いない」と、噂を否定してくれることを、心のどこかで望んでいた。


だから、


「お姉様の最期は、看取りましたか?」


と聞くつもりでいた。


バカじゃないのか?……と怒って欲しかった。

冗談!……と嘲笑って欲しがった。


弟の彼が言う、間違いの無い『姉の戦死』。


否定される心の準備はしていたが、肯定されたときに平静でいる準備をしていなかった。


「姉貴は、辱しめられることなく、最期まで騎士だった。最期まで、俺の憧れの姉貴だったよ。」


ゼロは、胸の中で泣くシエラを拒むことなく、優しい声で言った。

シエラはもはや声など出せず、ただ嗚咽をもらしていた。


「……オッサン、頼んだ。」


ふと、ゼロがジェイコフに声をかける。


「悪い!」


胸の中で泣いているシエラを、突如ジェイコフの方へと突き飛ばす。


驚き目を見開くシエラと、


「……貴様!」


シエラを庇い、ゼロに鋭い目を向けるジェイコフ。


━━ギィン!!━━


刹那。


ゼロが漆黒の剣で、ある『モノ』を打ち落とす。


「……俺が裏切ったと思われたみてーだぜ?」


そこには、矢があった。



シエラを突き飛ばした、その位置。

ちょうどゼロの肩口の辺り。


もし、ゼロがシエラを突き飛ばしていなければ。

もし、ゼロが矢を打ち落としてなければ。


矢は確実に貫いていただろう。

シエラの眉間の中心を……。


「相変わらず、恐ろしいほど正確な矢だな……。」


冷や汗がゼロの頬をつたう、その時。



━━キンッ……━━


軽い金属音と、微かな衝撃。


2本目の矢は、これも正確に、ゼロの漆黒の剣の切っ先を掠めた。


(……相当怒ってるなぁ……ガーネットのヤツ……。)


ゼロは、矢に込められている意思を感じ取っていた。



目の前の相手は、敵だ。

裏切れば、お前を射止めることだって厭わない。

3人揃って、この位置から仕留めることだって、私には、出来る。



……そう、2本の矢は告げていたのだ。



「何て言う射程距離だよ……なぁ?これは、宰相も欲しがるぜ。ひとりいれば、簡単に戦況がひっくり返るからな……」


最高の狙撃手。

絶好の後方支援。


「もしかしたら……ローランドが帝国の隣国でありながら、黒の軍勢に落とされなかったのは……」


シエラが、冷静さを取り戻し、呟く。


「……恐らく。魔法は、遠ければ遠いほど、狙いは粗雑になる。しかし、ガーネット殿の狙撃は、あくまで点であり正確……。魔導師が何人いたところで、ことごとく狙撃されてはたまりますまい。」


シエラの予想を肯定するかのような、ジェイコフの分析。


遠く、小さな砦に詰めている、狙撃手の存在が、まるで大きな城壁のように感じる。


(勢いで、砦……飛び出さなければよかったぜ……戻るのもひと苦労じゃねぇか……)


苦笑いを浮かべるゼロ。

……が、その時。


(……じゃぁ、なんでガーネットは、さっさと俺達を射抜かないんだ?その気になれば、多少抵抗したところで、3人くらい余裕だろ……)


その疑問の答えを見出だすのは、ゼロにはいとも容易いことであり……


(俺にしか出来ねぇ、だろ?任せとけ。ガーネット、お前はそれでいい。)


微かな笑みを浮かべ、シエラとジェイコフに向き直る。



「一度、引け。ガーネットの狙いは、裏切り者の俺だ。」


ふたりは、驚きに目を見開く。


「俺くらいの剣の腕なら、裏切ればいつでも処分できる。そういう余裕を見せたいんだろ、宰相は。……まぁ、俺は行きずりで軍に入ってない。もともと居ない人間を処分するなんて、わけもないだろ?」


ゼロの手が、小刻みに震える。


(いきなり本番で、命のやり取りかよ……演技とはいえ……緊張するぜ……)


そんな震えをふたりに悟られないように、剣の束を力一杯握ることで誤魔化す。


「俺が、矢を避けながら砦へ行く。近づいちまえば弓兵には勝てる。ガーネットを無力化させて、お前たちに狼煙を上げる。その合図で、一気に来い。」


ゼロの作戦。

理にかなってはいる筈なのだが、ジェイコフは納得できずにいた。


「……何故、敵であるそなたがこちらの理になることを……?」


当然の問いである。

シエラと会話をしていたとはいえ、現状、ゼロは『宰相派の剣士』なのである。


怪訝そうな表情のジェイコフに、ゼロは真剣に答える。


「……状況が変わったんだよ。……宰相が俺達を裏切った。俺達、と言うかガーネットをな。あいつに、敵を取らせてやりてぇ。」


そのゼロの言葉で、おおよその状況を把握したシエラ。


「ジェイコフ、後続の兵に待機の命を。」


ゼロに背を向けると、ジェイコフに指示。


「……御意。」


さすがに、主に命令されれば逆らうわけにはいかない。

ジェイコフは後方へと走り去っていった。


「……ゼロ、無事で……また会いましょう。貴方とは、話したいことがたくさんあるんです。」


シエラは、去り際にゼロに言う。

ゼロは、シエラに向かい、親指を立てると、


「俺も。……姉貴の話、聞かせてくれよ。」


そう言って、満面の笑みを向けた。



弾丸のように砦へと走る。


迫り来る、ガーネットの矢。

的確に、急所のみを狙う、無慈悲で、無駄の無い矢。


一撃でも食らえば、その時点で行動が止まり、とどめの矢が自身を貫くであろう。

だが、ゼロはやられる気はしなかった。


ガーネットの性格上……


急所を確実に狙ってくるなら、急所以外には当たらない。

そう思っていたから。


眉間

心臓

首の中央


この3点を中心に、落ち着いて軌道を見ていけば……


(くっそ……要求が高いぜ、ガーネット!……1本くらい外せってんだ。)


しかし、正確無比な射撃能力に苦戦する。

砦に近づくにつれ、矢の速度は増すように見え、矢の精度も上がってきていた。


1本ずつ、丁寧に剣で打ち落としていく。


(……あと少し!!)


ついに、砦を目視で確認したゼロ。

ここまで来れば、あとはいかに怪しまれずにガーネットを確保するか。


ゼロの作戦が、次のミッションへと進んだ。


次々と、急所を狙い迫ってくるガーネットの矢。


砦との距離が近づくにつれ、その間隔は短く、矢の速度も増してくる。


文字通り『命のやり取り』。


ひとたび間違えれば死を招く、ガーネットとの本気のやり取り。


ゼロは、そのやり取りを制しなければならない理由があった。


(待ってろよ……必ず、会わせてやるからな!!)


ガーネットと弟を、悲しい形であれ、再会させてやりたい。

そんな想いが、ゼロの心にあったから。



(……おっと!)


ふと、矢が1本だけ、ゼロの足下に刺さる。


それはまるで、


『進むな』


そう言っているようで。


「なんか……あるのか?」


矢は……それっきり、自分を狙ってこない。

それはゼロに

『確かめろ』

と言っているかのよう。


ゼロは手近な、大きめの石を手に取ると、ガーネットの矢が刺さったその先へと投げ込む。


━ガシャン!ガシャン!!━


たったひとつの石を喰らうように、連動した虎ばさみが作動していく。

一斉攻撃に対する備えなのか、逃亡者を捕らえるための備えなのか……


どちらにしても、この一撃を食らってしまってはひとたまりもなかった。


(……あっぶねぇ……。サンキュー!)


ゼロは、砦を見上げる。


右の搭・最上部にはガーネットが立っていた。

悲しげな目で、ゼロを見下ろし、弓を構えている。


「ふぅ……美人なのに、恐ろしい女だぜ……あんたは。」


苦笑いを浮かべながら、剣の切っ先をガーネットへ向ける。


(待ってろよ……すぐ行くからな!!)


そのゼロの、決意の灯った瞳が見えたのか……


……ガーネットは、構えていた弓を下ろした。


(ミッション……クリアって訳だな。)


そのガーネットの動きに、ゼロは笑みを浮かべ……

砦に向かって、罠を避けながら走った。


そして……




「どうして、戻ってきた……?自由は、その手にあったのでしょう?」


ガーネットのもとへたどり着いた、ゼロ。

『宰相派』は、まだゼロが仲間の剣士であることを疑っていなかった。それを利用し、悠々とガーネットのもとへと進むことが出来たゼロ。


「まぁ、自由も良いと思ったんだが……野暮用ができてな。お前に、会わせたい奴が居る。」


ゼロは、ガーネットの弟から託された指輪を、そっとガーネットの手に握らせた。


「これ…………は。」


ガーネットは、それで全てを悟ったらしく、真っ青な顔で、ゼロを見つめた。


「もう一度言う。……会わせたい奴が居る。」



翡翠の宝玉が付いた、美しい指輪。

それは、ガーネットが弟の誕生祝いに、自身の物を贈った、世界に一つしかないもの。


「どうして……この指輪を、あなたが……」


ガーネットにも、答えは分かっていただろう。

それでも、その答えを認めたくなくて、ガーネットはゼロに問うた。


「宰相とお前の話……聞いちまった。お前が嫌々手を貸していることも、その時に理解した。部外者の俺が見たって、宰相は悪だ。だから、人質を解放して…お前は信じる道を進んで欲しかった。」


ガーネットは、指輪を見たまま、動かない。


「でもな……俺が行った時には、弟はもう……虫の息だった。もう少し俺が早くお前のこと、気づいてやれれば…悪い。」


指輪に、ポタリ、ポタリと雫が落ちる。


「背負って、王国へ向かった。その途中で、お前の弟はこの指輪を俺に預けて…。」


涙を拭うこともせず、ガーネットが嗚咽を漏らす。


「弟からの伝言だ。ありがとう…。最期まで、あんたの弟は、勇敢だった。」


ゼロの言葉に、ガーネットの膝が崩れる。

指輪を握りしめたまま、地に伏せるように頭を床に擦り付け……


「わぁぁ~~……ッ!」


ガーネットは、泣いた。

ゼロは、ガーネットの泣き顔を見ないよう、静かに後ろを向き、目を閉じた。


姉弟を失う悲しみは、ゼロも味わったばかり。

ゼロは、姉を亡くし、ガーネットは弟を亡くした。

もし、『あの日』ゼロが命を落としていたら…。


アインは、このように泣き崩れていたのだろうか?


(俺が死ねばとか……そういう問題じゃねぇ。どっちも……死んじゃダメなんだ。)


グッ……とゼロは唇を噛みしめ、ガーネットの方を向く。

ガーネットは、泣き崩れたままだった。


「俺も……戦争で姉貴を亡くした。あんたみたいに、弟が憧れてやまない、立派な姉だった。」


ガーネットが、顔を上げゼロを見上げる。


「姉貴は、最後まで……俺の事しか言わなかった。怖いとも、死にたくないとも言わなかった。あんたの弟も、同じだ。きっと、死に行くものは……」


込み上げてくる感情を、必死に抑えながら。


「置いていく、大切な人のことが、一番心配になるのかも知れないな……」


抑えていたつもりだった。それでも、一筋……ゼロの頬から涙が落ちた。


「ガーネット……弟の分も、生きよう。俺も、姉貴の分も……必死に生きてる。姉貴の分も……人を助ける!」



ゼロの頬から零れた、一筋の涙。

怒りで震える、剣をつかむその手。


それでも、ガーネットの事を励ますゼロに、


「……ごめんなさい。辛いのは、私だけではないものね。」


……と、立ち上がるガーネット。


「……で?どうする?もうすぐ王国軍が来る。というか、俺が呼ぶ。お前は『どっち』で戦うんだ?」


ゼロの問い。ガーネットはゼロから受け取った指輪を、右手の薬指にはめ……


「……どちらでもない。私は私として、宰相を討ちます。」


凛とした表情で、ガーネットは答えた。

そんな回答も、ゼロは想定していた。


「……んじゃ、俺もガーネット軍に参加しようかね。2人しかいねーけどな。」


屈託のない笑みを浮かべるゼロ。

そんなゼロに、申し訳なさそうな表情で問うガーネット。


「……なぜです?貴方はもともと放浪の剣士。この革命自体と無関係のはず。」


ゼロは、数歩先へと歩くと、振り返らずに答える。


「そんなもん、俺には関係ねぇよ。……ただ、気に入らねぇ。俺が戦う理由なんて、それで充分だ。」


国を裏切るということが。

争いを生むということが。

人質を取るということが。

姉弟を、引き裂くということが……。


全てが、ゼロは『気に入らなかった』。


「……ほら、さっさと行くぞ。弟が、待ちくたびれるぜ?」


少しだけ、苛立った様子を見せたゼロ。そんなゼロに、ガーネットは微笑む。


「……ありがとう。」


その背に、ガーネットは聞こえないように囁いた。




宰相が控えているのは、作戦室。

まっすぐ向かおうと、階段を下りたゼロとガーネットだったが……


「織り込み済み、ってわけだな。馬鹿ではないらしいな、おたくの宰相は。」


階下の通路には、すでに宰相派兵士たちが待ち構えていた。

ゼロは、漆黒の剣を抜き、ニヤリと笑う。


「ガーネット、この狭い通路じゃ矢は撃てないだろ。俺に任せとけ。」


剣を肩に担ぐように構えると、兵たちに向かう。


「どうせ宰相の命令なんだろうが……甘い!お前ら甘すぎるぜ!!」


一歩、また一歩。

ゼロは歩いて兵士たちとの距離を詰めていく。


「たったそれだけの人数で、俺達を……いや、『俺を』止められると思ったのか?あんまりみくびらないで欲しいぜ!!」


その言葉を皮切りに、兵士たちが一斉にゼロへと向かってくる。

その様子を、鋭い視線で見据え……


「分からねぇ奴等だな!!役不足だ、って言ってんだよ!」


ゼロは吼えた。



「ちっ……話にならねぇ。だから退いてろって言ったんだ。」



ゼロの言葉通り、兵士たちは全く相手にならずにゼロによって斬り伏せられた。


「腕が立つと思ってはいましたが……ここまでとは。」


ガーネットが、感嘆の声を上げる。ゼロはそんなガーネットを横目に窓から身を乗り出すと、非常用にと持っていた煙幕を放り投げる。

煙幕は、地面についた衝撃で発火し、もくもくと煙を上げていく。


「……よし、狼煙にはちょうどいいだろ。」


ゼロは通路の先へと歩を進め……


「言っとくけど、あんなの全然本気じゃねぇぞ。準備運動にもならねぇ。」


ガーネットに言う。

ガーネットは、そのゼロの淡々とした様子から、その言葉には嘘がないという事を悟る。


(では……私は、彼に合せて貰っていたというわけか……)


ゼロを狙った、数本の矢には手加減などは微塵も無かった。

最初の一撃を簡単に弾かれた時、ガーネットは感じた。


本気で狙わなければ、逆に勘付かれる、と。


結果、ゼロはそんなガーネットの矢を全て叩き落し、矢に込めた意思すら読み取り、ここまで来た。

漆黒の衣服の剣士は、まるで救世主のようにガーネットの瞳に映ったのだ。


(ふっ……王子様らしくない、王子様だ……)


「おい!!モタモタしてるなよ!さっさと行くぞ!!」


不機嫌そうに剣を振り回すゼロの背を見ながら、笑みをこぼすガーネット。


「……すぐに行きます。」


その背を追いかけていくガーネット。

この不器用な背は、自分が守ろう。

そう、ゼロの背に誓う。



階下には、先程の通路の倍以上の兵が待ち構えていた。

作戦室前のエントランス。

立ち回るには問題ない広さだが、こう囲まれていては矢を構える隙を与えて貰えそうにない。


(つくづく……私はこういう時に無力だと感じる。こうなったら、出来る限り敵の数を……)


懐から、狩猟用のナイフを出し、構える。


「ガーネット、そうじゃねーだろ。」


そんなガーネットにひとこと。

ゼロはガーネットの、ナイフを掴むその手を押さえる。


「敵の数を減らして、お前はどーする?減らすだけ減らして死ぬか?……目的、ぶん投げて。」


階段の後ろ、上の階の兵はすべてゼロが倒した。挟撃の心配はない。

ガーネットを、少し上の段へ押しやり、


「そこから援護しろ。……ま、援護なんていらねーけどな」


剣を構え、集団の真ん中へと向かう。


「せっかくだ。本気、見せてやるよ」



ゼロとガーネット。

2人が共闘するのは、この日が初めてだった。


ゼロが宰相派の剣士としてこの砦にやって来てから、実質戦闘らしい戦闘は無い。

国王派との睨み合い。


戦いを仕掛けようと砦に籠ったのも、言わば宰相の独断である。

宣戦布告があってようやく内戦という形となったが、もともとは戦わずとも良かった、国王派と宰相派。


よって、宰相派では主だった軍事訓練などは行っていなかったのだ。


停滞した戦力。

低下していく求心力。


宰相派も、一枚岩ではなかった。


そんな中。


反抗心を見せた、『宰相軍唯一の将』とも言うべきガーネット。

宰相の苛立ちはピークに達していた。

ならば殺してしまえ。

ローランド最高の弓騎士をこの手にかけることで、宰相という存在の大きさを、力を示してやろう。

そう思ったのだ。



宰相は、金で集めた私兵を、『謀反』という理由をでっちあげてガーネット処理に投入した。


所詮、弓兵。

数に任せて近接戦闘に持ち込めば容易い。

その作戦は、確かに間違いではなかった。



『仲間が居なければ。』



得体も素性も知れない剣士。

漆黒の剣を携え、ガーネットの前に立ちはだかる若者。


圧倒的な数的不利の中で、剣士は次々と宰相の私兵を斬り伏せる。

確かに、訓練など積んでいない兵が多数だ。

それでも……


「ひとりでどうにかなる数ではないだろう!!」


ガーネット討伐を任された隊長が叫ぶ。


ありえない。

そんなはずはない、と首を振る。


目標を……ガーネットを階段に留めたままで。

剣士は自身に迫る槍・斧・剣をかいくぐり、打ち払い……


仲間たちを斃しているのだ。


「し、死神……」


呟いた隊長の喉元に突きつけられる、漆黒の刃。


「バーカ。ただの人間だよ。」


たいそう不機嫌そうに。

その剣士……ゼロは答えた。


「抵抗しなければ逃がしてやる。そうでなければ……一瞬だ。」


命を摘み取ることなど造作もないぞ、と言わんばかりの鋭い目に、体調の身体が凍り付く。


「……お前には、家族はいるのか?」


その、ゼロの言葉で。

弾けるように隊長は出口へと走る。


追わないゼロ。

彼の目標は、別にあった。


そんなゼロの目前で……


爆発音。


先程逃げた隊長が、真っ黒に焼け焦げ、倒れる。

一目で即死だと分かった。


「裏切者は……死ぬ。それがわが軍の掟だ。」


声の主、それは魔導書を片手に笑う、宰相だった。


「魔導書……おいガーネット、宰相が魔導士だなんて聞いてねぇぞ……」


苦笑いを浮かべたゼロが、ガーネットに言う。


「馬鹿な……宰相は魔法など使えなかったはず……。」


ガーネットは意外そうな表情を見せる。

そんな二人に容赦なく襲い掛かる、漆黒の火球。


「……ちっ!!」



火球自体の速度はさほど早くない。飛びのいてかわす二人だが、火球は壁や床に接触すると、速度とは裏腹な派手な音を立てて爆発する。


「あぶねぇなぁ……めんどくせぇ。スピード勝負だ!」


火球がこちらに接触する前にかいくぐり、宰相を討ってしまおうと、ゼロは剣の切っ先を宰相に向け、構える。

それと同時に、ガーネットも弓を引き絞り、宰相が詠唱する瞬間を待つ。が……


「!!」


ゼロに襲い掛かったのは、火球ではなく、漆黒の電撃だった。それも、かなりのスピードでゼロに達する、


「がっ!!……てめぇ……」


膝をつくゼロ。


ゼロにとって、魔導士との戦闘の相性は最悪だった。

ゼロには魔力というものが生まれつき存在しない。

よって、並の人間がもつ抗魔力を備えていない。

敵の魔法を、その威力のまま身に受けることとなるのだ。


(畜生……ヤツの魔法がどのくらいの威力か分からねぇ。わざと食らって隙を作る訳にもいかねぇ、か)


完全に攻めあぐねるゼロ、ガーネットも後方から矢を放ち援護するも、


「無駄…無駄なのだよ!!」


今度は宰相の周囲に漆黒の壁が現れ、ガーネットの矢を弾く。


「遠距離攻撃も、ダメか……」


完全に攻め手を失うふたり。

宰相は辟易する二人を見ると、口元を醜く歪め、


「この魔導書がある限り……私は負けぬ!ローランド国王をこの手で始末し、新ローランド王国の王として君臨するのだ!!」


高笑い。


ゼロは、そんな宰相の様子に違和感を感じていた。

接近していても埒があかないと、ガーネットのもとへと飛びのくと、


「あいつ、前からあんな魔導書、持っていたか?」


素朴な質問をひとつ、ガーネットに投げかける。


「私は、見たのは初めて。そもそも……恥ずかしながら宰相が魔導士だと知ったのは、今だ……」


ガーネットも、困惑していた。

その様子を見て、ゼロが導き出した疑問は、ひとつ。


「宰相……てめぇ、その魔導書を誰から譲り受けた……?」


ひとりの将としての宰相のその行動には疑問があった。

戦い方が、素人同然なのである。



漆黒の魔導書から発せられる、まがまがしい黒い魔力。


「この魔導書はな……新たな大陸の支配者より譲り受けたもの!旧帝国を中心に、新たな力が、この大陸を支配するのよ!!」


「宰相……貴方は一体、何を言っている……?帝国に匹敵する大国など、存在しないではないか!!」


ガーネットが宰相の言葉に異を唱える。

しかし、その傍らに立つゼロには、心当たりがあった。


母国、エリシャを陥落させた、黒の軍勢。

そして、帝国を陥落させた、謎の軍勢……。


ゼロの頭の中では、その二つの軍勢は繋がっていた。


「そいつらは……何のために各国を制圧している?支配下に置くだけなら、皆殺しにすることは無いだろう!!」


ゼロは、エリシャの惨状に立ち合い、帝国の惨状も目にしていた。

亡骸しかない、復興だってままならないであろう、死に絶えた地。


「あんな惨状を2ヶ所も作っておいて、支配だぁ?笑わせるんじゃねぇよ!」


エリシャの惨状。

アインの最期。

亡骸の山。

見知った人の、死。


ゼロの記憶が一気に呼び起こされ、怒りに手が震える。

地を蹴り、一気に宰相との距離を詰めようとするが……


「……がっ!!」


再び、漆黒の電撃に弾き飛ばされる。

「ちくしょう……テメェだけには、負けねぇ……」


剣を杖のように支えにして立ち上がる。


「無駄だよ。貴様、魔力に耐性がないのだろう?……やめておけ。そろそろ死ぬぞ?」


宰相が醜く口元を歪め、笑う。

続いてガーネットが宰相に向かって矢を放つが、それも宰相の漆黒の盾に弾かれる。


「防御魔法も使えるのか……」


完全に打つ手なしのふたり。

ゼロの側にガーネットは駆け寄ると、とどめは刺させない、と宰相に弓を構える。


「聖剣……姉さん、力を貸してくれ……!」


意を決して、ゼロは手にする漆黒の剣に語り掛けると、集中する。

……しかし。

聖剣は全く反応しない。

ただの剣。魔力を帯びることもなければ、ゼロが魔法を使えるようにもならなかった。


「……なんでだよ…?」


ゼロが膝をつく。完全に手詰まり。


「戦わないのか?……つまらん。ではお前たちを殺し、国王派の連中に首を晒してくれよう!逆らうものは敵味方問わず、死の選択肢しかないとな!」


宰相の魔導書が、漆黒の気を発する。

今までとは比にならないほどの、強大な魔力。


「くっそ……何とかならねぇのか……」


ぎり、とゼロは歯を食いしばった。



「こんなところで……死んでられねぇんだよ、俺は……!」


何度も膝をつきながらも、立ち上がるゼロ。

しかし、その気持ちとは裏腹に、足に力が入らなくなってくる。


「大した精神力だ。私に歯向かわなければ、お前は新ローランド王国の将に取り立ててやったものを……」


歪んだ笑みで、宰相が言い放つ。


「けっ……死んでも御免だね。テメェの治める国……血の匂いしかしねぇや」


目前に迫りくる『死』の予感。

それを感じながらも、ゼロは不敵に、笑った。


「そうか。……ならば死ね。」


優位に立つ宰相。

ゼロの強がりなど、まるで意に介さなかった。

魔導書を開くと、ゼロに向かって、手を開く。


「命乞いの一つでもしていれば、生きられたものを。」


にやり、と宰相の顔が歪んだ瞬間。


……その瞬間を、『ふたり』は見逃さなかった。


「奥義……月影。」


まるで影のように、誰の目にも止まらないようなスピードで……

ジェイコフは、宰相の背後を取っていた。


「な……んだと!?」


宰相は闇雲に魔法を放つ。

しかし、いくら威力の高い魔法であろうとも……


「当たらなければ、意味がない……ですわ。」


シエラが、純白の聖剣で打ち払った。


「シエラ……皇女?」


驚きを隠せない、宰相。

まだ国王派の正規軍は、砦から離れた場所に陣取っていたはず。


「ゼロの狼煙のおかげで、私たちだけ先行することが出来ました。……まさか、こんなに苦戦しているとは思いもよりませんでしたけど?」


クスリと笑うと、シエラはゼロとガーネットに回復魔法をかける。


「……うるせぇな。魔導士は相性が悪いんだよ……。」


途端に不機嫌になるゼロ。


「魔導士ですか……この中で相性が良いのは……シエラ様しかおりますまい。」


剣士が3人、弓騎士が1人。


偏った組み合わせでありながら、ジェイコフは同じ剣士で主君のシエラを迷わず指名した。


「さぁ、ゼロ殿。我々の相手は……」


後方を見遣るジェイコフ。

その背後には、うごめく人影。


「アンデット兵……!じゃぁ、宰相はアイツらの……」


エリシャを襲った、謎の軍勢。

その兵の多くは、アンデットだった。


「……分かった。姫さん、ガーネットはそっちにつけてくれ。とどめは……あいつに刺させてやりてぇ。」


ゼロは真剣な眼差しで、シエラに頼む。


「……分かりました。ガーネット、あなたは私の後方支援をお願いします。」


宰相にはシエラとガーネット。

アンデット兵たちにはゼロとジェイコフ。


図らずしも出来上がった構図。


「おい爺さん、大丈夫なのか?本命に姫さん当てて……」


アンデットといえど、所詮は雑兵。

次々と薙ぎ払いながらも、会話をする余裕はあるふたり。


「シエラ様にしか、おそらくあの宰相とはまともに戦えまい。宰相は、道具の力を借りているとはいえ、魔導士なのだから。」


慌てるそぶりも見せず、淡々と語るジェイコフ。

ゼロはそこに何かの余裕すら感じる。


「それだけ余裕があるってことは……理由があるんだな?」


「……見れば、おのずと理由が分かるはず。」


ジェイコフの自信。

その理由を確かめたくて、ゼロはアンデット兵を斃しながらもシエラの動きに注視する。





「シエラ皇女……貴女を私にあてるなど……あの剣士、本当に忠誠心がおありなのかな?」


宰相が、醜い笑みをシエラに向ける。

シエラは、そんな宰相に微笑み返し、言う。


「ジェイコフほど忠義にあふれた剣士は居ませんわ。……だからこその、私なのです。」


すっ……と、純白の聖剣を構えるシエラ。

その姿は……


(美しい……だが、全く隙がない)


同性であるガーネットの視線をも奪うほど、無駄のない美しいものであった。


「シンクレア……さぁ、目覚めなさい。」


シエラの呼びかけに応じるように、聖剣が白く輝く。


「見掛け倒しだろう?……まぁよい、亡国の皇女など殺しても何ら影響はあるまい。死んでもらうぞ、シエラ皇女!」


宰相の魔導書が、漆黒の魔力に包まれる。



「おいおい……やばくないか?あれ」


ゼロが、いまにも発動されそうな宰相の魔力を見て、ジェイコフに言う。


「……言ったはずだ。見ればわかる、と。」


シエラに向かい、先程のゼロに発したものの数倍ほどの魔力の塊がシエラに向かって飛ぶ。

宰相は手加減するつもりはないらしい。一撃でシエラの息の根を止めに来た。


……のだが。


シエラの振るった聖剣が、巨大な魔力にぶつかった、その瞬間……。


「な……んだと?」


漆黒の魔力は、まるで蒸発するかのように霧散した。


「……爺さん、どういうことだよ?」


ゼロも驚きを隠せない。


「ゼロ……例えば、そなたの漆黒の聖剣が物理攻撃に特化した剣だとしたら……」


シエラの剣は、魔力を帯びて輝きを増す。


「シエラ様の剣は、対魔力に特化した聖剣なのだ。」


「戦には、相性と言うものがあります。」


不意に、シエラが口を開く。


「貴方の魔力、確かに剣士相手には効果的かもしれません。ローランド国内には、幸い騎士と弓騎士しかいませんでした。」


純白の聖剣は、まるでシエラの高貴さを際立たせるように、白く輝く。


「ですが、貴方はその魔力を過信し、『備えること』を怠った。もし、敵に魔導師や魔法剣士がいたら……」


シュッ……とひと振り、聖剣を振り下ろす。


白い光はまるで流れ星のように軌跡を描く。



「皇女よ……貴女が魔法剣士だとでも?」


そんなシエラの様子など意に介さず、宰相は不適な笑みを浮かべ、


「私は、新皇帝に力を授かったのだ!……新皇帝の力が、貴女に劣るわけがない!」


無数の漆黒の矢を、シエラに向かって放つ。



「……姫さん!!」


アンデット兵を相手にしながらも、ゼロはシエラから目が離せない。


「……問題ない。気になるなら、さっさとこの雑兵どもを片付けようではないか。」


臣下であるジェイコフの方が、ゼロよりも落ち着いていた。

シエラは絶対に負けない。

それを悟っているかのように。


「……そうだな!……よーしさっさと片付けるぜ!来い!雑魚ども!」


ゼロはジェイコフの言葉に頷き、アンデット兵に相対する。



そんなゼロの背を一瞥し……


「言葉とは裏腹な優しさ……なのですね。少し安心しましたわ。」


優しげな笑みを浮かべるシエラ。


シエラに放たれた漆黒の矢は、全て聖剣によって霧散していた。


「……貴様……余裕を見せていられるのも今のうちだ!」


今度は、漆黒の魔力が、宰相の手に集まっていく。



「確かに……対魔法には自信があるのですが……『斬り伏せる』といった攻撃力が物足りないのです。シンクレアは……。あぁ、腕力を鍛えておけば良かったですわ……。」



はぁ、と溜め息を吐くシエラ。



そして……。


「『新皇帝』……と仰いましたね。是非、聞かせていただきましょうか。その方のお話を……」




普段は温和なシエラらしからぬ鋭い視線で、シエラは宰相を見据えた。



「聞かせる必要はあるまい。貴様はここで……」


漆黒の大きな魔力の玉を、シエラに向ける宰相。

弾ききれるのなら、打ち消せるのならやってみろ、と言わんばかりの大きさである。



「死ぬのだからな!!」


宰相は躊躇うこと無く、魔力の玉をシエラにはなった。


相殺など、させぬ。


そんな気持ちがありありと見られる、宰相の漆黒の魔力の玉。


その大きさは、自身の力を誇示しようという思惑が見え隠れしていた。



「やはり……貴方は国の主には向いていない。」


シエラが、深い溜め息を吐いて。

聖剣を真っ直ぐ構える。


「そんなことを言っていられるのも……」


宰相の顔が醜く歪む。


「今のうちだ!」


シエラに投げつけるように、両手を振り下ろす。



その、瞬間だった。


「ゼロ!ジェイコフ!……避けて!」


シエラの声が、広間に響く。

ゼロとジェイコフは、相手をしているアンデット兵もそのままに、横へと飛び退き……


打ち消されることのなかった魔力の玉は、アンデット兵をまるごと飲み込んだ。


「なん……だと!?」


邪魔がなくなったことで、ゼロとジェイコフは、両翼より広間の中へ飛び込む。

すれ違いで、ガーネットが1歩、後ろへ飛び退き弓を構える。


そして、シエラは……



「皇女が……消えた!?」


強大な魔力の玉。

その真下を潜り抜けていた。


「大局を見失う、それ即ち一国の主として最大の弱点!」


手にした聖剣を、宰相の肩口から振り下ろす。


「ぐっ……!!」


シエラの聖剣では、物理的な致命傷は与えられない。

しかし、宰相を覆う漆黒の魔力は、払った。


息もつかず、シエラは真後ろに飛び退く。


「……ガーネット!!」


その背後には、弓を引き絞ったガーネットの姿。


その瞳に、迷いはない。

仕損じた時のために、ゼロとジェイコフが両翼から宰相との距離を詰める。



「……お前がやれ。弟の仇とか、国の事とか……これまでの気持ちを思いっきり矢に込めろ!」


ゼロが、不適な笑みを浮かべる。


ガーネットは真っ直ぐに宰相を見据える。


「や……やめろガーネット!……これまでの恩を忘れたか!!」



危機を悟り、声をあげる宰相。

そんな宰相を鋭い視線で居抜き……。


「恩があるのは陛下だけだ。貴様に恩など……」


狙うはその眉間。




「…………無い!!」


左手中指の指輪が淡く輝く。


放たれた矢は、寸分狂わず宰相の眉間を貫いた。



「……感謝しろ。いちばん苦しまない死に方を選んでやったのだから。」



宰相の身体が、ゆっくりと後ろへ傾き……



……地に横たわった。



「くそ……くそぅ……私はローランドを統べるのだ……王となるのだ……」



眉間を射抜かれてなお、絶命せずとどまっていられるのは、漆黒の魔力の賜物なのか。

それでも、宰相の命の灯は、消えかかっていた。


「貴方にその魔導書を与えたのは……誰なのです?」


そんな宰相に、シエラは問う。

宰相の身体が、少しずつ崩れていく。

亡骸すら残さない。これは、魔法ではなく、呪いの類なのだろう。

うめき声をあげながらも、宰相はニヤリと笑う。


「これから死にゆくお前たちに……話すことなどない。大陸はいずれ、漆黒の帝国によって支配されるのだから……。」


それだけ言い放つと、ボロリ、と宰相の身体は崩れた。



「結局、詳しいことは何も分からずじまいでしたな……。」


複雑な表情のジェイコフ。


「仕方ない事です。しかし、背後に大きな存在があることは分かりました。それだけで収穫といたしましょう。」


シエラは淡々と言うと、聖剣を鞘に収めた。



「なぁ……砦の戦後処理、任せていいか?ガーネットを……早く会わせてやりたいんだ。弟に。」


ゼロが、シエラとジェイコフに軽く頭を下げる。

ローランドまで間に合わなかった、ガーネットの弟。

生きたまま合わせることが叶わなかった。


だからこそ、早く再会させてやりたかった。



「任せてください。ローランド国王陛下の名代となるには、私が適任。ふたりは早く……。」


シエラは優しく微笑み、


「行くがいい。そのままローランドに帰投するのだ。私とシエラ様なら半日もかかるまい。」


ジェイコフが後押しをする。


「頼んだ。ガーネット、行くぞ!」


未だ弓を構えたまま、放心状態でいたガーネットの手を引き、ゼロは砦を後にする。


「……どうした?ぼーーっとして。」


力なくゼロに手を引かれるガーネット。

さすがに様子がおかしいと、ゼロが声をかけた。


「あぁ……宰相を倒した……内乱も、終わるのだな……。でも、弟は、帰ってこないんだな……。」


寂しげな表情で、小さく呟いたガーネット。

ゼロは、そんなガーネットの肩をバンッ……と叩く。


「だからこそ、早く会って、しっかり報告してやれ。みんなが愛した、故郷ローランドの姿が戻るぞと、お前の口から弟に告げてやれ。そしてその国は……」


涙を溜めるガーネットの肩を、今度は優しく叩くゼロ。



「……お前たちが、守っていくんだ。」


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