第2章:亡国の皇女
千年繁栄すると言われた、帝国。
陥落したのは、わずか3日だった。
皇帝の胸に深々と突き刺さった、漆黒の槍。
漆黒の騎士は、皇帝からその槍を引き抜き、去っていく。
そんな皇帝の姿を、ふたりの人影が隠れながら見ていた。
「……お父様。」
涙を流し、声を殺す女と、怪我を負った老騎士。
「シエラ様……今はどうか、どうかご辛抱を……」
シエラと呼ばれたこの女。
皇帝の一人娘であり、『白い剣聖』と呼ばれる剣士でもある。
その手に握られているのは、帝国に代々伝わる聖剣・シンクレア。
ここ数代、シンクレアは封印された台座から引き抜かれることはなかった。
聖剣自体、まるで拒むかのように持ち主を選ばなかったのだ。
そんなシンクレアが、シエラを持ち主と認めたのは、わずか数刻前のこと。
「シエラに剣は必要ない」
護身のためにと剣技に磨きをかけていたシエラに、父である皇帝は 否定的であった。
父は、娘には皇女として、慎ましやかに生きていて欲しかったのである。
シエラは、もともとが穏やかな女であった。
物腰は柔らかく、優しく品行方正。笑顔を絶やさず民と接し、その人望は絶大なものであったのだ。
そんなシエラが、城に匿われた時……
崩された壁の奥に、シンクレアと『出会ってしまった』。
隠れていた皇帝の執務室。その隣に隠し部屋があった。
そこに、台座に突き立てられたシンクレアが鎮座していたのだ。
国を守りたい、父を助けたい。
そんな想いで必死であったシエラは、迷うことなくシンクレアに手をかけた。
民が、皇帝でさえも引き抜くことができなかったその白い聖剣は、まるで主を待っていたかのように、するっ……とシエラの手に収まり、引き抜かれた。
しかし、シエラが父を助けに来たとき……
……戦いは既に、終わっていたのだ。
シエラを護衛していた老騎士が、無理やりシエラを物陰に押し込んだ。
そこで見たのが、父の最期の瞬間であったのだ。
黒騎士が去った後。
「もう……大丈夫です。」
シエラは、自分の背を優しく押さえていた老騎士にそう告げると、
「無礼をどうかお許しください……」
と頭を下げる老騎士に微笑みかけ、玉座へと向かう。
まるで玉座に座っているかのようにもたれ、息絶えた父、皇帝。
強く、威厳に満ちていた皇帝。
その、変わり果てた姿を、呆然と見つめるシエラなのであった……
――――――――――――――――――――
シエラの父、皇帝はシエラには優しかった。
一人娘と言うこともあり、シエラは大層可愛がられた。
臣下は男の世継ぎをと、弟の出生を望んだが皇帝は男児には恵まれなかった。
男の世継ぎが生まれなかった場合、生まれた女児を『男児として』世継ぎに育てると言う方法もこの世では常であったが、皇帝はそれをしなかった。
「器さえ備えていれば、性などは栓無き事だ。」
これが、皇帝の持論であった。男子には男子の、女子には女子の治世がある。世が平和であれば、それでよい、と。
シエラは母に似て美しく育った。
内政を学び、外交を学び、魔法を学び、剣を学んだ。
文武両道を絵に描いたようなシエラのその姿は、男の世継ぎをと騒いでいた臣下達を、たちまち黙らせる事となった。
シエラが世継ぎなら、帝国も安泰だ。
民はそう信じ、白き剣聖を讃えた。
そんな白き剣聖は、崩れ行く宮殿で、息絶えた父を見下ろしていた。
民はもはや生き残ってはいないだろう。
窓からは、赤い街しか見えない。
炎に包まれ、血にまみれ……
美しかった帝国は、僅か3日で地獄と化したのである。
「ジェイコフ……」
シエラは、父の手を胸で組み、白いハンカチで口許の血を拭う。
ジェイコフと呼ばれた老騎士は、素早くシエラの横に控える。
「周辺国家に危害が及んでいるかもしれません。まずは西のローランド王国へ行こうと思います。危害が無ければ、注意を喚起し、大陸じゅうに早馬をとばして戴きましょう。」
皇帝の亡骸に祈りを捧げると、シエラはネックレスを外し、皇帝の首にかけた。
母から貰った形見のネックレス。
「お父様……どうか天国で、お母様と安らかに……。大陸の平和は、私が取り戻して見せますわ……。」
目を閉じ、暫しの時を送る。それは、両親に対する、決別の時間。
「行きましょう。ゆっくりしている暇はありません。」
心配そうにシエラを見るジェイコフに告げる。
「悲しんでいる間にも、守れる命が失われる。それだけは嫌なのです。急いで救える命は、多い方が良いのです。」
皇女としての信念。
国を支えようとした、想い。
全てが砕かれても、シエラは想いだけは曲げたくなかった。
「……御意。」
そんなシエラの想いが伝わったからこそ、ジェイコフはもうなにも言わず、恭しく頭を下げるのであった。
焼け野原となった帝国の地を踏みながら、シエラは歩く。
向かう先は、西の国、ローランド王国。
『ローランド弓兵団』は大陸屈指の弓兵団であり、魔物や蛮族なとの進行を、遠距離から牽制し、食い止める事に特化した団である。
帝国も、1度だけ魔物侵攻の際、後方支援を依頼したことがある。
その時の弓兵団の展開は迅速且つ確実であり、魔物達の侵攻を目に見えて遅らせた。
その中心となるスナイパー・ガーネットという女がシエラは印象に残っていた。
弓兵団の遥か後方から、前方の的を寸分狂わず射抜いていく姿が、剣士であるシエラには印象的だったのだ。
(ガーネット……また、会えるかしら……)
特に面識はなかった。ただ、いつか力を貸して欲しい人物でもあった。
「そうですわ……」
歩みを進めながら、ふとジェイコフに視線を移す。
「旅の間は、私の事を殿下などと呼ぶことの無いように気を付けてください。私の素性が知られ、旅先にご迷惑をかけるわけには参りません。」
ジェイコフは、少々困った顔をする。
それもそのはず。
ジェイコフはシエラが生まれたときからずっとシエラを『殿下』と呼び続けてきたのだ。
「恐れながら殿下……なんとお呼びしたら良いか……」
「シエラ、と呼べば良いでしょう?」
即答で帰って来た、『殿下』からの返答に、ジェイコフの頭は真っ白になる。
「そのような不敬!私には!!」
シエラは苦笑い。そう言えばそうだった。ジェイコフは絵に描いたような朴念仁であったのだ。急に「名で呼べ」などと命を下しても、理解できるわけがない。
「困りましたわ……。あ、ではシエラ殿……では如何です?」
年齢差もあるので、出来れば自然に『シエラ』と呼んで欲しかったのだが、あまり不自然すぎても怪しまれる、と最大限譲歩した。
「シエラ……殿……。それならなんとか。」
ジェイコフも渋々頷く。
「ふふっ……それともお祖父様、シエラ、とでも呼び合いましょうか?」
そんな昔から変わらないジェイコフに、つい笑顔で絡んでしまう。
「お戯れを!!」
顔を真っ赤にして戸惑うジェイコフを見ながらシエラは思った。
ジェイコフだけでも生き残ってくれていて、本当に良かった、と。
「……守ってくれて、ありがとう。」
興奮するジェイコフに聞こえないように、シエラは笑顔で呟いた。
滅びた母国に別れを告げ、見送りもパレードもない出立。
これまでの栄華を極めた帝国からは想像もつかないその様子に、ジェイコフは唇を噛む。
「シエラ様……」
「何も言わないで下さい。もう、過ぎたこと、なのですから。」
シエラの心中を察し、慰めの言葉のひとつもかけようとジェイコフが開きかけた口を、シエラは自らの言葉で遮った。
「同じ不幸を……繰り返してはなりません。私たちは……そのために、戦いましょう。」
凛としたその表情に、ジェイコフは主の面影を見た。
(陛下……貴方様のお子は、若くして皇帝の器でございます……。どうか御安心を……)
込み上げてくるものを必死に堪えつつ、シエラのやや後方を歩く。
国境までの街道は、戦火を免れたのか、いつも通りののどかな自然溢れる風景であった。
「少し帝都を離れただけで、こんなに平和な風景が続くのですね……」
木漏れ日を浴びながら、シエラが寂しそうに呟く。
ローランド国王と、父皇帝は旧知の仲。
国家としての主従関係はあれども、ふたりの時は友人として接していた。
シエラも、幼少期よくローランド国王の膝の上で、皇帝とのチェスを眺めていたものである。
(いつもお父様は負けては、ローランドのおじ様に泣きついていましたっけ……)
あのときの光景を懐かしみ、2度と戻らないことを思い涙ぐむ。
「シエラ様……もう少し、帝都を振り返ってもよいのですぞ……?」
たまらずジェイコフが声をかける。
一瞬、ほんの一瞬だけ、シエラが迷ったように見えた。
しかし、すぐに前を見ると、静かに首を振り、
「良いのです。私は……振り返れない。」
再び、歩を進めた。
しかし、浮かない顔で後ろを歩くジェイコフに、1度だけ振り返る。
「でも……ありがとうございます、ジェイコフ。その優しさが、私の励みとなります。」
優しく、笑う。
ジェイコフの後方は帝都。
その空は赤く、燃えていた。
もう見るのもたくさんだ、と言わんばかりに踵を返し、街道を歩き始めるシエラ。
「さよなら……」
その後、シエラが帝都を振り返ることは無かった。
ローランドまでの街道は普段は野生の獣も野盗も現れない、平和な街道であるが、ジェイコフが進言する。
「この争乱のどさくさで、野盗が徘徊するやも知れません。油断無き様……」
シエラは、小さく頷いた。
―――――――――――――――
「姉ちゃん、有り金と身体、置いてきな!」
ジェイコフの予感は的中した。
ローランドまでの街道は、安全であることで知られていた。
しかし、帝国が陥落した今、帝国に近づけば近づくほど、治安は乱れ、野盗が現れる。
シエラとジェイコフは帝都から出てきたのだ。すぐ近くに野盗がいない確率の方が低い。
「貴様ら!このお方を……」
興奮するジェイコフを、シエラが手で制する。
「……まぁ、困りましたわ。お金はあいにく持ってなくて……」
シエラが困った顔で野盗たちに言う。野盗はニヤニヤしながらシエラに近づく。リーダーおぼしき男がシエラの肩に手を置くと、その金の髪を手で撫でる。
「お金なんていいよー、だからさ、姉ちゃん……俺に買われないかい?一生、幸せな思いさせてやるからさぁ……」
シエラの容姿に、野盗のリーダーの鼻息が荒くなる。
「困りましたわ……お金は無いけれど……暇もありませんの。私は先を急がなければ……」
わなわなと怒りに震えるジェイコフを手で制したまま、
「……どうか、見逃してくださいませんか?」
ぺこりと頭を下げる。
その仕草に、野盗たちは大笑い。
「姉ちゃん、どこか良い家の出かい?……なら世間ってものを教えてやるよ。」
野盗のリーダーが手をあげると、シエラとジェイコフを円を描くように囲む野盗たち。
「俺たちはな、いわゆる野盗ってヤツだ。そんなやつらに頼み事したところでな……」
リーダーが上げた手を振り下ろす。
「無駄なんだよ!動けなくしてから可愛がってやる!じっくりな!!」
合図と同時に、一斉に円が狭まる。野盗たちの手には、ナイフ、長剣、斧……様々な武器が握られている。
「どうしましょう……ジェイコフ?」
困った……と言った感じで、すぐ背後のジェイコフに問うシエラ。
ジェイコフは、今度は黙ってシエラの前に出ると、腰に携えた鞘に手を当て、身構え目を閉じる。
「ジジイに何が出来る!」
野盗たちは、構えたジェイコフに的を定め、一気に間を詰める……
……筈だった。
━━キィン━━
鞘にその武器が収められる音。
刹那。
バタバタと倒れていく、リーダー以外の野盗たち。
「安心しろ……峰打ちだ。」
一瞬で青ざめる、野盗のリーダー。
大陸東部より伝わる『抜刀術』
ジェイコフは、その抜刀術の達人であった。
「さぁどうする?挑んでくるなら容赦はせぬ……」
「うわぁぁ!許してくれ!」
野盗のリーダーは、部下達を置いたまま逃げ去っていく。
「仲間を置いていくとは……愚かな。」
そんな後ろ姿を見ながら、ジェイコフは溜め息を吐く。
「相変わらず……速いですわね……。軌道を追うのが精一杯でしたわ!」
感嘆の声をあげるシエラに、ジェイコフは恐縮でございます……と頭を下げる。
もともと、ジェイコフはシエラのお付きであると共に剣技の師でもある。
抜刀術は一子相伝ゆえ、シエラに伝えることはなかったが。
「さて……参りましょう。ローランドまで、もうすぐでございます。」
街道を進むふたり。
それからと言うもの、野盗が現れることはなかった。
ローランドまで、あと少し。
「ローランド……黒い軍の侵攻に遭ってなければ良いけど……。」
ふと、不安がシエラを襲う。
「さすがに、我が帝国を落として、日を待たずしてローランドまで進攻するほどの兵力、士気は持ち合わせてはいないでしょう。攻めたとしても、ローランド弓兵団の遠距離射撃を掻い潜るまでではありますまい。」
ジェイコフが、冷静かつ前向きな意見を述べる。
シエラも、そうですよね……と頷きながら、
「あの、ガーネットが居るのですから。」
と、前向きに考えることとした。
「ガーネット……あのスナイパーの女性ですな……弓兵団より距離を置いた位置から、寸分違わぬ命中率……。いやはや、敵に回すと厄介ですな……」
ジェイコフも、1度だけガーネットを、彼女の弓を見たことがある。
帝国宮殿、謁見の間の窓から、城門近くの魔物の眉間を撃ち抜いて見せた。
「本当ですね……敵にしたら、なかなか近付けないですね……」
ガーネットと対峙したときのことを想像してみる。
姿を確認出来てさえいれば。矢の飛んでくる方向が絞れる。しかし、確認できていなければ、何処から飛んでくるかわからない、正確で、確実に急所を狙ってくる矢に集中しなければならない。
「……自信、ありませんわ……。胡桃を射て割るほどの方ですから……」
苦笑い。
街道を歩きながら、ガーネットだけは敵に回したくない。そう祈るほかなかった。
そんな話をしながら歩くこと、さらに数刻。
ローランド王国の関所が見えてきた。
「やっと、着きましたわ……」
国境を越えれば、ローランド城下町はすぐである。
しかし、国境警備隊から、思わぬ言葉を聞いた。
「国王派ですか?宰相派ですか?」
久しぶりに訪れたローランド王国。
その国境で、見知ったはずの国境警備隊員から、思いもよらぬ問いかけをされた、帝国皇女シエラと、護衛のジェイコフ。
「……失礼。帝国から来た者ゆえ、貴国の内情がつかめぬ。説明しては戴けないか?」
ジェイコフが、警備隊員に問う。
「今のローランド王国は、国王派と宰相派に二分されているのです。こちらの国境は、国王派の管轄なので、宰相派はお通し出来ないのです。」
つまり。
ローランド王国内で、宰相がクーデターを起こし、国内を二分した。国内であっても厳戒体制を、国王派は敷いている……と言うことだ。
「んー……」
シエラが、少しだけ考え込む。
「政治の実権を掌握しているのは?」
シエラが問うと、
「はっ!政治は国王陛下が。軍事は宰相閣下が掌握しております!」
警備隊員の一人が、背を伸ばし答える。
「……シエラ殿?」
真意を問おうとジェイコフがシエラに歩み寄るより早く、
「では、国王派としてローランド王国陛下に謁見をお願いいたします。」
と、優雅に一礼して見せる。警備隊員は、
「失礼ですが、謁見となると身を立てる証が必要となります。……なにか御座いますか?」
細心の注意を払い、確認する。
「貴様ら!それでもローランド王国国境警備隊か!このお方は、まごうことなき……」
激昂したジェイコフを、手で制するシエラ。
「父に頂いたネックレスは、お返ししてしまいましたし……そうですね……」
思案した結果、背の鞘から純白の長剣を抜く。
その突然の行動に、警備隊員は身構える。
「あ……いけない!」
シエラは再び剣を鞘に納めると、鞘ごと警備隊員に差し出す。
「帝国に伝わる聖剣・シンクレアです。私は帝国の血を引く者。血を持たぬものはこの剣を持つことすらかなわない。……如何です?」
警備隊員が鞘ごと聖剣を受けとる……と。
「うぉっ!?」
剣が隊員の腕を掴んで組み伏せるかのように、ずっしりと重く隊員にのしかかかる。
倒れるように腕を地につける隊員に、仲間が駆け寄り、聖剣をどかそうとするが、重くてまるで持ち上がらない。
「あら、ごめんなさいね?……転ばれてしまうとは思いませんでした……」
そんな聖剣を、ひょいっと持つシエラ。
「信じて、いただけましたか?」
にっこりと笑うシエラに、隊員は一同敬礼。
「どうぞ、お通りください!!」
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