第4話

当時アルファ国と隣国は競い合うように宇宙開発を続けており、そのニュースはテレビでも盛んに報道されていた。『将来に対する安全保障のため地球外に居住できる惑星を見つけることで、アルファ国ひいては地球全体のために宇宙開発を行う』というのが国の提起するお題目だった。だが、宇宙開発を進めることで隣国に対して力を誇示するのが目的であるというのは誰の目から見ても明らかだった。人々が地球外へ飛び立とうという時になっても未だにしがらみに囚われ続けていることが男にとっては非常に滑稽に思えた。


そういう人の愚かさを前にすることは男にとって非常に不愉快だったが、それでも男は宇宙開発のニュースが流れれば、興味を持ってそれを見ていた。ニュースで流れる宇宙から見た地球の姿は、その広大さも邪悪さも失い、とても小さく清らかなものに思えた。


「宇宙から見ればアルファ国も憎き隣国も一体どこにあるのかわからない。この景色のように、何者にも囚われない自由に身を置いて安寧の中で人生を過ごせれば、それはどんなに喜ばしいことだろうか。」


男はそう呟きながらも、それが叶わぬ願いであることは重々承知していた。


男の大学生活は、変わることのない孤独に包まれていた。誰も男を苛めることはないが、男の内面はすでに大きく変質していた。長い時間をかけて築かれた心の壁は、男を他者から隔絶し、孤立へと導いていた。友人を作ることも、誰かと共に過ごすこともなく、男はただ自分の世界に閉じこもっている。その世界は静かで安全だったが、同時に冷たく苦しいものでもあった。だが、例えその孤独に対してどんな不満を持っていようとも、男はその解決のために外の世界に飛び出す気力などとうの昔にすっかり失っていた。








ある日、経済学の授業でペアワークが課された。課題は「アルファ国と周辺国家の経済的競争と協力」についての調査レポートを作成することだった。ペアワークである理由は二人でテーマについて議論することでレポートに深みを出してほしいという教授の意図だった。加えて、同じ授業を取っている学生たちの交流を促進し、異なる視点の意見をぶつけ合うことで新たな発見をもたらすことを期待していた。


男は知り合いが一人もいなかったため、どうすればよいのかわからず途方に暮れていた。隣国にいた頃に似たようなことがあったが、周りの学生も先生も男が一人でいることに異を唱えるものはいなかった。それどころか、男が一人きりでいることが当然かのように思っていた。だが今はそうではない。ペアを作らなければ、教授は不審がり、講義への参加意欲が低いものと見なすだろうし、周りの学生だって男をおかしな人だと思うだろう。そう考えた瞬間、隣国にいた頃には感じなかった孤立感が男を襲った。


彼は一瞬、誰かに声をかけようかと考えたが、すぐにその考えを打ち消した。他の学生たちは既にペアを作り上げ、楽しそうに会話を交わしている。彼らは元々グループで授業に参加していて、身内同士でペアを作るのは容易だった。男は自分がその輪に入る余地などあるはずがないと自己否定的に思った。自分と一緒に課題をやらないか。そんな風に見ず知らずの学生に微笑みながら話しかける自分が男には想像も実行もできなかった。


それでもどうにかしなければならないと男は視線を彷徨わせていた。男がどうしようかと考えあぐねていると、突然、一人の女学生が目の前に現れた。予想もしなかった展開に男は戸惑っていたが、対する彼女の笑顔は意外なほどに柔らかった。


「ねえ、ペア組もっか?」


男はまさか自分に声をかけてくれる人がいるとは思ってもいなかったので、驚きを隠せなかったが、同時にその申し出に心から感謝した。男にとって彼女の存在はまさに求めていた救いの手だった。


男が承諾すると、彼女は「よかった」と喜んだ。「私、この講義で知り合いがいなくて、どうしようか悩んでたんだ。」




これが彼女との出会いだった。この場においては、彼女は間違いなく男を救い、また男もその恩を深く感じていた。だからこそ、男は『なぜ彼女が自分に近づいてきたのか』など考えようもなかった。彼女もこの場に知り合いがいないと話していたし、話しかけても断られない相手を無意識に選んだのだろうと男は考えていた。彼女が男に見せたあの微笑みにどのような意味が込められていたのかなど考えなかったし、男以外の学生への視線にわずかな憎しみが込められていることに男は気付かなかった。


「もしあのとき、俺があの申し出を断っていたらどうなっていただろうか?彼女と仲良くなることもなければ、初恋も憎しみも知ることはなかった。そして、宇宙に来て、殺されかけたり閉じ込められたりすることもなかった。経営を学び続けて、今ごろは両親のもとで働き続けているに違いない。」


男が過去の記憶に浸っていると、静かな部屋に異変が起こった。微かな揺れが足元から伝わり、次第にその振動は強さを増していった。最初は地震かと疑ったが、揺れが一箇所に集中していることに気づいた。周りを見回していると一方の壁の中央に小さな亀裂が走っているのを見つけた。その亀裂は不気味な音を立てながら徐々に広がり、やがて人が一人通り抜けられるほどの大きさの穴となった。


男はその予想外の進展に戸惑ったが、冷静に思考を巡らせ始めると、これは何者かの意図によるものだとしか考えられなかった。これは偶然の産物ではない。これは誰か、あるいは何かの意図によって開かれた「通路」なのだと。


「ここを抜けたら、俺を閉じ込めたやつらに会えるかもしれない。あるいは、彼らが俺を呼んでいるのだ。」


男は深く息を吸い込んだ。前に進むように決心しても、心の中には確かに恐怖心が存在していた。心臓が高鳴るのを感じる。しかし、選択肢はなかった。男は自分が今から通り抜けようとしている穴の中を覗いた。クリーム色の通路がどこまでも続いていた。男は背後を振り返ろうとしたが、すぐにその衝動を押し殺し、前だけを見つめ、歩き始めた。

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悪辣な推論 @talevoyager

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