エピローグ1:目覚め

 トリシャ・ナイトベルグが目を覚ますと、知らない部屋だった。

 ナイトベルグ領の自室ではない。天蓋付きのベッドではないし、周りにレースも広がっていない。涼しい風が肌をなでた気がして、トリシャは首を傾げた。

 ここは、どこだろうか。

 施療院のような施設だ。窓からは都会の喧騒もする。


 記憶はおぼろげだ。

 家族が、自分の強力なスキル――〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉のために、無茶な実験を行ったこと。魔物達を操るために、魔物と簡単な意思伝達ができる神官らの秘術を、無理やり試されたこと。

 聖リリア王国が、魔獣を使う術でセレニス王国に敵うはずもない。隣国は魔獣を産み出した神を奉じているのだから。

 だから、別のものを研究していた。

 それが魔物だ。魔物らに簡単な命令を行わせることは、聖光神殿の密かな成果。


 トリシャは実際に体験をした。だが魔物らが考えていたことは、思った通り、いや、思っていた以上に、人を傷つけることばかり。

 邪気が結晶して魔物が生まれるというが、あれだけ人への害意に満ちた存在が魔物なら、『邪気』と呼ばれるのも納得だ。

 本来、〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉は自分に従ってくれる兵士を指揮するためのもので、兵士の忠誠までは保証しない。それでも魔物達が従ったのは、指示が魔物らにとってプラスになったからだろうか。


 思い浮かぶのは、不意に現れ、飛び込んできた闇色の蜂。

 影のような虫が体にくっついてから、ナイトベルグ領、家族、それに姉に対する数々の気持ちが――我慢してきた気持ちが湧き上がる。結果、魔物達が望むところと、トリシャの意思を同じにさせたのだ。

 あの虫は、人や魔獣に取りつく、新しいタイプの魔物なのかもしれない。


「だれか……」


 ぼんやりと思いながら、トリシャは右手が彷徨っていることに気が付いた。

 お屋敷であれば、紐をひいて、隣部屋のベルを鳴らし、誰かを呼ぶことができた。今は、そんな紐はない。

 改めて、ここは違う場所なのだと――独りぼっちなのだと突きつけられた気がした。

 涙がにじんだ時、ドアがノックされる。

 入ってきたのは一組の男女。男性は赤髪の長身で、気さくそうな微笑みがかえってトリシャを緊張させる。もう一人は帯がある珍しい装束の女性で、目尻に入れた紅と結った緑髪が印象的だった。

 まず女性が口を開く。


「お目覚めになりましたか」

「――ここはどこでしょう」


 できる限り丁寧に問うたつもりだが、どこか投げやりになってしまった。

 どうせ、罪に問われる身だろうから。


「あなたの故郷から少し離れた、施療院ですよ」

「私は裁判にかけられるのでしょうか」


 女性は驚いたように目を瞬かせたが、やがて首を振る。


「賢いですね。やはり姉妹ですわね」

「え?」

「いえ……あなたは、6日ほど眠っておりました。その間、あなたの父上、母上、神官らがすでに証言をしています。残念ですがナイトベルグ辺境伯からは、聖リリア王国が爵位を取り上げるでしょう。これほどの騒ぎを起こし、領民どころか、世界中を危険に晒したのですもの」


 トリシャは頷いた。

 どう考えても、王国が許可するはずもない実験。父は、魔物討伐から得られる魔石で、収益をあげていた。その一環で、魔物を操ることを考えたのだろう。

 領地そのものに危険が及ぶことはわかっていたはずだ。それでも欲望を抑えきれなかった。

 女性は目を伏せる。


「もともと、魔物は自然のもの、領主一家だけに全ての責めを帰すのは少々無理があります。黒い虫も……新種とあれば対策は難しかったでしょう」


 あの虫は、やはり新種だったのか。

 トリシャはぼんやりと思う。

 推測した通り、人や魔物にとりつき、攻撃的にさせるものらしい。


「神気を維持すれば、今後の出現は防げましょう」


 小さく呟いた。


「そう……ですか。よかった」


 ただ、と女性は言い添えた。


「備えを怠ったばかりか、魔物を利用しようとした責任もまた、領主としては問われなければなりません。ですが、巻き込まれた娘までは……」


 トリシャは奇妙に思う。

 この女性は、なんだか自分に同情的に感じた。

 

「私はどうなるのでしょうか」


 思い切って、トリシャは尋ねる。


「……罪に、なるのでしょうね」


 姉のように、修道院に送られればいいほう。いきなり死罪ということもありうる。

 男性が口を開いた。


「ナイトベルグ領では、少なくとも死者は出ていない。まるで、誰かが魔物に手心を加えるよう、『統率』していたようにね」


 男性の目には、トリシャを褒めるような光があった。


「また、あなたがご両親に無理やり協力させられていたのは、何人も証人が出ていますよ。ご安心を」

「でも」


 少し、割り切れない。

 取りつかれていた? そうかもしれない。でも、領地を襲った怒りは、紛れもなくトリシャのものの気がして。


「……自分を責める君を、これ以上誰が責められましょう」

「え?」

「ま、いくつか証言をなさる必要はあるでしょうね。あとは、大人の問題だ。もし、聖リリア王国で今後も生きる術がなければ――」


 男性の言葉を引き取るように、女性がトリシャに手紙を差し出す。


「これは?」

「『留学』の案内です」


 ぽかんとするトリシャ。

 絶対に、自由など奪われると思っていた。それが、留学?

 女性は告げる。


「今回の一件で、セレニス王国と聖リリア王国は大森林の調査では協力すべき、という方針になろうとしています」


 男性が頭をかいた。


「いやまぁ、そうなるように、これから俺らも頑張んなきゃいけないんだけど」


 女性に睨まれて、男性はギクリと黙る。


「こ、このような申し出――通るのでしょうか」

「さぁ? でも、この国は、私どもに貸しがありますからね」


 肩をすくめる女性に、トリシャは首を傾げる。


「……同じ場所に、お姉さまもいますよ」


 目に涙があふれた。


「そうですか。やっぱり、夢じゃなかったんだ……」


 トリシャは、渡された手紙をぎゅっと握って顔を上げる。その表情は、互いに母が違っても、確かに妹と姉の表情だった。

 姉が去った後、トリシャは領地の大嫌いな面もたくさん見た。

 父も母もトリシャのスキルを知ってから、愛娘としてではなく領地のために消費するべき道具のように扱った。怒りや悲しさに、諦め、そして姉が消えてしまった後悔が相まって、魔物をけしかけることに向かったのかもしれない。

 領地を、なかったことにしたいと――そう思ってしまったのだ。


 だが、魔物に取りつかれ朦朧とした中でも、最後に姉がいたことは覚えていた。

 魔物を集め、その中心にいたトリシャに、姉は会いに来てくれた。大嫌いなものの中、好きでいられるものを見つけて、トリシャは帰ってくることができた。


 大好き――その気持ちは、きっと強いものなのだ。怒りや恨みにのまれそうな時、道しるべになるくらいに。


「私、会いたいです……!」


 男女は視線を交わし、小さく頷きあう。

 ゆくゆく、トリシャはこの2人がコニーとダリルという名前で、姉の恩人でもあると知ることになる。

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