4-10:再会

 急に、強い風が吹き抜けていった。

 目が開けていられなくて、腕で顔を覆ってしまう。強烈な風はやがて収まり、辺りは静かになっていた。

 吸い込む空気から、ミストのような水の精気を感じる。

 薄目を開けて、私は辺りを見回した。

 深い森の中。

 元の大森林じゃない。あそこは、もっと暗く鬱蒼としていた。ここも森の中だけど、木々の背はずっと低くて、何より空には月が出てる。

 水音がして左を見ると、小川が流れていた。それは目の前にそびえる崖から、細い滝を経てこちらに流れ込んでいる。


『よく来たね、アリーシャ』


 崖の上に、青毛の狼が現れた。

 狼は目を細め、岩場を軽快に降りて来る。戸惑う私の足元までくると、前脚をあげて飛びついてきた。

 びっくりして、尻もちをついてしまう。

 サイズが大型犬くらいあるんだ。そんなでかい肉球と、爪で、幼女にのしかかってこないでっ!?


『ああ、すまない』


 狼さんは恥ずかしそうに首を振った。

 もふもふした首下の毛が、私の顔に押し付けられている。


「ふわあ……」


 思わず毛並みをなでなですると、狼さんは嬉しそうに身を揺すった。

 青くてもふもふした毛は、なんだか……大狼となったエアみたい。


『久しぶりだね。なにより、私の名前を呼んでくれたのが嬉しかった。名前を呼んでくれたから、あの邪気に満ちた中でも君を助けられた』


 私は息をのんだと思う。

 ……私が前世で飼っていた子犬を思い出すんだ。前世の子はクウと言って、灰色の毛並みを持った普通の子犬だったけど。

 この子は青い毛並みで、体格も立派。前世の子犬とはあまりにも違う。


 でも鳴き方とか、黒々とした目でじっと見る表情とか、雰囲気がどうしてもクウを思い出すんだ。

 そして大狼となったエアにも似てる。出会った時も感じたけど、エアの子犬姿はクウにそっくりだった。

 私は、恐る恐る聞く。


「もしかして……本当にクウ?」

『うん。異世界に招かれ、転生するのは、何も人間に限ったことではない』


 クウは鼻を鳴らした。


『私のように、神獣が異世界に――君にとっての前世の世界に招かれることもある。この場所、神界とは、そのように他の世界と繋がりやすい世界なのだ』


 私はクウと出会った時のことを思い出す。

 当時、私はまだ小学生。家の側で怪我をして弱った子犬を見つけ、放っておけずに世話をした。


 その頃は、両親が厳しくなり始めた頃だと思う。勉強ができる兄と弟がいたのだけど、年の離れた兄が受験に失敗をしてから、両親の期待――というか義務感は私に向かった。

 子犬はだんだんと元気になる。でも半年もしたら私の勉強の邪魔になるととりあげられ、親戚の家に送られた。正確には、両親が押し付けた。『すぐ捨てる』といった両親だけど、私が泣きついてせめて他の家に飼ってもらったのだ。

 ……思えば、子犬を拾ってきたのは私だし、迷惑かけたな。


 クウを哀れんでくれた親戚は、きちんと世話をしてくれた。でも、再会することはなくて。一年もたたず、クウは病気で死んでしまったのだもの。

 前の飼い主、つまり私を思い出してか、クウは家の方角に鳴いていたらしい。後でそれを教えてもらい、泣いた。


 それでも前世の両親は、よくしてくれた方なのだろう。成績次第でとても不機嫌になる両親に、そりゃ憔悴はした。ただ大学はきちんとしたところを出て、働きに出ることもできた。

 『誰かの顔色を窺い続ける』という癖は、結局、ブラック企業で私の寿命を早めてしまったけどね。

 それは私にも責任があることだ。


『アリーシャ? いや、やはりミナトと呼んだ方がいいか?』

「今は、アリーシャで」

『そうか、アリーシャ』


 クウは目を細めた。


『他の世界がそうであるように、神界でも神獣達は家族を作り、命をつないでいる。君がもといた世界で死んだ後、私は神界に戻り、もとの神獣として過ごした』


 そして、と言葉を継ぐ。


『ある狼とつがい、子をなした。それがあの子だ』

「エアのこと――?」

『君が獣霊神から神獣召喚のスキルをもらった時、私はすぐ近くに君がいることに気づいた。私の力は、目覚めたての神獣召喚士には荷が重い。それで、子供のエアを君の最初の神獣召喚に応えさせたんだ』


 それで……!

 最初の召喚獣が、エアだった理由がやっとわかった。

 ついでに、多分だけど私が転生した理由も。

 この世界の神獣と前世で縁を持ったことが、神獣召喚士となるきっかけだったのだろう。


「クウの子――」

『うん。君が、私を助けてくれた。だから私が今、君を助けることができる』


 ぺろりとクウは私の顔をなめる。

 なんだかたまらない気持ちになって、私はクウの大きくて太い首に抱き着いた。


「また会えてよかったよ」

『私もそうだ。ありがとうミナト、いや、アリーシャ』



     ◆



 気づくと、大森林に戻っていた。

 私はまだ要石にタッチしたまま。時間は、きっと一秒も経っていない。一瞬の夢は、でも確かに勇気をくれていた。

 声を張って、名前を呼ぶ。


「神獣、クウ!」


 大好きなものの名前を叫ぶ。クウが私の名前を知っていたから、私を神界に招くことができたのだろうか――なんて、ちょっと考えた。

 今は、妹を助けてあげないと。

 真っ白い光が頭上に生まれ、中から狼が現れる。

 それはさらなる光に包まれると、エアよりも一回り大きな大狼へと変じた。

 ロランさんも、コニーさんも、ダリルさんも、みんなあ然としている。

 警戒のせいか魔物たちでさえ動きを止める中、ただエアだけが、喜ぶように遠吠えを放った。

 青い毛並みの、巨大な狼が2頭。


『久しいな、息子よ。無事に、主人を守ったようだな』


 強くて暖かい風が、要石から生まれて来る。神獣クウを召喚したことで、より強い神気が生まれているらしい。


 ――アオオオオン……。


 エアが遠吠えを放つ。すると、暗雲に切れ目が生まれた。

 上空にあった神気の風、そこでもきらめきが強まっている。

 風谷から吹いてくる風が、上空から一気に吹き下ろして、要石の近く――つまり私達の下で合流した。風谷から運ばれてきた神気と、この地で生まれた神気、二つは交じり合って渦を巻きながら広がっていく。

 みんなが戦っていた魔物達も、ほどけるように霧散していった。

 恐ろしかった魔物の大狼も、きらめきの中に消え去る。


「アリーシャ!」


 ロランさんが、ルナに掴まってやってくる。


「無事かい、アリーシャ」

「は、はい」


 ロランさんは私を抱きしめて守りながら、新たな大狼――エアのお父さん、クウを見上げる。

 ……ていうか、ドキドキするから心臓に悪いよっ!


「君が呼び出したのかい。いや、今は先に、か」


 私はこくんと頷いた。

 風でちょっと吹き飛ばされたけれど、まだトリシャが残っている。トリシャはふらふらと、折れた剣を拾い上げた。

 虚ろな目で私とロランさんを見つめている。

 剣を振り上げる、トリシャ。


「エア、クウ、お願い!」


 遠吠えと共に、神気の風が妹に吹きつけた。

 金髪が踊り、トリシャはとっさに口を覆う。けれども、やがて咳き込むように神気の風を吸った。

 そして……


 ――へくちっ!


 気の抜けるような、ちっちゃなくしゃみ。それで、ぽん! と胸の辺りから闇色の蜂が飛び出してきた。風谷にもいた、生き物にとりつく、魔物だ。

 それは神気の風をもろに受けて、溶けるように消えていく。

 やがて大森林の邪気が晴れる。

 遠くの魔物も消えていっているんだろう。だって、耳を澄ませば歓声が聞こえるのだから。


「あ、トリシャ!」


 ふらっとよろめく妹を、私は走り寄って抱き留めた。


「……お姉さま、急にいなくなって」


 トリシャは私の袖をぎゅうっと掴む。

 力は弱くて、声も震えてる。

 心配げなロランさんに平気、と微笑んで、私はトリシャの言葉を聞いた。


「心配しました。それと、お母様、お父様に、いじめられている時……何も言わずに黙っていて、ごめんなさい」


 妹の目に涙があふれる。私も目が熱くなった。


「私、怖くて……何もできなくて! そうしたら、お姉さまはいなくなって……!」


 私は首を振って、トリシャの手を握ってあげる。気持ちが、温かさと一緒に伝わるように。


 悔い。


 それが領地を、自分自身さえも嫌いにさせて、虫に取りつかれたこの子に大事件を起こさせたのだろうか。

 だったら、伝えて抱いてあげればいい。


「いいよ。それでもね、私も……あなたのこと、大好きよ」


 この子にも『好き』という気持ちがなければ、後悔なんてするはずもないのだから。

 伝え合って、傷が少しでも癒えていけたらいい。

 暗闇が晴れた大森林に、鳥の声が戻ってきていた。



—————————————————————————


お読みいただきありがとうございます。

明日、エピローグの2話で完結となります。

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