4-6:トリシャの力


 頭を過ぎる、悪い予感。

 トリシャの力は統率に関するもので、魔物達はまさに『統率』されていた。

 それってさ、つまり……。


「トリシャの力が、魔物の集結に利用された。力が及ぶ限りの広範囲に向け、魔物に集まるよう呼び掛けたのだろう」


 あの黒い虫は、取りついた生き物を狂暴にさせる。

 トリシャもまた……領地に、怒ってるってことだろうか? だから、こんなことを?


 ……あれ? でも、魔物って、神気の風でそもそも減ってるはずだったよね? たくさんいたってことは、遠くからも集められたってことかな?

 ロランさんは難しい顔で腕組みした。


「森のごく狭い範囲に、おそらく数千体が集まっている。周りの草地や城壁を入れれば、もっとだろう。普通は数キロ圏内に100体もいれば多いくらいだから、異様な密集だ」


 コニーさんが引き取った。


「魔物は『邪気』の結晶のようなもの。これほど極端に集まれば、濃密すぎる邪気が魔界化を引き起こすこともありえましょう」

「そもそも、『邪気』には一箇所に集まろうとする性質もある。統率スキル〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉の『集まれ』という呼びかけが、邪気のそんな性質をさらに強めたことも考えられる」


 2人からさらに聞くと――もともとトリシャへの実験のため、ナイトベルグ領は5日ほど前から邪気を散らす祈祷を密かにやめていたらしい。

 実験にあたって、北からの神気で魔物が減った状態は、都合が悪かったのだろう。


「わ、わん……」


 エアがか細く鳴いて、ディーネも呆れる。


『風谷から神気を帯びた風が吹いておっても、地元で祈祷をやめていたら意味がないのう……そもそも油断のしすぎじゃよ』

「まったく」


 私はため息を落とした。

 小さな指で、数えてみる。


「原因1、ナイトベルグ領で一時的に邪気を払う祈祷をやめていた。原因2、トリシャの力で邪気を一箇所に集めてしまった。原因3、さらに魔物も集めてしまった」


 うん。

 完全無欠の、人災ってやつじゃない?

 トリシャが『虫』に取りつかれたのだけ事故だけど、元々は魔物を操るなんて野望のせいだ。

 こんなひどい実験と、無茶な望みで、はるばる風谷から出てこさせられたなんて……。

 肩をすくめるロランさん。


「正直、思っていたよりも状況が悪い。集まると魔界化する邪気の性質と、集結を呼び掛けるスキルの組み合わせが最悪だ」


 杖で窓の方を指さすと、巨竜のモリヤさんが空気を読んでどく。


「森の上で、邪気が渦を巻いていただろう? 邪気が濃くなると、ああして渦を巻いて周りからさらなる邪気を集め出す」


 ごくっと喉が動いてしまった。


「ひょっとして……大ピンチ?」

「ひょっとしなくても、ピンチもピンチ、大ピンチさ」


 ダリルさんが大真面目に腕を組んだ。


「よし! 帰るかっ」

「ダリル……!」

「コニー、冗談だよ」


 コニーさんが頭痛がしたように額を押さえるけど、これ、無理もない意見だよね。みんなにとってはあくまで隣国の異変だし。

 エアのつぶらな目と視線が合う。

 星空みたいにきらめく瞳は、私がどんな道を選ぼうとも、見守ってくれているみたいだ。

 ……ありがとう、エア。


「トリシャのことが、気になります」


 私は顔を隠すローブを確かめた。


「アリーシャ……」


 呟くロランさん。

 私は席を立って、てくてく手口へ向かう。


「追い出された領地ですけれど、あの子の扱いはひどすぎますし」

「ちょ、ちょっとアリーシャちゃん!? どこへいくのさっ」


 私は席から立って、外へ向かうつもりだ。エア達と一緒に夜森の様子をうかがえば、何かわかるかもしれないもの。


「ディーネ。ナイトベルグ領って、昔は風谷みたいな秘境だったんでしょう? 風谷と同じような、特別な力はないの?」

『うむ――「要石」を探せば、あるいは、じゃが』


 そこで、入口がノックされた。

 コニーさんがさっと私の前に出て、声を張る。


「何者ですか」

「――な、ナイトベルグ領、兵士長のナリッジといいます」


 みんなで顔を見合わせた後、私に視線が集まる。

 ――知らない人だ。


「ロランさま、いかがなさいますか?」

「開けよう。外に竜もいる、いつまでも外に立たせていたら、さすがに可哀そうだ」


 念のため、ディーネとエアは荷物の後ろに隠れてもらう。ナイトベルグ領で姿を見せたことがあるからね。

 コニーさんが入口をあけると、40歳くらいの兵士が入ってきた。鎧には傷が目立って、へこんだところもある。昼間、戦っていた人なのだろう。

 私は尋ねた。


「……なんの御用でしょう」


 兵士さんはびっくりしたようだ。召喚士達に気圧されていたところ、フードを被った子供から一番に声をかけられたら、そりゃ驚くよね。


「あ、あなたは……?」


 コニーさんがしれっと言う。


「我々の中で、最も位の高い召喚士さまです」


 ええ!? は、話を盛りすぎっ。

 兵士さんは震えあがった。胸に手を当てて、跪く。


「こ、これは失礼を! 伺いましたのは、お願いがありまして。混乱の中、いきなり尋ねたこと、申し訳なく思います」


 兵士さんは顔を上げた。


「……おれは、いえ、私は少しの間、トリシャ様の下で働いていました」

「トリシャの?」

「え、ええ」


 兵士はきょとんとする。

 あ、しまった。いきなり領主の娘を呼び捨てはマズイ。


「……お願いというのは、トリシャ様を助けてほしいのです」


 息をのんでいた。

 ナイトベルグ領でトリシャが大事にされていた――というより、重視されていたのは知っている。この人がトリシャに仕えていたというのも、不思議な話ではない。

 でもこの兵士さん、とても必死だ。

 仕事とかじゃなくて、本心からトリシャを心配している。

 ……勘当された私の取り扱いと比べて、胸がちくっとした。


「なぜ、あなたはそこまで?」

「私は、トリシャ様のスキル〈王の中の王ロード・オブ・ロード〉で、直接命令を受けていたのですが……これがかなり距離があっても、頭に直接命令が届くという便利なものでして」


 兵士さんは言葉を切った。


「同じような兵士は何人かいましたが、おそらく自分が最初の一人でしょう。姉上様がいなくなった次の日、屋敷にこっそり呼ばれて、スキルで指示を受けるようになったのです」


 苦笑する兵士さん。


「でも慣れないせいですかね。時々、トリシャ様の独り言が頭に聞こえるんですよ。ずいぶんと姉上様を心配しておいででした」

「え」


 私を? ともう少しで言ってしまうところだった。


「他にも何人も兵士を使って、姉上様を探させたそうですよ。まぁ、母上様にばれて、やめさせられましたが」


 兵士の顔が曇った。


「やがて今回のような、調査――いえ、実験がお屋敷で始まりまして。10日ほど前からは苦しむトリシャ様の声が遠くにいても聞こえて、頭が痛くなりそうでした」


 ぐっと口元を引き締める兵士さん。


「親のやることじゃない。でもそんな状況なのに、今回の実験で、トリシャ様はあれこれ理由をつけて大森林に連れていく兵士を減らしてくれました。私もその1人です。もしトリシャ様の気遣いがなければ――森で巻き込まれていたかも」


 トリシャとは、お母様の手前、だんだんと話す機会が減っていった。

 記憶のもやに阻まれていたことが、だんだんと思い出されてくる。それでも――確かに、トリシャ本人から悪口を言われたり、いじめられたことは、一度もない。


 当時の、記憶が戻る前のアリーシャでは、気づけなかったけれど……お母様をそれとなく諌めたことさえあったと思う。

 そもそもナイトベルグ領を出る時、私はエアの治療をするといって屋敷を抜け出した。その申し出を許すよう親に言ってくれたのは、トリシャだ。

 気づくと呟いていた。


「トリシャは……その姉が生きていると、信じていたんでしょうか」

「それは、どうにも。ただ……『会いたい』とは申していました。辺境伯も母上様も、ああいう方ですから。気持ちを殺すしか、なかったのかと……」


 私は、ぎゅっとローブの裾を握っていた。

 なんだか泣いてしまいそうだった。家族に心配されたり、行方を探されたり、そんなことがあるなんて――思わなかったから。

 ……ていうか、そんな話を聞かされて、今更見捨てるなんてできるか!


「ロランさん」

「弱ったな」


 苦笑するロランさん。青い目はきらっとして、頼もしい。


「まぁ、おそらく、やってやれないことは、ないんだろう。ただ、これだけ騒ぎが大きくなって、領地だけでなく原因のトリシャまで救うとなると……なかなかの駆け引きが必要になるな」


 コニーさんも、ダリルさんも、他の召喚士さん達も、順番に頷いていく。


「あなたさまの望みなら」

「ま、今の話を聞かされちゃあね」


 そこで、扉がまたノックされた。

 ドラゴンさんが外から喉を鳴らす。窓いっぱいのお顔が、ちょっと怖いぞ。


『来客であるぞ』

「――どうぞ」


 私が合図を出すと、兵士さんが慌てて立ち上がって脇に寄った。入ってきたのは、ナイトベルグ領の神官さん。

 最初に〈もふもふ召喚〉を授かった時、スキルを検めてくれた人である。その人はすでに兵士がいることに面食らって、ぽかんとする。


「夜分遅くに――む?」

「わんっ」


 エアが飛び出して、私を守るように立った。初日、私をいじめた人として覚えているのかもしれない。


「わん! わん!」

「だ、ダメだよ、エアっ」

「そ、その子犬――どこかで見たような。って、アリーシャ・ナイトベルグ辺境伯令嬢!?」


 エアを押さえつけた時、フードが外れてしまったらしい。私も神官さんもぎょっとして、コニーさん、ダリルさんが天を仰ぐ。

 ロランさんだけがメガネの奥で目を細めて、ぽんと手を叩いた。


「天の采配だ。アリーシャ、帽子と装束からして、この方は高位の神官ではないかな?」

「え、はい――」

「ふむ。今回の実験にもほとんど関わりなく、中立的な人物と聞くね。ならば……」


 にやりとするロランさん。


「後々に外交で手打ちする時に、ちょっと僕らに有利な証言をしてもらおう。トリシャにも、できる限り配慮がされるような、ね」

「え!? は!? 報告と挨拶に来ただけなのですが、なんでそんなことに!? というか、なんで令嬢がぁ――」

「初めまして、僕はセレニス王国、グランワール伯爵家の者でして、こたびの騒動については私どもの王国でも――」


 その後、子供の私はちょっと外されて、ロランさん達と神官さんの話し合いがもたれた。

 ……『特級』、恐るべし。

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