4-3:秘境の風に乗って

 エアが、遠吠え。まるで空全体が呼応したように、風の音がやってくる。

 ごうごうと吹く風が私達の頭上を通って、風谷のシンボル――大風車の方へ駆け抜けていった。木々が騒ぎ出し、鳥が飛び立つ。雲だってぐんと速度を上げて、上空を流れ始めていた。

 これ、空に北から南へと吹いていく風が起きているんだ。


 ――アオオオン……!


 エアが頼もしげに遠吠えを放つ。

 ロランさんは、メガネを直して眉をひそめた。召喚士のローブが強さを増した風にはためいている。

 私もなびく黒髪を押さえないといけなかった。


「あ、アリーシャ……」

「ロランさん。もし他の人が一緒に向かっても、到着が遅れなかったら、どうですか?」


 ロランさんは顎に手を当てた。


「それは……普通に考えて、可能とは思えないけれど」

「『想像の上をゆく』のが、神獣なんですよね?」


 私がにっこりすると、ロランさんは呆気にとられていた。これ、秘境に来た時、ロランさんが言った言葉である。


「風谷からは、神気を帯びた風が吹いています。つまり、『』なんです」


 私は言いつのった。


「風に押されながら飛んだら、ルナよりも飛ぶのが遅い子でも、出発が少し遅れても、暗くなる前に到着することはできるのではないでしょうか」

「……そうかもしれない。でも、確証は――」


 言いかけたロランさん。その背後の空で、ばさりと白い翼が翻った。

 天馬――ペガサスだ。

 ペガサスは風を受けながら、大風車近くの草地に着地。鞍から2人が降りてくる。

 1人は召喚士で、もう一人はというと――駆け寄った私は唖然となった。


「そ、村長さん!?」


 麓の村にいた村長さんだ。豊かなヒゲが強い風に揺れ、風谷を感動した様子で眺めている。

 一方、連れてきた召喚士は、周りの視線に泡をくっていた。


「す、すみません! 今回の件で、麓の村にも魔物への注意をしていたんです。そうしたら――」


 村長さんは召喚士の前に出て、私達に深々と頭を下げた。


「申し訳ありませぬ。魔物が現れた場所に、素早く向かいたい――そういうことであれば、村の伝承が役立つと思うたのです」


 コニーさんがぴしゃっと叫ぶ。


「だからといって!」


 こういう時、目尻の紅化粧がけっこう怖い。


「そこの召喚士サモナー! あなた、秘密の土地に、本当に連れて来る人がいますか!?」


 風谷にいたほぼ全員が身をすくめたと思う。もちろん、私も村長さんも。

 けれどもすぐに、村長さんは表情を引き締めた。森の前にそびえる大風車、それに目を奪われているようだ。


「大きな、風車――本当にあったとは!」


 村長さんは緩く首を振ると、私達に向き直る。


「……実は村には、歴代の村長だけが知る伝承があるのです。大昔、神獣召喚士さまがまだいらした頃から、伝わっているものです」


 ロランさんがいぶかしんだ。


「……村長殿。召喚士サモナー協会にもない情報が、村に残っていると?」

「当時の神獣召喚士さまは、風谷に残った設備や、力、それに隠れ住む魔獣について、少なくない部分を王国に伏せたと聞いております。当時は、隣国と争いごとも多く――戦いに利用されることを、危惧したのやも」


 私ははっとした。

 確かに、古竜のモリヤさんは、戦いになったら強力な助っ人になっただろう。だからこそ秘密になったんだ。同じように、ロランさん達も知らない秘密が、風谷にあるのかも。

 私の隣で、エアが吠える。


「わんっ」

「……これは。もしや、あなた様こそ、当代の神獣召喚士さま」


 村長さんが、ひょいとフサフサの眉を持ち上げた。


「あ……」


 初対面の時は、私が神獣召喚士であることを伏せようとして、そしてロランさんがうまくごまかしてくれることを信じて、『ロランさんが神獣召喚士』って教えちゃったんだよね。

 大狼エアが私にぴったり寄り添っているから、なんとなくわかるんだろう。


「きゅい! きゅい!」


 カーバンクル達が私の周りに集まって、誇らしげに飛び跳ねた。

 ディーネも諦めたように欠伸する。


『うおん! ……ま、ばれちゃ仕方ないのう』


 私はロランさんとも顔を見合わせて、どちらともなく肩をすくめた。


「そーです。一応、風谷に神獣がいることは、秘密なので」

「心得てございます。神獣の存在はあくまで伝承――そのように、今後も取り扱いましょう」


 村長さんは背筋を伸ばすと、ぴしりと大風車を指した。


「さて。風谷におられた神獣召喚士は、大風を起こし、遠くの土地でも風に乗って素早く向かうことができた、とか。そういう強い風が吹いた時は、この風車が――いつもより早く回ったと」


 一際強い風がごうと渡ってきて、風車がさらに力強く回る。


「風谷で起こす風は、上空でより強いようでございます。かつての神獣召喚士さまは、山に沿って上へ向かう風をとらえ、天高く昇り、素早く目的の土地へ向かったと」


 ロランさんが唸った。


「なるほど。上昇気流を使って、高空の南風に乗るのか――」


 苦笑してみせた。


「これは、確かに伏せられたのもわかる。他国と争う時に、これが公になっていれば、風谷は攻め入る拠点になっただろう」


 風の神獣が自在に風を起こし、それに乗ることでどこへでも素早く移動できるのだものね。

 と、空にまた影が差した。

 今度は、大きい。というか、滅茶苦茶でかい!?

 おまけにぐいと向きを変えて風谷の草地に突っ込んでくるものだから、村長さんが悲鳴をあげ、コニーさん達が戦闘態勢になった。

 私が何か言わなければ、そのままバトルになったかもしれない。


「うわわ!? って、モリヤさんっ」

『しばらくぶりじゃな』


 どん! と音を立てて黒の巨竜――モリヤさんが風谷に立った。くああ、と大あくび。

 畑を潰してしまわないか、心配になるほどおっきい。頭の高さは風車の屋根を越えて、地上3階くらいはあるんじゃないだろうか。

 黒々としたウロコと、ずらりと並んだ牙に、村長さんがへなへなと腰を抜かす。


『神獣召喚士よ。この風は――南にいくのかな?』

「え、はい……」

『なるほど。我も、この間の魔物についてずっと考えていた。あれはどこから来たのだろう、と。おそらくは……』


 私はぐっと顎を引いた。


「南の、ナイトベルグ領という場所かもしれないんです。そこに、魔物がたくさん現れたみたいで」

『うむ。ならば、我も同行してしんぜよう。せめてもの罪滅ぼしと、仕返しじゃ』


 くつくつと笑うドラゴンさん。

 ふと思う。

 長生きのドラゴンさんなら、昔のこと聞けないかな。


「も、モリヤさん! この風に乗って、南の――大森林の終わりまで飛んだら、どれくらいかかりますか!?」

『うむ? これほどの風が吹いておるし、かつてなら――そうさのう、日暮れまでにはなんとかつけると思うが』


 私はロランさんを見る。

 次々に現れた村長さん、ドラゴンさん、それにエアの力。

 召喚士のお兄さんは、右手で顔の半分を覆っていた。


「……アリーシャ、君も、本当に来るつもりなのか?」

「当然です。まぁ、追い出されたといっても故郷ですし、気になりますし」

「怖くないのかい」

「……そりゃ、怖いかもですけど」


 私は巨狼エアの前脚にぎゅっと抱き着いた。


「ロランさん。あなたが危ない目に遭ったり、それで私が後悔したりするのも、嫌なんです」


 あんまりきれいな理由じゃない。結局、私はロランさんに全部のっかる私自身が、許せないだけなのだ。

 私の目の黒いうちは、悲壮な顔で風谷にいる人は許せない。

 目標はスローライフなのだから。


「行きますよ」


 私は微笑んだ。


「私だって、いえ、私とエア、ディーネ、カーバンクル達、それにモリヤさん達が、ロランさんを守ります。そうしたいんです。あなたが私に、そう思っているかも、みたいに」


 口を尖らせる。


「信じてほしいんです。あなたが頑張らなくても、私達だってやれるって」


 ロランさんは、虚を突かれた顔する。

 私が小指を、『ゆびきり』の形に差し出すと、ふっとロランさんは頬を緩める。


 ――あなたは助けられていい。

 天才でも、努力家でも、意思と覚悟があったとしても。

 1人で頑張るのは、大変なのだから。


「君はすごい子だよ、アリーシャ」


 笑顔は、きらっと瞳がきらめいて。

 うぬぼれかもしれない。勘違いかもしれない。

 でもその時、私は『お返しができた』と思えたんだ。

 初めて会った夕焼けの時、私を助けてくれたお返しを。


「――わかった、準備を急ぎ、みんなで行こう」


 風谷に、コニーさんやダリルさんが応じる声がりんと響いた。


「はいっ」

「おう!」


 やっぱり、みんなもロランさんを1人で行かせたくなかったんだね。

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