3-10:神獣
ルナは、私とエア、そしてディーネにだけ、秘密の話をしたいということだった。
留守番は気づいて起きてきたカーバンクル達に任せ、私とディーネは大狼となったエアに乗る。
「留守番、お願いできる?」
「きゅいっ」
手を挙げるカーバンクルのエート達、こんな時なのに、とっても可愛い……!
帰ってきたらいっぱい褒めてあげよう。
「いこう、エア」
「わんっ」
低く飛ぶルナが私達を導いてくれた。
夜の風谷って、新鮮。夏の風はもう涼しくて、水が張られたままの田んぼが時々鏡みたいに月光を照り返す。
「さっき、神界の夢をみたんです。それも、あなたが?」
『……神界の?』
ルナは小さな顔を伏せる。落ち着いた女性の声だ。
『それは存じません。ただ、どこかで繋がっているのかもしれませんね。神獣召喚にまつわることには、不思議なことが多いですから』
やがて風谷のシンボル、大風車が見えてきた。
ルナが囁く。
『ここまででよいでしょう』
地面には、私とわんこ達が丁度入れるサイズの、バスタブくらいのカゴが用意されている。ナイトベルグ領を出た時を思い出した。
ルナは翼を広げカゴの淵に飛び乗ると、こちらへ向き直る。
『神獣召喚士アリーシャ。このカゴで、わたしと夜空に上っていただけますか?』
「ルナと?」
辺りを見回して、眉をひそめてしまう。
「ロランさんは?」
『後で来ます。今は、神獣召喚士のあなたに、夜の風谷をお見せしたい』
頭はハテナでいっぱいだった。
クウらしき狼が出てきた不思議な夢を見た後、今度はルナから話しかけてくるなんて。
でも気づくことがある。ロランさん、以前、言っていたもの。
――君なら、そのうち、ルナのことにも気づくかもね。
その意味は、以前はわからなかった。
わからないまま宿題になっていた。
でも、要はルナには特別なところがあるってことだろう。
思えば古竜のモリヤさんと戦えるくらい強かったり、ルナが
体の大きさを変えることができるって力のせいかとも思ったけど……それも含めて全部、エア達と同じ特徴だ。
ロランさんが、私に――『神獣召喚士』に向けていた、真剣な目を思い出す。
「ルナ、あなたは――」
言いかけて首を振る。
ルナが月色に輝くと、馬車よりも高さがある大フクロウになった。
「みんな、乗ろう」
私はわんこ達と、用意されたカゴに乗った。ルナの鉤爪が、そのカゴごと私達を空へ運んでいく。
眼下の光景に息を呑んでいた。
「わぁ――!」
夜の森。
月明りが照らす大自然の中、時々沢の水が輝く。さらに目を凝らすと、地面から白い光の玉が次々と浮かび上がってきた。
それらは上空へ舞い上がった後、弾けるように消える。残されたきらめきの粒は、風に乗って南へ流されていった。
『今、あなたに見えているのが神気です。こうして風谷で生み出された神気が、風に乗って遠くまでと届いていく。ですから、風谷に風の属性をもった神獣を招くのは、大事なことだったのですよ』
今まで、風谷で神気がこんな風に見えたことはなかった。
修行した成果なのだろうか。
「わんっ」
『うぉん、壮観じゃのう』
エアの青い毛並みも気持ちいい。ディーネの長めの緑毛は、涼しい風になびいている。
私も目を細めてから、カゴからルナを見上げた。
「でも、ルナ……あなたも神獣なんでしょう?」
ロランさんの私を守ると言った目。一人にさせない、と言った目。
あれは、言葉どおりの意味だったんだ。
ロランさんもまた、神獣を連れた召喚士だったのだから。
私を一人にしないし、危険なことはもう一人の神獣召喚士として引き受ける――そんな覚悟があったのだと思う。
『確かに私は神獣でした。ですが今まで力を失っていました』
「……そう、なんですか?」
『風谷では、小さな神獣でさえも力を維持し留まることができる。その場が、エア殿の力でさらに神気を強めたことで、私もまた力を取り戻したのです』
頭に、カーバンクルのエート達が浮かんだ。
――そっか、そういえば、神獣召喚士がいないと、神獣って普通は神界に戻ってしまうんだっけ。
『主から、後でお話があります。今日のわたしは、あなたに真実を告げることと、谷の夜姿を見ていただきたかっただけですわ』
夜の空中散歩を終えて、私達は地面に降り立つ。
大風車の側ではロランさんが待っていた。杖を持った手を緩く上げる。
「やぁ、こんばんは。互いに夜更かしだね」
困ったようにメガネを直す、ロランさん。
「……ルナが、神獣だったんですね」
「ああ。僕は神獣召喚士――と言えたら、よかったのだけど」
目を伏せるロランさん。
「実は、そうではない。ルナは確かに神獣なのだけど、神界から彼女を召喚したのは別の人なんだ」
茶髪をかき、私から視線を逸らした。
「妹だ。スキルとして〈神獣召喚〉を授かった、正真正銘の神獣召喚士。でも体が弱くてね。辺境で療養していたのだが」
ため息をつくロランさん。
「折り悪く、付近の村に魔物が現れた。他の
8年前のことだ――ロランさんは、確かめるようにつぶやいた。
「僕は病からまでは、守ってやることはできなかった」
私達は風車の土台に腰かけ、話し合った。
エア、ディーネに、そしてルナ――連れてきた神獣がその話を聞いている。
ロランさんはちらりとこちらを見て肩をすくめた。
「正直、アリーシャが『竜と戦う』と言った時は肝が冷えたよ」
頭をかくロランさん。
……なるほど。あの慌てぶりは、そういうことね。
ロランさんは私にあまり頑張ってほしくないってことなのかな?
でもだとすると、こっちが頼りっぱなしになってしまう。この人は、誰に頼れるんだろう。
頭に、一人っきりでドラゴンを圧倒する姿が過ぎった。
「妹は、亡くなる前に一体だけ神獣を召喚していた。それがルナだ。だけれど、神獣召喚士がいなければ、神獣は『神気』を生み出す力を維持できない。『神気』にまつわる力は、神獣を呼ぶ存在――神獣召喚士が共にいてこそなんだ」
ロランさんは声を震わせた。
「僕もルナと一緒にいられるよう、手を使い、修行した。でも『神気』は保ってやれなかった」
風が吹いた。そんな寂しい風、風谷についてから初めてで。
「僕は神獣を連れてはいるけれど、神獣召喚士とはいえない。新たに神獣を呼び出すこともできないし、力を維持してやることさえ、ね。ただ、共に戦うことはできた」
ずきりと胸が痛くなった。
神獣召喚士の妹さんを守れなかったのは、この人の中で大きな悔いになっているのだろう。
「数百年に一度現れる神獣召喚士。それが、もう一人見つかるなんて――獣霊神の思し召しか、まさに奇跡だろう」
……ふと思う。
本当に偶然なんだろうか。私は、8歳。妹さんの死は、8年前。
獣霊神さん、もしかして、事故で失うことになった神獣召喚士を補うために異世界から私を呼んだのだろうか。
どうして私だったのかは、わからないけど。
ロランさんはこちらを見る。
「アリーシャ、君には感謝している。風谷に神気の風を呼び、遠くの魔物を減らせた。でもそれだけじゃなくて、風谷の風を浴びることで、ルナも神獣としての力を取り戻した」
ルナがばさりと翼を広げ、羽ばたく。夜空に向かって放たれた風は、きらめいていて。
「神気……!」
「わんっ」
エアが驚いたように吠える。
『確かに、神獣のようじゃのう』
ディーネの呟きに頷きを返す。
戸惑いつつも、私は問い詰めた。
「でも、ロランさんに神獣がいたのなら、私が風谷に来なくたって……!」
「ルナが力を取り戻したのは、君が風谷に神気の風を呼んだからだよ。逆はできない」
あ、そうか。
一応、授業でもヒントをもらえていたようだけど、隠されていたのは少し悔しい。
「なんで、最初に言ってくれなかったんですか?」
「……ルナのことは、いずれは風谷のみんなに話そうと思っている。でも現時点では、誰にも秘密なんだ。世界でも知っているのは、カイルのように神獣を探す役目を負った神官と、
きゅっと唇を結んだ。
……確かに『神気』の力を失っているなら、疑われたり、下手したら狙われたり、いいことはないのだろう。
「勝手に隠して、勝手に明かす。不誠実な自覚はあるのだけど、そろそろ明かしておかなければいけない」
メガネの奥で、ロランさんは目を閉じた。
「竜にとりついていた魔物や、君が見た夢で思った。近々、あまりよくないことが起こるかもしれない」
……それは、私も薄ぼんやりと感じていたことだった。
いや、正直願い下げなんだけどね。『神気』の風で魔物が減るっていう話だったし。
スローライフを望む気持ちは今も変わらない。
「古竜にさえとりついて、神気をやり過ごす――そんな寄生のようなやり方は初めて見た。それでも、僕は君を守る」
ロランさん、まっすぐにそんなこと言うの、天然だけどちょい困るぞ。
これ、私の年が5歳上だったら、絶対に勘違いする。茶髪の碧眼、さらに美形だしな。
「……ただ、僕に何かがあったら」
ロランさんは、いつかのようにメガネの奥で真っすぐな目をした。
「すまない。だが、ルナを、頼みたい」
……この人、本当に他人ばっかりだな。
「隣国から来たばかりで、しかも8歳の君には、大きすぎる荷物だと思う。でも、ルナのことだけは、僕が無事なうちに本当の神獣召喚士に頼んでおかなければいけなかった」
月明りがメガネのレンズに反射し、一瞬だけ表情が隠れる。息を呑む間に、気づくといつもと同じ困ったような微笑のロランさんだった。
「もちろん、死ぬつもりはないよ? でも、最近の情報はきな臭いしね」
胸の中が、すっごくもやもやした。
急にそんな話をされた驚きもある。でも……なんだか、ロランさん無理してない?
いや、大丈夫なのかもしれない。体力もあるし、知識もあるし、カイルさんをはじめ周りの召喚士もロランさんを尊敬しているようだった。実際、強い。
けど、それでも……『大きすぎる荷物』って、あなたはどれくらいそれを一人で持ってたの?
「ロランさん」
私は、体験者として言わないわけにはいかなった。
「そんなに、自分をないがしろにしていると――死んじゃいますよ」
ロランさんが言葉に詰まったと思う。私は自分の顔から、表情というやつが抜けて落ちているのに気づいた。
「……アリーシャ?」
「わ、私は、ですね。そんな風に、思ってほしくは……!」
ロランさんが呆気にとられている。
どうしてか、視界がにじんでた。
「私、知ってるんです。そういう風にしてて、死んでしまった人」
私は――この人に、気づいてもらいたいと思ってる。
そんなに頑張らなくてもいいんだって。
無責任で、モノを知らない子供と思われてもいい。
怪しまれたり、前世や転生を疑われてもいい。
『好き』って気持ちって、すごい。
勇気が湧いてくるから。
私はこの世界が、ロランさんやみんなのことが、もう好きになっているんだ。
「ロランさん、私は――」
でも、そうはならなかった。
私達のところに走ってくる、神官服の少年があったから。
「ろ、ロラン先生っ」
「カイル。人払いを頼んだはずだけど――何かあったのか?」
って、いいところに!?
……どうやらカイルさんは、ルナの秘密を知るもう1人として、周りの見張りをしていたらしい。
私は目元をぐしっと拭った。
「は、はい。神獣召喚士さまも聞いてください。ナイトベルグ領から、夜鳥で急ぎの手紙がきたのです」
カイルさんは息を整えて、私とロランさんを順番に見やる。
「大きな魔物の群れが――それも、魔界化を危惧するほどの魔物の群れが、ナイトベルグ領に現れたそうなのです」
魔界化。
それは魔物の大量発生。
密集した邪気が台風のように渦巻き、魔物を産み出しながら拡大する――そんな悪夢のような状況のことだ。
「現地で観測をしていた人からの連絡なので、確かかと」
あまりに急な報告に、私は声を失う。
胸にトリシャの金髪が過ぎり、私を呼んだ夢のわんこ――クウの存在も出来事と結びつき始めた。
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