3-9:夜の内緒話

 竜のモリヤさんと戦った日は、その後風谷から人を呼び堰を調査して終わった。

 200年前に作られたとは思えないほどしっかりした構造で、目だった破損箇所もない。大雨での増水は設備のせいではなく、魔物にとりつかれていたモリヤさんが水門に魔力をたくさん送ってしまったから、とのこと。


 本当に壊れていたらどうするのか思ったけど――どうやらそういう時のため、麓の村に伝承が残されたようだ。堰に何かあったら召喚士サモナーに連絡、という決まりである。

 そういえば、堰の異変を教えてくれたのも、村からだったね。

 ……村長さんも神獣のこと知っていたし、実は他にも秘密の言い伝えがあるのかもしれない。


 小さな話だけど、堰の仕組みもわかった。

 モリヤさんによれば、あの辺りは地面から炎と水の魔力を得られる。地下に水脈と熱源があり、それを古竜だけが知る特別なやり方で魔力にしているんだ。

 前世風にいうと、モリヤさんは発電機みたいな役割なんだろう。


 風谷で温泉が出るのも、そんな『炎の魔力』が地下にあるおかげらしい。

 たぶん――原理は『地熱』だと思う。

 転生者だってばれてしまうから、言うわけにはいかないけれど。


 そりゃ、だいぶロランさんやみんなのことは信じられるようになってきた。でも『前世の記憶があります』という言葉が、どんな反応を引き起こすか――まだ不安なんだ。

 ただ、似た境遇の先代については、少しわかったけどね。


 ――佐吉サキチさん、か。


 200年前の、神獣召喚士。

 苗字は不明で、名前の漢字は『佐吉』さん。

 獣霊会のカイルさん達から詳しく聞き、モリヤさんの言葉とも突き合わせることで、ようやく存在がはっきりした。

 セレニス王国の記録には、ある日突然に秘境に現れたとあるらしい。私のようにこの世界の赤子として生まれたわけではなく、突然やってきた『転移者』なのだろう。


 カイルさん達に、それとなく『異世界からの人だったのでは?』とも聞いてみた。

 確かにそういう説もあるっぽい。ただ、全ては200年も昔のこと。

 転移の詳細は残されていないから、おそらく本人か当時のセレニス王国が異世界転移を伏せたのだと思う。


 これでは『実は私にも前世の記憶がありましてね』と軽く明かすのはダメだろう。

 いや、ほんと、どうしようね。


 そんなこんなで、平和な時間が7日過ぎた。

 もうモリヤさんの一件は召喚士サモナー協会に連絡済み。今の上層部は信用できるとロランさんも言っていたし、大丈夫だろう。

 連絡といえば、ナイトベルグ領の状況についても続報が届いていた。

 辺境伯家が騒がしいみたい。近々大森林の調査を行うらしく、兵士を集めているようなんだ。

 魔物対策は領主の役目だから、とりあえず私に文句はない。というか、言う手段もないし。

 相変わらず、ロランさんが送った手紙への返事もまだこない。

 この頃は堰の調査もひと段落して、風谷に平和が戻ってきていた。


 私は秘境で2回目の満月を迎える。

 夢を見た。また、例の、自分が夢を見ているってわかる夢。

 前と同じように、私は渓流に似た空間で一人立っている。空には銀色の月があり、崖から一頭の狼が見下ろしていた。

 前と違うのは、誰かに名前を呼ばれた気がしたこと。

 『アリーシャ』って名前じゃなくて……もっともっと、懐かしい名前を。

 渓流のせせらぎと、しんとした森の空気。

 狼は吠えるでもなく、降りて来るでもなく、静かに立っている。青白い毛並みが月明かりをまとっていた。


「クウ……なの?」


 私は尋ねてみた。

 ここは『神界』と呼ばれる場所だろう。

 カイルさんが約束どおり教えてくれたんだ。

 地面も、岩も、空気さえも、全部が神気でできている場所なのだ、と。だから神獣や、彼らの神気に触れる神獣召喚士、それに長く秘境にいた古竜は訪れることができる。

 ……ま、わかったのはそれくらいなんだけどね。

 黒髪を揺らして首を振り、崖上へ叫ぶ。


「クウ?」


 もう一度呼びかけると、狼は驚いたように身を揺らした。

 かすかに目を細める。笑った――のだろうか?

 見下ろしていた狼は、くるりと向きを変え立ち去ろうとする。


 ――ワンっ!


 鋭いような、切ないような、鳴き声。

 クウの声だ、と思った。子犬の頃の、1年にも満たない間しか一緒にいられなかったけど、こんなちょっと高い、変わった鳴き方をする子だった。


「ついてきてほしいってこと? でも、そんなところ、登れないよ」


 私の声を無視して、クウは崖の向こうへ去っていく。


 ――わんっ!


 来てほしい。会いに来てほしい。

 そんな気持ちが詰まったような、胸が苦しくなる声。


「待ってったらっ」


 それは盛大な寝言だった。

 がばっと飛び起きた私は、隣でエアやディーネがびっくりしていることに気づいた。


「わん……!」


 エアが心配げに、私の腕へ小さな鼻を当てる。

 長毛わんこディーネもしずしずと寄ってきた。


『神界に行っておったようじゃのう』

「……多分」

『ふむ。ワシらも同行できるとええんじゃが、風谷の主たるエアはまだ幼い。現世から「神界」へ向かうには、もうちょい成長する必要がありそうじゃのう』


 ……確かに、どうして私だけ?


『夢の狼には――何か、お嬢ちゃんを連れて行きたい場所があるのかもしれんのう。意思疎通は、少しはできておる。そして、お嬢ちゃんは「呼ばれた」と感じておる。そういうことじゃ』


 半身を起こした姿勢で、私は腕を組んで考えた。


「どこへ、かな……」


 エアが私の腕をぺろりとなめる。


「エア、どうしたの?」

「くぅ……」


 耳を伏せ、なんだか辛そうに呻いてる。ディーネが目を細めた。


『……ふむ。何かを思い出そうとしている、のかもしれんのう』

「え――」

『神界から呼び出される時、神獣とはいえ、相応に負担がかかる。今まで、言葉を話せぬのは、幼いからかと思っていた。じゃがこの具合だと、エアは何かを……記憶の一部をなくしているのかもしれんのう』


 驚く私に、エアは同意するように吠える。


「わんっ、わんっ」


 そういえば、カイルさんが神界について話すときも、じっと聞いていたね。

 子犬サイズのエアを抱きしめた。


「思い出そうと頑張ってくれてるんだね。いいよ、ゆっくりで」


 無理をさせても、この子が大変なだけだもの。


「他にも、心配事はあるし……」


 あの虫型の魔物とか、ナイトベルグ領からの返事とか。

 私は頭をかいて、布団を肩にかけたまま膝を抱える。

 考えごとのせいですっかり目が冴えてしまった。

 今、夜のどれくらいだろう? 閉め切った木戸の隙間から、月光が差し込んでいる。外は、確か満月だ。

 夜風でも浴びてみようかなと思って、私は上着を羽織って外に出た。

 ばさりと羽音がして、軒先の岩にフクロウが舞い降りてくる。

 ロランさんの召喚獣――ルナだ。


『こんばんは、アリーシャ』


 頭に声が響いて、私は驚いてしまう。

 女性の声だ。


「ル、ルナ……?」

『今宵は、あなたをお迎えにあがりました。「風谷」、そしてわたしと主の本当の姿を、伝えるために』


 涼しい夜風が森をざわめかせる。

 私は呆気に取られていた。

 ……とりえず、寝不足確定なのはわかるぞ?

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