3-6:ノンストップ!

 咆哮の直後、木々を打ち破るような勢いで森から何かが躍り上がる。

 一瞬遅れて森から狼煙があがった。異変が起きた合図。地上を先行していたダリルさんからだろう。


「ダリルさん!?」


 鳥たちがいっせいに逃げていく。

 空を泳いでいるのは――黒いウロコを持った竜。羽ばたきながらゆるりと旋回、真っ赤な目が私達を見つめかっと見開かれていた。

 足が震え、首の裏に鳥肌が立つのがわかる。

 大きさは10メートルはありそうだ。電車1台分の長さの生き物が、身をくねらせて空にはばたいている。

 私は、はっとした。


「あれ、夢で見たドラゴンさん……!」


 でも、様子がおかしい。

 燃えるような真っ赤な目つきは、まるで魔物だ。姿こそ黒い影ではないけれど、眼光にこめられた怒りの感情が、ナイトベルグで見た魔物にそっくり。


 ――驚く準備もしておくがいい。


 そんなこと言ってたけど、こういうことなの? でも、そんなのおかしいよ……!?


「こちらを完全に見つけている」

「ロラン先生!」


 叫ぶカイルさん。


「カイル! 君とコニーは、すぐにゴンドラを脱出して、風谷へ向かえ! アリーシャを絶対に守るんだ」

「は、はいっ」

「いい子だ。きっとできる」


 コニーさんが私を素早く抱える。カイルさんは目を閉じて祈り始めた。

 空を飛べる召喚獣、天馬ペガサスを呼ぶつもりなのかもしれない。


「魔獣よ、境界さかいを越え――」


 でも、竜が咆哮。

 ビリビリと震える空気にカイルさんは召喚を中断してしまった。


「っ」


 突っ込んでくる竜。

 狙いは私達の、ゴンドラだ。コニーさんが私を抱きかかえ、ゴンドラの淵を蹴って外へ飛び出す。カイルさんがそれに続いた。

 ゴンドラは竜の突撃を受け、バラバラになってしまった。

 しっかり抱いていたはずなのに、エアが私の腕から飛び出す。


「わんっ!」


 エアが吠えた。その瞬間、猛烈な風が巻き起こる。ドラゴンは身をくねらせて避ける。

 空中に取り残されたエアに、ドラゴンは真っ赤な口を開けた。


「エア!」


 勇敢だけど、離れ離れに、落ちちゃう!

 ……いや、違う。もう私には、召喚士の技がある。


「獣よ! 境界さかいを越え、我の下へ!」


 噛まずに言えた!


「神獣、エア!」


 エアの体が真っ白い光に包まれて消える。次の瞬間、エアは私達のすぐ上に現れていた。

 しっかりとキャッチする。

 絶対に、放すもんかっ。


「エア、大きくなってっ」


 大狼へと姿を変えるエア。風を操って私達の落下速度を緩めると、口の端で私達を捕まえて次々と背中に乗せた。

 こんな時でも、もふっとした毛皮がお尻のクッションになったのは、ぜひ特筆したい。

 私とコニーさん、そしてカイルさんはエアの背中になんとかしがみついた。

 頭にロランさんの声が響く。


『アリーシャ。風谷へ戻るんだ』


 ルナが羽ばたいて、ドラゴンの前を塞いでいる。その上にいるロランさんも、杖を構えて相手を睨んでいた。


「――いいえ、ロランさん」


 私は首を振った。

 落下しているけれど、エアの風に包まれているせいか怖くない。初日の大ジャンプのおかげで、ちょっとは慣れたのかもね。

 カイルさんが囁く。


「神獣召喚士さま、あの竜から、邪気を感じます」

「魔物と同じってこと?」

「は、はい。ボクのスキル〈神使〉の力なので、間違いないかと。普通の魔物にも見えませんが……」


 魔物って、黒いもやが密集した姿というか――その生き物の影をひき剥がして、立ち上がらせたような姿なんだ。確かに、このドラゴンさんは少し変。

 黒い気体が密集しているんじゃなくて、本当の生き物だって思うもの。

 いや、今は後回しだ。


「聞こえましたか、ロランさん。もしかしたら、エアの風が効くかもしれないです」


 本音は、逃げたい。

 でも、こんな危うい存在を風谷の近くに残しておくのはもっと嫌だ。


「ばうっ」


 頼もしく吠えるエア。

 邪気を払うのが神獣なら、私はこの子達の飼い主だもん!


『だが……!』


 迷う中、エアが着地し、深い森を音もなく駆けだした。

 ドラゴンは空中を飛びながらも、しっかりと私達を目で捉えている。なんでわかるかって? 真っ赤な眼光がずっとこっち向いてるもの!


「先に行ったダリルさんも心配です」

『彼は平気だ。召喚士サモナーでも体力は随一だ。だが、君は』

「神獣を、みんなをここに呼べますよ。あの竜を正気に戻せるとしたら、きっと神気だけです」


 少なくとも、あのドラゴンさんは夢でみたのとそっくりだ。


「夢でも、神気で具合が少しよくなっていました。もし、襲ってくるのに、邪気が関係してるなら……神獣の力がいると思います」


 心臓は壊れちゃいそうなほどに鳴っている。

 それなのに――ああ、もう! 私、いつの間にこんなに勇気が出るようになったんだろう。


「わんっ」


 エアが同意するように吠える。邪気をなんとかしないとって、この子も思ってるんだ。

 ロランさんからの答えは、しばらくこない。


『……君まで、傷つけたくない』


 え? 私、まで?

 カイルさんが叫ぶ。


「危ない!」


 すんでのところで、竜がロランさんとルナを掠めた。

 コニーさんが口を開く。


「私もお忘れなく。ダリルと合流が必要なのは、私も賛成です」


 目尻の紅化粧が、いつも以上に頼もしい。


「ロランさん、私……怖いけど、エア達や風谷のためなら、頑張れるって思うんです」


 前世とは違って、ここなら、頑張っても平気だって感じるんだ。

 ふっとロランさんは息をつく。


『――わかった。無茶は、絶対に、しないで』


 上空で閃光。


太陽烏サン・クロウを召喚した。逃げる時に閃光を発する。空中で目が利かなくなれば、竜といえどしばらく攻めてこないだろう』


 ……なるほど、力はなくても、そういう生体の鳥もいるんだ。さすが、学者さん。

 私とエアは森を駆け抜ける。木々をかきわけて進むと、やがて水の音がした。


「堰ですわ、神獣召喚士さま」


 そこは学校の運動場くらいある、広大な水たまりだった。淵に水門らしい設備がある。苔むしてかなり古そうだけど、開いているものと閉じているものがあって、今でも稼働していそうだった。

 動力は、魔法なのかな?

 雨があまり降っていないせいか、流れは緩やかで、完全に地面が見えているところさえある。深いところでも、水深は10センチもないだろう。

 コニーさんがひらりとエアから降りる。


「さて……! 魔獣よ! 境界さかいを越え、我の下へ!」


 巨大な白光。そこから、胴体が馬ほどもある蛇が飛び出した。

 というか……お、おっきい!

 白い光から出て来る蛇の体が、なかなか抜け終わらない。現れた全長はドラゴンにも負けないくらいで、電車1両分はありそう。

 コニーさんは白の巨大ヘビ、その背中に飛び乗ると、飛沫をあげながら空を飛ぶ竜の注意を引き付け始めた。

 ……おお、確かに、これは頼もしい。


「コニーの、ウワバミだ。俺ぁデカヘビって呼んでるが」


 突然、左からダリルさんの声がして、私はのけぞってしまった。


「だ、ダリルさん!?」

「おうっ」


 エアと並走しながら、ダリルさんはにっこり微笑む。


「無事か、お嬢ちゃん。そしてちっこい少年」

「ボクはちっこくないですっ」

「ははは」


 偵察していたダリルさんが無事なのは嬉しいけど、いつも通りすぎるよ!?

 カイルさんが目を閉じた。


「ぼ、ボクも、召喚士さまを守ります! 魔獣よ、境界さかいを越え、我のもとへ!」


 カイルさんが呼び出したのは、一本角を持った馬――ユニコーンだ。お揃いの銀のたてがみである。ご丁寧に鞍までついていて、走るエアから器用に飛び移る。


「さっきは、召喚ができずにごめんなさい。今度こそ、しっかり守らせてくださいっ」


 真っすぐな目で私に告げる。

 ……こういうところ、師弟だなぁ。美形だから、サングラスが欲しいくらい眩しいんだけど。


「はっ」


 そして、カイルさんは浅い水場を一角馬ユニコーンに乗って駆け抜けていく。

 空には竜がうねっていた。

 この堰は、あの竜の縄張りなのかもしれない。頭を下にして、真っ逆さまに向かってくるものね!


 ――神獣、召喚士!


 頭に、声が届いた気がした。

 今のまさか、ドラゴンさんから?

 視線は私に向いていた。

 夢のこと、思い出してしまう。夢で、治せたような気がしたけれど……まだ、助けられてはいなかったってことだ。


 エアがぐんと加速。

 ドラゴンさんの行く手は、コニーさんの巨大蛇が遮っている。

 竜が速度を緩めた隙に、カイルさんが炎の球を撃ちだした。初めての本格的な攻撃魔法に私は身をすくめるけれど、竜は痛くもかゆくもなさそう。

 悠々と再び上昇し、宙返りをしてみせた。

 でも、それでいい。

 倒すんじゃなくて、治したい。


「エア!」

「わんっ」


 きらめく風が滑空するドラゴンにあてられた。

 竜が咳き込み、たまらず着地する。


 ――げほ、ごほっ。


 もわりと口からあがるのは、魔物を倒した時に出る、黒いもや。


「体内から、邪気が出てる?」


 まるで……なんだろう? そう、風邪でもひいているみたい。

 私はきゅっと口を結んだ。

 やっぱり、『あの子』も呼ぼう!


「け、獣よ! 境界さかいを越え、我の下へ!」


 水があるところなら!


「神獣、ディーネ!」

『んむ、呼んだかのう? って、うおう!? なんでいきなり大バトルしてるんじゃ!?』


 後ろ足で耳の裏をかく器用なポーズで呼び出され、戸惑いながらも、


『うむん!』


 ディーネもまた神獣の力を発揮する。もふんと大きな長毛犬になると、前脚をあげ、水面に叩きつけた。

 舞い上がった水が、水の壁になってドラゴンの突進を阻む。飛び散る飛沫。こんな時でも虹ができる。

 新たな神獣の登場に、警戒するかのようにドラゴンが広場の奥に下がった。

 ロランさんの声が頭に響く。息つく間もない。


『……もっと近くで、神気の風を当てないとだめだね』

「動きを封じる?」


 ダリルさんが返す。この人は、ずっとエアの側にいて、私達を守るようにしていた。

 続くロランさんの声も、さすがに落ち着いている。


『確かに、竜の口から邪気が出た。魔物のように邪気が結晶しているわけじゃなくて、魔獣の体内に邪気が巣食っている具合だろう。初めて見る症例だが』


 言葉を切るロランさん。


『咳をして邪気が出たということは、おそらく邪気は「肺」にある。つまり払うには、単に神気の風を吹かせるだけじゃなくて、たくさん吸わせることが必要だ』


 念話に、コニーさんが入ってきた。


『それだけ大きな風を当てるには、じっとしていてもらう必要がありますわね』


 頭に、『はい、あーんして』と言って喉を診るお医者がさんが思い浮かんだ。

 あれか。あの状態にして、神気の風を口に当てて、邪気を払う神気を吸ってもらう――。


『ロラン先生、それは難問です』


 そう、カイルさんの言う通り、難問だ。


「でも――」


 考えてみよう。怖い時、下にいるエアのもふもふ毛が勇気をくれる。

 私は、竜の真っ赤な目が私を捉えていたことを思い出し、ぶるりと震え――ひらめいた。


「……ディーネ」

『うむ、これだけ水があれば、エアと共に動きを封じる手が打てるかもしれん。じゃが、ちと準備がいるのう』


 私は頷いた。


「それなら、みんな私の考え、聞いてくれますか?」

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